追想 '99夏

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8.27第16日蘭州→火車
細く長い蘭州牛肉麺の話

蘭州牛肉麺という名物料理があって、きょうはYくんが、その本家本元ともいうべき「馬子禄牛肉麺館」に連れていってくれた。この牛肉麺は、旅行の前に読んでいた中国観光のムック誌に詳しく紹介されていて、食べることもあるだろうかと漠然と考えていたところが、まさにその蘭州に来てしまったのだから、食べないわけにはいかないのである。

蘭州牛肉麺は、その名のとおり具が牛肉だ。たぶんローストして脂気のないものが細かく刻んでのせてある。ほかに具らしいものはなく、葱に香りのきついコリアンダーそれにラー油を入れる程度で、見た目はシンプルだ。麺は、かん水を使った黄色で、縮れのない真っ直ぐの細面。中国で麺を頼むと小麦粉だけで出来た白い太めのウドンのようなものが出てくることが多いから、これは珍しい部類だろう。むしろ日本のラーメンに近い。茶褐色のスープは濁りが少なく舌触りもしつこくない。当然に牛肉ベースなんだろうが単調ではない。今まで食べたことのない独特の味なのでエスニックと呼んでいいかもしれない。しかしそれにしては妙に口に合い、すぐ馴染む。しかも飽きない。不思議だ。さてこの個性的な味をどう表現していいものか。今まで中国で食べた麺には似たものがない。肉やスープがさらっとしているから台湾系の牛肉面とは全然別種のものだ。もちろん日本のしょうゆ、みそ、塩、とんこつ、いずれのラーメンとも違う。

何気なく料理の説明など始めてしまったところが、だらだらと長くなり、それなら肝心の味も正確に伝えねばと奮起したのだが、行き詰まってしまった。

そもそも未体験の味を想像するなんてことが人間にはできるのだろうか。 私は蘭州牛肉麺を食べたことがあるから、その味をこうして頭の中にしみ出させることができる。...うんコクがあって深い味だ。しかし食べたことのない人が上の文章から味を思い浮かべようとした場合、脳の中で味覚なり記憶なりに関わるどんな神経細胞がどんなネットワークを組んで処理しようとするのだろうか。私とてムック誌を読んでいた段階では味を想像するだけだったわけだが、実際に味を知ってしまった今となれば、味を知らない時の自分がその味をどう想像していたのか、それを想像することがもはやできない。これがまた実に不思議だ。

さてこの馬子禄牛肉麺館だが、食べにくる人が多いので午後にはその日の麺がなくなって店を閉めてしまうらしく、昼頃に急いで行ったが、実際とても混んでいた。ただ老舗というには、素っ気ないテーブルがぎっしり並びどの席も人々が群がっていて雑然とした雰囲気だ。そうしたらYくんが奥の小部屋に移ることを勧めてくれた。やや高めの特別料金なのだが、入ってみると、古風な黒い木製の丸テーブルと椅子の席がある。しかもここだと創業者である馬子禄(人名だったわけです)自身が調理したものを出してもらえるというのだ。それをお客様然とした態度で落ち着いて食べられる。ローストビーフなどの副菜も付いてきた。Yくんによれば蘭州牛肉麺をあみ出したのがこの馬子禄氏であるとのこと。「蘭州牛肉麺」の看板を出す店は市内にいくつもあるが、元祖はここであり、他はこの味を真似ているだけらしい。馬子禄氏も店の従業員もイスラム教徒であるはずで、牛肉を使うこの料理も本来は彼らがブタ肉を食べないことから由来したのだろう。今は一般の住民にもすっかり定着している様子だが。てなことで、私はここで麺の細さを変えながら蘭州牛肉麺を3杯も食べ、昨日に続き、またもや腹がはちきれそうになったのである。

値段の情報なども書いておく。馬子禄牛肉麺館の蘭州牛肉麺は、通常の席だと1杯3元。奥の小部屋だと2杯まで食べられ副菜が付いて一人20元。実は、私は蘭州に着いた日(おととい)、駅を出てすぐの大通りを見ると「蘭州牛肉麺」の看板がいくつか並んでいたので、その昼に既に入って食べていたのだ。といってもそこは中国によくある小さな食堂で地元の人がごく普通に来る店だったが、思いの外おいしかった。またこれが1.7元と破格に安くて驚いた。もちろん馬子禄牛肉麺館の方が牛肉も麺もスープも上質であると思う。まどう違うかはひとつ想像してみてください。

昨日見にいった黄河の河畔に、停泊させた船の上をカフェにした店がある。Yくんの両親の親戚の人が経営しているというので、そこに座らせてもらった。眺めが最高だった。例の蓋付き茶碗のお茶を何度もお代わりし、またカボチャの種のスナックを山のように食べながら、長時間Yくんと話した。今の中国で経済開放がどういう風に進んでいて、それによって人々の暮らしがどう変わっているのかといった、いろいろ本などで少しは知っているし旅行して見た感じで分かることもあるが、そのポイントの部分と、それに対する中国の人自身の感想なんかを一度きちんと聞いてみたかったので、いろいろ私が質問してYくんが答えてくれるという形だった。国有企業が衰退して私企業が伸びている実態とか、それぞれ給料はどの程度だとか、住宅はどうやって供給されるのかとか、そういうことだ。台湾の独立をどう思うかとか政治的なことも率直に聞いてみた。「中国が台湾の独立に反対するのは、その結果米国が台湾を軍事拠点にして中国に敵対することを危惧するからだ」と彼は言った。「台湾の人自身が本当に独立を望むなら僕はそれでもいいと思う」とも言った。米国のコソボ空爆で中国大使館が誤爆された時は、北京の大学生である彼も、米国大使館に抗議に行ったという。もともと米国嫌いの中国人大学生は多いが、あの一件で一層その傾向が強くなったと笑っていた。一見ソフトな若者だが、政治姿勢や使命感は意外に強いのだと感じた。それでも強引で感情的なところが全くないので、かえって説得力はある。自分の意見の芯はしっかりしていて、しかしそれを必要以上に押しつけないような態度に、とても好感が持てた。

夕刻になってYくんの友人だという女性Hさんが船上のカフェに来て話に加わった。同じ北京で別の大学に進んでいる。母親がテレビのアナウンサーだったことから、彼女もそういう職を希望している。蘭州あたりだと方言が強いらしいが、彼女の家では全員標準語を話すんだとか。せっかくなので、ガイドブックの中国文を正調中国語でちょっと朗読してもらったり、私の「多少銭(ドウシャオチェン--いくらですかの意味)」の発音をチェックしてもらって全然ダメだと言われたりしながら、楽しく時間を過ごした。

蘭州はこの日が最後で、夜はまた寝台列車で出発する。あまり時間がない中で二人が選んでくれたレストランに入り、賑やかな最後の夕食を相当急いでしかしたくさん食べたあと、YくんとHさんはホームまで見送りに来てくれた。蘭州で一緒にいる間、常にこちらに細かい情報と選択の余地を与えた上で、いかなる希望にもにこやかに対応してくれた、Yくんの洗練されたホストぶりが、最後まで印象に残った。中国で彼らのような親切で知的な人たちと良い交流ができて満足だった。満腹でもあった。

列車は21時33分発。敦煌への入り口に当たる柳園という所に向かう。

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Junky
1999.11.23

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