追想 '99夏
旅先でことさら
思い当たらなく
てもいいことに
思い当たる旅先
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9.15 第35日 アルマトゥ スターリンのせいで焼き肉が・・・
アルマトゥの市街地の外れに山がありロープウェイで登れるというので、行ってみた。高いところから街を眺めるというのは、旅行には付きものというか憑きものなのである。ロープウェイのゴンドラは、なだらかな斜面をゆっくり登っていった。アルマトゥ市内が一望できるほか、遙かキルギス国境の白い山脈もやや霞んで見える。頂上は人が少なく静かで落ち着ける場所だった。お茶を飲んでゆっくりする。ロープウェイは15分おきくらいに動くようだ。そのんびりムードが昼下がりの静かな頂上にとても相応しい。発着場にいる係の男は一日中ペーパーバックを読んでいた。15分おきにやって来るゴンドラの扉を開けて客を出し入れし、レバーなりスイッチなりで再びゴンドラを送り出しながら、きょうもまた一日が暮れていくのだろう。いい仕事かもしれない。
夜は、コリアンレストランに焼き肉を食べに行った。市内にその手の店は一件だけではない。意外なことだが、中央アジアには朝鮮系の住人がけっこう多いのである。それというのも、もともとシベリア極東に住んでいた朝鮮系の人々が、スターリン時代にはるばる中央アジアまで強制移住させられたらしい。同じソ連邦内とはいえ途方もない出来事ですね。そういう経緯に詳しくない我々であっても、今アルマトィを旅してふらりバザールを回ったりすれば、コリアン顔のおばさんたちがでーんと座ってキムチなどの食材を売っている光景に必ず出会う。「したたか」という言葉の最適用例。お隣とばかり思っている朝鮮の文化が、こんな中央アジアの一角に花開いている事実を、この瞬間に実感する。このあとで旅行するキルギスやウズベキスタンのバザールでも同様だった。これ以外にも、日本の私からすれば極めて不案内なこの中央アジアの国々に、韓国のアシアナ航空がしっかり直行便を飛ばしていたり、道路に「DAEWOO」と書いた車が目立つのでなんだろうと思うとそれはウズベキスタンと韓国の財閥との合弁で生産されているのだったりするのも、現在にいたった中央アジアのコリアンコネクションを物語るのだと考えれば納得がいく。おおざっぱな国際情勢や地理感覚だけではわからない不思議な地域である。で、焼き肉レストランに話を戻すが、店内はコリアンの雰囲気が濃厚で、席に座ればキムチなどの小皿がどんどんテーブルを埋め尽くしていって「これは!」と期待を持たせたのだが、肝心の焼き肉は日本で食べるのと違って甘ったるく、がっかりだった。ただし、メニューには焼き肉の種類がいくつかあったから甘ったるかったのは単なる選択ミスだったかもしれないことと、小皿と石焼きビビンパはとてもうまかったことを付記しておきます。
ちなみに、中央アジアは昔の日本とも数奇な縁で結ばれているのだが、この話はまたウズベキスタンあたりで。
9.16 第36日 アルマトゥ 狂牛病の原因を考えて
キルギスおよびウズベキスタンのビザは初日に取れているのだから、ほんとならもう隣国キルギスに移動していてもよい。しかしなんだかこの都市を去りがたく、もう一日だけ滞在を延ばすことに決めて朝からバザールに出かけた。サラミ、パン、キムチ、牛乳、紅茶などを買ってホテルに持ち帰り、食事にした。なじんできたホテルの部屋。壁にはラジオが据え付けられている。プラスチック製で安っぽいが西側のものと違うポップなデザインが面白い。つまみを回すとポップスが流れ出した。これはロシア風というのかカザフ風というのか。アジア的なのかヨーロッパ的なのか。懐かしいようでもあり未来的なようでもあり。一体ここはどこで今はいつだ。ちょうど今、古典にして定番の時間旅行SF「夏への扉」をベッドに寝転がって読んでいるのだが、近未来に冷凍冬眠から醒めた主人公の戸惑いに似てはいないだろうか。いずれにしても、この部屋を満たす歌はどれも哀愁を帯びているなあ。テレビから流れてくる音楽もそうだ。心をウェットにさせる。
ホテルの近くでインターネットができる場所を見つけたので行ってみた。東京永久観光(私が管理するBBS)に二回目の足跡を残した。
そのあと日本大使館に行った。何用かといえば日本の新聞を読むためである。セキュリティーのしっかりした新しいビルのワンフロアーにあった。読売新聞が12日分まで置いてあるので、ソファーに座って目を通した。そこにSさんという日本人旅行者がやってきた。東ヨーロッパから中東を経由してトルクメニスタン、ウズベキスタンと一人で移動してきたらしい。日本語を話すのは久しぶりだと笑う。そのまま夕食を共にして話を聞くと、Sさんはアメリカの大学の研究生だった。日本のある省庁に勤めたこともあるが、どうしても勉強がしたくて渡米し7年が経過したという。その研究というのは、かの狂牛病に関するもので、病気の原因となる特定のタンパク質が牛の体内で増えてしまう謎を解くために、さまざまな実験とそのデータ解析に長く没頭してきたらしい。それが一段落しての旅行とあって、実に楽しそうに体験を話した。我々はバスターミナル近くにあったウイグル系の食堂に落ち着いていたのだが、そこでテキトウに頼んで出てきた大皿の鶏肉料理の豪華さにもすこぶる感激している。貴重なウズベキスタン情報ももらった。旅のルートが逆なので、残念だがもう会うことはないだろう。最後にメールアドレスを聞いた。prion@×××。プリオンは、そのタンパク質の名称だった。
明日はアルマトゥを出る。
旅が始まってからだいぶ日々を重ねてきた。遠くにきた。でもまだ先は長い。街中を散歩してどこか食べに入って宿に戻って本でも読んでと毎日毎日同じことの繰り返しのようで、飽きもくるし帰ったっていいんだしと、たそがれていくのもしばしばだが、それでもなんらか新鮮な発見のようなことも必ずある。今東京の自室で日記を読み返してもなお、再び飽きもくるし中断してもいいんだしと似たようなたそがれ気分に襲われるけれど、それでも書き綴っていきさえすれば、その日その日の回想に応じてなんらか新鮮なこともまたある。だからまだ帰国はしない。明日はバスで移動。キルギスの首都ビシュケクへ。
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