追想 '99夏
旅先でことさら
思い当たらなく
てもいいことに
思い当たる旅先
9
8.25 第14日 火車→蘭州 けたたましい音がした
寒さで眼が覚めてしまった。明け方のいちばん気温が下がる時間だというのに、なぜかこのボロ車輌に冷房が入っているではないか。馬鹿か。こんなに凍えるほどがんがん冷やせる装置があったのなら、なんで昨日の出発前みんなが大汗をかいている時に使わないのだ。...と思ったら、まだ大半の客が眠っている車内で電灯が一斉についた。昨夜強制的に消された電灯が。「やっぱり馬鹿だ!中国」(@東京都知事)。蘭州到着は朝の9時ごろ。駅すぐ前の蘭州大廈という所に宿を取る。
Yくんに電話して、あした会う約束をした。Yくんとは、上海から西安に移動した時の列車で一緒だった中国人の若者。北京清華大学という、入学が相当難しい所らしいが、そこの4年生で土木を専攻している。列車で会った時は、上海で企業研修を終え、夏休みを取るために郷里の蘭州に帰るところだった。いろいろ話をした流れで蘭州に来て下さいということになり、なかなかない機会なので思い切って訪ねることにしていたのだ。 ただし、ほかにこれといって観光する気はない。彼に会う目的さえ果たしたら、早めにこの町を出て次の目的地・敦煌に向かいたい。例によって列車のチケットを買うために、まず町中の売場、次に駅の売場と連続して行ったが、どちらも没有。没有(メイヨウ)とは「ない」の意味。ぴしゃりとした、特別に印象深い中国語だ。そこかしこで言われ続けるせいか、大抵の旅行者は日記もこのままの表現で書くようになる。という。あさって27日くらいの列車に乗りたかったのだが、硬臥(二等寝台)は29日まで満席のようだ。これまでスムーズに列車が取れたのに、初めての危機。しかし、それならばホテルに籠もって本でも読むかと気持ちを切り替える。ちょっと贅沢にバスタブ付きの眺めの良い部屋でもあるし。そして「フロベールの鸚鵡」(ジュリアンバーンズの変な小説)をまた取り出した。
この本を読んでいて、かねてから、旅行中の今の自分に合致する状況や心情が不思議によく出てくると感じていたが、最後の章に来て決定的なことが起こった。小説の語り手が滞在しているホテルで部屋の隅にある汚水管がものすごい音をたてた、という記述に出会ったのである。なにしろ、私がこの本を読んでいたこのホテルの部屋で、いきなりけたたましい音が聞こえてきて(たぶん部屋の隅にある給水管だろう)、「これは弱った」と思ったのは、その、つい一時間ほど前のことだったのである。
8.26 第15日 蘭州 Yくんの家を訪問
朝6時に起きた。駅の切符売り場に再び並ぶためだ。まだ真っ暗。ホテルのフロアーのお姉さんも不機嫌。エレベーターも動いていない時間だから当たり前か。そこまでして求めたチケットだが、やはり「没有」。がくっときた。ホテルに戻ってまた眠る。ところが、10時に再び起きて、別のホテルにある旅行社に頼んでみたら、これがすんなりOK。手数料は高いが、なんと絶望的だった27日の硬臥の切符が取れるという。いろいろやってみないとわからないのが中国の列車である。---こういう話ばかりだが、長めの旅行ではこういうことをしないときっと時間が埋まらないのだろう。こういうことを書かないときっと日記が埋まらないのだろう。Yくんが11時に蘭州大廈まで迎えに来てくれた。実に紳士然とした物腰。長袖の襟なしシャツもしゃれている。目抜き通りのいくつかをかなり歩いて、彼の両親が待つという場所へ。母親が糖尿病の医師で市中に診察室を開いているのだ。そこでお父さん、お母さんにお会いした。そのあと近くのレストランに連れていってもらい、「羊のフルコース」といった趣の食事をごちそうになった。羊の頭がまるごと二つに割れて出てきた。ゆでてあるようで、脳味噌をすくって食べる。蟹ミソのような触感。また目玉は特別に珍重して食べた。蘭州までくるとイスラム文化は民族を問わず日常的になっている。このレストランは高級な場所で、漢族にすれば一種のエスニック料理を食べにくる感覚なのだろうか。こういう蘭州ならではの体験をしてもらおうとYくんたちが配慮してくれたのだ。食後に喫したお茶がまた、たくさんの薬味と氷砂糖の入った珍しいもので、蓋つきの茶碗を受け皿と一緒に両手に持ち、蓋を外さず少しずらしてその間から飲むという、独特の風流な様式であった。漠然と旅行していても触れることのできないものばかりだったろう。
食事のあとは両親と別れ、Yくんに街を案内してもらう。街は近頃どんどん新しくなっているらしく、彼が知らない通りや建物もいくつかあるようだった。蘭州といえば必ずセットで語られるところの、黄河と対面。赤茶色から黄土色に濁った流れだった。中山橋という大きな橋を渡った先が「白塔山公園」という名の小高い山になっていて、そこに登る。眺めが良かった。どこにでもある都市の全景であるとしても、そこを川が流れているというだけで、また違った魅力がある。それが黄河であるということで、いっそう魅力が深まる。
そのあとYくんが家に招いてくれた。タクシーですぐ。中国でよく見かけるようなアパートが立ち並ぶ一角だった。あとで聞いたら彼の父は会社=私企業=のマネージャー(管理職ということか)で、その会社が所有するマンションらしい。母親が医者でもあるし、一人息子は北京の大学生なのだから、たぶん、経済的にも余裕のある方だろうと思う。「うちは狭い方です」とYくんは何度も言っていたように、確かに広いとは言えない。でもとても清潔にしてあった。居間に通された。床はタイル張り。靴のまま入る。普段は父母が腰掛ける木製の椅子に座った。正面に大きなテレビやオーディオなどのセットがある。
最近日本の映画「リング」が中国でも人気で、ちょうどVCDをレンタルしてきたというので、それを見たりした。Yくんが好きだという琵琶などの中国伝統音楽のCDを詳しい解説付きで聞いたりもした。彼は貴族風とでもいえそうな文化教養を身につけている青年である。漢詩もひとつふたつ暗誦したし、自分で作ったという漢詩もみせてくれた。そうこうしているうちに両親が帰ってきた。さらに長居をすることになってしまい、夕食をごちそうになった。「今度は家庭料理を味わってください」とYくん。野菜中心の炒め物などが4種類あってどれも旨かった。もちろんご飯と、それにお粥も出していただいた。巨大なメロンもデザートに出た。昼に続いて腹がはち切れそうになってしまった。
海外をぶらぶらしていると商店街や観光地については詳しくなるが、一般の家の中や普段の生活ぶりはなかなか分からない。むしろそういうことこそ知りたいのだが、なかなかチャンスがない。今回は、英語ができて若いのにこちらの気持ちをうまくくんでくれるYくんに、列車の中という恰好の場所で出会えたことと、彼がちょうど夏休みで時間があり、旅行のルートにある蘭州に家があったことなど、いろいろラッキーなことが重なった。
戻る INDEX 進む