追想 '99夏

旅先でことさら
思い当たらなく
てもいいことに
思い当たる旅先
















8.16第5日上海
豫園・外灘・巽

変な夢を見た。言葉で描くにはとうていかなわないような夢だ。だからこそ言葉が必要だ。だからこそ言い表わしてみる価値はあるかもしれない。

私はこの期に及んでいったい何を語ればよいのか。何か言ってみるほどの根拠は果たしてあるのか。

くだらない冗談を言う以外、我々にはいったいどんな言うべきほどの内容、探るべき未開拓の思想が残されているというのか。

ニヒルである。ニヒルの無口が今や一番正しいのではないか。

ただ...と私はふと気が付く。コミュニケーションをとり続けること。それだけは可能なのではないだろうか。ディスコミュニケーションという名のコミュニケーションを。

私の旅のタイトルは-----ディスコミュニケーションという名のコミュニケーション、そして、くだらない冗談以外、我々にわざわざ言うほどのことが残っているだろうか----1999年世紀末観光-----

書くことの説明・書かれたことの説明を書くというのは難しい。我々は書かれたことにただ書き足していくしかない。待てよ。書かれたことを消していくというのは? もしかしたら、書かれたことの説明・言い訳とは、書かれたことを消していく行為に等しいのじゃないか。

彼は懸命に書き綴った。しかし生来の悪筆のせいで、一行たりとも後日の解読が不可能だった。本人によってさえ。

・・・はてどうしたんだろうか、でも日記にこう書いてある、のだから仕方ない。

昨夜、同じホテルの旅行者数人で近くの食堂に行った。支払いの時に一人が勘定がおかしいと言い張り、我々もなんとなく同調して3元ほど踏み倒した形となり、どうも後味が悪かった。途上国を旅行していると値段が曖昧なことや外国人がボられことはよくある。英語メニューだけ表示価格が高くなっていたりすることもある。だから気を抜くと馬鹿をみるのは事実だ。値切り交渉をするのも旅の楽しみだとも言われる(私はあまり楽しいと思わないが)。そんなことが重なった結果、旅行者は金の請求に対して時として過剰防衛をしてしまう。昨夜の場合は、ビールを冷蔵庫で冷やしたからという理由で表示価格より1元づつ高く請求されていたのを、こちらが認めず3本分つまり3元を払わなかったという一件。中国の物価を実感していれば3元(42円)をケチる金銭感覚が異常だとは思わない。しかし、中国ではビールは生ぬるい場合も多く、冷やしたビールはそれより高くなるのは珍しいことではない。店の方も別に騙そうとしたわけではないのが私には明らかに思えた。しかし一人が半ばゲーム感覚で最後まで譲らなかった。

なんかそのままでは気が済まなかったため、この日その店にもう一度行ったのだ。店に忘れた傘を取りに行く必要もあったし。それで3元を支払い昨日のことを謝った。

考えれば考えるほど、昨夜の踏み倒しは我々に非がある。なんであんなことをするのが平気になってしまうのか。みんなやってる当たり前の行為だからという感覚があるのか。中国の人を同じ人間として見ていないからではないのか。戦争犯罪と同じだ。そのことを私は自覚し恥ずかしいと思い、申し訳ないと思った。

私はまず3元を返すべきだ。そして謝罪すべきだ。でも、それを許してくれるかどうかは、向こうが決めることだ。こっちが謝ったからもういいだろとは言えない。こっちが悪いことしたのだからそうなるのが普通だ。そして、この構造は実に中国に対する日本の戦争責任の問題に等しいということに気が付いた。戦争責任の論理を以て、踏み倒しを謝ってもらう側の気持ちを推し量ったのではない。逆である。今回のことがあって初めて、戦争犯罪の謝罪を求める国の論理に対し、私の中で少し理解が深まったのである。それにしても一人だけ勝手に動いてなかなか殊勝なことであった。

月並みだが、豫園(よえん--中国語読みどうだったか)へ。明・清時代の皇帝たちが築いた庭園や建築物のいくつもまとまった観光スポットだ。チャイナ風の風流さ、あくどさに満ち溢れている。舟の内部をかたどったという建物と装飾を施した長椅子や机など、ああいうところに座って何をするでもなく午後を過ごすのはいいだろう。ふと「中国式椅子」という音楽の題名を思いつく。メロディーも思いついたかもしれない。周囲は土産物屋になって賑やかだ。毛沢東が手を振る秒針の腕時計が売られいた。

帰りは上海の路地や庶民的な商店街を練り歩く。オウムがいたり猫を見かけたり葡萄を買ったり仏像が道ばたに横たわっていたり。結局ホテルまでバスがよく分からず全部歩いた。

外灘--植民地時代の近代建築が川沿いに並ぶまさに上海らしい場所。川の向こう岸にはテレビタワーなど新しい高層ビルが見える--も歩いた。自販機でペプシを買ってみたら、中国人たちが後ろに集まった。

夜は上海雑技団を見に行った。今度は夜景の外灘を見た。

ところで「外灘」というのは「バンド」という英語が当てられたりしているが、中国語読みは知らず、日本語で「がいなん」とか無理矢理読めそうで読めず、口には出さず、今もワープロで「そと」「なだ」と打って変換しながら、目に入る文字と、曖昧な読み方ばかりが積み重なった音声もどきと、それに外灘の風景が渾然一体となっている。こういうことは中国で日本語にない漢字を見た時によく起こる。その時頭の中はどうなっているのだろう。そういえば昔、イッセー尾形の芝居で、誰かの名刺を見ながら「あ、この名字、俺知っているけど、読めないんだ、選ぶという字のしんにょうないやつ」といった台詞があって、可笑しかった。

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Junky
1999.11.2

著作・Junky@迷宮旅行社=http://hot.netizen.or.jp/~junky
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