追想 '99夏

旅先でことさら
思い当たらなく
てもいいことに
思い当たる旅先
















8.21第10日西安
フローベルの鸚鵡、登場

*大阪からのフェリーで上海に着き、最初の朝を迎えたJunkyはこう記している。

私の旅のタイトルは-----ディスコミュニケーションという名のコミュニケーション、そして、くだらない冗談以外、我々にわざわざ言うほどのことが残っているだろうか----1999年世紀末観光-----

*いささか唐突に書き抜いた一文は、旅行のテーマが見えたかのような口振りだが、具体的な説明がない。だから意味をとらえかねて不満が残る。これに呼応する記述に我々がぶつかるのは、やっと数日後。西安で落ち着いた頃である。

筑紫哲也がこの間テレビで川田龍平と対談したとき、「...つまり、あなたは自分が不幸だと思うか?」といった質問を最後に投げかけ、川田龍平はそれに対して予想通りの答をしたことを記憶している。社会的な不正で命が奪われるような目にあったことが不幸であるとしても、結論として自分が不幸だとは思っていない、と。予想できる答を引き出すための問い。コミュニケーションとはつまり、そういうものでしかないのだろうか。限られた時間のニュース番組だからか。旅先で話すチャンスを持った外国人に対し、我々もついこういうことをやってしまう。こう尋ねたなら、それなりに考えを巡らせた末に、だいたいこう返すだろうと薄々分かっているような問い。これは、国によって違う何か・国を超えて変わらない何かを理解したという共感、コミュニケーションの共感をとりあえず手にしたいからだろうか。しかし、知らない世界の、知らない誰かとの間に横たわる計り知れない深さ、不可解さ、途方もなさを本当に実感させるとしたら、それは、互いの言語や文化的な背景の存在すら知らないで、それでも交わされそれでも会話が成立してしまう、人間の破れかぶれのかかわりあいだ。ディスコミュニケーションとしてのコミュニケーションとは、そういうものを指す。

*この時Junkyは、日本の若いバックパッカーが中国語はおろか英語もロクに操れないのに、どしどし中国人に西洋人にと声を掛け、理解不能の話も単語も自分の世界にねじ曲げるようにして組み立て、それでも不思議に通じあっている場面を何度か目撃し、ア然としているのであった。

*この日の記録を続ける。

きょうは本を読もうと決めてバスで歴史博物館に向かった。きのうの(大雁塔へ行った)バスを同じところで降りる。ちょうど腹がすいてきたので包子(パオズ...肉まん)の店に入った。ここも実はきのう入ってみて、他の店より抜きんでた味で、店員さんの働きもキビキビしていて気持ちがよかった。きょうも期待通り。きのう食べたのは蝦入りだったが、きょうは野菜包子。どちらもいくつかの素材が微妙に相まって、甲乙つけがたい。西紅柿(トマトのこと、番茄とも書く)と鶏蛋(ジダン...卵のこと、サッカーとは関係ない)の湯麺と一緒に。「高老庄」という赤い看板の店。他の旅行者に勧めてもいい。帰りに別の店で食べた青椒肉絲と麻辣豆腐(マーラードウフと読むが麻婆豆腐とほぼ同じ)も正解。もう腹がいっぱいでその店でうまそうに湯気をたてている小籠包(シャオロンポー...一口サイズの肉まん)が食べられなかったのが残念。この界隈はうまい(というかちゃんとした)店が多いのだろうか。それに道路も街路樹もきれいだ。

博物館では中国史の総ざらいをしたという感じ。ガイド本にあった通りソファーがあったが、土産物店(中国の博物館はどうもいつも土産物店が展示スペースと見まごうようにして必ずある)の前にあって、セールスに懸命のお兄ちゃんが目を合わせても合わせなくても話しかけてきて困った。面白そうな奴だったが、こっちは「フローベルの鸚鵡」などという本を、きょうはちゃんと読むぞと決心してきたこともあって、取り合わないようにした。博物館を出る頃になって、半地下になった場所にもっと広いソファー&読書スペースがあることがわかったが、遅かった。

*Junkyは旅行用に10数冊の文庫本を意気込んで持ってきている。リュックに入れて担ぐにも意気込みが必要だったようだ。その結果日記全体に読書の記述が占める割合は大きく、観光地に感動するより本に感動している回数が多いのではないかと思わせる。これでは何のための旅行かわからない、というよりは、これでよくわかるというべきか。中でも、ここで出てきた「フロベールの鸚鵡」は、ジュリアン・バーンズというイギリス作家の小説で、今後この旅行に特別の彩りを与えていく。バーンズについては早くから高橋源一郎がこの「フロベールの鸚鵡」と「10・1/2章で書かれた世界の歴史」の両作品を絶賛している。 Junkyは「10・1/2章...」はだいぶ前に読んでたいそう印象深かった様子だが、「フロベール...」はまだだったところに文庫を見つけたので一も二もなく買った。しかしここではまだ感想が書かれていない。ちなみに鸚鵡はオウムと読むが中華料理には使わない。と思う。

帰りに小雁塔に寄った。ちょうど日の暮れる頃で、閉まりかけだったがかえって人がいないし、地元の人が太極拳など始めたりして良い雰囲気だった。場所全体がしっとりし、整備されすぎた大雁塔に比べたらよっぽど素晴らしい。夜はまた同じようにロビーで本を開き、MDで音楽を聴き、ラジオニッポンを聞いて寝た。

8.22第11日西安
観光地巡り

何かを見てどのように感じるか、それはやっぱり言葉を浮かべるようにして感じるのであるから、実はそれは今までに読んだような感じたような言葉の感じ方をしてしまう。たぶん僕などはちょっとセンチメンタルに昔を思うときなど、きっと村上春樹風の言葉をたくさん思い浮かべているに違いない。

人はいったい何を求めて観光旅行などしているのだろう。重い荷物をしょって手際の悪いレセプションにいらいらし、明らかに高すぎる入場料を払って入った名所を、ガイド本を持って練り歩く。いったい何をやっているんだろう。

きのうから「フロベールの鸚鵡」をどうにか読み始めた。とても読み辛いが、まあ、それも、この、やっぱりどことなく基本的には物憂い旅に似合う。この小説の話者もまた、なんと旅をしているのであり、そして、どこかを訪ねたり何かを求めたりしつつ、自らの行為を「これはいったいどういうことなのだろう」と、ずっとふらふらと、いぶかり続けているのである。

*このあたりまで読むと、最初のところで「ディスコミュニケーションのコミュニケーション」などとヘンテコなことをいったJunkyの気持ちがわからないでもないでもない。いずれにせよ、そのとき「フロベールの鸚鵡」は重要な役割をしているようだ。この小説はまだまだ劇的な刺激を与えることになるが、それはまだ先の話である。

ホテルが主催する郊外一日ツアーに参加する。半坡博物館、始皇帝陵、そしてメインの兵馬俑博物館、さらにこの日は客の依頼に応じて華清池も加わった。同行者に北京に留学している日本の大学生・赤Tシャツくんがいた。中国考古学を勉強していて、特に龍の起源なんかに興味があると言う。中国だけは他の土地と違って神話などに出てくる龍が悪役でないらしい。100万円もあれば中国で十分留学ができ生活もできる(一年間)とのこと。もう一人別の日本人・黄色ビニールバッグくんは、兵馬俑の模型置物を子供から散々値切って買い、バスが動き出したあとで中を確かめたら、一個抜き取られていて、大笑い。

*秦、漢、唐など歴代の中国王朝とゆかりの深い西安は、とにかく観光地が多い。つまりガイドブックの分量が厚い。しかし遺跡は郊外に多く、個人が便利の悪いバスやタクシーであちこち回ると大変なことになる。こうしたホテルなどが企画するツアーだとわりと効率がよい。しかも、「あそこ行きましたか」と他の旅行者と話をするにも、選ばれたごくわずかの観光地がお互い似ていて効率がよいことになる。なんともはや。兵馬俑(へいばよう)とは、秦の始皇帝が自らの軍隊を実物大模型で再現させたもの。物言わぬまま埋もれてきた古代の兵士たちが2000年間の時を経て突如姿を現したかのような奇観が、規模の巨大さと合わせて見る者を圧倒する。...とだいたいこのように解説が付く。皆様もそれなりにおなじみであろう。発掘現場全体が博物館になっていて、鎧を付けた無数の兵士像が実際の隊列に合わせて勢揃いしている。兵士像は陶器製で、顔の表情が一人一人微妙に違うのは実際の兵士をモデルにしたからだと言われる。その始皇帝の、これまたバカでかい墓所が始皇帝陵である。こちらはほとんど発掘が進んでいないし、外観も今やただの山である。だからといって観光客もぼんやり眺めるだけではなんなので、とにかく階段で始皇帝陵のてっぺんまでふうふういいながら登り、周囲ののどかな緑を見渡すと地元の農民からザクロを買え買えとせがまれ、それが済んでようやく降りてきて、居並ぶ土産物があって土産物など買わずに帰っていく。華清地は風光明媚な温泉地で、かの楊貴妃と皇帝玄宗が浮き世を離れて過ごした場所。楊貴妃が入ったと伝えられる風呂場の跡があるので、観光客はぞろぞろとそこを見て歩き写真の一つも撮ったりするのである。ここには時代がずっと下って蒋介石が西安事件で監禁された建物があり、そこには国民政府と共産党の内戦停止を迫られた時に出来たというガラスの弾痕がそのまま残っているというので、観光客はぞろぞろとそこを見て歩き写真の一つも撮ったりするのである。半坡博物館は旧石器時代の遺跡。しかし何を食べたとかホテルがどうだとかの説明は多いのに、観光地を回った時の記録はたいてい短い。これは「有名な観光地だったら印象をわざわざ書き留めなくても思い出せるだろう」とふんでいたからのようである。また「赤Tシャツくん」とか「黄色ビニールバックくん」などの言い方は、名前も聞いていないし聞いていてもエピソードと結び付いていないから、思い出す時のために服装などを内緒で記録しておいたものである。こういうのを喚喩という。

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Junky
1999.11.13

著作・Junky@迷宮旅行社
From Junky
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