千年期・保坂和志特集3 区の中央図書館まで少し遠いが自転車で出向いた折り、文学界の1月号を手に取った。なんと保坂和志と野矢茂樹が対談しているではないか。私としては近ごろ急に(いまさらではあるが)誰に勧められるでもなく分野を違えて特別に興味を惹かれた二人であるので、これは読まねばならぬ。
野矢茂樹との対談を読んで
<我々の世界は、ロジックや言葉にどうしても還元できない何かに取り巻かれている。その何かを取り出そうとした結果が、またロジックや言葉となって現れる>とでもいうべき強い自覚を、二人とも共通して持っているようだ。しかしその一方で、「犬」という概念が具体的なら「愛」という概念も具体的でしょう、と述べる野矢に、保坂は同意しない。また、そもそも野矢茂樹がいわばロジックの人であると思えるのに対して、保坂和志は「ロジックと闘うんだ」という意識を持っていたりと、二人の気の合うはずの前提が、それこそロジックや言葉になって現れると、どんどん食い違ってくるのが妙で、ハラハラした。
それはそれとして、印象に残ったのは、保坂和志が<考えることは穴を掘ることに似ている。穴を掘れば掘るほど、掘った穴の表面すべてがさらに掘っていくべき場所となる>といった話をしていたこと。いくら考えても、考えることが減るということはなく、かえって考えることが増えていくばかりだ、ということだろう。なるほど。
あとたいへん驚いたことに、デビュー作「プレーンソング」(以前この作品が「群像の新人賞を受賞した」と書きましたが、思い違いでした。すいません)が最初300枚以上あって編集者から250枚以内にしてほしいと言われ、「じゃあ250枚のところで切ってしまってください」などと答えて、本当にそうなったという話。保坂和志によれば、作家は最後に言いたいことを書くのが常だから、その言いたいことを切った方がむしろいいんだ、とかなんとか。それが「ロジックを超える」ことかと言ってしまうなら、それこそあまりにロジカル過ぎるか。だからよくわからない。それに対する感想がうまく言えない、というか感想がうまく持てない。
さて、また自転車で帰る時、ふと思った。考えることは穴を掘ることに似ているというが、こうして路地を行くことにも似ているかな、と。だいたいあっちの方角だろうと見当を付けてよろよろうろうろと通れる所をとにかく探していくが、路を間違えることも行き止まりもしばしばだし、関係のない途中の風景も気になるし、なんだか違う路に入りたくなって実際入ったりするし、そうこうしているうちに目的のところに辿りつくこともあれば、全く変なところに出てしまうこともあり、でもおかげであっちとこっちがこんな変な路で繋がっているのかという発見もあり、とそういう感じだ。
Junky
1999.12.10
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