追想 '99夏

旅先でことさら
思い当たらなく
てもいいことに
思い当たる旅先

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9.2第22日火車→トルファン
ウイグルの味

柳園からの列車にずいぶん長く揺られているような---いやそれは錯覚か。ここしばらく旅の回想をしていなかっただけで。我が日記をふたたび開いてみるに、翌朝6時40分トルファン到着、とある。

旅日記もここらで第2部ということになろうか。おしんで言えば田中裕子が出てくるあたりの。そこで改めて解説してみますが、ここに書きつづっている文章は、私が1999年8月から10月にかけて中国から中央アジア---旅行会社の謳い文句でいえば「魅惑のシルクロード」を旅した記録です。高校時代の地図帳でもあれば開いてみるといいでしょう。まず大阪から上海まで船で渡り、そこから中国大陸をずっと西へ列車で移動しながら西安、蘭州そして敦煌を回ってきました。トルファンはさらに西、ウイグル民族の自治区にあります。さらに先の訪問地となる中央アジアは旧ソ連圏にあって現在は独立したカザフスタン、キルギス、ウズベキスタンといった国々ですが、こちらは地図を見てもなかなかイメージが湧かないでしょう。そのイメージの湧かなさかげんに惹かれてこの旅先を選んだということがあります。実際のところ、旅行したくて会社を辞めたのではなく、まず会社を辞めてみたら予想通り暇な時間が出来たので、だったらやっぱり今旅行しておかなくてはというような感じの、そもそも確信犯的でない旅立ちなのです。じゃあ、なぜこういうルートになったかというと、8月といえば世間も夏休みで飛行機運賃のベラボウに高いことがなんかバカらしく、日本を離れる手段に船を使うことは最初の条件となりました。そうなると、もう地球広しといえど最初の訪問地はかなり限られ、その結果の上海入りだったわけです。次にそこから陸路でどこに向かうか。暑い夏なのでさすがにもう南には行きたくない。でも北といったら3年前に見てきたばかりのモンゴルやシベリア鉄道。さてどうする。---そんな流れでこのシルクロードルートが浮上したような次第です(ただ、さすがに夏、けっして涼しいといえる旅ではありませんでしたが)。

...とこの旅行記の全体像とこれまでのあらすじなど押さえたところで、先に行きましょうか。

トルファンの駅はまだ暗い。すぐにウイグル人のリッキーと名乗る男が近づいてきて、街まで車で乗せていってもらうことで話がついた。名刺を見ると「リキヤ・ヤスオカ」とある。もちろん日本人客のウケ狙いだが、たしかに顔と体格が似ている。しかし愛想はよすぎるほどだ。名所を車で連れて回るツアーとこうしたトランスポートなどで稼いでいる。車は何台か所有しドライバーも雇う。旅の季節である今はほとんど寝る暇もないらしい。年齢は24歳。私は10年前の旅でここトルファンにも来ているのだが、その時、宿にいる日本人客に、まだ子供のような連中がツアーの話を持ちかけてきたのを覚えている。私も実際に連れていってもらった。たしかリーダー格の子供が二人いたはずだが、そのうちの一人だろうか。あの頃からたくみに操っていた日本語は、さらに10年を経過して磨きがかかっている。

宿は緑州賓館という小ぎれいなホテルのドミトリーに決めた。4人部屋のワンベッドが27元。

ここは中国といってもムスリムのウイグル民族が多く住む自治区であり、時おり独立運動が起こって日本でも報じられたりする。漢民族の印象とはかなり違った人々と文化に出会える土地である。我々旅の者にとっては、なかんずく、食べ物が豚肉中心の中華料理からムスリムの羊肉料理に切り替わる時でもある。この羊肉が好きだという人とどうも苦手だという人にくっきり分かれるのが面白いところ。10年前の思い出から察するに私は後者に分類される。しかしここまで来たからにはと覚悟を決め、この日も早速ウイグルの食堂に入り、典型的な一品であるバンメンを頼んでみた。大きめの皿にうどんを盛って、炒めた野菜と羊肉の具をたっぷり乗せた料理だ。うどんはコシが強く、具の濃い味もよくからんでおいしい。量が多いので腹はいっぱいになる。しかし羊肉の特有の臭みがやはり気になった。

このバンメンと並ぶウイグル食のもうひとつの雄といえば、ご存じシシカバブ--羊肉のバーベキューである。こちらはひとつビールなど傍らに置きながら味わってみようか、と思うのは誰しも同じ。トルファンの熱い太陽がだいぶ傾いた夕刻、中心街の広場には毎日たくさんの屋台が並び、金串に刺した羊肉を炙りはじめる。煙があちこちで立ち上る。私もその一件に座ったのだが、そもそもあまり飲まないビールなのにモノは試しと地元産を頼んでちびちび飲んでいたところへ、あるウイグル人の男が隣にやってきたので、つい調子にのって友好の印のようなつもりでビールを向こうのグラスについであげたところ、その人は大喜びして一気に機嫌が好くなってしまい、よしビールだ!シシカバブもじゃんじゃん焼いてくれ!それからあれもこれもと羊肉料理もろもろをあちこちの屋台からエンドレスで注文しだし、ずんずんこちらにすすめつつ自らはずんずん酔っぱらい、私の手をつかんでもう決して離してくれなくなってしまった末に、勘定をどうするかが次第にあやふやになり結局はこちらがもつ羽目になったりと、そんなこんなの大騒動だった。まあ私の財布の方が彼よりはまだ温かいのだからその程度の出費はもういいのだけれど、ハンパな気持ちで他人と仲良くやろうとして着地に失敗する自分の心根の薄さに思いが至って、なんだかずいぶん後味が悪かった。いや、シシカバブの味は良かった。ただ当初の計画をはるかに超える本数を食べ尽くしたため、後味はやはり今ひとつだったか。そのシシカバブ屋に対しても一連の騒動は迷惑であり、それがまた苦い後味を残す。そうそう、シシカバブを焼いている店主の、どこか優しげな表情と黙々とした仕事ぶりだけは、かなりいい味出しておりました。

9.3第23日トルファン
ただ情景を眺めていたい

よく旅をしたフロベールは、自らはあまり動き回らず、目の前で繰り広げられる情景をただ眺めているのが好きだったらしい。---「フロベールの鸚鵡」による。だからというわけではないが、私も今、緑州賓館のドーム型をした広くしっとりしたロビーに座り、さまざまな国の観光客が行き交うのをぼんやり見ていると、不思議に気持ちが落ち着いてくる。あしたはトルファンの観光名所を一気にめぐるツアーだが、今のこういう状態の方が楽しさを覚える。

八角形のドーム。おのおのの壁ぎわには絨毯を敷いた大きな縁台のような休憩台が設えられ、肘を掛けるのにちょうどよい小テーブルがそれぞれ置いてある。私はその一つに靴を脱いで上がり込み、この日記をつけている。こういう胡座スタイルはやはり椅子よりくつろげる。書いたり読んだりする作業でも姿勢にフレキシビリティが出て良い。

今19時30分。こんな西に来ても時計は首都北京に合わせるが、実感としてはローカルタイムの17時30分。夕方からの憩いのひとときが始まるちょっと前。 ロビー中央では、日本からの団体客が円になってツアーコンダクターからこれからの予定と注意事項を聞いている。その向こうには出入り口の扉越しに、涼しげな噴水が見える。

さすがにドームのせいか音の反響だけはいささか激しく、そのままでは気が散るのだが、ヘッドフォンをしてMDの音楽を聴いていると、団体客やフロントのざわめきがミックスされ、ちょうどBGMのようで、むしろ心地良い。

きょうは朝から「われわれはどんな時代を生きているか」(蓮実重彦+山内昌之)という本を読んでいる。既に一度読んだ新書だがあえて持ってきた。期待通り総合的で躍動感のある知・思考といったものに包まれてわくわくしながら進む。山内という人はイスラム圏を絡めた懐の深い歴史を、蓮実氏に負けず意表を付くような出来事と合わせて編んでいくのが得意であるようだ。われわれは今どんな時代を生きているのか。たとえばこうして各国の観光客が行き交い、金満ニッポンの若者が何故か10元の金を惜しみ、フロントの漢人は他民族であるトルファン風のユニフォームを着て英語でにこやかに受け答えし、ドイツ製のセダンも所有するウイグル人が流暢な日本語でわれわれを観光地巡りに誘う。そういう情景を目の前にしてこそ、この本は読まれるべきではないか。などと、蓮実重彦は言っていないが、私はそんな風な言葉で考える。<近代以前、実はすでにコスモポリス・コスモポリタンを体現していたと評すべき都市や人々があったにもかかわらず、まもなく訪れた近代の産物であるナショナリズム---すなわちそれは「国際的」の言葉が前提としたところの枠組み---の中で、ついに生息が許されず消滅に至った>といった趣旨の文章を読むのには、今私がいるこのロビーこそ相応しい、というか、もっともらしいのではないか。---MDからボサノバ風のしかし言葉はイタリア語らしい歌が聞こえる。日向敏文の曲に「新しい遊牧民」というのがあったことを思い出す。

旅のTIPS。腰を据えて本が読める場所をいかにして確保するか。ただし本から目を上げたときには、あくまで旅行中のムードが優雅に漂っていなくてはいけない。---ひとつの解答は、泊まっているホテルのロビー。このような絨毯敷きでなくとも一般的なソファーで十分。運が相当よければ、夜中に寝静まったドミトリーを抜け出し比較的明るい電灯の下でいつまでも一人で座っていられることもある。あるいは中国の敦煌でちらっと覗いてみたごとき、町中の図書館に入るのもよい。眩しく暑い日射しと喧噪がウソのように消え、ひんやりとした暗がりに木造の床の静寂。

きょうは日記を書いてばかりいる。考えるから書くのだけれど、書くから考えるという側面もある。日本では、ホームページ用の人に見せることが前提の文章ばかり書いていて、日常の細々した感想を自分用に記録することは意外となかった。ノートをあらかじめ買っておいて、それを机の上に持ってきて聞き、ちゃんとインクの入った万年筆を握って文字を綴る作業と、机に据えてあるパソコンをスタートボタンで起動し、次いでワープロソフトを立ち上げ、両手をキイボードに置いてかちゃかちゃ叩いていく作業。どちらがスムーズか。あるいはどちらが考えることと直結または同一でありうるか。今やあまり省みられなくなってしまった、このノート&万年筆方式も決してヒケはとらないと思う。漢字のもの忘れ防止に効くという点だけでなく。ただしノートのインク文字はデジタルデータでないために、カット&ペーストができないし、時として自分で書いた字が読めなくなったりもする。でもまあよい。なにかを書いて考えることは、今のところ生きていくことと同一に近いし、少なくとも、生きていくことの本質ではあろう。旅行にあってもまた同様。いや旅という非日常だからこそ、もっともっと考え書くべきだ。

*旅の日記というものをこうして再録しながら、その根拠や目的をそのつど疑惑の目で見ているのだが、実際旅にあって日記をつけていた時点で既に、書く行為をこんな風に励まさねばならなかったのか。くどくどと何度も。書いていくことには必ずどこか疑いやつまずきが付きまとうものなのか。

葡萄棚に覆われた路をウイグル爺さんのロバ車が名物のハミ瓜を満載してやって来て「うまいだよ、いらんかえ(推測)」素朴な声を上げる。こんなトルファンのまるで絵はがきシーンに思いがけず遭遇したが、カメラを取り出すだけの暇がなく、撮り損ねた。残念。

昨日に続いてバザールを歩く。ナンを買う。*ナンはウイグル族のパン。というか、この先イスラム圏では国が変わってもずっとおなじみの主食となるのである。

屋台街をまた通ったら、賑わいの中にあって、きのうシシカバブを食べた店だけが客がいなくてオヤジおよびその妻が寂しげに見えたので、ちょっと寄ってみた。そうしたらそこに、ホテルの同室の人を含めた日本の若者一団がやってきて、店は大繁盛。いやあよかったよかった。帰る時、その穏やかでちょっといい味出してるオヤジが、向こうから親愛の意を表してくれ、握手して別れた。きのうのケリが着いた気持ちで、ほっとした。

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Junky
1999.12.5

http://www.tk1.speed.co.jp/junky/mayq.html
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