私は「ウィトゲン再読」に一票
そういえば重大ニュースの季節ですね。いろいろありました。東海村の臨海事故。盗聴法や日の丸・君が代法が一気に成立してしまったり。台湾とトルコでは大地震も起こりました。たぶんノック知事もこれから急上昇でしょう。臓器移植や不審船による騒ぎも今年ですよ、忘れてましたけど。
しかし、この時期こぞって盛り上がる重大ニュースとはそもそも何ものなのか。重大ニュース?そりゃまあ重大というくらいだから、重くて大きかった、そういうニュースつまり出来事、という意味・・・。真の重大ニュースとは何か。誰がどうやって決定すべきか。
いや、「重大ニュース」とはそんなふうに首を捻るものではない。暮れの忙しい時、しばし立ち止まって、今年も早かったなあ、重大ニュース?そうねえ、「あれがあったか」「これもあったし」と回想に耽り、時には投票なんかもしてみれば、いずれ新聞やテレビが大特集を組んで綺麗に整理し、順位を決めたり識者や芸人がコメントを述べたりしてくれるのだ。日経トレンディはベスト商品を選ぶし、流行語大賞だのベストドレッサー賞だのもある。それが「重大ニュース」の正しい使い方であり、「今年の大賞」「今年のベスト・・」の正しい使い方である。
ウィトゲンシュタインなら下のように言うだろうか。
●「重大ニュース」の意味とは、「重大ニュース」の使用である。
●「重大ニュース」という言葉を使える人こそ、「重大ニュース」という言葉の意味がわかる人なのである。
●とにかく「重大ニュース」という言葉が、今このように使われていて、我々も今このように使っている。そのこと全体をもって「重大ニュース」の意味と呼べばよいのである。おまけに今年は1999年。「90年代文学総括」というネタもあれば、「1000年期を代表する人物は」という問いも登場した。いや賑やかなかぎり。しかしそれもまた、我々にすれば、そういう言葉を受け取ったら、ともかく思い浮かんだ人とか歴史とかの言葉をまたテキトウに並べていけば、それで済むのである。それがまさに「90年代文学総括」「1000年期を代表する人物は」という言葉の意味である。
もちろん「重大ニュース」という言葉に対して議論が生じるのは避けられない。「政治・経済・社会いろいろある観点のどれが柱なのかが曖昧だ」「出来事を1年で区切ることに合理性はあるのか」「なんでミッチーサッチーは入らないんだ」などなど。そんな賢しらな抵抗には価値がないのかというと、そうでもない。
その場合は、「重大ニュース」という言葉に対し、「政治・経済・社会いろいろある観点のどれが柱なのかが曖昧だ」「出来事を1年で区切ることに合理性はあるのか」「なんでミッチーサッチーは入らないんだ」という言葉が巻き起こったのであり、それがそっちの方向にどんどん流れているのだとみれば、それもまた「重大ニュース」という言葉の使い方、つまり「重大ニュース」という言葉の意味なのであろう。
だったら、「重大ニュース」の正しい意味はどっちなんだよ。・・・そう悩むのはナンセンスか。いや、それもまたナンセンスではない。「正しい意味はどっちだ」という言葉が生じたら、それはそれでまた新たな思考や議論や言葉がそっちの方向でなんらか流れ流れていく。それがつまり「正しい意味はどっちだ」の意味であり、「重大ニュース」の新たな意味なのだと思えばいいだろう。
さて、1999の重大ニュース、あなたはどうします?