追想 '99夏
旅先でことさら
思い当たらなく
てもいいことに
思い当たる旅先
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9.17 第37日 アルマトゥ→ビシュケク 黄金の微笑み
たとえば睡眠薬でも飲まされて全く知らない土地に連れてこられたとする。初めて目にする街並みや建物。見慣れない顔つきと身なりの人々が聞き慣れない言葉を交わす。気候は肌に合わず、食べ物も口に合わず、路に並ぶ店にも店に並ぶ品にも馴染みがない。さああなたならどうする。解決方法の一つは、その国の名前、その都市の名前を探すことだ。とにかくここがどこであるのかがわかれば、自分を取り巻いている奇妙さの性質・根拠に見当がつき、困惑は徐々に克服できるだろう。これは言葉の発見に似ているのではないか。茫洋とした思い。錯綜した考え。頭の中が膨らみ乱れるばかりであるときに、なんらかキイワードが見い出せれば、ようやく整理がついていく。土地の名前。思考の名前。漠とした風景に現在地を示す地図。しかし、ビシュケク・キルギス・中央アジア---ここでそんな名前を唱えてみても本当に役に立つのだろうか。ある便宜的な、たとえば日記を書くといった現実の用途において以外に。
そんなわけで私はユーラシア大陸の真ん中を旅行している。中国のウルムチから旧ソ連圏の中央アジアと呼ばれる地域に列車で移動してきた。最初の訪問地カザフスタンのアルマトゥから、きょうは隣国のキルギスという国の首都ビシュケクにバスで入るのだ。
ホテル・ジェトゥスー前で拾ったタクシーはベンツ。皮革シートにソニーのカーステレオ付き。優雅にアルマトゥのバスターミナルに着く。ビシュケク行きの大型バスは1人320テンゲ。正午ごろ発車。左側の座席にしたせいで、カーテンでは凌げない日射しがとても暑く、まいった。バス移動は進行方向と時間帯を考慮しないと失敗するという教訓。景色はあまり眺められず、荒れ地が続いていたくらいの記憶しかない。国境では係官がバスの乗客と荷物をざっと見た程度。パスポートチェックもなくすぐ通過した。このバスの中で「夏への扉」は読み追えた。出来すぎるほど出来すぎた結末。ビシュケクまで240キロ。十分明るいうちに到着。
ビシュケクから市内まで乗ったタクシーは、ハエだらけのラダ---旧ソ連圏ではおなじみの小型セダン。早口言葉ではない---。アルマトゥのベンツタクシーと対照的でがっかり。しかも1ドルが約43ソムのところ80ソムも取った。---市内まではやや遠かったが実際は40ソムが相場だと後で知る。たどり着いたホテル「アクサイ」がまた、なんというか、気が滅入ってしまうホテルで。ツインを値切って200ソム。がらんとした室内にボロベッド。あまりの殺風景さ。日射しがもろに当たって熱気が夜も朝も抜けない。まるで牢獄だ。トイレもシャワーもひどい。たまらず部屋を抜け出して通りを歩いてみたが、整然としたところ、しゃれたところ、小ぎれいなところが見つからない。つまりアルマトゥのような可愛げがない。ゴミも目につく。賑やかな通りのカフェで食事してみたが、まずく高く、これまたがっかり。夜遅くなってホテルに戻り、食堂で紅茶を飲んでみた。静かなウェイトレスがにこやかにたっぷりのポットをくれ、とてもうまかった。これが本日唯一の取り柄。人のいない夜更けの食堂でクロスを敷いたテーブルに座っていると、アキ・カウリスマキの映画に出ているような気分だった。しかしビシュケクの印象、この時点では最低だ。だがのちにがらりと変わる。それは6日後のお楽しみ。
ところで、この辺の人たちは若い人でも前歯をなぜか金歯にしている人が多い。笑うとキラリ。可笑しい。旅人はうっかり歯医者にはいかないように。 カザフスタンでもキルギスでも、あとで行くウズベキスタンでも事情は同じだった。
9.18 第38日 ビシュケク→チョルポンアタ イシククル、青い湖
キルギスは国土の大半が山地で、湖も多い。最も大きいのが北部に位置するイシククル湖。山脈に挟まれた1600メートルの海抜は、チチカカ湖に次いで世界第2位の高さだ。透明度もバイカル湖に次ぐという。このイシククル湖畔に宿泊してみようと目論んでいる。今回の旅行はシルクロードを辿っていることになっていて、現在の国でいえば、敦煌やトルファンのある中国と、サマルカンドなど古代イスラムの面影を残すウズベキスタンの二つがいわばメインだが、その中間にちょっと骨休めでもないが、自然の中でのんびりするのも旅程にメリハリが効いてよいかと思ったのだ。ちなみに、8月下旬に日本人が拉致されたのはキルギス南端のタジキスタン国境付近だから、首都ビシュケクやイシククル湖はめいっぱい離れた場所にある。さて。昨日移動してきたばかりで疲れが残っていたが、宿の居心地が良くないこともあり、とにかく湖まで行ってしまおうとビシュケクを出発した。同じバスターミナルから同じ大型のバスに乗り込む。今度は北向きになる席を取って暑さを防いだ。市街地はすぐ見えなくなり、道路わきに牛が目立ってきた。川あり、白い山々あり。いくつか町を過ぎると、待ち望んだイシククル湖が見えてきた。予想を越えて青い。ビシュケクから4時間半、チョルポンアタという町で降りる。旧ソ連時代は保養地に利用され共産党幹部の別荘も多かった所らしい。
バスでNくんという日本の大学生と一緒になり、チョルポンアタのバスターミナルにいたおばさんに引かれるまま、民宿に転がり込んだ。独立した部屋に寝泊まりして1人50ソムの安さ。板張りなので日が落ちるとぐっと冷え込むが、家族の心が温かいので、まあ悪くない。自由にお茶を飲んでいいと言われた台所で夜を過ごした。Nくんの荷物はビニール製の粗末な袋だったので、どうしたのか聞くと、なんと、ビシュケクのバスターミナルから深夜市内までタクシーに乗った際、ちょっとうとうとした間にトランクに乗せたはずのリュックが消えてしまったのだという。タクシーの運転手が盗んだとしか考えられないので、そのまま警察に行って問いつめたが、ラチがあかなかったらしい。貴重品は膝に抱えていて無事だった。Nくんは剛胆でなめられるような性格ではないと思えるが、この災難は打撃だったようで、つい眠ってしまったのが油断だったと悔やんでいるが、私なんかやっと着いた町で疲れた深夜にタクシーに乗ったら当然ぐうぐう寝てしまうだろう。相当注意していたんだから仕方ない、身体に危害がなくてよかったと思うしかないよ、と率直な気持ちを言った。Nくんからはウズベキスタンの宿なんかについて貴重な情報ももらった。
9.19 第39日 チョルポンアタ 世界の果てで世界の終わりを過ごす
イシククル湖に来たんだから、そのイシククル湖が見たい。しかし実をいうと湖畔は別荘などのプライベートビーチになっているところが多い。この日私が湖の見えるところに辿り着いて砂浜に足を踏み入れたのは、民宿からかなり歩き、そうとう探し回ってようやくのことだった。そうしたら、すぐそばの森林の中に4階建ての古い白い建物が現れた。なかなかチャーミングな造りだ。近づいてみたら、ホテルだった。値段を聞くとそれほど高くない。こうなるとあの民宿も悪くないのだが、湖畔でゆっくりする目的にはこっちがいい。そう決めて、朝のうちにこちらに移ってきた。このホテルはガイドブックに載っていないので、旅行情報として正確にお知らせしよう。「旅行人ノート6シルクロード」170ページの地図に「チョルポンアタ」というホテルの表示があるが、そこから少し南に行ったところにこのホテルがある。建物に看板など出ていないが「ブルー・イシククル」という名前らしい。オーナーの息子であるロマンという名の青年がそう教えてくれた。彼は少し英語を話す。ホテルを直接管理しているのはロマンの母親。二人ともロシア系に見える。ツイン1部屋が480ソム(1人240ソム)で3食付きだった。近くに食堂がないのでありがたい。バスタブのあるシャワーとトイレは2部屋共同で使う。お湯は、私のいる間は、週2回だけしかも朝だけしか出なかった。湖が目の前で周囲の自然も豊かなので、個人的には民宿より絶対お勧めだ。ちなみに「旅行人ノート」にある「チョルポンアタ」は7階建ての巨大な建物で、老人ホームか療養施設だと思われ、そういう人で混みあっていた。泊まれないことはないようだが、英語がほとんど通じなかった。「ブルー・イシククル」の方が湖に近いし部屋も綺麗だ。ただし「ブルーイシククル」に泊まった場合、その食事はなぜかこの「チョルポンアタ」の広いレストランまで食べに行く。ロシア風の料理が日替わりで出た。この辺りにはコテージが無数にあるが、季節が終わりかけているせいか、営業していなかった。また、この近くのビーチは泊まり客でなくても入れる。ずっと手前にゲートがあるけれどノーチェックだった。
このホテル、真夏には賑わうのだろうが、今は閑散としていて、何よりそれがありがたい。部屋から広いテラスに出ると、よく手入れされたバラとダリアの花園が見える。樹木も美しい。リスがいたりする。少し先にはイシククル湖だ。
季節の終わりかけた避暑地。まだ暑い太陽だけれどどこか寂しげ。時が止まってしまったような、あるいは終わってしまったような森の静けさ。古く人気のないホテル。こういう場所、好きだなあと思う。世界の果てで世界の終りを過ごしている気分。格安系の旅でこんな滞在ができるのはありがたい。
バザールに行ったが、ここも物静かだ。外国人への好奇心はあるようで、おじさん、おじいさん、子供がニコニコして近寄ってくる。あるおじさんがひっきりなしに話し続ける。ほとんど分からないが、アメリカが太平洋戦争で広島と長崎に原爆を落とした話をしているようだった。なぜそんな話をするのか分からなかったが。プラムとリンゴを買った。
近くにちょっと気取ったシャシリク(串焼き肉---中央アジアを代表する食のひとつ)屋があったので煙に誘われて入った。自宅の庭で営業している。大きめの肉がめちゃめちゃうまい。どうも羊肉ではなさそうだ。牛の絵を描いてこれかと聞くと違うという。鶏を描いても違うという。最後は店主が絵を描いた。なんとブタだった。ブタのシャシリクとは!次にきた客はフェルトで出来た伝統的なキルギス帽を被った男で、ムスリムかと聞くとそうだと言い、当然ながらブタは食べないよと言う。それなのに同じ店で共存できるのが意外だった。その男もまた軽い食事の間じゅう話しかけて来て「私はアンチテロリスト」と英語で冗談ぽく言った。たぶん拉致事件のことを頭に置いているのかな。
羊や牛を放牧している広い草地があって、そこを歩いた。次第に湖が見えてきて、ずっと向こうには対岸の白い山脈がかすかに見える。冬だともっとくっきりするのか。でもよい眺めだった。そのまま森の中を通ってビーチに出た。日の沈んだばかりの湖岸を、ボートが滑っていた。ここも人はほとんどいない。
夕食はピーマンの肉付めとオートミールのような泥状の食べ物。食べ終わったころ停電になり、レストランは薄闇に包まれた。半月の下をホテルまで帰り、電気が回復するまでの長い間、その月明かりと懐中電灯だけで過ごした。ここの人々は電気が消えても点いても、誰もあわてず騒がず、平然としているのが不思議だった。
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