From Junky あるいは What's New
これ以後
1999年8月12日
■しばらく海外旅行に行ってきます。2ヶ月ほどなので、小説ならば長編とは言えませんね。かといって短編でもない。となると中編ですか。そういう風に喩えることができるなら、この中途半端な気持ちにも救いがあるような気がします。行き先は中国と中央アジア。でもそれは小説の梗概みたいなもので何も語ることにはなりません。...などとつい大げさになるので、この辺で!
1999年8月7日
■グレイの幕張コンサートに20万人が集まった。彼らがこのイベントを開いた動機にはウッドストックの記録フィルムを見たこともあるという。ウッドストックとグレイのコンサート。その共通点を考えたりする。なにを言う全然違うぞ一緒にするな!とお怒りの中年も多いことだろう。確かにウッドストックに集まった昔の若者には「世界が我々の手で今まさに変革していく」といったような意識があった。ということになっている。幕張に集まった現代日本の若者はたぶん単にグレイが好きでやってきた。ウッドストックの伝説っぽさがグレイのコンサートには欠けている。ただそのことはどこかすがすがしい。どうせ人は自らが生きている時代の渦みたいなものに否応なく巻き込まれ漂い、流れ着く所に流れ着くしかない。伝説だの神話だのというのは若者が年老いて歴史を作った時に生まれるのだ。いや待てよ。ということはグレイのコンサートもいつか伝説になるのか。国旗・国歌というのも伝説の捏造、国家の捏造か。もちろん捏造されない国家などありえないとすれば、それを国家の誕生と呼んでも別にいいよ。
1999年8月2日
■雑貨屋で買ってきた折り畳み椅子が心地よい。本を読むための椅子が欲しいと前々から思っていたのだが、むしろぼうっとするのに最適だ。どっかりもたれ掛かるともうそのまま動けない。披露宴の祝辞を考えようとしたら眠り込んでしまった。■その披露宴は明くる日横浜にて。眩しいばかりの夏の空。石川町駅で降りて中華街を通り抜けると案外すぐに山下公園。緑と海。会場はそのすぐ手前、映画「ランポー」の撮影も行われたという名のあるホテル。風雅な広間でフランス料理。帆立貝のマリネ、南瓜のクリームスープ冷製、伊勢海老に詰められたグラタン、牛フィレ肉のポワレ、ソースをたっぷりネクタイに浸した新郎の従兄弟。和やかな昼下がり。
1999年7月27日
■shortcut
webでも話題、下北の極小本屋フィクショネスへ。昨年秋に初めて訪れた時は「知り合いの本棚みたいだ」と感想を漏らしたが、今日は「これはまさに私の本棚だ」と感じた。現実のということではなく理想のあるいは未来の。気に入っている本そして気になっている本がことごとく揃っている、というかそれ以外の本はない。さっきまで家で読んでいた「それでも作家になりたい人のためのブックガイド」もちゃんと棚に戻っていた。■文庫本の小説をいくつか買う。「フロベールの鸚鵡」(ジュリアン・バーンズ)、「明暗」(夏目漱石)、「雪白姫」(ドナルド・バーセルミ)。3冊とも実はきのう紀伊国屋本店の文庫フロアーで探したがどれも見つからなかった。それがなんだか学校祭の模擬店みたいなこの本屋さんから、まるで魔法のようにするすると出てくる。どういうことだろう。■私には未読のこの3編は、正体不明ながら強く引きつける磁力を感じており、いずれ読みたい、たぶん読むだろう、どうせならじっくり、いつでもいいんだから、しかしそうなるとなかなかきっかけが、でも思いは募る一方、だったらそろそろ、そういう本でした。夏休みの旅先で読むのに最適。■なお、shortcut
webによればフィクショネスの店名はボルヘスに由来するとのことだったので、記念のような気分で「伝奇集」も買ったら、なんと「伝奇集」の原題こそが「フィクショネス(ficciones)」だった!。なぜわかったかというと、店主が教えてくださった。
1999年7月26日
■旅行に持っていく本と音楽を選んでいる。(まだ出かけていない!)本屋の文庫フロアーを回って何にしようか思案する。CDやカセットの音楽をMDにせっせとダビングする。■MDは革命的に小さいのがありがたい。本もこうしてデジタル化できないものか。あるいはフリーズドライにして旅先に着いてからお湯で戻すとか。ただしMDがマシンもディスクも強い力が加わると壊れてしまう一方で、本はリュックの中で叩かれようが揉まれようが読めなくなることはまずない。再生装置も不要。この点は頼もしい。■音楽はわずかに買い足したがほとんど家にあるものでそろえる。10年以上聴いてきた曲もある。3年前の旅に同行したテープもある。MDは編集ができるから、あのCDとこのCDの聴きどころをミックスして...などとやり始めるとキリがないので、やめる。本はこれを機に読んでみようというものを探して買っていく。しかしリュックに詰める数に限りがあるため外れがあっては困る。だから今のうちにそれとなく読んで確かめておかねばならない。面白そうなら安心だ。しかし面白そうだとつい先へ先へと進んでしまう。全部読んでしまってもいけないから、加減が難しい。■しかし<音楽はMD・本は文庫>というのも硬直化した発想だ。朗読のカセットなんかはどうだろう。お気に入りの一冊の。暗がりで身動きできない席で時間を潰すにはいいかも。文庫本がまだ出ていないゴーストバスターズとか。カセットもない?・・・ならば自分で読んで録音しておくとか。しかし実は船で行くのであった。逆に音楽も音源のかわりに楽譜とか歌集を持っていき想像で聴くというのは?
1999年7月22日
■ニュース23はときおり報道・解説というより絵や詩のごとく「表現」という枠組みに入るセンスを見せてくれる。昨夜の君が代・日の丸を扱った特集はまさにそうだった。「日の丸を法律で国旗と定めるべきだと思いますか?」「君が代の君は何を意味していると思いますか?」「あなたが日の丸を降ることがあるとしたら、それはいつどんな時ですか?」「あなたは祖国のために命を捨てることができますか?」(記憶のまま)etc。寺山修司に由来すると思われる、数多くの質問を一方的に浴びせ街の人々の反応をそのまま収録する試み。日の丸とは。君が代とは。番組制作者の意図も視聴者の解釈も多様。その多様さは、素材(質問を受けた人々の考えひいては日本国民の考え)が、筑紫哲也の言うごとく「単純に法案に賛成か反対かではくくれない」ことの帰結であろう。しかし実は、その当然であるはずの多様性というものがテレビというメディアによって浮き彫りにされるのは希だ。テレビは、視聴者の中に既に存在するシンプルな感情や意見(例=サッチーは悪い女だ・オウムは出て行け)を上塗りして二度と剥がれないように固めることがなぜか得意で、こういう風に新たな感情を起こし自発的に一から考えたくなるものは珍しいのだ。ただ、今まさに自自公の方々が日の丸や君が代や自衛隊の解釈を自らの解釈以外には認めないような足場を着着と固めている時期である。こういう優雅で洗練されたひとときを味わっていて大丈夫なのだろうか。いや、むしろ、そういう方が最終的には政治的な力も生むのか。あと江藤淳はなぜ自殺したのだろう。う〜む。で、話を進めると、そのニュース23が終戦記念日前の8月13日には「あなたにとって日本人の誇りとは何ですか」と問いかけるらしい。エキサイティングな質問だ。しかしこの質問、数学の命題のような論理性には欠ける。「にとって」とは?「日本人」とは?「誇り」とは?それぞれ定義を明確にしないと議論は進まない。番組は、たぶん、いつものごとく、定義を再構築すること、議論を新たに生み出すこと、そのことが狙いなのだろう。つまり質問の意味を発した人や答えた人の意図・解釈に委ねてしまって全然平気なわけだ。「どうして人を殺してはいけないか?」を思い出しますね。そういう意図が透けて見えるから、ふと「ニュース23って陳腐である」と感じたりする。それに、定義の再構築だとか新たな議論だとかいっても、テレビという公共物が本来はとっくの昔から果たすべきだった役割を全然果たしてこなかったために、ニュース23だけがちょっと目立つだけさと思うと、「ニュース23って狡猾である」と感じたりもする。こういうのを東浩紀なら「パフォーマティブな言説」と批判するのではあるまいか。まあともかく、8月13日は旅行中につき視聴できないので、残念なような気もするし、かえってややこしくならずほっとするような気もする。私にとって日本人の誇りとは何か--ナショナリティーを意識する機会が多い海外とあれば毎日のように考えることだろうし。ていうか、私はけっこうしばしばそれを考えている。どうしてだろう。ナショナリティーの根拠とはナショナリティーについて考えてしまう理由や精神構造を指すのかもしれない。しかし、ここからが本日の結論になりますが、私にとって真にエキサイティングな問いは、たとえば「定義を明確にしないと議論は始まらない、という前提は本当は正しいのか」というような問いだ。終戦記念日であろうがなかろうが、不景気の日本列島であろうがなかろうが、旅先の豪華ホテルであろうがなかろうが、掲示板らしくあろうがなかろうが、こういう問いの普遍性にこそ、私は感動するなあ。■後日付記:上記の「パフォーマティブ」という言葉を、私は「パフォーマンス的な」といった意味に誤解している。羞恥。
1999年7月18日
■例によって夜中に活動し明るいうちは眠る生活が定着してきた。こういうサイクルが暮らしの役にたつとしたらテレホーダイぐらいかと思っていたが、過日イスラム文化圏から帰国した友人と話していて、ラマダンをしのぐためにも、これは最適だということになった。ラマダンとはもちろんイスラム教徒の断食のこと。通常は日の出から日没まで食べ物を口にできないのだ。だからその間は寝てしまうのが、信仰の趣旨には合わないが、合理的と言える。
1999年7月16日
■毎日何をしているのかというと、旅行の計画を練っています。長旅とは自堕落なものであり、まさにそれに浸るために出かけるようなものですが、今も立派に自堕落な生活をしているというのに、どうしてでありましょうか。しかも、この自堕落をいったん捨てて仕事並みにマネージメントをしなければ、実は旅は始まらないのがやっかいなところ。どこへ行くのか。いつ発つのか。まずこれを決めなければならない。ルートはどうする。安いチケットはあるか。船にするか。早くビザを取らないと。安宿も調べておこう。必要となる服装、持ち物、外貨...。これら全部を出発までにやらないといけないのかと思うと、正直気が重い。旅行などしなければ、家でクーラーをかけて気の向くままに本を読んで好きなだけ昼寝して、が続けられるのに。ほんとにやめようか。
1999年7月13日
■太宰治「斜陽」なんてものを手にする。こんなに引き込まれる小説だったとは。文庫本まで図書館に頼るのは無産者ゆえの浅ましさ。されど20年ものあいだ忘れ果てていた小説を何気なく読み返してみるかと思い立ち実行してしまうのも、無産者でなければかなわなかったことだろう。■このほかダリ展(閉店セールで賑わう新宿三越南館)にも先日行きました。
1999年7月12日
■「目撃者 写真が語る20世紀」(渋谷・Bunkamura)という写真展に暇つぶしで入った。社会主義にはやけにピリ辛の厳しさで迫る一方、天皇制にはこっそり甘口だとは思ったものの、見応えがあった。さて写真のメインは戦争関連。二度の大戦から朝鮮戦争、冷戦時代、ベトナム戦争、湾岸戦争、パレスチナ、コソボetc。しかし私は20世紀の目撃者ではない。敗戦・占領の時代を生きてはこなかったし、ベトナム戦争すらよく覚えていない。コソボの戦闘も日々ニュースで伝わったが、もちろん当事者ではない。常に観察者・傍観者・鑑賞者だ。のんべんだらりとしたそれこそ「終わらない日常」に疲れて生きている。出撃前に敬礼する特攻隊員。ヒトラーを讃える大群衆。爆撃から逃げまどうベトナムの子供。どれも現代史を語るに欠かせないアイテムとして後から教えられたものばかりだ。
写真展の最後に、あの崩れた高速道路がまだ鮮やかなカラー写真で掲げられていたが、主催者の意図とは裏腹に、神戸の地震も今では遠い昔の出来事になった。いや最初から遠い所の出来事だったのかな。しかし。誰が「20世紀」を目撃しただろうか。誰も目撃などしていない。「20世紀」は語られるだけだ。誰も歴史の当事者ではない。歴史そのものを経験などできない。歴史は語られるだけのものだ。それでも私は今、「20世紀」が語られているこのシーンを、こういう写真展やテレビ番組や特集雑誌でイヤというほど目にしている。そういう意味でなら目撃者たりうるのか。■私はなにが言いたかったのか。もっと違うことを言いたかったのか。大状況が刻々と変転するような張り合いのある国に、君は住みたいのか。だったら福井県敦賀市あたりはどうだ。ガイドライン法あるいはそれ以外の諸事情のおかげで、なかなか張り合いのある出来事に遭遇できる確率が高い。歴史の目撃者・当事者とは死を意味するのか。
1999年7月10日
■何度目かの無職生活に入っている。きょうも仕事をしないという事実は当たり前すぎてあまり意識に上らない。長い休みに入ったという新鮮な実感もあまりない。ただ「あしたもまだ休み」が毎日更新されていく。■その間マックの買い換えに動いた。現在のマシンがいよいよ遅いと感じ始めたので。OSも7.5では新しいアプリケーションになかなか対応できない。しかし機種を迷い続けた。「あした決めればいいか」とつい先延ばししてしまう。昨日になってようやく決断し、一年前に出たG3DT266をアウトレットで手に入れた。新G3と違ってMO・プリンタ・モデムがそのまま繋がるのが利点。200万画素のデジタルカメラも思案の末に買った。どうせいつかは買うのに、ずるずる思い悩むのは時間の無駄だとも言えるが、その時間がいっぱいあるのだからまあ仕方ない。
これ以前