From Junky あるいは What's New


迷宮旅行社・目次


これ以後
1999年12月31日
■このところ早寝早起きなので、今晩も眠って過ごすことになったりしては、困る。

1999年12月28日
■先日、図書館を二つ三つかけもちして本をたくさん借りてきた。年末年始を乗り切る備蓄、Y2K対策だ。しかし、ふとカレンダーを眺め、正月休みのあっけないほどの短さに気付く。休みといえばそもそもずっと続いているのであった私の特殊な実感。■うち阿部和重が2冊。ある短編を読んでいたら、ラストに、なんとgifアニメ「せいぎのヒーロー・ピカプー」が出てきたので、唸ってしまった。阿部和重とピカプー、両方の評価が私の中で相乗的飛躍的に向上した瞬間。双方のファンは重なるのだろうか。絶対数はどちらが多いだろうか。阿部和重は野間文芸新人賞だが、ピカプーはなんか賞を取らないのだろうか。ともあれピカプーにリンク。

1999年12月25日
■「詩のボクシング」という催しがあって、その2回目がBSで再放映されていた。最後だけチラっと見ることができた。言葉の力。人格の力。それは電波でも伝わのだね。あまりにぴったりの比喩で恐縮だが、まさに素手で殴り合うかの息詰まる緊張感と破壊力。■ただ、決勝の判定で糸井重里審査委員長が、詩(人)の、素朴さを越えたむしろしたたかさに注目しているように見えたのが、意外といえば意外だった。思わず優劣・好悪の旗を揚げたくさせてしまうという、言葉の不思議な性質を、誰しもこの催しによって思い起こしたということがとにかく凄いと思いますが、その性質というのが、たんなる正確さ純真さといったものではないということであり、それがまた謎だ。■実はきょうはテレビばかり見ていた。ナインティナインと中居の珍道中。考えてみればテレビはずっと前から生な人格やひねた人格や生な心情やひねた心情をしっかり伝えてきたじゃないか、今さらなに感心してるんだ、とも言える。だいたい、リングを設けてゴングが鳴って実況(小林克也)と解説(高橋源一郎)のトッピングを付けないと食えないのか、詩のデコレーションケーキ。■そんなことはない。その根拠はまたいずれ。■旅は同じことの繰り返し。

1999年12月24日
旅日記、キルギスへ。

1999年12月22日
■私はウィトゲンシュタインの著作「哲学探究」を一人で読んでいる。これに限っては今のところ誰かとなにか話したりはしていない。質疑も議論も全くない。ということは、いま私の中に理解だか共感だかそう呼びたいものが起こっているとすれば、それらのすべてはウィトゲンシュタインの言葉だけによって、つまり今ここにある大修館書店「ウィトゲンシュタイン全集8」に印刷された言葉の作用だけによって起っていることになる。それ以外の言葉は、私自身が出す言葉を別にすれば、直接的にはひとつも介在しないところで起こっていることになる。そう考えると、それは、誤解であろうが錯覚であろうが、とても純粋なことだ。■「哲学探究」の内容を初めから終わりまで丁寧に逐一わからせることだけを目的にして書いた解説本などが身近にあればいいなと思ったりするが、考えてみれば、それがまさに「哲学探究」という本なのかなと思ったり。

1999年12月21日
さてみなさん、ことしの重大ニュースは?

1999年12月19日
今私はアルマトゥにいます。

1999年12月17日
■「」とはなにか、その答はこちら。

1999年12月16日
■二葉亭四迷の「浮雲」を読みはじめたら、これが実に可笑しい。言文一致とはいうもののルビだらけの漢語当て字がやはり目立ち無学者には初めて知る語句の連続なのだが、その傾向に全く比例しない、拍子抜けするほどの読み易さとお気楽さに驚いてしまう。これはいったい何だろう。休みなく流れてくる文章のテンポとリズムが次第にうねりを生じさせ、いつしか飛んで踊って揺さぶられているレイブ。町田康に負けないくらいノリノリです。■本を読むとき、言葉が<文字→目→口→あたま→こころ>という順序で流れてくると仮定するなら、目か口あたりで言葉がストップしてどうにも先に行かない小説とか、ようやくあたままで来たからその先は無理やり押し込んでやった小説とかもありますが、ともあれ「浮雲」という小説は、そのルートが最短距離を取る。これこそ真の言文一致だ。我々のこころに初めてのざわざわ感。

1999年12月15日
■難しいことを言おうとしているのか、易しいことを言おうとしているのかが重要なのではない。わかるかわからないかが重要だ。難しそうなのにすっとわかるときもあれば、易しそうなのにどうもわからないときもある。その、わかるかわからないかを決めるのはなにか。いずれにせよ、なんでもない暇人の考え事を、こんなふうに渦を巻かせてしまうあたりが、ウィトゲンシュタインの真骨頂というところなのだろう。

1999年12月14日
旅日記。中国国境を越えてカザフスタンに入る。

1999年12月11日
旅日記。ついに中央アジアに向かう。日付インデックスもできました。■最近NHKのBSで懐かしい歌がよく流れてくる。原田慎二が「キャンディ」をピアノで弾き語りしていたり。井上陽水が「もうパワーはありませんから」とつぶやきつつ渋い声を聴かせたり。 「孫が・・・」と話すイルカが昔と全く変わらぬ態度でギターを抱えていたり。 松山千春の方はもうすっかり姿が変わってそれでも甘高い声は変わらなかったり。そういう一幕に流れてきたのが「虹の_地平を_歩み出て_」という歌。これまた懐かしいトワエモアの二人。なかなか落ち着いた中年男女となってステージにいた。かつてどこか垢抜けなかった笑い顔が、今はわずかな白髪とともに不思議に輝いて見える。この歌はたしか札幌五輪のテーマソングだった。日の丸飛行隊。70m級ジャンプ。笠谷を筆頭にメダルを独占したあの大会。歳月の流れをしみじみ思い、齢を重ねることが、けっして私一人に起こったのではなく、このシンガーたちすべてと一緒に起こったこと、そして日本という国と一緒に起こったことを感じ、...そう感じて、そしてどう思ったかというと、それはなかなか一言にはならなくて、生きてきてよかったと単純には言いたいのではないし、やっぱりもっと若ければまだいろんな夢を追えるのにとも思うし、それでも、どこか、長く生きていくこと、いつか老いていくことが、それほど醜いことではないと...。■昔を懐かしむという我々に共通したクセは、桜や風鈴や落ち葉たとえばそういうものを見て誰でも心が動くのと同様、「抗いがたい情感への無条件降伏」だと思う。皇室のニュースというのも実はそれに近いのかもしれない。戦争のない昨今、天皇がどうしたこうしたそんなこと俺になんの関わりがあろう、若いうちは大抵そうタカをくくっているし、もちろん今もバカにしているけれど、いつかふいに、昔を思ったり季節を思ったりする作用と同じような強い力でもって、私に甦ってくるのではないか。そういう装置はこのまま置いておくべきか捨て去るべきか。本当は私にはよくわからない。君が代は千代に八千代に。皇太子妃懐妊の報。

1999年12月10日
■クラシックのCDでも借りようと少し遠くの図書館まで自転車で出かけたところ、なんとリサイクル本コーナーに高橋源一郎「さようならギャングたち」があるではないか。はるばる来た甲斐あった。さらに文学界の「君が代は千代に八千代に」(高橋源一郎)連載第1回を読む。予想はしていたが、君が代は出てこない。過日の講演で、<僕はまずタイトルを最初に決めるんです。「さようならギャングたち」も「優雅で感傷的な日本野球」も「日本文学盛衰史」もそうでした。次に書き出し。カッコいい書き出しが出来れば、あとはどうにかなる。最後は不思議とそういうタイトルに収まるんです>といった趣旨のことを話していたが、本当にそうなのだろうと私は睨んでいる。この連載がいつどう収まるのか、これは実に楽しみだ。■この文学界1月号では、マイブーム的に盛り上がる二人、保坂和志と野矢茂樹がなんと対談していた。

1999年12月9日
旅日記はウルムチ編。■文学界1月号の高橋源一郎「君が代は千代に八千代に」を読みたかったが、図書館には12月号しかなかった。新潮1月号はあった。こちらにも高橋源一郎の短編。タイトルは「ゴジラ」。内容は別のところで連載しているはずの「ゴジラ」という小説のあらすじとメイキングのような話。同じ新潮1月号(群像と最初書きましたが間違いでした)で「20世紀の一冊」という特集をやっていて、立花隆が「論理哲学論考」(ウィトゲンシュタイン)をあげていたので、う〜むと思った。家でいま田中小実昌など読む時に、本を斜めに立てておくのに何かないかといって、ちょうど傍らにあった20世紀の一冊「論理哲学論考」が下に置かれたりする。

1999年12月8日
■リメンバー!真珠湾攻撃&ジョンレノン。え?力道山が死んだのも同じ日?釈迦まで悟りを開いたらしい。■ちなみにイスラムの人たちはことしは12月9日からラマダン(断食)に入る。こんなことが載っているのは旅行人のカレンダーだけだろう。旅行で不便を生じることがあるから、大事な情報なのです。■旅行の話、中国はトルファンの続き。ここもまた、世界に多様な広がりをみせるイスラム圏の一つ。

1999年12月7日
■きのうのTVタックルは「フリーター」を嗤い叱るといった感じの番組で、「だめ連」が紹介され出演もしていたが、周囲はまたもや困惑と軽蔑の目ばかりだった。まず先に立つ<仕事もせずぶらぶら>の固定的マイナスイメージというものは、誰しも相当努力をしないとぬぐえないのだろうか。旧弊固陋。もちろん<仕事もせずぶらぶら>は「だめ連」の本質の柱だと思うが、彼らの飄々として映る態度と言葉はたぶんそのことを相当長く考え抜いた末のものばかりであることに、いいかげん気付いてもいいのではないか。「考えてしゃべる」ことを見せ物にする仕事できっちり働いてがっぽり稼ぐ芸能人であるならば、自らの位置と価値も含めて<仕事もせずぶらぶら>についても今一歩深く「考える」ことをしてからモノを言ってくれたほうが、見ていて気持ちがいい。「人間は何かをするために生きるのであって、生きるために生きるのではない」と厳然とテロップ付きで宣言する西尾幹二。常識のある意外に人当たりのよさそうな頑固おじさんであった。「国民の歴史」は興味があったが、もう読まなくてもいいかな、それよりこうやってTVタックルにまた出てきて楽しませてくれるほうがいい。■だからといってこのことがこれから自分がどうしようかということに直接結びついているわけではない。<仕事せずぶらぶらすることのみが人間の価値だ>、<きっちり働くことのみが人間の価値だ>、<仕事せずぶらぶらすることもまた人間の価値だ>、<きっちり働くのもまた人間の価値だ>、これらのどれもが等価に思えるという、たいへんニュートラルな所にいるのである。

1999年12月5日
■きょうは、バックパッカーを応援する雑誌「旅行人」の編集長・蔵前仁一さんと数人のライターが、新宿ロフトプラスワンのトークイベントに出演したので、行ってみた。うちも実は「旅行人」を購読している。が、漫然と読むことも多かった。しかしこうして書き手の顔を間近に知って人となりも分かったから、読むのはもっと楽しくなるだろう。■誰しも自分の旅についてはなんらか聞いてほしいし、他人の旅についてもなんらか聞かせてほしい。その「なんらか」が織りなす押したり引いたりの微妙なアヤに、旅人同士の交流の成否が掛かる。そのあたり旅行人の皆さんは旅先で会ったらきっと自然に仲良くなりたいと感じるような人たちでした。旅行人のホームページはこちら。■私の旅日記においてもこの「なんらか」の質と量などの弁えは大事である。

1999年12月4日
■高橋源一郎氏が某女子大で講演するというので、出向いてみた。噂通りの茶髪と赤い上下のスーツでふらりと現れた源一郎氏は、中くらいの教室の意外にほんわかした空気とすぐ溶けあい、例によって照れを残しつつもまるで噺家なみの滑らか口調で、文学のより道わき道どこへ連れて行かれるのか、でもホントはそんなこと拘りもせずすいすい引きずられていったところ、いつの間に、こりゃ実際「文学の向こう側」あたりに抜けていたのかな、と我に帰る1時間半。私には最初から最後まで切実に可笑しく切実にタメになるお話であった。■それにしても、源一郎氏がサービスお茶目に語っていくそのスタイルが(あと中身も)、漫然と構える私の頭の中にどうしてこうも違和感なく浸透していくのか、聴いていて不思議であった。しかし考えてみれば、今回の中心ネタであった群像連載の「日本文学盛衰史」はけっこう読んできたし、そもそもここ数年はこの人の本に耽ることしきりであったから、当たり前といえば当たり前だ。われわれの思考というかそういうものは、やっぱり全部が言葉であるならば、頭の中には要するに長いことかけて言葉をせっせと溜め込んでいるのだと仮定するならば、私の近頃の頭などかなりの部分は源一郎氏が書いて私が読んだところの諸々の言葉がそのままのスタイルで占領しているのではなかろうか。小説畏るべし、文章畏るべし。今、保坂和志を読んでいても、町田康を読んでいても、言葉はイヤなことに似てきてしまう。生活態度まで似てきてしまってさあ大変、だ。それというのも「本当の言葉」なんてものはそもそも存在しないかもしれないのであって、「他ならぬ私を語るため真実の言葉を私はいつまでも探し続けます」?これどうでしょうか。ただ、本当とかそういう力点とは関係のないところで、源一郎氏は語る。ならば単にそれとは別に私も語ろう。そこは譲れない。..とか思うんですが。

1999年12月3日
■野矢茂樹「論理学」をぱらぱら読んでいると、はっ、とまるで目が覚めるような箇所に出会う。それはだいたい午後2時か2時半ごろ。だが何故こんな分野の本を手にしているかというと、<我々がなにかについて「そうか」と理解するとき、「こうだ」と主張するとき、常に一定の理屈のパターンを踏襲していて、しかも、そのパターン、つまりは「理屈の理屈」もしくは「理屈の骨格」とでも呼ぶべきものは、実は透かして見ようとすればかなりくっきり見えるらしく、だったら一度ちゃんと見ておこう>という純粋な好奇心からである。それと野矢茂樹という人への期待と信頼。最近出た「哲学航海日誌」「無限論の教室」が読みやすかった。哲学専攻でウィトゲンシュタインも得意分野。この「論理学」(東京大学出版会・1994)という本は味も素っ気もない外観だが、中身は親切である。最後にゲーデルの不完全性定理の説明になって、私としてはこの本で初めてこの奇怪な定理の「底の深さ」とともに、大胆なことを言えば、ある種の「底の浅さ」までもがふと知れたような気がしたから、大変な収穫だったわけだが、それ以前にそもそも古典的な論理の骨組み--大昔から使い回されてきたほうの理屈の理屈--に図らずも大きく感心してしまった。■論理学とは、なんで私はこう理解したくなるのか・なんで私はこう主張したくなるのかの仕組みであって、買ってはいけないと買ってはいけないは買ってはいけないは買ってはいけないか買ってもいいかの真偽を問うのではなく構造を問うのであって(でも信義は少し問うかな)、それは言葉の正体にも似ているのだろう。養老孟司なら「それは端的に脳の仕業だ」と言うだろうか。いつ触れてもよくいつか触れてよい分野だと思います。学問辺境短期単独旅行。

1999年12月1日
■先日、小森陽一の名をやや批判めいた出し方をしたので、罪滅ぼしでもないが、「出来事としての読むこと」という本を借りて少し読んだ。いやホントに小説、というか文章を書くこと読むことの複雑さに思い至る。■「論理学」「論理トレーニング」という2冊も今開いている。野矢茂樹。この人の講義ってリラックスして聴けるのではと、だからといってどうにもならないことを思う。ウィトゲンシュタインの講義ならば相当神経使いそうだ。モグリの学生、モグリの人生ってのもいい。

1999年11月30日
旅日記。敦煌を発つ。20日分書いてみて、ようやく続けられる見通し、続けたい気持ちがどうにか保てるようになってきた。旅と同じじゃないか、これ。しかし計画ではまだ残り40日余り。先は長い。

1999年11月29日
■空冴えて注文の椅子届く朝 読書パソコン暮らしの安定。▼雑景。■ここに書いた義憤は消しました。なんとなく。

1999年11月26日
観光は序盤の山場を迎える。■近所の図書館にもウィトゲンシュタイン全集はあった。意外。普段は書庫に隠してあるのだった。永遠に借りるか。このごろ滅多に遠くへいかない。なんでも近場で済ませる、というか済ませる用事がそもそもない。これまた間近で起きた事件。

1999年11月25日
■晴読雨読。散歩もする。▼雑景

1999年11月24日
ついに敦煌へ。■本日のおまけ→MIDI

1999年11月23日
■気が向いてシンセサイザーで曲を作ったりする時の話。全体の構成をはじめ楽器の組み合わせ・コードのつながり・メロディーの流れといったものをどうやって決めるのか。もちろん、基本的には直感で閃いたり試してみて気持ちのいいように運んでいく。しかし、そういう感覚だけでは漠然としすぎて先に進めなくなる局面にぶつかる。そうすると、なんらかの理屈に頼りたくなる。コードのつながりやメロディーの流れを支えている法則、「こうしたらいいんだ」「こうしてもいいんだ」と励ましてくれる根拠が欲しい。それが音楽理論?■それと同様、なぜこんなことを書くのか・なぜこんな風に書くのかということが常に気になっている。私が今こうしてワープロで文字を打ってインターネットに出してみることの根拠。文法や言葉使いの保証からそもそも文章を書く行為自体の正統性、などなど。しかしそれは誰かがあるいは私自身がその都度発見もしくは発明していくものなのだ。■ということにしておいて、また旅の話の続き。旅程およそ60日うちまだ16日目か。細く長く。

1999年11月22日
旅の話は、蘭州にて。■田中小実昌「ないものの存在」という本を読んだ。都内の路線バスをルートも知らず目的もなく乗り継いでいく話が冒頭からだらだらと続いていくので、無心に読んでいくと、ふいに三木清とか西田幾多郎とかパスカルの話に変わる。そこで追求されている哲学の根源的なテーマは私にはとても難しいが、田中小実昌という人の、行き当たりばったり的でありながら、いったん問いを立てれば、自分の身の丈・自分の言葉・自分の手触りから決して離れず、それでも、考えるという道の真ん中をひるまずひよらず歩き抜く、そんな姿勢に心打たれてしまった。通常、哲学本といえば、書いた人自身の生活、というか自ら考えあぐねている七転八倒、というか癖のようなものが見えない。明晰な論理と無駄のない整理で、読む者に間違えようのない理解をさせようとする。でもそういう哲学ってどこかつまらない。 保坂和志の「〈私〉という演算」を野矢茂樹が書評で誉めた時にもそのようなことを述べていた。むしろ愚鈍な哲学がいいのかも。■さてその田中小実昌だが、「西田幾多郎哲学論文集2」という分厚い本を「読みづらい」「おっくうだ」とぼやきながら、常にショルダーバッグに入れ地下鉄の中などで何度も中断しながら読み続けた。さらには「この十年ぐらいは、西田幾多郎の著書の一行、一行をとにかく目で追うようなことをやっており、」という記述が出てくる。ここで私は、そうかそういうものなのだと深く納得した。哲学とはそういうものだ、それでいいんだ、そうでもしなければ本当のところなどわかるわけがないんだ...。■実は、ウィトゲンシュタインを今度こそ本気で読んでみようかと嘘気で決意している。もちろんウィトゲンシュタインほど愚鈍から遠い人はいないみたいだが、それはそれとして。ウィトゲンシュタインを、田中小実昌が西田幾多郎を十年にわたって読み続けたように読んでみたならば、私にも何かがはっきり見えるかもしれない。それくらい時間をかけてもよい魅力、というか破壊力をウィトゲンシュタインに感じるし、それくらい時間をかけることがもはや避けられないだろうという覚悟も生じる。今こういう時(完全自由期間)だからこそ取りかかるチャンスだ。...と言いつつ全然スタートしていないのですが。脇道を行くみたいに解説本を二冊ほど開いただけです。まあ以前より楽しく読める気がするし、長い道のりの、とりあえずの助走であると考えればいいでしょう。■ところで、東浩紀を読もうと思ったらデリダを読まなきゃいけないし、デリダを読もうと思ったらヘーゲルを読まなきゃいけないし、ヘーゲルを読もうと思ったら・・・ということが限りなく続くのはよくあることだ。ところが、ウィトゲンシュタインの仕事は、誰か他の人の著作や思想について論じるという、哲学にありがちな形を取っていないように見える。このことは、私が哲学の学問的蓄積や読書の蓄積なしに、いきなりウィトゲンシュタインに挑むことも原理的には可能であることを示す。としたら、それは極めて幸いなことだ。
1999年11月14日
■人間の進化の長い過程において、夜の7時に寝て未明の2時に起きるというパターンが突如出現することがある。究極の早寝早起きか。夜のテレビをカットすると目や耳に入る情報が普段より少なく、やりたいことに集中できそうな気がする。といってもやりたいことは漠然としているのだけれど。■売れそうなハードカバーと文庫それぞれ10冊くらいづつを近所の古本屋に持っていく。しめて1300円。「スプートニクの恋人」と「優柔不断術」がそれぞれ200円だという。「超整理法3」は30円だとも。じゃああとの値段は...。しかし、その金で晩飯が食べられた。別にそこまで窮しているわけではないが。■回想の旅行、中国の西安を列車で発つまで。
1999年11月13日

■実は新聞やテレビから遠ざかっていて、天皇在位10周年式典があるなんて忘れていた。そのうえYoshikiとかGLAYが絡んでいるとかで、途方もなく面白いことになっている。夕方のニュースを見ると、天皇は「天皇の役割を果たしてきました」(不正確)とかなんとかいった談話を出している。天皇の役割、か。仮にこうは言いたくなくてもこう言わないわけにはいかないところが天皇の役割だろうか。そうこうしていると、小森陽一が「ロックが大政翼賛であってはいけないのではないか」(不正確)とかいう質問状をYoshikiに(?)送ったとのニュースがあった。余りに正解すぎるアクション。東大の、しかも名をあげつつある教授にして朝日新聞の文芸時評も担当している人だったか。もしかしたらこの人は、日本という国家の知性を代表する者として、こういう時にはやはりこういう質問状のひとつも送らねばならない、と自らの「役割」を自覚しそれを果たしたのだろうか。本当に何か思うところがあるなら皇居に爆弾でも投げに行くというのはどうか、あるいは自らフォークギターでも持って乗り込んだらどうか、いやそれも断然古くさいが、質問状よりはマシだ、などといろいろ思う方は勝手だが、実際そうもいかないだろうからなと、妙に物わかりがよくなる自分を感じる。テレビはもちろんそれならばと決まりのように茶髪の若者を追い「天皇の式典だけれどGLAY目当てで来ました」という決まりのコメントを切り抜く。マスコミもまた日本国のシステムにおける自らの「役割」をきょうもちゃんと果たしたのだ。なんていうふうに皮肉を言う。たまに皮肉を言うのが私の小さな「役割」か。だとしたら、天皇から自民党からYoshikiから小森陽一からニュースから私からみんながみんな、何をしても何を言っても国家という制度を補完しているのか。なにが国を思うことであるのか。なにが民を思うことになるのか。一緒に君が代でも歌おうか。■旅の話やっと追加。
1999年11月12日

▼雑景35k-秋の日差しは気持ちがいい。■清水良典の軽め短めの評をまとめた「文学がどうした!?」(毎日新聞社)、分かりやすい。谷崎潤一郎も高橋源一郎も「J文学」も「女流」も流れるように頭に収まって一挙に整理される。するするする。「中島みゆきの名前や少女マンガの絵が引用されたり、ポップで軽い語り口ではありながら、この作品に一環して流れているのは、かけがえのないものを我々が永遠に喪失してしまったという、一種のやるせない"喪"のムードなのである。」(失語症のリハビリで書き始めた高橋源一郎)といったふうで、簡潔にして要を得た説明。違和感にページを止めることがない。作者を悪し様にこき下ろしたり、怪獣...ではなくて晦渋な表現を断りもなく使ったりしない。文学に優しい人なのだ。かつて工業高校で国語嫌いの生徒らに作文を教え「高校生のための文章読本」という話題の参考書も著した人であるから、当然かと思う。しかしそうなると、ある時、説明の言葉の回転がますます早くなって、なんだか坂道を下る自転車のようで、足がペダルを回すのかペダルが足を回すのか、この人の言っていることは難解の正反対なのに、それなのに、分からないことをよく考えたら分かったという理解の動的な感覚が消え失せて、その結果どうなるかというと、簡単な言葉の簡単な組み合わせ、たとえば「情報の増大と反比例して、世界の閉塞感が深まっている、そんな現代では、人間の狂気と想像力の領域が、不気味に拡張しつづける一方だ。」といった、目で追って滞りなく飲み込める文章が、はて何のことを指しているのか、「理解している」と「理解していない」の区別ができなくなってしまったような不安に襲われる。不思議なことであった。清水良典といえば、清水義範も読み易い。■保坂和志も続けて読んでいる。「<私>という演算」。感想はこちらに。 
1999年11月11日

■迷宮旅行社の新URLhttp://www.tk1.speed.co.jp/junky/mayq.htmlへウェルカム。"スピード/ジャンキー/メイQ"というわけで...ドラッグ体験ありますか? "index.html"ではないのでご注意。■新メールアドレスは、junky@speed.co.jpです。■以前のURLおよびメールアドレスへのアクセスは、2000年5月まで自動転送されます。便利ですね。 
1999年11月9日

■私のHPへのアクセスは、11日から新URLへの自動転送となります。ただその新URLがまだ確定しない。ちょっと心配。■今度のプロバイダーはHP容量50MBと太っ腹。デジカメも買ったことだし、日々の写真なども載せていこうと思っています。ただその新URLがまだ確定しない。ちょっと心配。デジ写、試しに→▼雑景。しかしこの回線の細さでは200万画素も意味がない。データ量はこのくらいに抑えないと。それでも重い。暇な方へ。■「羽生-21世紀の将棋」を読む。保坂和志の、これは将棋評論とでも言うのか。しかし...。<将棋で次に打つべき手とは、対局のそれまでの流れ・盤上の駒の形で決まるものであって、棋士の個性とは関係がない>ということを、<楽曲の流れによって次のメロディー展開がすでに決まっている>ことに喩える。また、将棋の「読み」を、文脈から言葉の意味を「読む」ことに関連させる。ふ〜む。この本は、「将棋の結論」を求めてやまないという羽生論であり思考論なのだなと思った。一方で「将棋の核心は人に伝えられない...美しい文章の味わいや、骨董の味わいに近い」とも書き、羽生の「駒の幸せ」という表現も紹介するなど、明晰な話だけともまた違う。「コンピュータは将棋で人間に勝てるか」という問題にも触れ、いつか人間は勝負だけではない「将棋のとてもエレガントな面」を発見するのではないか、と急に直感的な結びになったので、はて小林秀雄はどんなことを言っていたっけと思った。そんなわけで、なかなかうまく言えないのですが、ちょっと他では例のない頭の刺激を得られる一冊として勧めます。私が将棋に全く詳しくないことを前提にした上で。朝日出版社1997年。なお保坂和志の芥川賞作「この人の閾」も読んだ。この感想は後日、そうニュウHPにて。ただその新URLがまだ確定しない。ちょっと心配。 
1999年11月8日

■はっと耳を立ち止まらせる音楽、だいぶ昔に聴いたところの。きのうのテレビ「世界遺産」でスリランカの岩山に築かれた古代王宮が紹介され仏教系の天女アプサラを描いた壁画がじっくり映し出された時、バックに長々と流れていた。映画「ノーライフキング」(市川準監督・いとうせいこう原作)で使われた一曲であることはすぐわかった。カセットテープも持っている。ミュージシャンは鈴木その子...じゃなくて、何だっけ。探してみると、鈴木さえ子だった。同名のアルバム「ノーライフキング」で曲のタイトルは「フォービドゥンモード」。改めて聴く。うーむ、ミニマルでハーモニーの骨格が透けて見えそうなシンプルさだが、じわじわと感傷的で良い曲だ。1990年か。この頃は勤務先にあるCD庫で仕事に使えそうな曲を選びながらBGM系をよく聴いた。仕事に使えそうもない曲もよく聴いた。懐かしいな。家にあるカセットの多くはそういう集積だ。レコードはCDになり、カセットはMDにMP3に、さらにCDも進化しつつあり、もう邪魔になりそうな昔のテープだが、やはり捨てないでおこうとまた思う。この中に音楽の私的道程もあるわけだから。なんでもイギリスでミュージシャンのナンバーワンは誰だとかいう大がかりなアンケートがあって、そうしたら一位はビートルズだったらしい。個人ではジョンレノンがモーツァルトやバッハを押さえた。当たり前すぎる結果だが、我々の意識とは我々が実際に辿った年代の実際の生活によって形づくられるのだから、そういうものだろう。さて自分にはどんな音楽が重要な位置を占めているのか。それを総覧したい気が常にしている。「自分遺産」とでも言おうか。その時、昔のカセットテープは貴重な資料だろう。--「サージャントペパーズロンリーハーツクラブバンド」を聴きながら。■旅の話はまだ9日目。旅行した期間より記録する期間の方が長くなりそう
1999年11月7日

■迷宮旅行社のアクセス先が変わります。もうほんの2,3日後。現在のURLから新しいURL(未定)に自動転送されるので、迷子にはなりません。メールアドレスもjunky@speed.co.jpに変わり既に機能していますが、こちらも現在のメールアドレスから自動転送されます。なおBBS東京永久観光のURLは変わりません。■きょうも小島信夫「抱擁家族」を読んでしまった。「読書の達人2000--なぜあの人は体外離脱でもしたように多読できるのか?--足の裏を見るとわかる」(中谷彰宏)。そうではなく、単に私が暇なだけだった。
1999年11月6日

■保坂和志の「アウトブリード」という本を一気に読む。これは10年に一度いや78年に一度、いや1000年に一度の出会いかもしれない。とまで思わせた。それでこちら。■ここのところ相当なペースで読書が進むのです。あれよあれよという間に読み終えている。どうも自己の通常の力を超えているところからみて、こりゃ思考極限状態の脳味噌からエンドルフィンだかドーパミンだかがちょろっと出てきたに違いない、うまくいけば、このまま体外離脱か、とわくわくしつつ「臨死体験」を読了した。さすが立花隆、期待した通りのことだけはしっかり書ききってくれていたという感じ。で実は保坂和志「アウトブリード」には、この「臨死体験」にまつわる考えも述べられている。それで、私Junkyはこういう労作(臨死体験)を読めば読むほど宇宙や人間や言葉の成り立ちについて湧いてくる不可解さがいっそう際だつようになり、当然立花隆本人だって科学や人間に関してこうして自ら切り開き明らかにしていった力強い論述の果てには絶対そういうことが気になって気になって仕方なくなるはずだと思うのに、なぜだか立花氏自らはさほどそういう風な拘りがないように見えているからもう期待しないようになったのだが、なんとまさにそういった不可解さをどんぴしゃりどこまでも凝視している目こそが、まさに保坂和志の視線なのであった。■旅の話はまだまだ続く。
1999年11月5日

旅の話。調子に乗って逸脱ばかり。こんなことじゃ。終わりまで行くだろうか。早くも力尽きそうで。
1999年11月3日

■「鮫肌男と桃尻女」をビデオで楽しんだ。テンポとノリのメリハリ。多彩な役者の多彩な人物象がどれも戯画的に鮮やかで飽きない。でも一番いいのは実は渋めに押さえた岸部一徳だったりする。振り返ってみると、この人、どの映画のどの役柄でもとても印象深い。それから、やくざの一人が「子供の頃、大人になると絵柄が出てくるんだと本当に思っていた」とぼそりと喋ったり、「ヤマクジラ」とかいう食べ物らしい名前が意味もなく出たり、という隠しオトボケが、繰り返し見るともっと見つかるのではないか。寺島進が神に導かれるあたりは、タランティーノの「パルプフィクション」を思い出させたが、この映画はどこか暖かみがある。■「人はなぜ傑作に夢中になるのか」(淡交社)という本もぱらぱらと読んでいる。「なぜ、これがアートなの?」と同じアメリア・アレナスの著。美術品を見る際に知識が豊富であればあるほど面白いものであることが分かってくるが、それでも人は今あるだけの知識で見るしかないわけで、結局今感じたことをその通り恥ずかしがらず認めればいいのだ、と楽な気にもさせるところが、この本の優しさというかありがたさ。そんなわけで、映画でも小説でも気軽に語ろう!
1999年11月2日

■読みかけの本がけっこうあるところに、友人が大江健三郎の「宙返り」全2巻を抱えて、読む価値があるかどうかは保留したまま「読む?読むんだったらやるけど」と言いつつ結局置いていった。さらになぜか臨死体験の話をしたら、立花隆のこれまた分厚い「臨死体験」全2巻も持ってきた。嬉しいような悲しいような。「臨死体験」はまだ読んだことがないので今読んでみている。■NHK-BSが「日本映画100年100本」というふれ込みで昔の映画を次々に放送しているようで、きょう何気なく「上を向いて歩こう」(舛田利男監督--文字曖昧)というのを見てしまった。坂本九が浜田光男や吉永小百合と絡んで出てくる1962年の作品。不良少年が生き甲斐を見いだしていく物語。戦後から高度成長へ希望に満ち溢れた祖国の姿。高橋秀樹や芦田伸介が若くて驚く。これがしかし100本のうちの1本か。この後は森繁久弥らの社長シリーズ10本が続く。なに100本のうちの10本がそれか。■旅行の話さらに増える。
1999年11月1日

■先日初めて歩いた街で古本屋に出会い。そこで出会ったうちの一冊「プレーンソング」(保坂和志)を寝転がりながら読む。練馬の中村橋にあるアパートの部屋という取り柄のない舞台で、主人公の男が子猫に出会うところから始まり、刺激的でもない人物たちがたいして事件も起こさず平凡なことを繰り返していく。文章がまた、普通なら「。」で終わりそうなところが切れずにだらだら続いていくのが目立つ。特に「・・のだけれど、・・・」の頻度が非常に多い。作家にそうさせる原因があるとしたら、それはなんだろうか。興味深い。■古本屋もまた良いものだ。新品の本は単なる工業生産物が並んでいるようにしか見えないが、古本の場合は既にもう本としての認知を受け一度は個人的に所有され個人的に読まれた過去があるわけだから、人(本)生経験が違うのだ。古本屋の本は生きている。■「マンガ学」という大判の本。スコット・マクラウドという米国のマンガ家が書き描いたもの。岡田斗志夫監訳。大変重要な指摘が随所にあり、しかもそれをマンガによって伝えようとする努力が素晴らしい。発行元は美術出版社。■旅の話もだらだらと続きそうですよ。 
1999年10月31日

旅行の話を少しずつ書き留めることにしましたので。
1999年10月29日

■「豊かさの中で我々が忘れてしまった大切な何かを思い出させてくれたような気がします」というやつ。あれをぜひ使いたくなった。旅の感想ではない。古井由吉の短い小説を読んだのだ。他に読みたいのがあって借りてきた群像6月号で、偶然出会った。タイトルは「犬の道」。年寄りが少年の頃に暮らした界隈や家族の情景を追想する話だからというのではなく、文章の綴り方・装い方として、実は最初から忘れてしまっていたかもしれない大切な何かを感じた。こういう書き出し。「こんな索漠として平らべったいところで、生きるのに文句は言わないが、行きどまりとは、情けないな。」...これだけ引用したのでは不十分でしょうか。でも、ついでみたいに目を落としてみたこの一文が、即座に、目鼻や体温のある具体的な人物がそばで語り出したような気にさせたことは事実です。■ところで、途中で出てきた「銜える」という言葉が読めないのだった。えーと、「とらえる」かな、「おさえる」かな、と当てずっぽうでやっていたが、しっくりこない。パソコンのATOKの辞書で確かめたら、やはり間違いだった。「銜える」なんて書いたことのない字だから仕方ないだろうか。しかし今ここでもキイボードを打っただけだ。これからもたぶん。こういう豊かな言語状況の中で、失われていくものが、そしてもちろん生まれてくる思いもよらないものも、たくさんあるに違いないのだった。■まだ読んだことのない作家の作品。それは、まだ訪れたことのない国のようなものでしょうか。ガイドブックや写真集すら手にしたことがなく、都市の名前くらいを何度か耳にした程度の。
1999年10月28日

■本いろいろと。「イスラームと国際政治」(岩波新書・山内昌之)、「ゲーデルの哲学」(講談社現代新書・高橋昌一郎)とか。不完全性定理を具体的には紹介せず例え話とクイズを使ってイメージだけ伝えようという手法。でもそうすると却って実体つまりゲーデルが記述した数学的証明の原文にも触れたくなる。どうせ分からないに決まっているのだが。映画や小説だと解説や粗筋だけでは見たり読んだりしたことにはならない。ことになっている。じゃ数学の証明なんてのは実際どうなんだろう?■ともあれ、歩く・読む・繋ぐ、暫定的理想毎日。
1999年10月26日

■ゴミ収集の時間が早くなった。回覧板によると朝8時までに出しなさいという。私ならとても起きられないが、起きてはいられるので、安心だ。■インターネットではいろんなことが起こるね。でもまあ、ふざけるのもこのぐらいにしろ!
1999年10月25日

■「幼児虐待の報告をしていたホームページが第三者に咎められ、プロバイダーがそれを削除した」とのニュースを聞く。しかし、幼児虐待を咎めることと、ホームページを削除することが、当たり前のように連鎖しながら、実はどう繋がるのかはっきりしない。「ホームページに書くために、しなくてもいい幼児虐待までやってしまう」なんてことがありえると感じたうえで、かつ、「やってはいけないことをやったこと」よりも「やってはいけないことをやったとホームページでうれしそうに報告すること」の方がよけい根が深い問題だと感じたうえで、それでも私は、プロバイダーが他人のホームページをどんな理由であれ勝手に消し去ってしまうような暴挙を、暴挙と感じられない風潮の方が、よっぽどおもしろくない。...と義憤のプー太郎、背中に秋風ぞ吹く。
1999年10月24日

■途端に夜型の生活が戻ってきた。爽やかなはずの秋空もほとんど見る間がない。おまけに何をするにもスローペース。旅行の話もそのうちまとめようとは思うけれど。■本だけは読んでいる。「日本語の復権」(講談社現代新書・加賀野井秀一)。久しぶりに思う存分読み書きできる自らの言葉に関しては、やはり興味や発見が尽きないね。ソウルで目の当たりにした、漢字が消えていく実状も気になっている。続いて「日本語・上」(岩波新書・金田一春彦)も読んだが、「日本語の復権」の方が問題意識が新しく横断的に思えた。■帰国して初めて本屋に行ったら、「買ってはいけない」と「買ってはいけないは買ってはいけない」が並んで平積みになっていたので、両方買った。読み比べるとこれがすこぶる楽しい。実は旅行の直前に立ち読みし「正露丸も買ってはいけないのか」と思いつつ、それでもリュックに正露丸を入れ、旅先でありがちな腹痛を起こした時は遠慮がちに飲んだものだ。ところが今「買ってはいけないは買ってはいけない」を開けば「買ってはいけない度ゼロ」とある。う〜むなんか損したか。
1999年10月21日

■中国&中央アジア観光を終え16日に帰国しました。2か月ぶりの東京、2ヶ月ぶりのマイホームページ。旅行中はBBSでわずかに繋がった以外は、インターネットと遠く離れた日々だったので、今キイボードを自在に打ち込めることが十分うれしい。気分一新。またなんだかんだと書いていきます。■迷宮旅行社のURLと私のメールアドレスが来月始めに変わります。よろしく。
これ以前

迷宮旅行社=http://www.tk1.speed.co.jp/junky/mayq.html