追想 '99夏
旅先でことさら
思い当たらなく
てもいいことに
思い当たる旅先
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9.4 第24日 トルファン 旅行後論
きょうはリッキー主催のツアーに参加だ。車で終日あちこち回って一人60元。トルファンは公共の交通機関に乏しいので観光地巡りはこういう手段しかない。さて待ち合わせ場所にやや遅れてやって来たリッキー。「参加者が増えちゃったよ。ワゴン車一台には乗れなくなったよ。でも大丈夫だよ。もう一台こっちに乗用車を用意したから。君たちだけでチャーターしていいよ。300元でいいよ。」我々同行4人は正しくキレた。300元割る4人は75元である。このツアーは、トルファンに到着した初日の朝リッキーの車でホテルに着いて金も払って「じゃあ」といって別れるまでの間に、向こうが誘ってきて半ば強引に契約させられたものだった。しかもその時点で本日のツアー参加者はまだゼロだったはず。この60元の価格だって、あらかじめ聞いていた情報からすればやや高いのだが、まああまりケチるより向こうが気持ちよく回ってくれる方を取ろうと、言い値でオーケーしたのだ。それなのに。だいいち、一台目のワゴン車を見れば客を無理に6、7人詰め込んでいるけれど、チャーターするというこちらの小型乗用車はドラーバーの他に我々4人が乗ればそれでもう満席じゃないか。そもそも「特別にチャーターしたあげたんだよ、君たち日本ジンは友達だからね、ラッキーじゃないか、すごいだろ」式のもの言いはないだろう。我々が難なく騙されるとでも思ったか。いくらなんでもそうではあるまい。通常の経験に照らして「日本ジンのことだからまたきっと優しく騙されたフリであいまいにしてくれるから、あとはこっちの饒舌と見かけの友好モードに紛らせて、しのいじゃえ」という気だろう。そこにつけこまれる素地のある私としては日本の民であることを哀しく思ふ。
しかしこれほどの苦さは、おなじみのへらへら態度ではもはやごまかしが効かない。そう思った。だったらいやだけど、交渉なんかいやだけど戦争なんていやなんだけど、文句を言うしかない。トルファン駅からリッキーの車に私と一緒に乗りそのままドミトリーも同室になった日本女性のIさんが、まず厳しくきちんと抗議した。私も続く。そうしたらリッキーうろたえ気味で、なんかいろいろ理由を述べてから「わかった65元でいいよ。さ乗って」。...は?このゴに及んでなんの駆け引きか。我々はあなたと60元で契約し、しかも今はもうケツをまくろうとさえしているのだ。60元以外で引き下がれるわけがない。「じゃ4人で250元。60元×4人の240元に10元だけプラスしてよ。ねえもう出発しないと」。それも筋が通らない。それにさっきからこの「〜でいい」という表現は絶対おかしいのである。たとえば、
大変お待たせいたしました。実はこちらの手落ちでちょっと問題が持ち上がってしまいまして。いやそのオーバーブッキングなんでございます。誠に誠に申し訳ございません。しかしながら、すでにこうしてお集まりのお客様方に対して、お詫びするだけでは済まないだろう、とにかく車をもう一台手配しようと、一同奔走しておったというわけでして。さて、それで、ご相談なんでございますが、ご迷惑をおかけしたうえ、手前どもがこんなことをお願いする筋でもございませんが、こちらのお車一台をチャーターの形にいたしまして、4人様でシェアしていただくと、そういういうわけにはまいりませんでしょうか。ただその場合、たいへん心苦しいのですが、お約束の料金よりもやや高めになってしまうんでございます。いやもちろん正規の料金よりはぐうっと勉強させていただきます、当然でございます、ただそれでもやはり60元そのままというわけにもまいらないのでございまして、どうかひとつ。お恥ずかしく厚かましい話ではございますが、もう皆様のご容赦とお助けを乞うしかございませんので。いやもちろん誠心誠意のサービスに違いのあろうはずはございませんし、それから参考までに付け加えさせていただきますが、日本の皆様だけで一台にゆったりとお座りになって、ご自由きままに観光なさるのも、また思い出深いものになるのではなかろうかと。いかがでしょう、ご検討いただけませんでしょうか。
...こうなるワケはないか。ともかく、一人60元の約束を通し小型乗用車に4人が乗り込んだ。
小型乗用車はすぐに出発したが、町中の狭い集合住宅っぽいところで停車した。運転していた男が家の中に誰かを呼びに行くと、若い男が目をしょぼしょぼさせて迷惑そうに出てきた。どう見ても今まで眠っていたようだ。顔も洗わず着替えもせぬままだろう。ところがなんとこの若い男が、車のドアを引いて運転席に座った。ここまで運転していた男は帰ってしまう。たぶんリッキーが雇うドライバーの一人で昨夜から朝まで徹夜で仕事したのだろう。今まさにぐったりぐっすりだったのではないか。ドライバーがもう一人必要になって予定外に起こされたわけだ。きょう我々の長距離高速移動のハンドルを握ってくれるドライバーは、この起き抜けの人なのだ。猛スピードと猛マナーの中国道路交通事情を知る私としては、きょうこれから我々の身に降りかかる確率がやや高くなったしまったであろう種々の悲惨なシーンが頭をよぎるが、「ま、旅行保険には一応入ってるし」と呟くくらいしかできない。でもだんだんわかってきたがこの寝不足ドライバー氏、無口でさりげなく親切な、味のある人(というのは私的にはジムジャームッシュ映画の登場人物的ということを意味するかもしれないが)で、車内で控えめにかけるウイグル風ポップスも好かった。
火焔山、ベゼクリク千仏洞、葡萄勾、カレーズ(地下水路)、交河故城、蘇公塔。10年前とほぼ同じ観光地をまた回った。
これからトルファンに行く予定の方へ。観光地の見栄えや料金については宿で他の観光客から前評判を何度か聞かされることでしょう。それはあまり良い評判ではないかもしれません。現場での意見としてはだいたい私も同意するのでしたが、帰ってきた今となると必ずしも同意見とは言えない。このあたりどうも10年前と同じことを繰り返している感があります。だからといって戦時のことを戦後になって裁断することに一抹のやましさが伴うものであるらしいのと同じく、旅の中のことを旅の後の安全な場所から振り返ってあれは愚かだったとか逆にあれは賢かったとか意味づけしても、それがなんなのだという気にもなるのです。もしもまた10年先にトルファンに行ったなら、やっぱり同じじことを繰り返すのかもしれない。それがなぜかはわかりません。
そういう私が行けといってるのか行くなといってるのか不明に等しいトルファンの観光地でありますが、その中で交河故城という今は土の塊に風化しきってしまったような古代の街の遺跡は、規模の大きい自然と人為のマテリアルとして、また少しばかり聞き知った中国西域の歴史ロマンとして、見応えありました。こうまで言う人は少ないでしょうが、私としては「敦煌の莫高窟よりも交河古城に一票」。それと、観光スポットを巡る途中でずっと続くブドウ畑や、ブドウを運ぶ車や、ウイグル族の農村の風景が心を和ませます。農村に来ると車よりロバ車が主流です。まあ本当にのどかな所です。
9.5 第25日 トルファン 去りたくもあり...
朝から晴れ渡った日曜日。炎天の午後。商店の多くは閉まり、外に出ている人もまばら。町全体が午睡といった風。日が傾き、影が長くなって、それからその影がどこかへ沈んで、人々はようやく往来に出て、日曜日のゆったりした時間を過ごす。行く夏を惜しむのか、猛暑がやっと終わりかけているのを喜ぶのか。夕涼みは、あたりが闇に包まれたあとにも、大きな公園で、アパート脇の階段あたりで、まだまだ続いている。僕もまたほとんど動かない一日を過ごした。「われわれはどんな時代を生きているのか」は、朝のうちに読み終えてしまい、ボルヘスの「伝奇集」に手を伸ばした。
何が楽しいのでなく楽しいという気持ちと、何が憂いというのでなく憂うる気持ち。両方がリュックの中に溜まってきている。トルファン。葡萄棚のみずみずしさとウイグルの異国情緒が色濃い印象を与えていながら、炎天のまぶしさと熱気にくらまされ、旅も中盤の倦怠感が漂いはじめたことを知る。少し飽きた心持ちと同時に立ち去るのがどこかまだ惜しい心持ちとをともに抱えつつ、あしたはウルムチへ移動しようか。遙か中央アジアへの期待と不安もそろそろ本当のことになる。
旅はまだ先がある。そう考えれば楽しい。私の生活に先があるかどうかは別にしても。
この間からMDで聴いているおおたか静流の歌にはまっている。--悲しくてやりきれない--。我慢しきれず口ずさんでしまう。口笛にしてみても良い響き。ギターがあればぜひ歌いたい。日本の良い歌を海外で見つけ、しみじみするこの気持ち。なぜか自分の手柄のように嬉しくて、外国の人に胸を張りたくなるこの気持ち。ナショナリズムだかパトリオットイズムだかなんだかは知らないが、こういう気持ちだけは少なくとも私の中には確実にある。
9.6 第26日 トルファン ...去りがたくもあり
まだトルファンにいることにした。郵便局へ行って絵はがきを買おうとしたら、「1時から5時まで絵はがきの係が休憩だから、今は売れない」と、絵はがきカウンターのすぐ隣で暇そうにしている係員が、堂々と教えてくれた。まったく。またもや中国式を実感。郵便局はもっともダメだ。仕方なくハミ瓜でも買って部屋に戻った。あまり甘くない。そのあとは昼寝か部屋でぶらぶら。トルファンの正しい炎天日中の過ごし方である。同室のIさんとも話した。中国留学経験がある京都の大学3年生。中国語を生かせるような仕事につきたいが、この就職難の時代、語学以外にもなにか取り柄がないと難しいらしい。
例のシシカバブ屋にまた行った。妙な関わりあいで馴染みになったあの店主ともう一回会いたかったので。店主の写真と、ついでに一緒にいた娘と小さい息子の写真を撮り、挨拶をして別れた。やはり今日もあまり人がいないなあ。商売繁盛を祈っている。
最後の夜を惜しんでジョンズカフェというバックパッカー目当てのカフェに寄ったら、リッキーが現れた。少しバツが悪そうにしていたが、あえて手招きし、少し話した。あのさ、観光地のツアーだけじゃなく「ウイグル庶民生活&言語のぞき見レクチャー」みたいなことを少し金を取ってこのカフェでやったら日本人とか喜んで来るんじゃないか、なんてお節介な思いつきを提案をしてみたり。そうしたらやや場も和んで、ホテルまで車で送ってくれたりした。抜け目なく稼ぐ男だったけれど、案外気が小さいところやデリケートなところもあるなと感じた。また会いにくるよ。元気でやってくれ。
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