追想 '99夏
旅先でことさら
思い当たらなく
てもいいことに
思い当たる旅先
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8.31 第20日 敦煌 オムライスの神秘・服務員の不可解
・見せ物おやじの怪奇
日本食もどきが食べられる所が、飛天飯店の目の前にある。そこでオムライスを食べてみたらうまかった。...と日記にはある。中国の安食堂でありつける日本食の場合、「うまい」とは、単に口に合う・残すほどでもない・これを日本食と名乗った理由は理解できる、という意味だ。しかしこれは旅を終えて日本に戻りあれこれ外食できる段になって気付くことであり、現場のレポートとしてはやっぱり「うまい、うまい」と叫び「うまかった、うまかった」と書くのである。それと、一般にバックパッカーのたまる場所には旅の体験や感想を書き込むノートが時々あって貴重な情報の集積が長く受け継がれていくのだが、この店にもその種のノートがあり、そこには「この店のオムライスはおすすめ。ケチャップは酸味が効いている。手作り?」といった証言。しかしこの酸っぱさはもしかして単にケチャップが古いせいではないかとの疑念...とこれも日記より。でも情報ノートにはそのことを書かないでおいた。郵便局に絵ハガキを買いに行く。2枚気に入ったのがあった。ところが担当の服務女性は、ガラスケースで私が指さした見本を覗き、すぐ後ろにある棚から商品の絵はがきを取り出し、それを私の所に持って来て1枚づつ渡すという一連のタスクが、どうしても嫌で嫌でしょうがないらしく、こちらすっかり恐縮の面持ちでじっと待ったところ、ハガキを束で手にしてゆらゆらとこちらに近付くかと思うと、ひらり、ひらり、となぜだか2枚を床に落としてしまい、ますます大儀そうに拾い上げたあと、その落ちた2枚をわざわざ私に売って下さろうとしたので、さすがに立腹した。
街なかで見せ物ショーの呼び込みをしている。垂れ幕に「怪奇!花瓶の中で育った少女」といったふうの絵が描いてある。試しに、騙されに、入った。2元。会場造りはなんだこりゃのぞんざいさだったが、それでも高さ30センチほどの花瓶の口から子供の頭だけが出ている。たしかに首から下は花瓶に入り込んでいるとしか見えない。隣にいるたぶん父親だと思しき男が客に向かって口上を述べ立て、子供に質問したりする。子供もパパとママがどうのこうのと答えているから、花瓶に入れられた経緯などを喋っているのだろう。何度も目を凝らし、ようやく鏡を使ったトリックであることが解った。だたそれ以上に謎なのが、口上を述べる男の仕事ぶりで、なんでそうなるかわからないがテレビを見ながらやってるのである。考えられます?フツー。見せ物小屋のハイライトの盛り上げ役がですよ。花瓶と子供の首の斜め下に粗末なテレビがころがっていて、男はどうやら一日中それを見つつ、客が来た時はちゃんと口上を述べるが、それでもテレビも気になるからスイッチを切らないというわけか。う〜む。「怪奇!テレビに浸かって育ったおっさん」であった。
とにかく敦煌は狭い所であちこちウロウロしたから町の地図がすっかり頭に入った。客引きたちは喧しいし観光客も大勢いたのだけれど、元来が都市でないせいか、不思議に慌ただしさを感じずでいられた。夕方は自転車を借りて少し遠くまで走らせた。市街地が途切れたあたりで脇道に入り農村をぶらぶら。どこも広々とした構えの屋敷である。表にタクシーが泊まっていたりするのは、兼業ということだろうか。トウモロコシや綿花の畑を、落ちてくる日が照らしていた。
夜暗くなってから、ホテルの前の噴水がライトアップされ、まさかと思った水まで流れて涼しそうな感じ。そこで部屋で作ったコーヒーなど持って、傍らの石造りのテーブルについて時間を過ごした。
9.1 第21日 敦煌→火車 決定的に違う何か
昨晩、宮部みゆきの「魔術はささやく」を手に取ったらもう止まらなくなり、朝6時、一気に読了した。きょうは移動日。柳園駅までバスで行って、そこから列車でさらに西へ向かうのだ。3時間ほど眠ってから荷物のパッキングを済ませた。もう午後のバスの時間までこれといってすることもない。新学期が始まったのか、通りには小学生の姿が目立つ。ニコニコ食堂で朝飯にした。オムレツを頼んだらトマトと青菜の炒め物の上に薄い卵焼きが乗って出てきた。日本から持ってきた小袋醤油で無理やり和風味に変え、きのう市場で買った胡椒もまぶし、ごはんと一緒に食べた。
この店に、一人で中央アジアに向かう旅行者がいた。中国から中央アジアさらにコーカサス・イラン方面へと文化や歴史をきっちり理解しながら移動していくらしい。その間日本にも出入りするが計3年ばかり費やすという。これまで会った旅行者は中国のみ旅行して帰国する夏休み中の学生が多かったが、この人は私と同じ比較的年長であり旅のルートも似ており、言葉を交わした。彼がバックパッカーの旅のあり方に対し「いろんな考えがあるからねえ」と前置きしつつも批判していたのが印象的だった。外国を旅行するということに対する認識がつまりは軽薄に感じるということだろうか。
私は彼のような旅行に興味を持つ一方で、地球の歩き方を開きつつ他の日本人とつかず離れず安くのんきにだらだらと観光地を回る典型的バックパッカーの姿も楽しいと思う。そう思うからこそ自らそうしているのだし。だから、私は私のような中途半端な観光旅行にも、彼のような筋金入り職人風認識旅行にも、どちらにもなにがしかの真実味を感じる。しかし、彼は彼の旅だけが本当の旅であると考えるのであろう。
そこで私なりに考えた結論。旅になにか本当があるなどと前提すること自体が、大いに間違っているのではないか。何もない。何もない。人生に何もなく、小説に何もないなら、旅にだって現実以外の何かがあるハズもない。
この考え方の違いは、実は決定的な違いであることに私は気付くべきだ。リュックを背負ってこういう所を歩く我々パッカーは誰しも、海外旅行それも短期散財団体型に比べればいささか長期格安自立型の放浪をしていることで、世間からは同一カテゴリーにまとめられてイメージされるだろう。しかし何かが違う。3年かけて確信の旅をする彼と、いつまでも訳がわからずうろちょろする私とでは、決定的に何かが違う。その違いを見つめ続け考え続けるべきだ。ある旅が物語であるのならば、私の旅は小説でありたいと、これは前回のアジア旅行で思ったことであるが、やはり、旅をすることは実に旅について考えることに似ている。旅をとにかく続けることは、小説をとにかく読み続けることに似ている。小説を書き続けることにも似ているかもしれない。まあとにかくそんなことである。
その点でいうと、この日、外の強い日射しを避けて座った飛天飯店のロビーで、ちょっとしょげかえった風のテクノ好き青年に出会って聞いたつぶやきのような旅の感想が面白く、これぞ旅の言葉だと思えるのであった。彼は大阪からの二人旅で、連れの元気青年に引っ張られるようにあちこち回ってきたが、もうヘトヘトになっている。トルファンからカシュガルまでの2泊3日ノロノロ運転の疲労困憊バスの話、羊がメインの土地ばかりを旅してもういい加減羊が食べたくなくなり、普通のブタ肉中華が食べられる敦煌に来てほっとしているというような話。連れの人とは同じampmで仕事する間柄らしい。コンビニのバイト仲間で中国西域行き、というところが妙に愉快にさせるじゃないか。彼は音楽派だが、まもなく現れた連れの元気青年は読書派だったので、宮部みゆきを引き取ってもらった。
敦煌最後の食事は「家常豆腐」と「青椒土豆」。家常豆腐は聞き慣れない名だと思うがマイブーム的によく選択する。油揚げを煮たうえで辛く炒めたかんじで、日本食に近いうまみがあり、白ご飯に合う。家庭料理の一種なのではないか。青椒土豆は青椒(ピーマン)と土豆(ジャガイモ)の千切り炒め。それに「炒蛋湯」だったか、炒り卵の入ったスープ。どれも堪能した。文字を読むだけでうまそうである。
のんきにしていたらバスで柳園駅に着いたのがぎりぎりになってしまった。今回4度目の寝台列車、これはウルムチ行き。ついにウイグル自治区に入るのだ。向かいの席にはニュージーランドから来たカップル。二人とも教職のようだ。女性は歴史を教えており、男性は彼の国では重要であるらしき樹木関係の先生。それぞれ年に7週間から12週間の休暇が取れるらしく、それを利用して来ていた。こちらは失業を利用してきている。旅好きかつ旅慣れの二人。中国式に前触れなく車内灯火が消えた時にも、それぞれ落ち着き払ってマグライトをするりと取り出した。さてこの列車は幸い「きれいタイプ」であったが、暑い夜に止まった冷房が明け方の寒い時間にガンガン入り出すバカ中国式。
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