From Junky あるいは What's New
これ以後
2000年3月30日--ミレニアムの3ヶ月--
■もしも人間の寿命が1000歳くらいであったなら、大地震、大噴火、大戦争といった体験くらい誰しも一つや二つは持つことになるのだろう。花見も、ひいひいひいひいひいひいひい・・・・爺さんが「これは14代目の桜だ」などと語ったり。700歳が定年でそのあと年金を300年もらおうとか。そうなると社会のもろもろのシステムの方が人間よりずっと短命ということになるだろう。いや、今の寿命で考えたって、会社とか景気とかツカノマの盛衰なのではないか。近ごろITとか言ってるけど、またすぐ時流は変わる。人生は全く退屈しないほど短くはない。そう思う。現にここ3ヶ月ですらとても長かった。
2000年3月29日--ホームページ日記を手書きしている人はいませんか--
■文学界4月号が物書き100人にアンケート「ワープロ・パソコンVS原稿用紙」。作家先生とおだてられつつ「ワープロやパソコンで執筆すること、およびデジタルメディアの本質とは何か、考えてることがあるなら言ってみろ」と一斉に脅さされているようなもので、みんななんとか気の利いたことを答えようとして、結局は経験や発想の乏しさが見えてしまう。そういう点で楽しい企画だ。各自の性格のヒネクレ度もよくわかる。■面白かった3人。蓮実重彦。<出版形式の問題はもっぱら資本主義の問題>と、意地悪な、しかし見落としがちな指摘をした上で、<原稿料稼ぎや名声の獲得を目指すことなく、より多くの人に読まれることのみをひたすら期待する場合は、紙の雑誌など、とうの昔に見限られています。むしろ、資本主義的な暴挙というほかはない文芸雑誌がいまなお涼しい顔で刊行され続けていることの不思議さを論じるべきなのでしょう・・・>と後ろからの足払い。なんかスカッとする意見だ。■四方田犬彦。<「裕仁」という言葉はただちに出てくるのに、「身區」と書こうとして「躯」しか出てこないのは困ります。見えないところでエクリチュールがイデオロギー的に制御されているという事実をつねに自覚しておかないと、思考までが操作されてしまうことになるでしょう>。こういうことをみんなが述べたら、それこそ逆にイデオロギッシュだが、誰も全然言わない。どうしてだ。■宮沢章夫。<・・・>。手書きの可能性をほりさげるのもいいが、足りないのはむしろコンピュータで書くことの修行の方なんじゃないか、といった話。短く引用できないので省略。雑誌を転載するには、カット&ペーストができないので、全部いちいち自分で打たないといけないから辛い。しかしそのせいで、デジタル文章に比べてけっこうしっかり読むことになるから、その点は、資本主義的暴挙にお礼を言わねばならないのか。しかし、それにしても、この手のことを、たとえば野坂昭如とか立松和平とか浅田次郎とかに聞いて、どうしようというのだろう。
2000年3月28日--物質系はつらいよ--
■早朝になってプリンターがインク切れ。会社が始まる時刻までに印刷を終えたくて、夜通し営業のディスカウント店「ドンキホーテ」新宿店を目指す。不夜城もその夜が明けてはカタなしの歌舞伎町を抜けて歩いた。群れをなす清掃車とカラス。バンコク、ソウル、香港と、いずこも同じ掃き溜めネオン街の朝ぼらけ。懐かし。でもどこを懐かしがっているのだろう。「旅行のふるさと」がそこにあるのか。ドンキホーテがまた勝るとも劣らぬゴミゴミ感。聞き慣れぬ言葉を話す女性客。パソコン内で完結したつもりだった文書作業にプリントという物質系が絡んで大幅な遅れを生じたが、まこういう朝も良い。
2000年3月26日--八つ墓村〜村上政彦--
■きのう、映画「八つ墓村」(市川昆監督・豊川悦司主演)をテレビでやっていた。金田一の衣装や鞄の中身、あるいは日本の古い屋敷も村の風景も、みなスタイリッシュだ。それらをきちんと撮影した場面自体が趣深い。それと同時に、人々の在りように必ずや戦争の痕跡が残っていることに、気が付かないわけにはいかない。そういう時代があったのだ。というか、そういう時代は本当にもう過ぎてしまったのだ。「われわれの社会は戦争体験のような共通の強烈なコアを持たないからむしろ不幸なのだ」とか言うと、それはどういう意味作用をあなたにもたらしますか。■村上政彦という作家がいる。1958年生まれ。初めて読んだ短編集「ニュースキャスターはこのように語った」。戦争のようなはっきりしたものではない、なんらかの共通のコアが、視界の隅っこにぼんやり見えてくる。
2000年3月25日--わいてくる--
■我々は、<言葉>は生来の性質として<意味>を伴っているのだと錯覚していますが、たとえば今なら誰かが「リンゴ」と言えば「椎名林檎の顔」が思い浮かぶ人だっているように、<意味>とは、<言葉>が他のいろいろなモノゴト(文脈というか、場の雰囲気というか、勝手な空想というか、いろいろ)につながって、その結果もたらされた一時的で可変的な作用にすぎないのです。■それはもはや当然として、さらには、言葉そのものもまた、必ずや先行する他の言葉に促されたからこそ発生したのであって、何もないところからは、どんな言葉もわいてきたりはしないのです。あなたが「自分の思いや行動をなぞって書いているのだ」と信じているその日記も、同じです。その一言、その一行は、本当はなにか別の一言、どこか別の一行が起こした反応の結果として、わいてきたのです。わいてきたというと、なんか虫のようです。■沈殿していた言葉をちょっとかき回してみたら、また新しい言葉が生じてきたり、おまけに、書くことがなかったここにまで今なにか書いていたり。そうやって、いつしか言葉の臨界が訪れれば、ずるずるずるずるいつまでも言葉が反応していく東海村状態。
2000年3月24日--BG文字--
■このところクラシックを聴いているが、なにか他のことをしながらのBGMになりがちで、曲の構造や展開を意識することはなく漠然とした印象しか残らない。音楽をBGMにしながら小説を読むことはあるが、小説をBG文字にしながら音楽を聴くということがあまりないのは、なぜだろう。
2000年3月20日--春の匂い--
■マグノリア(magnolia)とは木蓮のことだった。春に咲く。大きな花びら。今やそういうことはすぐ調べがつく。全記憶中枢アウトソーシング計画。みんなの頭脳がつながって、みんなの頭脳がなくなって。でも、このあいだから路を歩くと塀ごしに匂ってくる、あれが木蓮かというと、そういうことは、なかなか確かめようがない。
2000年3月19日--家なき子(こんな言葉は、いつ生まれたのか?)--
■昨夜はダイヤルアップが全く不能で、きょうになってどうにかつながったと思ったら、こんどは自分のページが出ない。なんというか、家の鍵をなくして帰れないみたいな感じだった。■柄谷行人の「日本近代文学の起源」。読み進めると意外に理解しやすく、しかも一気に核心まで登りつめる感じで、これはいける!と思ったその日に、なんと本を仕事場に置いてきてしまった。インターネットにアクセスできないイライラは、そのときの飢餓感に似ている。■で、柄谷行人は何を言ってるかというと、たとえば、<告白という形式、あるいは告白という制度が、告白さるべき内面、あるいは「真の自己」なるものを産出するのだ。>というようなことだ。われわれの「内面」も「恋愛」も「精神」も「病気」も、昔から無条件にあったのではなく、歴史の具体的な時期の具体的な制度によってはじめて意識された、なんてことをズバッと述べる。にもかかわらず、そうやって意識された起源はいつも隠蔽されている、なんてこともズバッと述べる。■かなり特殊な成り立ちをしていたはずなのに、いまやなんの抵抗も疑問もなく受け入れる--現行の文化や習慣は、すべてそういうものなのかもしれない。そもそも言葉の使い方がそうである。もっといえば言葉そのものに対する態度がそうである。そういう風にして、われわれは、人間の本能がいまだに猿と同じであるかのような錯覚を捨てられない。柄谷行人を読んではじめて気付いたことが柄谷行人を読む以前からわかっていたかのような錯覚を捨てられない。2000年にパソコンでネットに綴る態度が1980年にペンで紙に綴っていた態度と同じであるかのような錯覚を捨てられない。
2000年3月14日--「レベル7」+1は俺にまかせろ--
■宮部みゆきの「火車」とかが読みたくて図書館をよく探すけれど、この人の本はいつも古い短編集くらいしか見あたらない。でも先日は「レベル7」という分厚い文庫本があったので借りたところ、相当ぼろぼろな本で、読んでる途中でなんと真ん中あたりのページ2枚が剥がれて落ちてしまった。その2枚はそのまま捨ててしまって、次に読む人を本の内容以上の謎に引きずり込んであげるのも親切かとも思う。■「洗濯機は俺にまかせろ」という映画(篠原哲夫監督)をビデオで見た。中古の洗濯機を修理して売る、町の電気屋の店員という、今どき地味な勤労青年を筒井道隆が演じているが、非常にいい感じだ。ただしタイトルのような強く意気込んだところが露わになるわけではない。■同時に「つげ義春作品集
夏の思いで」というのも手元にある。創作・生活どちらにも苦労しながら描いたことを作者が巻頭でたんたんと述べるので、それを知ると漫画もしみじみ読める。作品に出てくるメッキ工場にも実際に勤めていたらしい。こちらもまた「電気メッキは俺にまかせろ」なんていう勢いは、もっとない。でも、ただ悲惨なだけではないところが、つげ義春のおもしろいところ。
2000年3月11日--空想ハルマゲドン映画--
■アメリカ映画「マグノリア」。推薦通り。惚れ込んでしまう。同時代文明に生きる個人の苦悩と救済(?)。プロローグからして面白すぎる語り口。人物の造形も見事。意表を突いて訪れる大異変がまた実にファンタスティックだが、ネタばれになるので具体的には明かさない。この映画を見て「ガープの世界」「ホテル・ニューハンプシャー」を思い出した人はいないだろうか。小説っぽい映画とでもいおうか。たとえばトマス・ピンチョンの長編とかも、私は読んだことがないのだが、もしかしたらこういうテイストなのかも。■旅日記は、ウズベキスタン観光がゆったりと続いています。■地下鉄日比谷線事故の翌日、仕事関係の集まりでその話になった。肉親から安否を気遣う電話がかかってきた人が7人中5人いた。
2000年3月10日--小難しい感想を述べる--
■柄谷行人「日本近代文学の起源」(1980年刊)を読み始めてみた。まだ第1節「風景の発見」だけ。日本において「風景」という認識は、明治二十年代に発見されたものにすぎず、それ以前の日本人は風景を風景として見ることなどなかった。てなことが述べられる。さらに、「風景の発見」が「風景の起源」を隠蔽してしまった、「風景」と同時に発見された「内面」というものもまた同様である、とも。相変わらず変なことを言う人なので、困る(難しいのに、これは読まないと損かなという思いにかられるから)。■全然別の本。<「家族」と「幸福」の戦後史>(三浦展・講談社現代新書)。これはちゃんと読み通した。著者によれば、<家族や郊外というものは、高度経済成長期の日本においていわば意図的につくりだされてきた一種の「装置」である。その家族は自然なものでもないし、伝統的なものでもない。少なくとも、今われわれが普通に思い描く家族は、戦後の高度経済成長期につくられた、きわめて特殊なものである>。このことを、「家族の発見」が「家族の起源」を隠蔽した、という風に書いてみると、「風景の発見」ということも、なんとなく実感できるかもしれない。■ガッツポーズの発見がガッツポーズの起源を隠蔽した、と言ってみたり。■猫にエサはこっちだよと目線(以前ここに「指」と書きましたが、記憶違いでした。訂正してお詫びします。すみません。)で示したとしても猫は決して目線の方向を見てくれない、ということにあなたは気が付いているだろうか。やや成長した幼児あるいは猿なら目線の意図を理解するそうだ。生物にとって「目線指示」は根源的ではなく、進化の途上のどこかで発見され、同時にその起源が隠蔽された。とか。■難しそうな文章は、フォトショップの「ぼかし」「ダスト&スクラッチ」とか「色調の平均化」とかのエフェクトをかけ、どんどんべったりさせてしまおう。そうして、わかったつもりになろう。■さて、明治二十年代や高度成長期の昔のことは実はどうでもよいとも言える。指摘されれば今ならなるほどと肯けるし、また、わかってもどうせもう遅いからである。猿のこともどうでもよい。われわれは猿以上に進化してしまったからである。重要なのは、今われわれが当たり前のこととして関わりあっているものの中に、実はごく最近になって発見されたにすぎないにもかかわらず、その起源が隠蔽され、あたかも自然なもの、伝統的なものであると錯覚しているようななにかを、急いで探してみることである。私なりに例を1つあげるなら、自分だけが読むわけではない日記を君はいつからそんなにせっせと綴り始めたのか。ウェブ日記の発見および起源の隠蔽。このベールを剥ぐこと。これぞ私の目下の急務というか興味、である。
2000年3月6日
■高橋源一郎氏は、<批評とは括弧はずしだ>と言った。たとえば推理小説や歴史小説なら誰しも「推理小説」「歴史小説」であることを前提に読んでいるが、あえてその「」を外して、それを文学として見る。それがまた「文学」という括弧に入るなら、その「」も外して、なんというか散文として見る。とかなんとか。で、なんの括弧にも入れずただ文章そのものとして読め!というのが、実は近代の小説ということになっているらしい。■こういった意識の目指すところは、ちょっと共感できる。たとえば今書いている文章だって「WEB日記」としてではなく、単なる文章として提示してみよう、あるいはそうして提示した時に生じる価値や理解の明滅を見てみよう、といった態度だろう。旅行の話をけっこう長く書き綴ってきたが、実はそういう意識はずっと引っかかっていた。「旅行記」として読まれたい一方で、その括弧を外した単なる文章としても読まれたい、という欲求の自覚である。そのとき私の文章にはたして価値はあるのか、という問いである。■東京永久観光(私が一応管理するBBS)で、<作家太宰にとって、いわゆる「自分探し」や「自分らしさ」など茶番であり関心外であったが、太宰にとっての(いわゆる)のつかないそれは「書くこと」であったとは言えるかもしれない。>という書き込みがあったが、いわゆるのつかない、ということがまさに括弧外しということであろう。■高源の言うことが、こんなにわかっていいかしら。
2000年3月4日
■高橋源一郎と島田雅彦が坂口安吾について対談するというので見に行った。会場は表参道の「ネスパス新潟館」という自治体系の組織が運営している所。■源一郎氏が会場に着いたところを偶然目撃。近所からふらりとやってきた体(ホントに近所に住んでるんじゃなかったっけ)の源一郎氏、あいまいに受付に近づくと、係りの人から本日のパンフを渡されそうになる。単なる来場者と勘違いされたのだ。声は聞こえないが、源一郎氏、きょうの講師である旨を伝えたのだろう、事態をのみこんだ係りの人は恐縮しまくって深々と頭を下げ、奥の方へ案内していった。■さて対談。源一郎氏は「安吾は島田君のほうが詳しいから、きょうは僕は聞き役。でもちょっとだけ安吾との出会いを・・・」とかなんとか言って、しゃべりだしたら止まらない。これは黙っていると最後までこの調子だと気がついた島田氏も、途中から負けじとたくさんしゃべる。図らずも時間延長。すこぶる勉強になった。■このイベントは「逸格の系譜--愚の行方」と題して、新潟県出身の各界の人物についてレクチャーなどが連続して行われるもので、これが第一回目。新潟はなにかと規格に収まりきらない人物を数多く輩出したということで、安吾のほか、親鸞、日蓮、良寛、河井継之助、北一輝、田中角栄などの名前があがっている。しかしながら、「逸格」「愚」というなら、時節柄どうしても新潟県警の名が浮かんでしまうのは私だけだろうか。それはそうと、私の出身の福井県も、毎年カニや蕎麦をミスなんとかと一緒に東京にふるまいに来る代わりに、こういう企画を地道に続ける方が、良質の宣伝効果を期待できるのではないか。■坂口安吾。私もまた、思想に、語り口に、多大な影響を受けた青年期。■ちなみに良寛のことは、もっと子供のころ伝記のような本で知った。ポプラ社とかそういう出版社の。これも妙に心に残っている。晩年は俗世を捨て小さな庵に住んだはず。ところがきょうここで見た資料によると、1758年に生まれた良寛は、73歳まで生きたにもかかわらず、庵に引っ込んだのはなんと38歳の時。「托鉢によってひっそりと暮らし、子供たちとお手玉や毬つきなどを楽しんだり、詩歌や書作に打ち込みました」とある。なんだか羨ましい気がした。
2000年3月3日
■きょうはリンクを少々。■まずは、海外旅行奇談集がエスカレートし近ごろは世間的日常に潜む暴力性が見え隠れしておもしろいこのページ。■次は、人間性欲はテクノロジーの相似として形成されてしまうとの洞察と、それが電脳時代にどうなるのか等のエキサイティングな展開。■これはべつに「テクノロジーが人間性を疎外する」などという単純な話では全くなく、テクノロジーには絶望もすればいいけど、逆に創造性や救いを見いだしたってよいということなのだが、ただその一方で、テクノロジーとは全く別のものであるが、われわれの態度としては同じく、そこに牧歌や退屈あるいは絶望を見いだしてもよいし、真の自由や創造性を見いだしてもよい、そういう道がちゃんと開かれている例として。■このところ、ここの味が相当気にいって、買うならもうここしかないと決めている店のページ。
2000年3月2日
■春。古着をまた引っぱり出して、どうにかやっていく。それでも、新しい季節とは良いものだ。■私がもしこの国のシステムですごく楽や得をする側にいたら、たぶん同じように腐敗開き直りをするだろうが、そうではないので、私は今このシステムに何の未練もない。一揆。打ちこわし。ええじゃないか。
2000年3月1日
■実は、このところの多忙な日々の憂さ晴らしにと、久しぶりに旅の日記を開いて読み、何日かぶりでそれを書き写してみました。積年の憂さ晴らしとしてこの旅に出たごとくです。
2000年2月28日
■歪な世の中だ。いろいろと。ケイサツの話じゃなく、もっと個人系の具体性を欠いた感想で申し訳ないが。...ふと、歪(いびつ)の正確な意味を調べたくなった。しかし、オンライン中でないためネットの辞書は引けず、本棚の辞書までは遠く。歪な書斎。しかし不正と重ねて「歪」。なかなか。でも歪といえば私の思考も行動もそもそも歪である。だいたい光速度が不変で我々の時間や空間の方が縮むなんていうのも、ずいぶん歪な話ではないか。もちろん、警察官僚の温泉気分が不変で、監禁された人の人生の方が縮むというのも歪だ。銀行権力者の取り分が不変で、預金の利息や税金の方が縮んだのも同様。歪なバブル、歪な不況。宇宙根本究極実在は本当に美しい法則に従っているのだろうか。
2000年2月27日
■最近読んだ本の話でも。橋元淳一郎という人の「われ思うゆえに思考実験あり」(早川書房)という本。その中に「人工生命は意識を持てるか」というおなじみの問いがあり、喜怒哀楽の感情は、情報(パソコンのデータとか遺伝情報といったもの)だけでは生成できず、物質の化学反応が欠かせないだろう、という意見が私には驚きだった。酔いやすい遺伝子を持っているだけでは酔いは生じず、物としての酒を摂取しアルコールがアセトアルデヒドに変わる生化学的過程がなければ、酔っぱらうなんてことはないのだ、というようなこと。逆に「自己」という意識なら、自分で自分をモニターするという理屈だとすれば、割と簡単なことだという。だから機械は自己意識は持てても喜怒哀楽は今のところ難しいだろうとの結論。逆にアメーバには自己意識はないが、ひょっとして喜怒哀楽はあるのでは?ともいう。アメーバの喜怒哀楽。どういうかんじなんだろう。またまた考え込んでしまう。アメーバもかんがえこむだろうか。このほか、時間なんてものは実はないんだという、これも私としては今けっこう興味のある話もまとまっている。しかし最も新鮮だったのは「真の実在を求めて」という最終章。そこでは、宇宙の究極根本の実在は、時間でもなく空間でもないということになっているが、じゃあ何なのだ?と問いかける。その候補として「作用」「光速」「電荷」の3つを挙げた。私はよくわかっていないからうまくいえないが、少なくともこれはとても大変で深い話だと思っている。「究極の実在は何だ」というのは、たとえば社会や歴史は複雑なようだが、それを成り立たせ突き動かしているのは、元をただせば「すべてお金さ」とか「それは男女の欲望にすぎない」とか「利己的遺伝子」とか「シンメトリー」「きょうの運勢」「気」とかいう単純化と同じような意味合いで、あるいは、絵画とは「色の粒の重なりである」とか、映画とは「風景がすべてである」とかいうような重みをもった言い方で、時間も空間も地球も身体も原子も、たった一つの法則にしたがった超シンプルなうごめきのようなものが起こっているだけで、見かけ上それが組みあわさっていろいろ生成しているように感じるだけだ、というようなことだと思う。これは、たとえ話ではなく、実際の話だから、とてもすごいと思うのだ。■それはそうと、橋元氏もまた哲学と科学の融合を訴える。デカルトが今生きていたら「私とは何か」を問う道具として必ずや脳科学の成果を使うに決まっている、とか言うのである。逆に、現在の科学者が各分野の細かな課題だけに没頭して、宇宙はどう在るのか、私が在るとはいったいどういうことなのか、といった根本的な謎にはちっとも迫ろうとしない、との苦言も呈している。で、何が言いたいかというと、私には実際飯よりおもしろいことがあるような気がするのに、そういうベクトルでなにかをひたすら考え抜くような日々は、科学の人であれ、哲学の人であれ、文学の人であれ、経済の人であれ、政治の人であれ、どうもそれほど大勢の人が送っているわけではないのか、という感を強くしたことである。
2000年2月26日
■仕事がピークでマックもフル稼働していた昨日、モニターがぷっつり。思い起こせばまる5年。働きに働いたから、もう寿命なのだろう。それはそれとして、もしやディスクに損傷は?そもそも作業中の書類はどうしたらいいのだ?なんとかなるさ!という気分や気力ではパソコンは動かない。モニターに繋がらないパソコンとは、黙々と考え続ける人あるいは徹底的自閉症あるいは思考はバリバリしているのに体が全く動かせず意思表示もできない状態?全然違うか。■夜中に当てもなく電話帳を探ると「パソコンQQ隊」という広告。0120-098-863のフリーダイヤル。かけてみると、ビジネスライクでない落ち着いたしゃべり方だが、話好きな人とみえて、いつのまにか会社紹介が始まったり、「そもそも最近のモニターの出来とは」など、コンピュータをめぐる深夜の長電話といった趣になってしまい、なかなか電話を切ることができず、おかしかった。夜、手持ち無沙汰の人は電話してみてはどうだろう。■モニターは、結局、新しいのをきょう買った。これまで実は15インチだったのだが、今回は初めて17インチ。しかもフラット画面。なかなか気持ちよい。本当はもう液晶の時代みたいだが。
2000年2月24日
■素人多忙自慢。なんと足かけ3日60時間連続仕事に励んだ。
2000年2月20日
■久しぶりに映画館へ行った。渋谷シネマライズ。デンマーク映画「ミフネ」。あまりあれこれ考えず景色を味わうだけのような時間を過ごしたくて映画館に入るということがある。そんなこと言うと映画の人に怒られるかもしれないが。スクリーンを漫然と眺めていてそれでもつい考えさせられてしまう部分だけを考えながら見ればいいのではないかとも思う。
2000年2月19日
■会社を辞めたばかりの友人--といっても私からすれば相当若い--と会う。この先いかようにも歩んでいける人生が羨ましい。私の将来だって同様に真っ白なのだが、ちょっと意味が違うような気がする。まあ真っ黒であるよりはいいか。今夜もインターネットの随所で書き散らされている日記たちのその微妙な価値と微妙な位置、微妙な文体について、タンドリーチキンをつつきナンにカレーをまぶしながら思考をめぐらせた新宿のインド料理屋。どうにも隠しようのない店内の香りと床のぬるぬる感が本場を思わせる。
2000年2月18日
■金曜週末冷え込みもまださほどでない宵の刻。急な用事で、永田町赤プリ界隈から代々木八幡という所まで移動する。地下鉄を乗り継いで代々木上原。そこから小田急線。急行など三本の電車をやり過ごしたあと、隣駅だが普通電車しか停まらない代々木八幡にようやく辿り着く。駅を出ると、たこ焼き屋のおじさんと客のおじさんがそれぞれ「どこいくの?場所わかる?」と、地図を手にした私に声をかける。地味でいい感じの街。カーブした暗めのホームには哀愁。アカ抜けないが気取らない。私鉄沿線の都心近くにはそんな場所がまだ生息している。帰路の小田急線では、代々木上原に戻りさらに先の下北沢まで向かう。実はこの代々木上原と下北沢の間には、普通電車が特急や急行に追い越される際にどうしても一旦停止せねばならない地点があり、ついでにそこに駅も付けてみたといふ場所が、路線地図上には存在する。東北沢。ここも探検したかった。しかし、時空のねじれのようなこの魔境。私ごときが踏み込んで、下手をしたら寒空に通過電車の音だけをやり過ごしつつ永遠にたたずみ続けねばならないような恐怖に襲われ、代々木上原で普通から急行に乗り換えた。今週は猛烈に忙しかった。徹夜もあった。土日は絶対仕事をしない。
2000年2月17日
■所得税、法人税、銀行勢---やっぱり出ない、当たり前。石原銀行税。政府のエラい人や経済のエラい人がたじたじになっている様子が痛快でしょうがない。都知事の宣戦速攻。まるで身内のように観戦。というか私は都民なので身内だが。まあ、この人が出て来てから皮肉でなく、楽しい。やればなんでもできるんじゃないか、首長の力。東京維新である。もろもろぶっ壊せ。今、ヒトラーが出てきても私は声援を送るだろう。
2000年2月15日
■村上春樹という病があるとすれば、それはもちろん私の持病であり、もはや顕著な症状は消えて慢性化しているといえるが、柄谷行人「終焉をめぐって」は、その病巣を精密検査で鮮やかに浮かび上がらせ、1錠で効く解毒剤あるいは永遠のワクチンとして機能していたようだ。1989年に書かれたこの本、手にしたことはあったはずだが、今ごろになってその非凡な薬理に気付く。しかし、その結果この病気ともう縁を切ろうと決意したのでは全然なく、もう一度この熱に浮かされてみたいという気になっている。きちんとした批判こそが、その文学の魅力もきちんと言い当てているのだと、まあ当たり前のようなことか。それに病気というものもまた、生活のメリハリ、個人史の彩りといえなくもない。■村上春樹の初期(1980年代の前半あたり)、私にとってのナビゲーターは、第一に三浦雅士という人だった。ちなみにそのころ加藤典洋は村上春樹を批判し、後に評価に転じたが、いずれにしてもずいぶん妙なことを言う人だとの印象があった。柄谷行人は当時は何か発言していたのだろうか。この初期のころに柄谷薬、柄谷ワクチンを打っていたら、私の村上病の予後はどう変化しただろう。■実は今はもう柄谷病の告知と大手術の必要性を疑った方がいいのかもしれないが。じゃあ柄谷行人の解毒剤は誰だ。■記憶の本棚を整理しつつ。
2000年2月14日
■バンアレン帯。
2000年2月11日
■私は毎日だれに向けて書いているのかという話
2000年2月10日
■どことなく気が滅入れば、日記もあまり書かなくなるものだが、時として饒舌になることもある。近ごろがそうかもしれない。「それは、いっさいの書くことをやめてしまうよりももっと深い絶望にもとづくものだが、・・・」とは、中原昌也「子猫が読む乱暴者日記」の帯にある椹木野衣の言だが、そんな大それたことではなく、中途半端な疲れ。それが外部からくると思えれば、腹を立てて発散できるのだが、私の内部からくると感じるから、悲しくなることしかできない。でも本当は外部も内部もなくて、どちらも人間関係現象・仕事関係現象を感知認識するありふれたモデルに過ぎない。だったら、疲労因子外在モデル型を採用すればいいのだが、それが出来ないところが、人間の心(というモデル)の難しく、より不可解でもあるところだ。
■
2000年2月9日
■縦書きワープロ文書が、いくらやっても印刷できず、イライラした。昨日。そんなことに3時間も費やしてしまった。いったいパソコンで省力化は実現したのだろうか。このシステムはデジタル内で収束する分にはうまく出来ているが、インクや紙といった物質系が絡んでくると、やはりトラブルが多い。プリンターって実は、使用頻度や重要度に比して値段が高く故障も多いように思うが、それはデジタルと物質のつなぎ目だからしょうがないのか。■でも逆に、目が疲れるモニターは、本当は物質化してほしい。モニター上に巻紙がさっと出てきて、インクの文字や画像がさっと張り付いたり消えたりしながら、ブラウズできるような。でもカット&ペーストはちゃんとできるような。難しいか。それより、文章は文字でなく声が読み上げてくれてもいいのか。しかしパソコンユーザーは大抵、文字情報過多生活を送っているから、声だけではもう理解した気にならないかも。テレビのテロップのごとく。■「余寒なお去りがたきおりから、皆様お元気でお過ごしでしょうか。さて、平素のご厚情におすがりして、折り入ってのお願いを申し上げる次第でございます。」なども、書くことは多いが、話したことはあまりないだろう。今度コンビニのレジあたりで口に出してみましょう。そもそも我々は近ごろなにかにつけ目で読むだけで耳で聞くことがない、というか、それができないネット生活。「おいおい・・・。てめぇらは荒らし依頼しかできねぇのか?自分でやれるだけやってみろよ。クソッタレガ。それでだめならな、諦めろ。荒らすんじゃねエヨ。荒らすんじゃねエヨ。ゲラゲラゲラ てめぇらはそのサイトから追い出されたんだよ。必要ねえんだってよ。だったら黙って消えろよクソガ。
分かったら荒らし依頼なんてしねえでhttp://** こっちにアソビニコイヤ。カスドモメ。タノシイカキコマッテルカモネ。ププ」(あるところからテキトウに持ってきました。)こういう掲示板書き込み文体の独特さも、口語化というより、もっと何か別もの化なのだろう。
2000年2月8日
■下の本「心と他者」のことを、きのうは「他者と心」と間違えて書きました。訂正してお詫びします。「お詫びします」は、そう言うこと自体がお詫びだったりする。「訂正します」も、テレビや新聞だと、過去の電波や過去の紙面はもう変えようがないから、やっぱり「訂正します」と言うこと自体が、訂正なのか。つまり、お詫びも訂正も、元来が「言ったからそれでいいだろ」という原理で成り立っているのか。しかしHPの場合、本当に訂正できてしまうのが特徴で、口先だけで済ますわけにはいかないということでもあるが、こっそり訂正もできるから卑怯といえば卑怯だ。■東京は夜になって冷え込んで雪が降った。
2000年2月7日
■野矢茂樹「心と他者」。これこそ、この人の哲学を凝縮した渾身の書だ。ウィトゲンシュタインと、先日からやかましく薦めている「他者の心は存在するか」(金沢創)をちょうど仲介するような位置。出版時(1995年)著者は41歳。過去の原稿も盛り込んであって、ある稿は「私が大学の教員になって初めて書いた論文である。(中略)ただ北大の原生林や農場をひとりうつむいて歩きながら、考察を重ねていた」という。私も今度生まれてくる時はそういうふうに考察を重ねたいものだ。「けっきょくのところ、私の三十代は、大森哲学とウィトゲンシュタイン哲学、この大きな二つの哲学との格闘にほかならなかった」。私の三十代は、もっとずいぶんつまらないものと格闘していたかもしれない。この本もっともっと真剣に読みたいが、そこまでの余裕がなくなりつつある。■あいかわらずですが、また旅の話でもどうですか。
2000年2月6日
■趣味紀から仕事紀へ、グラデーションのように移行している。日々の仕事態度もどこかグラデーション的なので、気がつくと、こんなものを書いていたりする。■今、掲示板がこの世で最もエキサイティングかもしれません。「荒らし」という言葉が産まれ、こんな新聞沙汰まで発生したらしく、不謹慎かもしれないが、私としては興奮冷めやらない。この件はこっちも見ておいた方がよい。■それにちょっと関連して。
2000年2月4日
■オーストリアでいわゆる極右政党が政権入りとのニュース。しかし、先日テレビの国会中継を見ていたら、与党だけの参院本会議場で、扇千景という人(自由党)が民族服で登場し、青少年の健全育成のために、外国人による麻薬取引を厳しく取り締まれ!青少年に正しい生活を送るようキャラバン隊で呼びかけて回れ!と勇ましく意見し、それを小渕総理が目を閉じたりつむったりしながら聞いている。日本の政情も似たようなものかという気もする。■さて私は別に、オーストリアの「極右政党」を、ことさら非難するつもりで出したわけではなく、むしろ、ドイツとオーストリアでは戦争責任への国民の認識が違うんだなあとか、オーストリアはEU(ヨーロッパ連合)というムーブメントにあまり気乗りしていないのか、といった発見と興味からである。■多木浩二という人が「戦争論」(岩波新書)という書で、二つの大戦、冷戦、内戦と近代のさまざまな戦争を明解に位置づける一方、コソボ紛争に対応したNATOのユーゴ空爆(99年)だけは、「いったいこの戦争はなにか---正直にいうと、われわれはどこから湧いてくるのか分からない不安に襲われた。この戦争の性格が、まだ経験したことのないものだったからである。」と述べていて、なんとなく読み進めていた気持ちがここで止まった。「NATOが破壊したかったのは本当にユーゴの戦力であったのだろうか? 民族浄化の停止であったのだろうか? いや、われわれはあたらしいタイプの戦争に向かいあっていたのだ。戦争の原因や妥当性を見定めることからして非常に難しい戦争だったのだ。世界そのものが、これまで戦争が発生したのとは異なる次元にあるように見える。」■ここでの論旨を私なりにまとめると、次のようなことだ。ヨーロッパの知識人は<ヨーロッパが国家や民族を越えて結びつくためには、それを脅かすバルカンの反動を許してはいけない>という言い草でこの戦争(NATO空爆)を正当化する。しかしその言い草では、自らが意図するグローバル化をはるかに越えたレベルでグローバル化が進んでいる時代において戦争がいわば自動的に世界化してしまう現実、世界がそもそも戦争化してしまっている現実を、説明できない。それどころか、このヨーロッパの知識人の言い草こそが、むしろ、この、戦争の世界化、世界の戦争化という困った事態を強く引き寄せてしまうのだ。NATOの(アメリカ軍による)ユーゴ空爆とは、そういうことだったのだ。戦争を見極めようとする言説自体が、むしろ戦争の原因となるのだ。■その上で多木浩二氏は、世界の現状が戦争を導くのではなく、戦争という現実を通して、やっと世界の現実が見える。そういう妙な時代にわれわれはいる、と述べる。■では、オーストリアとヨーロッパと世界の困惑(=戦争化?)を通してしか見えないところの、オーストリアとヨーロッパと世界の現状や将来というものがあるとしたら、それはいったいどんなものだろう。そういう興味が生じてきたのです。■「オウムは人間の言葉を理解する?」(MSNニュース)というから、そりゃ彼らだってと思いきや、オウムのことではなくオウムのことだった。
2000年2月3日
■旅日記、ウズベキスタン編、スタート。
2000年2月2日
■毛利さんの乗るエンデバー号。燃料タンク切り離しなどを操作するコンピュータを、すっかり交換するらしい。打ち上げ直前に検査信号を2回送ったところ、1回は正常、1回はヘンだった。それで飛ぶのをやめたという。実は私も、昨年の大腸ガン検診では、検便2回のうち1回が正常値(マイナス)、もう1回がややヘン(プラスマイナス)だった。でも、それだけで精密検査まではねえ、ということで、精密検査でなく同じ検便をもう一度したところが2回とも正常値だったので、じゃまあ大丈夫でしょうということになった。エンデバーは大事をとって解体した。するとガンが、いや、問題があることがわかったのだ。■スペースシャトルは私の大腸よりも紙ヒコーキに似ています。
2000年2月1日
■まあ、世の中は、なかなか、うまくいかないことが多いものである。その代償に、なんか書いたりするのだろう、私の場合。しかし、書くことそのものがどうもうまくいかない場合の代償とは何だろう。
2000年1月28日
■ガンで死ぬ時は手術しても死ぬから、見つかって落ち込むだけのために検診なんか受けない方がいい、という一部の強い声を振り切って、きょうは区の胃ガン検診に行ってきた。おやいつもより人が少ない。「そりゃそうでしょ、1月だもの。寒いから。だからきょうは、先生が、特別に、食道のほうもみてくださるっておっしゃってるのよ。よかったわね。」係りのおばさんがおしゃべり好きで、発泡剤とバリウムを飲む私に話かけるのをやめない。でも私の前に検査室に入った人がなかなか終わらなかったのは、そのせいではなく、かなりお年を召した方だったからだ。「ゲップは絶対しないこと。」はい、いやでもこらえろといったって、そりゃなかなか、げふっ。てなわけで、「ゲップでおなかがへこんでしまったので、もう一度発泡剤を飲んでもらってください」と、機械の向こうから姿の見えない医師がマイクでおばさんに指示。「もう80歳なんですって。ほんとはもう検査する必要ないのよ。だって、ガンが出来たって全然進行しないんだから。」これはおばさんの苦言。ガンで死ぬ前に普通に死ぬと。しかしまあ、1月に来てよかった。きょうはいつもより余計に写しておりますっ!染之助染太郎の正月の曲芸か。そういえば私もぐるぐる回った。
2000年1月25日
■「高橋源一郎なページ」が現在休止しています。このページのオフ会が1月29日に開かれるので、その件についてはこちらが便利です。
2000年1月24日
■特筆すべきもう一冊。下條信輔「<意識>とは何だろうか」(講談社現代新書)。私がどう在るのかの認識にいくつもの革命を起こしてくれた。たとえば、「脳をコピーしてコンピュータ化あるいは脳を別の身体に移植すれば、私の意識をそっくり再生させることが、技術さえ進歩すれば可能だ」と単純に考えていたが、やっぱりそれは難しいと考えるべき原則的な観点を、この本が私には初めて示してくれたことなど。とこういうことを自分用に書いても伝わらないか。読んでばかりの毎日だ。何か少し書かねば。
2000年1月21日
■東京は久しぶりに澄み切った空。でも風がひたすら冷たい。乾燥も激しく、部屋の湿度計(最近買った)が40%を切っていた。こういうとき、日本海側は雪だ。
2000年1月20日
■クローズアップ現代(19日)でロボット開発の最新情報。ロボットが掃除する。ロボットが病室を巡回する。ロボットが会話する。たぶん誰もが本物のペットと同じ接し方をしているだろう、アイボ。しかし。姿かたちや振る舞いをそこまで生き物に似せないと我々は納得できないのか。というと、実はそうでもなくて、ゲームや車やパソコンにだって我々は親しみを持てる。あとはガスストーブや冷蔵庫とも友情を分かち合えるよう努力しましょう。「他者の心は存在するか」は、路傍の石ころにまで「他者の心」を読みとろうとする人間の癖あるいは宇宙の癖について深い考察をしています。しかし。それなら野良猫をもっと理解できませんか。隣のオヤジをもっと愛してください。いやいやそれを言うなら、アレフ(オウム)の皆さんは、近ごろいかがでしょう。私は「オウム撤退万歳」と叫んだ住民の気持ちが理解できなくもないからこそ、そういう住民が大嫌いだ。少なくとも、ロボットに野良猫に心を感じている暇があったら、やっぱり同じ人間として非難し裁こうとしてきたはずの彼らの心をなんとか察していかないといかんのじゃないか、日本の民よ。コソボの民族対立がどういう仕組みで起こったのか、私は実感できないけれど、近々オウムと**村民兵との衝突が起こったらとしたら、それは必然だと感じる。ちょっとリンクしておこう。
2000年1月19日
■保坂和志の小説「季節の記憶」を読んでいると、前も述べたが、この人の文章、ふつうなら「。」で終ってつないでもいい複数のセンテンスが、「〜ので」とか「〜のだけれど」といった単純な接続詞でいつまでもずるずる続いていくので、やっぱりそれが気になってきて、それというのも実は私が書く文章にもその傾向がみられると思うからで、もちろんそれは私が保坂和志に接する以前からのことなのだけれど、文章がそうならずにいられないのには微妙だが重大なわけがあるように感じるから、私としてはその正体を早いとこ見極めつつ保坂和志に共感したいのに、まだ漠然としているのがもどかしいのだけれど、少なくとも、その文章に伝えようとする何かがあるとしたら、その何かは、強くうまく伝えるよりは、できるだけそっけなく下手に伝えたほうがむしろ正しく伝わるんだ、とでもいいたげな何かではないか、という説が浮上しつつある。■いい大人が仕事を辞めるといのは、いわば人生の政権交代みたいなものだから、短期で不安定ながらも革新的な政府としての懸案を断行する使命があるのです。その政策といえば、まあ今回も海外中期旅行であったとともに、ウィトゲンシュタインも含めた集中読書でありましょう。で、このところ、下に書いた「心が脳を感じるとき」の投げかけた巨大な波紋に応じて、「脳と心の地形図」(リタ・カーター著/原書房)という新たな脳本を公的資金(失業手当)にて買ったところが、これまた面白すぎる。おまけに、これは別の公的資金(図書館)絡みで調達した「他者の心は存在するか」(金沢創/金子書房)をいま読んでる最中ですが、これももうはっきり言って国民の皆様全員にお勧め。この3冊、どうあっても今後の私の興味を相当大きく引っ張っていくと思われます。--もちろん「新教養主義宣言」も系統は別ですが同様の力に満ち満ちています。■またもや、読んだ読んだの報告だけでしたが、これらは皆のちのち立ち上がるべき私のニューロン新論(にゅうろんにゅうろん)に向けた大いなる予告編であると心得よ。そこにおいては、かの保坂和志ダラダラ説も脳論に通じることが明らかにされるはずである。--と大それた公約を掲げたものの、実は政権崩壊近しの観測もあり、さてどうなることやら。そう、この政権には私のホームページの構造改革実施も期待したいのですが。■なんだか冗長かつ通勤オヤジ向けっぽくなりました。
2000年1月14日
■「私は健康です」と言う。それは「私は健康状態が良い」ということだ。健康というものは、人によってそれが良いか悪いかの違いはあるが、「健康がある人」と「健康がない人」のような区別はふつうしない。■文学というのも、これと同じ在り方をしているとしてみよう。つまり、人によって、良い文学状態を持っているか、悪い文学状態を持っているかの違いはあっても、「私には文学がある」「私には文学がない」という区別はできないということ。その場合、文学とは人間を、あるいは世界とか社会とか対象は何でもいいのですが、そういう対象を測定する一つの観点だと考えるわけですね。詩や小説ばかり読む人であろうが、全く読まない人であろうが、誰しも健康状態というものがあるように、文学状態というものもきっと持っているのです。その文学状態は、たとえば芥川賞作品や直木賞作品を飲むと改善するのかというと、「病は気から」とやらでなんとも言えないらしいのですが、少なくとも誰が受賞したかを知らなくたって、貴方にも私にも文学状態はちゃんと存在しますから、ご安心を。■補足。英語の「health」は、日本語の「健康」とやや違って、身体の具合そのものを表す、良いも悪いもない中立的な言葉だ、てな話は、高校時代に聞きましたか。では、日本語の「文学」はどちらでしょう。というわけで、きょうあなたは文学ですか?
2000年1月13日
■旅の再開。
2000年1月10日
■ホウシャオシェンの映画「悲情城市」がBSで放送されてた。う〜ん、なんでこんなにいいのだろう。それしか言えないが、それだけを言わずにはいられない。これまでに見た映画のベスト10とかを選べばきっと入る。でもそんなこと言ったら「恋々風塵」や「冬冬の夏休み」(どちらも同じ監督)だって入る。「悲情城市」のデータにリンク。■このところ映画館に行っていないが、BSでなんだかんだと名画を見ている。黒沢明も「椿三十郎」「用心棒」「七人の侍」と続けて見て、きょうはなんと「生きる」をやっていたので、また見てしまった。でどうしたの?ということにもなるが、まあ、見たんです。■今年になって買った本は2冊。山形浩生「新教養主義宣言」、茂木健一郎「心が脳を感じるとき」。で?・・・いや、これはちゃんと感想を書きます。乞うご期待。■こっちの1999年何食ったかランキング(1月9日)もどうぞ。ため息が出る。
2000年1月8日
■地球環境をすぐ改善できる方法として、年収600万生活を300万生活に改めるというのを、橋爪大三郎が広告批評で提案している。しまった。これは私がかねてより隠し持っていた重要提案だったのに。どうやらテレパシーで伝わってしまったらしい。さすが新千年期。環境の将来を考えたこのエッセーで橋爪先生は、このほか、人口を減らす、あるいは、人間の体重を遺伝子操作で半分にするなどの方策をポンポン躊躇なく出してくる。■貧乏は堂々とやればよいが金持ちは恥ずかしい。でっかいアメリカジンよりちっちゃいニッポンジンのほうが断然かっこいい。こういう価値観のコペルニクス的転回が確実に起こってきた手応え。ただし、年収半分生活を実践した場合、この素晴らしき広告批評今月号も本屋で立ち読みするしかなかったのは、どうも理屈がおかしい。そのあたりのブレイクスルーを今後に期待したい。でも、橋爪大三郎と並んで、橋本治が国家について、養老孟司がDNAについて、加藤典洋が教育について、東浩紀がメディアについて、それぞれ将来を語っているので、やっぱり明日買うことにしようか。もし私が買わないと広告批評のあの一冊はゴミくずに変じて運んだり燃やしたり場所を取ったりと、地球環境に負荷を与えるわけだがら、私が引き取った際にたとえば680円くらいの金をもらえるようなシステムが将来は出来ますよ、と橋爪先生は言っている。いや、言ってはいないが、今テレパシーで伝わってきた。
2000年1月7日
■1999なんでもベスト10。■久米宏が復帰してきたニュースステーションによれば、これからは日本の会社でも査定がシビアになって、サラリーマンが勝ち組・負け組にはっきり別れる時代が来るらしい。負け組は会社の備品で暮らすとか出張費をごまかすとかそういう手で生き延びるしかないというのです。査定の、たとえばプレゼンテーション能力の最大評価基準は「得意先の社長に2時間にわたってちゃんと説得が出来る」とかいうものらしいのです。しかし実は、それもある種マニュアル対応が可能で、サルのアイちゃんだっていずれできるようになるらしいのです。会社的経済的CEO的決断などという無粋なことは、将来は全部コンピュータかサルが正確に冷酷にやってくれるらしいのです。■「勝ち組・負け組」という便利な流行り言葉には、「負けるが勝ち」というこれまた便利な古い言葉をあてがおう。「負け惜しみ」という言葉もありますが。
2000年1月5日
■年末に借りた本の中に「死刑の理由」(井上薫編著・作品社)というのがあった。死刑を科すべきかどうかの基準が日本で初めて示されたとされる1983年の永山則夫に対する最高裁判決以降のすべての死刑判決を、そのままの文章で注釈も議論もなくたんたんと再録してある。殺された人に感情移入すると、犯罪内容は「むごい」の一言。逆の立場に身を置けば、世間からどうしても逸脱しじわじわと凋落しいつしか他人を巻き込んで傷つけてしまう我々の習性がものの見事に発動してしまった悲劇(町田康が書くとこれが喜劇になる)を思う。裁判所はそれに対して「こんなことをしたからにはもうどうしたって死刑にするしかないでしょ」という理由を丁寧に丁寧に述べていく。ただ理由といっても、その柱にあるのは、私がさっき言った「むごい」ということのトートロジーにきこえるのだけれど。気のせいか。また、希に一審二審で無期判決のことがあり、その場合は「いや、こんなことをしたからにはもうどうしたって死刑にするしかないでしょ、とまではいえないでしょ」という理由を丁寧に述べる。さらにこれを上級審が破棄する場合は「いやいや、こんなことをしたからにはもうどうしたって死刑にするしかないでしょ、とまではいえないでしょ、とはいえないでしょ」。AではあるがBでしょ。いやBではあるがAでしょ。その繰り返しとも言えるでしょ。■私が国の死刑制度に反対するのは、いろいろ理屈はあれど、つまるところ直感的なものであって、たとえばブタやウシを殺して食べることに賛成するのと似たようなものだから、この本を読んだからといって私の具体性を欠いたままの死刑法反対の結論は変わらないということにしておくでしょ。それにしても変な本だった。
2000年1月3日
■正月のテレビ番組。科学技術方面。遺伝子のネタが連なっていた。螺旋状にぐるぐる。TBSで出た話が12chに複製されたりして。我々は遺伝子のことをいつ知ったのだったか。DNA構造もヒトゲノム計画もいつのまにかすっかりおなじみ。遺伝子の解明と応用その最先端!といっても、車やラジカセの修理っぽくて、さほど凄いと感じなくなってきた。いつか記憶増進薬とかクローン臓器が使えるようになっても、いわば胃腸薬とかコンタクトレンズみたいなもので、マツキヨで安く売ってください。遺伝子の不思議さは、我々の存在や意識そのものの不思議さには直結しないのではないか。なんとなく。■やっぱり<脳>と<言葉>、この二つほどワクワクゾクゾクするものはない。理由は、よく言われるように、脳と言葉が、考える対象であると同時に考える主体でもあるからだろう。脳が脳を考え、言葉が言葉を考えるということ。私はいつもここに戻る。で、そこから全然先に行けない。興味の周期性?知力の限界?■数学の法則は美しいまでに完璧だ。好きな数を二つ選んでください。たとえば16と23。そしてこういう計算をします。16+23=39、23+39=62、39+62=101、62+101=163、・・・・。次にわり算をします。23÷16=1.437...、39÷23=1.695...、62÷39=1.589...、101÷62=1.629...、163÷101=1.613...、・・・・。これを無限に繰り返すと、割った答は1.618033989...という特定の数に限りなく近づく。はじめに選んだ数がどんな数であろうと、必ずその1.618033989...に近づくという。私の思考が浅はかながらも健気な努力を繰り返した末、あれまた同じところに収束・消失してしまった、という感覚を言い表すのに、このモデルを使わせてもらいたい。お子さま向け「数の悪魔」(晶文社)を読んでふと思った。
1999〜2000年
■とうとう来ましたね。元気ですか。いやー私も2千年代を生きていくのですね。どうせならなにかを終わらせたり始めたりできれば気持ちがよいのですが、どうもずっと続いている感じで。でも言葉はまだありますよ。これからもどうぞよろしく。
これ以前