追想 '99夏

旅先でことさら
思い当たらなく
てもいいことに
思い当たる旅先

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8.29第18日敦煌
習慣・文化の違いというやつ

昨夜のホテルはシャワーが遠くて使い辛かったのと、かの青年がもしかしてまたあれをしないかこれをしないかと勧めてくるのではと考えると煩わしく、朝のうちにさっと抜け出し、飛天飯店という所に移った。ここは敦煌にいくつかある安宿のうちの一件。値段も書いておくと、8人部屋が1ベッド15元、3人部屋は1ベッドが25元。

飛天というのは、あれだ、敦煌の壁画なんかによくある、たぶん天女のようなものだろう。忘れられないのは、旅に出る少し前NHKBSシルクロード特集で、平山郁夫や真野響子と一緒に莫高窟に入ったアナウンサーが「飛天があそこにも見えますね」などと落ち着き払った口調で語っていた、あれだ。あのムードだ。このアナウンサー、名前は覚えていないのだが私には「キツネ目のアナウンサー」としてすっかり定着している。日曜美術館なども担当し、いつも洒落たスーツとネクタイが印象的な人。わかりますでしょうか。ああいう特集ならすっかり十八番で私の出番だという揺るぎない態度を決して目立たぬようにしかし確実に醸していて、これは悪口ではなく、私はこのアナウンサー見ていて嫌いではないのである。

毎度のことだが、観光もしなければならないが先へいく列車の手配もしなければならない。これがまあ旅行のルーティンである。敦煌は駅(柳園)が遠くてそこまで買いに行くのは不都合なので、市内にある敦煌太陽大酒店という所で予約した。この巨大高級ホテル、季節がらか日本からの高年団体ツアー客が大挙して訪れていた。広々とした贅沢な造りのロビーは、貴重なことにすこぶる涼しい。一休みしたり退屈を紛らわせるのにぴったりの場所だ。しかし髭面と汚れTシャツではちょっと遠慮してしまう。バックパッカーを以て任ずる者ならば、ガイドに導かれて群れをなし金にも糸目をつけない団体ツアー客を見つけると、どこか見下した態度で接し、それによって自らの存在の根拠と価値を計ろうとするものであるが、逆にあくまで鷹揚で綺麗ななりをした団体ツアー客からすれば、同じ国から来たとは思えないこういうみみっちく薄汚れた連中など旅人の恥であるかのごとく感じられるのではないか。....いけない、こんなことは、徒らに民族意識を刺激して無用の紛争の火種ともなりかねないから、書くのはよしましょう。みんな仲良く楽しい旅行を。

通りをうろうろしたり、近くの食堂で情報ノート(日本語)を読んだり、日記を書いたり、洗濯をしたりして、もう夕刻を迎えてしまった。敦煌の街中は、上海や西安はもちろんのこと蘭州と比べても明らかに小じんまりしており交通量も少なく、気が散ることなく静かに過ごせる。道の先の方に砂漠の山が見えるのも面白い。

扇風機の回り続ける部屋に、閉まりきらない窓から、外の賑わいと蚊がちょっとだけ忍び込んでくるような夜。久しぶりにMDを聴いた。三宅純「グラムエキゾチカ」。ことしの夏に出た新作。架空リゾート音楽といった趣。日本で聴いた時より良い感じ。このミュージシャンを知らない(知っていても?)人にすれば、なんだかよく知らない国の知らない宿で知らない者(私)が知らない音楽を単に聴いたからといって、だからそれがどうした!ということにもなろうが、それならばぜひCDでも買ってみてください。続いてラジオジャパンも2、3日ぶりだ。キルギスの日本人拉致事件は、ウズベキスタンのイスラム原理主義者の仕業らしい。緊張は強まるばかりのように感じる。

8.30第19日敦煌
きみは敦煌をメタか?

朝早く起きて莫高窟に行く。中国三大石窟寺院として知られる敦煌の莫高窟。仏像と壁画。つまりそれは西域シルクロードの象徴であり、NHKBSの得意技であり、平山郁夫であり、キツネ目のアナウンサーである。ということで、はなはだ簡単ではございますが、私の祝辞に代えさせていただきたく存じます。でも少しだけ。

まず最初、敦煌のイメージ写真によく使われる九層の楼閣に案内された。中に収まった巨大な仏像を見上げたとき、10年前(私は一度ここに来ている)にはさほど感動しなかったと思いこんでいたのに比して不覚にも衝撃が大きく、ほほうと心が揺れてしまった。そのせいか最後までけっこう興味を持続して見ていくことになった。しかし結論として言うならば、仏教美術に素養のない者が、大して説明もしないガイドに連れられて、あんな暗い洞窟の中、極端に短い時間で、観光客の垣根の向こうにある仏像と壁画を次々に見て歩いたところで、莫高窟を正しく観光すること(そういうことがあるとしての話だが)は不可能だと思った。「いちおう莫高窟は行きましたよ」「まああんなものでしょうかね」なのである。NHKのテレビの方が、よっぽどじっくり見せてくれるし、しっかりした解説を例のムードで聞かせてくれる。

まあしかし、こんな所まで足を運んで来たからには、やっぱり世界に名だたる敦煌莫高窟を見ずしては帰れないのである。わけがわからずとも。なにがなんでも。実のところ「みんな最悪だと言っている」「良い噂は聞いてない」あげくに「だからホントは見に来るのよそうかと思ったんですよ」とまで言う旅行者も現れ、ああなんと正直な!と私は心からすがすがしく思った。 それでもやっぱりみんな莫高窟に来る。哀しいかな。名所を巡ることは旅行者に課せられた義務なのだ。 苦行のごとく早起きしボロい車で肉体を痛めながら到着し高いお金を寄進したあと傍若無人な他人に揉まれてじっと我慢と心を沈めつつ、仏像を拝む、壁画を仰ぐ。ありがたやありがたや。我々はお遍路さんなのである。

ところが、この莫高窟には、面白いことに陳列館という建物が併設されていて、そこにはいくつかの窟が本物そっくりに再現されているのだった。こっちの方は、照明は明るく時間制限も他の観光客に邪魔されることもない。壁画などの復元の出来は完璧だ。薄暗がりでそそくさと覗いた本物の窟より、こっちのニセモノの方がよっぽど腰を据えて鑑賞できたわけである。さて、私はどちらの見学を以て「莫高窟を正しく見た」と胸を張るべきなのだろうか?

夕方からは、砂漠の中にある鳴砂山という名所に登る。まさに砂の山であり、ここから陽が落ちていくのを眺め、だんだん増えてくる星々を待つ。敦煌観光のもう一つのハイライトである。おやなぜかラクダがたくさんいる。月の砂漠を口ずさみたくなる。これはもちろん地元の人が連れてきた営業用で、観光客から金を取って山を案内させるのである。西洋人のツアー客がここぞとばかりラクダにまたがる様子がおかしくて、ついカメラを向けた。いつも私はそうなってしまう。実際に山に登ったりラクダに乗ったりを楽しむ以上に、そういう観光の構造というか状況を受けとめ見届けておきたい衝動にばかり駆られる。観光するというより、観光という現象を眺め観光という現場に身を置くのを面白がっているのである。どこか超然として不遜な態度でありますね。早い話がメタ観光ということですか。そういった言葉ですべて分かった気になるのはよくないかもしれないが、実際そういうことなのではないでしょうか。日もとっぷり暮れ、山から降りてきた帰りには、本日の勤めを終えたラクダたちが、そろって道路を小走りにしながら、寝ぐらに戻っていく姿があった。ロープで車につながれて引っ張られるから、いやでも走らざるを得ないのだ。ひと仕事して疲れているだろうに。かわいそうだがなかなか滑稽であった。

誰が本当の観光をしているか。誰が本当の旅行をしているか。誰が本当の敦煌を見たのか。

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Junky
1999.11.26

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