追想 '99夏
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8.28 第17日 火車→敦煌 語り得ぬ旅
夜が明けてからの景色は素晴らしかった。はじめは樹林そして草原が主だったが、途中からほとんど草木のない土の砂漠に変わった。視界を遮るものはみごとに何もない。地平線が果てにあるばかり。南側の窓からは山脈が連なっているのが見える。頂上が真っ白な山々だ。忘れた頃に駅や小さな村落のそばを通る。羊や牛や農民や子供がいて畑もある。しかしそれは大地の広がりに比してあまりに小さかった。空は青く日射しは強い。雲はいくつかあるが、これもまた空のあまりの大きさにずいぶん小さくしか見えない。こういう風景の中を列車は走った。朝も昼も食堂車で食べた。異郷のまた異郷にあって、車窓に流れる風景と車輌の揺れに身を任せ、こうしてゆっくり食事を取ることが、とても贅沢に思える。まちょっと高いけど。朝は粥・饅頭・目玉焼き・野菜の和え物のセットで10元。昼は多様なメニューから選べるが、おかず一品とご飯スープで最低20元はした。
米国の作家ポール・オースターの「シティ・オブ・グラス」を読み始めた。するとこの小説の内容が、途中まで読んでいた別の本のテーマに重なっていることに気付かされた。失語症を通じて言葉と脳の関係を考察した「ヒトはなぜことばを使えるか」(山鳥重)という新書だ。偶然の不思議さに、「シティ・オブ・グラス」は、ちょっとのってきた所だが、いったん置いておいて、こっちの新書を先に片づけたくなった。「ヒトは...」は、言語中枢の基礎について、この際すっきりはっきり勿体ぶらずに説明してくれていることと、失語症の症例をその都度的確に出してくれていることで、とても面白くすいすい進んだ。
とはいえ二等寝台の席に寝転がって読むと、けっこうすぐ眠ってしまうのだ。柳園に着く時もしっかり服務員に起こされた。中国の列車では、乗客が席に着くとすぐ服務員が回ってきて切符を取り上げ、切手シートみたいなファイルに全部並べて預かっているという妙なシステムだ。それを返しがてら起こしに来るのである。同時に席の毛布なんかもさっさと片づけてしまうことも多い。
柳園の駅には17時55分着。しかし空はいよいよ青い。日もまだ高く暑い。もう中国のかなり西まで来ているが時計を相変わらず北京時間に合わせているためにこうなる。
柳園の駅から敦煌の街までバスがあると聞いていたが、駅を出ると目の前にミニバス(マイクロバス)が止まっていて、15元ですんなり座れた。ところがこのバス「あもう出発だ早いなラッキー」と喜んだのもつかの間、少し離れた所にある正規のバスターミナルに停車しそのまま。そのあと何度も駅とターミナルの間を客を求めてぐるぐる。挙げ句「このバスはもう出ない、あっちのバスに乗れ」と言われて乗り換え。柳園を離れたのは19時近かった。
こういうことは中国では頻繁にある。出発時刻はきっちりターミナルに表示されているようでもあり、毎日のように変わるようでもあり、さすがにその日になれば決まっているようでもあり、仮に定刻というものが存在しても客がガラガラでは運転者も儲からないから満員になるまでぐずぐずと出発しないこともあり。また、料金がいったいいくらなのかとそのお金はどう払えばいいのかがいつも謎だ。乗る前にターミナルで切符を買う場合、出発してから車内で金を払う場合、さらには出発前に誰かがお金を集めてターミナルで買ってくる場合。我々にしたらいつまでも仕組みが明瞭にならない。外国人だとちゃっかり高い金額を告げられることはしばしばだ。リュックを屋根に載せろというので任せたら「荷物代だ」と別料金を取られたかと思うと、その人間はさっさと消えてしまって運転手は全然別だったということもある。こういうのは正当なことなのか騙されたのか結局分からずじまいだ。とにかくなにかと油断できないのだが、気を張ってばかりで疲れるのももっと馬鹿らしい。だいぶ待たされてやれやれやっと出発かという時に、売った切符と乗った客の数が合わないという問題が持ち上がったこともあった。せいぜい20人ほどのことで、しかもコンピュータを使うわけでもない今そこで暇そうに書き込んだだけの切符のことで、なにやってんだと思うが、なんか揉めに揉めて、どういう関係だかよくわからない人間たちが次々に現れていつまでもわあわあわあわあ。こっちは時間の余裕がなくてイリイリするが「これが収まらずにバスなんて出せるか」といった剣幕の真剣な揉め方なので、なす術もなかった。
さて柳園から敦煌までは、二度ほど小さな農村を通った以外は、これまた、実に四方どこを向いても人工物や人影はない。どこまでも土の砂漠と遠くの赤茶けた山脈。そういうところに夕陽が静かに沈んでいった。それと柳園に近いところにはまるで炭坑のボタ山のような黒い山ばかりがいたるところにあり、幻のような光景だった。バスが揺れて写真が取れなかったのだ残念だ。
予想より早く2時間余りで敦煌に着く。もうすっかり日が暮れていたが、観光客が特別多いところなので街中はいつまでも明るく賑やかだ。柳園から一緒に乗り込んできた、日本語がちょっとだけできる若者の誘いに付き合って、予定していたのとは違うホテルにチェックインし、その若者と夜の屋台街に行ってうどんを食べた。NHKのBSが今年シルクロード特集をしたときに、男のアナウンサーが削り麺を食べていたのがここではないかと思う。そのあと若者に案内されるままに土産物屋街を歩いた。彼にも気を使うし、声をかけてくる土産物屋の日本語や、どんどんまとまって歩いてくる日本からのツアー客になんとなく気が滅入り、精神的にくたびれて部屋に戻った。
ところで、冒頭の文章をウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」風に書くとこうなる。だからどうというのではない。
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夜が明けてからの景色は素晴らしかった。
1.1
はじめは樹林そして草原が主だったが、途中からほとんど草木のない土の砂漠に変わった。
1.11
視界を遮るものはみごとに何もない。
1.111
地平線が果てにあるばかり。
1.12
南側の窓からは山脈が連なっているのが見える。
1.121
頂上が真っ白な山々だ。
1.2
忘れた頃に駅や小さな村落のそばを通る。
1.21
羊や牛や農民や子供がいて畑もある。
1.211
しかしそれは大地の広がりに比してあまりに小さかった。
1.3
空は青く日射しは強い。
1.31
雲はいくつかあるが、これもまた空のあまりの大きさにずいぶん小さくしか見えない。
1.4
こういう風景の中を列車は走った。
2
朝も昼も食堂車で食べた。
2.1
異郷のまた異郷にあって、車窓に流れる風景と車輌の揺れに身を任せ、こうしてゆっくり食事を取ることが、とても贅沢に思える。
2.2
まちょっと高いけど。
2.21
朝は粥・饅頭・目玉焼き・野菜の和え物のセットで10元。
2.22
昼は多様なメニューから選べるが、おかず一品とご飯スープで最低20元はした。
3
語り得ぬことがらについては、沈黙すべきである。
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