著作=Junky@迷宮旅行社(www.mayQ.net)
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▼日誌および更新
     路地に迷う自転車のごとく

迷宮旅行社・目次

これ以後


2001.12.31 -- 予定稿 --

あけましておめでとうございます。


2001.12.30 -- 鍋釜カーニバル --

●銀行引き出し制限に抗議!=アサヒコム=。来年はこんなことが日本でも起こって、はたまらないような、でもちょっと起こってほしいような、そんな年の瀬。

リチャード・パワーズの新しい本が出たようだ。

●夜中にずいぶん面白いテレビ番組をやっていて、途中だったけれどのめり込んでしまった。この一年を巷に流行した言葉から振り返るという趣向だが、極めてシニカル、極めて外野的。寺山修司風の見せ物小屋。写実からも比喩からも離れた編集映像。漫画を含めたグラフィックの多用。こうした作りは、工房的というか技巧派というか、あるいは「フジテレビ深夜系」というカテゴリーがあるのかもしれないが、ともあれ独特。韓国の流行語なども取り上げていてその同時代性が新鮮至極。もしこの後にワイドショーや報道特集が続いたりしたら、あまりに暑苦しく鬱陶しくて正視できないだろう。●とても気になったので、インターネットの番組表で調べてみると、「2001年言葉の見世物」というタイトルだった。単発のテレビ番組は、しかし、書物や映画に比べれば言及も保管もされにくいジャンルだ。この番組表だってトップページは現時刻より先しかなく、放送が済むと時間単位でさっさと消えていく。あのまま寝てしまったら、この番組も無かったことになってしまっただろう。●さらに、「2001年言葉の見世物」を検索してみると、ジーワンという会社が出てきた。過去に制作した番組一覧に「ワーズワースの冒険」「ウゴウゴルーガ」「文學ト云フ事」とあるのが目にとまった。


2001.12.28 -- 購入の目安は0円! --

●21世紀最初にして最良の思想書、無産大衆神髄(矢部史郎・山の手緑著、河出書房新社)。これは無条件にお勧めだ。いかん!図書館はきょう28日ですっかり閉まってしまう。急げ。それが無理なら本屋で手に取れ。読み切れなければ持って帰れ。代わりに貨幣を置いてくる行為も私はべつに否定しない。●こちらに感想。


2001.12.25 -- 読書がしたいのではなく、旅行がしたいのだったりする --

柄谷行人『トランスクリティーク』読書はマルクスの部に入っている。かつて中国ウルムチから中央アジアのアルマティへ列車移動したことがあるが、そうした大きな節目を超えた実感だ。しかし、全体としては状況がのみこめず進めあぐねる箇所も多い。カントの部の終盤が特にそうだった。日が暮れて宿は見つからず重い荷物を抱えて見知らぬ街をうろうろ、そんなような。あるいは、いっそう昔の話だが、ゴルムドという町からチベットを目指したもののバスのチケットがどうしても買えず断念した時の行き詰まり感なども思い出される。●・・・と読書を旅行に喩えてはみたけれど、『トランスクリティーク』は、カントやマルクスという土地を旅行した者がその土地について記述したものにすぎないということを忘れてはいけない。これがカントやマルクスの著書ではないのだ。だから本当はカントやマルクスの原典に自らしっかり滞在し見聞した体験が欲しいところだ。そうでなければ、この旅行記をいくら懸命に読んでも深い理解や共感にはほど遠いのだろう。かといって、これがビギナーに旅行ガイドとして機能するかというと、全くそうではない。柄谷行人は、カントとマルクスの観光ルートに沿って名所巡りをしながら紀行文を書いたのではない。無数の思考ルートを踏破してきた蓄積をもとに、まったく新しい世界地図を独自に描いているのだ。●ま、そういう意味じゃ、「カントに3泊しました」「マルクス?資本論だけ見に行ったけど。これ、そんときの写真」程度では、歯が立たないのかもしれない。●だいたい実際に旅行したからといってその土地をどれほど知ったことになるのだ?という根本的な疑問もある。かといって、むしろその土地について書かれた書物を丹念に丹念に読むことこそ真にその土地を知ることなのだ!というのも、いくらなんでも無謀か。というか、私は今『トランスクリティーク』の話がしたいのではなくて、実は旅の話がしたいのではなかろうか。

●いろいろ問題ありそうだが、こちらのファイル(要ショックウェーブプラグイン)。


2001.12.24 -- most favorite とはこのことです --

●このところ本屋で『村上春樹がわかる。』(アエラムック)が目を引く。このシリーズは、その学問領域を研究する第一人者が誰であるのかを朝日新聞社はどう考えているのかが「わかる」シリーズとして定評がある(私に)。『村上春樹・・・』の場合は、冒頭が加藤典洋であり、しめくくりが川村湊だ。まあそういうものなんだろう。渡部直己や糸圭秀実はやっぱり出てこない。そういうものなんだろう。●さて、誰しもふと考えこむことだろうが、そもそも「わかる」とはどういうことなのか。いつだったか、「わかることは、わかると言うこと・書くことと同一なんじゃないか」と、いったんそんな結論にたどり着いた日もあった。●しかし、村上春樹を読んだ経験を思い返すと、ちょっと様相が違っていて、わかるとかわからないとかの次元とは無縁だったような気がする。べつに「わかった!」という感動はないのだが、かといって「わからない」という焦燥もなければ「わかりたい」という欲求もなかった。つまり「わかる?」という疑問がまったく生じないままどんどん読み進んだということだ。●一般に、「わかる」という状態はたしかに存在するのだけれど、それは実は「わかるのか?」という問いがあって初めて生じる状態なのだ、ということかもしれない。その問いがないところには「わかる」も「わからない」も存在しない。村上春樹の読書ではそういう形が実現していたのだ。●「わかる?」の問いが生じない----これこそ「わかる」の究極形か。したがって『村上春樹がわかる。』の中身にはあまり興味がわかないのでした。


2001.12.22 -- 2ちゃんねるが時事用語になった年 --

●結果重視の社長訓示。「いいかお前ら、来年は戦争だ。わかってるな。命かけろよ。査定するぞ。・・・じゃ俺はちょっと早いけど正月休み」。性根が腐ってるたぁ、てめぇのことだ、ブッシュ!●情けなくないのか、アメリカ人!!

●かねてより話題だったヤフー不正アクセス事件に絡んで、2ちゃんねる管理者ひろゆき氏のところに警察がやってきたが、ひろゆき氏はそれを追い返した、というニュース(アサヒコムにリンク)。これをめぐって管理者本人のものらしい詳しい報告が、当の2ちゃんねるにあって、実にエキサイティングだ。このスレッドの30、33、36の書き込み(ひろゆきメルマガの転載だということです)。警察それとマスコミという日本社会最大の旧権力が、このように少しだけでも相対化される構造は、ともあれ喜ばしいではないか。●2001年は「2ちゃんねる」が流行語になり重大ニュースになり書籍にもなった年として記録されると思うが、ここまできたからには「ひろゆき=ミスター21世紀」くらいに持ち上げてもいいのではないか。●件の事件や2ちゃんねるについて少し前に書いた文章があるので参考までに。

●で、ミスター2001年は田代まさし、と。消すなよ、タイム。つくづく勝手なアメリカ。


2001.12.21 -- 虎栗旅行 --

●では私も2001年本のランキングを示そう。第1位『日本文学盛衰史』(高橋源一郎)、第2位『トランスクリティーク』(柄谷行人)、第3位『戦後民主主義のリハビリテーション』(大塚英志)。といってもこれ、重量のランキングでした。1位と2位は鼻の差ならぬ箱の差。●その『トランスクリティーク』、本棚の飾りでしかなかったのを、やっと読み始めた。前半。カントはとにかく凄い考え方を打ち出した人物でありそれが今なお批評ということの根幹をなしているのだ、といった話がずっと続く。ウィトゲンシュタインやソシュールの肝心部分も、カントはちゃんと見通していたと言う。このほかコペルニクスの地動説、ゲーデルの不完全性定理、さらにはフロイト、レヴィ・ストロース、デリダなどなど、出てくる出てくる。しかし、『探求1』とかは読んだことがあるから、それほど大げさに構えなくてもなんとかなる本と見た。●後半はマルクスの話になる。このカントとマルクスを横断(トランス)するところに、柄谷行人は、現代における思想と社会の活路および自らの使命といったものを見いだしているようだ。●私は今まだカントの途中だが、やがてマルクスに飛び、さらに越境してついにはナムという見知らぬ国の首都レッツにまで到達せねばならない。こんな遥かなルートにどのような交通手段が待っているか、だれが想像できよう。いやそれこそ旅の楽しみだ。●もう数年も前のこと。船で渡った上海から北京を経由してモンゴルに入ったことがある。さらに北上し、ロシアのイルクーツクからはシベリア鉄道に乗り込んで一気にモスクワまでトランス!。続いてウクライナの首都キエフに足を延ばした。ところがそのキエフで、ある古い城を見に行ったところ、そこはなんと、かつて元の軍勢に攻められた場所というではないか。あのモンゴルの草原からはるばる、私が何日も費やしてたどり着いたヨーロッパのこんな遠くの地まで!。なんだかチンギス・ハーンがユーラシア大陸をさっと飛翔して目の前に現われたような、そんな気分だった。『トランスクリティーク』にもそういうわくわく感を期待して。


2001.12.20 -- いつかは大河ドラマ「赤の乱」 --

連合赤軍事件が映画になった。1972年。もう29年前か。といってもテレビで浅間山荘の実況を見た記憶ぐらいしかないのだけれど。しかし72年というからには、戦後27年しか経っていない時期だったわけだ。何が言いたいか。第二次大戦だけが遠い過去なのではないし、逆に、連合赤軍事件だけが同時代なのでもないということだ。2001年もいつかの日か歴史になる。●この事件との関わりが指摘される小説は、いくつかあるようだが、高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』もその一つ。この絶版小説を、いわば遺跡発掘の気分で読んでみるのもいい。そうすると意外に、2001年の歴史にまでつながってくるかも。●そんなわけでこのファイル。


2001.12.18 -- 年中師走、年中正月 --

●なんだか猛烈に忙しそうなライター日垣隆氏のサイト、行けども行けども刺激的。特に原稿料のやりとりとか。説明も当てこすりも細大漏らさず並べ立ててしまわないと気が済まないある意味律義な人。だから疑念罵倒には徹底して応じる。●それにしても、この人、週に本を30冊以上読むことを自分に課している。たまげた。てことは1日に4、5冊? こんど正月にでもチャレンジしてみるか(いやチャレンジは常にできる環境にあるというのも、なんか)。そのような猛読がいかにして可能なりや。日垣氏の百倍長生きすればよい。しかしそれは無理だ。では今より百倍努力して読め。しかしそれは厭だ。●来年はせめて1日1冊、は当然難しいとしても、1日1リンクくらいなら成し遂げてみたいものである。

●しかし今「今年はこの本が良かった!」特集がかまびすしいが、それもこれも全然読んでないや、早く読まないといかんかな、まいった出費がまたかさむぜ、とストレスを溜めやすいタイプですね、あなたは。むしろ「この本は、このようにつまらないので読むだけ損である」「あの本はこの程度の内容しかない、だからもう買うな」と、そういう命令を下してくれるだけの書評があったら、存在しなかったことにできる本が増えて、わりと重宝するだろう。週刊朝日の斎藤美奈子の書評は、いくらかそういう効能があったのに。●なお「かさむ」は「嵩む」、「かまびすしい」は「囂しい」と書く。嵩、囂は、中国雲南省麗江のトンパ文字から来ている。うそ。


2001.12.16 -- 精根込めて軽薄日記 --

日々旺盛な読書体験を無防備なほど率直に語ってくれるところが、とても得がたいサイト(リンク)。更新も頻繁。このサイトでちょっと前に撞着語法という言葉が出てきて、へえと思ったのだ。●たとえば「冷たい暖かさ」「貧しい金持ち」など、矛盾するはずの語を重ねる修辞法を言うらしい。「正義の戦争」もか。「皇子を寿ぐ共産党」に「高慢不遜な公僕」。「うちコンビニが遠いんだよね」。私はけっこう安易に使っている。下にも「異郷のような故郷のような」などと書いたし。ある枠組みが示されて初めて馬脚を現わすレトリックの月並みさ。セクハラとかストーカーとか言われて、あれ〜私やってましたか、みたいな。●この「撞着語法」を検索して出てきたのが、宇多田ヒカルの日記だった。ふ、ありがちな意外性? 彼女は英語の「oxymoron」のほうを知っていたようだ。オキシモロン。語感としては、なんというか朴訥な衒学さ。●エンスーでやんす。


2001.12.14 -- 「つくづくいやな二十一世紀」 --

●と関川夏央は言っているらしい。では、トマス・ピンチョンはどう言っているかというと・・・→朝日新聞「回顧2001 論壇」(リンク)


2001.12.13 -- さて、語る順序をどうしたものだろうか。 --

●ながら読みがふさわしいような気もするが、それはたぶん難しい金井美恵子彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』。感想こちら


2001.12.11 -- 文春でだめなら、ちくまがあるさ --

中田カウス・ボタンが大阪から東京に新幹線で仕事に来る時の口論。「ひかりなんかあかんて。こだまに乗らな」「なんでや。ひかりやったら東京まで3時間や。こだまなら4時間はかかるでえ」「せやから、こだまやっちゅうねん。同じゼニ払うんやったら、ちょっとでも長く乗ってたほうが得やろ」(趣旨)

新書を読んだりしているとき、似たようなことを考えていないだろうか。本は早く読み終わるほうが得なのか、長くかかるほうが得なのか?●ともあれ、知識というやつを飽きずにつまみ食いだけしていたい者には、新書ってのはありがたい。なんども言ってるが、小さく軽く、ポケットにも入るし歩行中もOK。メールは打てない。

●とりわけきょうの携帯図書、岡田英弘歴史とはなにか』(文春新書)は、読みやすく・おもしろく・ためになる一冊だった。コストパフォーマンスとしては、下北沢駅前「千草」の厚揚げとチンゲン菜のピリ辛煮定食に匹敵だ。●いま当たり前のような顔で通用している歴史、そんなものあなた、ぜんぶ錯覚ですよ。・・・とばかりに、明快な逆説をポンポン断定口調で投げてくる。それがなにより小気味よい。その歴史の逆説は、どこかで聞いた覚えがあったり薄々気が付いていたりすることをきっちり上塗りするものから、いや〜まいったこんなの初めて、でもそう言われればその通り!というものまで、多彩。●たとえば?・・・と言われると困ってしまう。というのも、この本どこを切っても具体的でキャッチーな逆説ばかりなのだ。かつどれも甲乙つけがたく刺激的。だからそれはGoogleに任せよう。賛成も反対もある。

●ところで高校のころ山川出版の世界史用語集とか必死で覚えたなあ、ときょうもなんだか回想モードに入ったところで、後はよろしく。懐かしオチというか。


2001.12.9 -- 隠微遠投 --

●たまにはCDでもと思って渋谷タワーレコードに入る。いつものごとく5階まで真っすぐ上がり、アンビエント〜テクノ〜アヴァンといった一角をチェックしてみる。●この系統はやっぱり独特だ。改めて言うことでもないのだろうが、統制されてきた音楽のジャンルがいったん解体され、あらゆる音はまっさらな素材として放り込まれている。ただし、どの音も耳に慣らされた元のイメージをまとってはいるわけで、一瞬において、あるいは積み上げられた全体において、異郷のような故郷のような、さまざまな不思議感が炸裂して止むことがない。●悲しいかな、アーティストやレーベルで手を出せるほどの知識や親しみは、私にはない。いきおい視聴盤が頼り。ヘッドフォンを付けて聴き始める。う〜むなかなか、どれも捨てがたい、が、どれも決定打に欠けたりして。じゃあもう一曲もう一曲、もう一枚もう一枚。そんなふうにしてしだいに疲れ、結局きょうもフロアーを立ち去ることになってしまった。●しかしこういう日は、ここまで頑張ったんだから一枚くらい買って帰らないと寂しいじゃないかという気になっている。そこで店を出る直前、こんどは1階総合フロアをざっと見渡してみる。すると、5階の系統だと思うがここの視聴コーナーにあったAPHEX TWINDrukqs』というのが、現在の欲望に必要十分の響きあり。さっそくレジへ持っていった。30曲入り二枚組で輸入盤のうえに値引きセールもあって税込み2404円と、音楽はまあ物量ではないけど、お買い得感。●一緒にもらったミニパンフを帰りの電車の中で開いてみたら、2001年のベストセラー一覧が載っていて、このAPHEX TWIN『Drukqs』はクラブミュージックの第2位だった。ちなみに第1位はDUFT PUNK『discovery』。

●こうした音の再構築というのを文学に置き換えれば、やっぱりポストモダンとかの小説で試みられているらしいことと似通ってくるのだろうか。あるいは現代詩とか。高橋源一郎の『日本文学盛衰史』は、いわば明治文学リミックスという側面もあったんだろう。こんど「すばる」で始まった連載(タイトル忘れてしまった!)も、ちらっと眺めたところ、そういう印象を与える。素材は宮沢賢治といったふうな。ただ文章とは、アレンジやイフェクトを施すようなことはありえても、同時に重ねるなんてことは読書の性質上、無理なわけだ。いや、だからどうだというのではない。が、だからどうだということをちゃんと考えると、おもしろそうではある。

●こうしたことに重なるかもしれない、凝ったサイトをひとつ紹介リンク)。知人がしばらく前に公開したもの。

●そうそう、タワー5階には、ペンギン・カフェ・オーケストラのベストアルバムが今ごろになって(?)出たらしく置いてあって、視聴してみたら、これは単純に頬が緩んでしまった。音楽の解体とか積み上げとかいろいろ言ってみたが、懐かしさというやつにはころっと負けてしまうのか。


2001.12.4 -- 知は、あるのでもなければ、ないのでもない --

●さいきん授業が分からなくてさ。担任も大嫌いだし。学校なんかもう行きたくないや。でも、そこへいくとあの塾の先生、いつもむさくるしい格好してて近所の評判もよくないみたいだけど(へんな宗教にでも入ってんのかな?)、話きいてるとなんか引き込まれるんだよなあ、なんでだろ(ただしボクの成績はやっぱり上がらない)。・・・・といった場合において、アカデミズムとかいうのが学校だとしたら、小室直樹は塾の先生に当たるのだろう。で、その塾に来てたのが橋爪大三郎に宮台真司(?)だと。●その小室直樹の『数学嫌いな人のための数学』(東洋経済新報社)。小室先生は「なにより数学を勉強しろ」と言う。それはたんに数学という分野も毛嫌いせず勉強してみると面白いよというようなことではない。あらゆる物事は数学が基礎になっているから、数学さえ理解すれば世界のあらゆる仕組みが理解できるという強い信念だ。神の存在も新大陸発見も資本主義も、数学のとりわけ形式論理学と大いに関係する。だからこの本は、創世記とか百科事典に類する書物だととらえた方がいいだろう。●小室先生には、そうしたこの世のすべてを記述してしまいたい説明しつくしてしまいたいという執念の炎が燃えている。さらには、先日の日誌で、『忘れられた日本人』(宮本常一)に出てきた集落の寄り合いの議論が、知っていることをとにかく並べていく方法だったといういうことを書いたが、『数学嫌いのための数学』の知識開陳の仕方にもちょっとそういうところがある。そこがまた、はぐれ系の生徒には哀愁さえ含んだ共感を誘ったりするのか。●ともあれ、青年諸君、中年諸君、そもそも世界のまるごと把握という破天荒な望みを持たずして、どうして本読みや勉強などできようぞ!・・・・とはいえ、この本、そうした意気込みは崇高だが、それにふさわしい時間をかけて書いたとは到底思えず、あまりに薄くあまりに中途半端ではある。世界まるごと把握本を目指すなら、なお10倍の厚さと30倍の執筆期間が要るだろう。それでも小室先生には、先生ならではの度肝を抜く構成法で『ゲーデル・エッシャー・バッハ』に匹敵する大著をいつか実現していただきたい。●ところで小室直樹先生が、そこから外れているとよく言われるアカデミズムって何なんでしょうね。たとえば官立研究教育機関の幹部として税金による給料を食みつつ、ときどき雑誌「現代思想」なんかでナショナリズムとかについてあれこれ喋ったり書いたりすると、それに伴って言論の格付け権威付けも自動的に上がっていくような人々のサークルのことを言うのでしょうか。そうではアルマイトの弁当箱。●いや「現代思想」はむしろジャーナリズムというべきか。


2001.12.2 -- まぐろ納豆、蓮根のきんぴら、塩らっきょう --

●早いもので2001年ベスト××の時季になった。重大ニュースならば当然アメリカの旅客機テロに始まった激動が第1位に決まっている。しかもこの情勢とのかかわりを意識せずに語れる出来事など世界には存在していないので、今年はもう2位以下は無しでよかろう。そう思っていた。ところが、戦争やグロスタとはまったく縁のない重大な出来事がもう一つだけ起こってしまった。それは、川上弘美センセイの鞄』(平凡社)。●このくらいの大きさのこのくらいの柔かさの愛すべき書物。21世紀にもなって。


2001.12.1 -- 天皇陛下万歳 --

●本日、内親王殿下の御誕生を迎え、国民の皆様と共に心からお祝いを申し上げます。皇太子同妃両殿下のお心持ちは申すに及ばず、天皇皇后両陛下のお喜びはいかばかりかと拝察いたします。内親王殿下の御誕生は皇室の一層の御繁栄を象徴するものであり、このおめでたい日を迎えたことは、国民のあげて喜びとするところであります。ここに、謹んで内親王殿下のお健やかな御成長と、皇室の一層の御隆運を衷心よりお祈り申し上げます


2001.11.30 -- されどそれは偶像なり --

●週刊朝日「退屈な読書」(高橋源一郎)。日本国憲法の原文を池澤夏樹が自らの言葉遣いで和訳したところ、こりゃまたビックリ、分かりやすさがぐんと増したばかりか、不戦という理念の本当の気高さ切実さまでが胸にしみわたり、もしやこれ見知らぬ国の新しい憲法なんじゃないの、とそういうふうに高橋源一郎が書いていたかどうかは例によって立ち読みなので定かではない。●収穫だったのは、エクリチュールという、高橋源一郎が奥泉光との対談(群像2月号)でもさかんに口にしたキイワードが何を指していたのかが、これで一目瞭然になったかもしれない点だ。●抽象的にしか分からない用語はいくら抽象的に論じてもらっても、ますますボンヤリするばかりということが、現代思想とかの分野にかぎらず、ある。音楽をジャケットとレビューだけで感じとろうとしてもそれは無理。大昔のコンピュータしか知らない人がアイコン?それって一体?とあれこれ想像する。それでもよくわからない不良債権とか。いっぺん潰れそうな土建会社でリストラでもされてみろってんだ。オマル氏とか。『エル・スール』における南とか。具体物を拒絶し抽象世界だけに遊ぶというのも苦楽しいかもしれないが。カルスタ。ポスコロ。トラクリ。ツチノコ。


2001.11.28 -- 東京散歩日記 --

『エル・スール』について、さらに。


2001.11.25 -- この映画体験を忘れぬよう書き留める。が、また忘れる。 --

●『エル・スール』があまりに良かったせいで、思わず『ミツバチのささやき』(同ビクトル・エリセ監督)のビデオも借りてしまった。

●ショットの連なり、表情やしぐさ、物と音ですべてを語るとかいう話を下に書いたが、『ミツバチのささやき』はその傾向がさらに著しいと思った。この映画を見るのは一生の行事だという人がいる(リンク)が、まったく同感。感想もまた生涯にわたって書こう。

●ところで『エル・スール』は下高井戸シネマでナイトショウをしていたのだ。都心からみれば辺鄙な場所だが、私としては歩いても行けるという幸福の映画館。以前ヴェンダース特集やカウリスマキ特集もここで見た。やはり、告知を見つけて映画館に入るという興奮には捨てがたいものがある。とりわけエリセのこの二作はそういう興奮とは切り離せない。最近この二作、DVDにカップリングされて発売されたらしいが。

●その意味が分からなくて困るのに、分かると言う人にかぎって何故かはっきりとは教えてくれないという変な映画もあって、それがかえって高い評価を得たりする。『ミツバチのささやき』もまた、たしかにうまく問いきれない答えきれない映画だとは思う。しかし『ミツバチのささやき』はそれだから偉大なのでは断じてない。そのような問いなど問わなくても全く平気でいられる映画体験だからこそ、偉大なのだ。意味につまずいて我に返ってもいいのだけれど、実際はその隙も暇もなく、初めから終わりまで運ばれていってしまう。頭の中には「ああ始まったな」という言葉と「ああ終わったか」という言葉が出るくらいだ。

●しかし、だからといって(反対のことを言うみたいだが、そうではない)、スペイン内戦などの知識も合わせて解読することはまた至福である。そういう場合、こうした素直で親切なガイド(リンク)はとても役に立つ。『ミツバチのささやき』をいっそう豊かな思い出にしてくれる。

●もちろんビクトル・エリセは蓮實重彦がこれまで何度も何度も称賛してきた。『ミツバチのささやき』も『エル・スール』も、この人の音頭取りがあって日本で上映され鑑賞され感想されてきた映画だったのではないか。●その蓮實重彦の書いたものは今なお繰り返し目にするし読んでもみたい。映画レビューとは、見る前の参考という便宜ではなく、見た後の反芻という無駄のために存在しているのだ。●手元に著書を開き、作品名や監督名を索引でさがし、ページをたどり、彼の絶賛(ときには罵倒)をまた読む。しかしながら、そうこうしているうちに、これは映画を見た後だから共感できるのか、それともその映画を見る前から蓮實文言によって刷り込まれていた共感なのか、実は定かではなくなっている。まるで『メメント』だ。「こいつの言うことは信じるな」と入れ墨でもしておこうか。


2001.11.24 -- 東京映画日記 --

●映画館。ビクトル・エリセエル・スール』。久々鑑賞。●冒頭暗やみ。文字のみ。無声。ふと右上。青い光ぼんやり。朝の窓。物音と呼び声。目覚めるもの。●荒野。地下水の在りか探す父。振り子。ぴたり寄り添う娘。父の掌。コインを渡す。信頼と情愛。●夜のカフェ。窓際の席。手紙書く父。外に娘。そっとたたく窓。ガラス越し。見つめあう父娘。●家の中。重苦しさ。寝台の下。隠れる娘。天井から音。上階の自室に父。ただ杖を付く。沈黙によって悲しみを示す娘に、父は、同じく沈黙することによって、それより深い悲しみがあることを示したのだ(記憶不鮮明)というナレーション。●家。風見鳥。ブランコ。外の一本道。バイク。自転車。池のほとり。銃。●南へ。娘の旅立ち。鞄。日記。電話の領収書。振り子。●蓮實重彦映画に目が眩んで』(中央公論社)。分厚い。有名。1983年から91年。映画についてのあれやこれや。書きまくり。「ブルータス」から「マリ・クレール」へロード。ゴダール、シュミット、ヴェンダース、ホウ・シャオシェン、ジャームッシュ、アンゲロプロス。映画の代表。蓮實先生引率。行列後方私。カバー表、荒野地下水父娘スチール。カバー裏これまた風見鳥。●さいきん日記が長いので、説明を極力廃したつもり。『エル・スール』もまた、すべてはショットの連なりに込められている。表情としぐさ、物と音、それだけがあらゆることを語る。そういうことができたらもう本当に死んでもいいくらいだろう。

●さてさて、カブールではタリバンの崩壊でやっと映画が上映できるようになったという。なんとなく、エリセの第一作『ミツバチのささやき』を思い出す。トラックが上映道具一式を積んで村の公民館にやってくる冒頭シーン。この話はまたあした。


2001.11.22 -- 東京読書日記 --

●先日、散歩に下北沢まで出向いたところが、あまりに良い天気で、このまま帰るには惜しいような気になった。駅の切符売り場で路線図を見上げて思案する。近ごろ早寝早起きなので、まだ正午前だ。どこか行ってみるか。最近降りたことのある駅では新鮮味がない。かといって全然知らない所もやや落ち着かない感じがする。下北沢から乗車できるのは小田急線と井の頭線。そのあと乗り換えれば京王線、山手線に地下鉄千代田線、さらには南武線などに通じる。しかし、乗り換えは一度ならいいが、二度三度となるとちょっと面倒だ。だからそういう行き先はついつい選択肢から外れる。また、行くときはのんびりでもいいが、帰りはすぐ帰りたいから、あまり遠い所だとちょっと困る。だいたいどうして電車は決まった駅まで行かないと乗り換えできないのか。一駅ずつしか進まないことも難点だ。そんな当たり前のことを嘆いている。●この電車移動に比べれば、読む本を取り換えるのはとても楽だ。本棚をにらんでこの一冊からあの一冊へとワープできる。決まったルートを経由したり乗り換えのために迂回したりする必要はない。●そんなわけでこの時、私のポケットには前日までの『カフカ短編集』から乗り換えた『サラサーテの盤』(内田百間・福武文庫・「間」の字は「門がまえに月」が正しい)が入っていた。どれを読んでもいい場合に本棚から本を選ぶのはけっこう迷うものだが、この日の下北沢駅でもさんざん迷ったあげく、なんのことはない、小田急線でそのまま新宿に出てそこから大久保あたりまで歩こうという結論で、自分で自分にやっと合意した。そうして、電車の中と新宿から大久保までの道すがら、表題作の「サラサーテの盤」や「東京日記」を、一駅ずつ進むようにして読んだ。●日常のありふれた風景や出来事を描写していくうちに、律義だったはずの現実生活が、ふいにある一点で捩れ、裂け、そこから夢の現実が、時にさっと、時にじわじわ侵入してくる。そんな不思議なエピソードが、細切れにいくつもいくつも語られる。真面目で正常な相貌をして語られる。●カフカから百間への移動はさほど遠く離れたものではないのかもしれない。カフカ短編集を訳した池内紀も、カフカの「オドラデク」を思わせる一場面が「東京日記」の中に出てくることを解説で指摘している。●精神分裂病とは刺激に対するニューロンの過剰反応であるといった説をどこかで聞いたことがあり、この病気は今新しい呼び名が検討されているらしいが、ふと「百間症候群」というのはどうだろうなどと思いつく。もちろん百間がこの病気だったというわけではない。●もうなんの記録かわからなくなっているが、だいぶ前にさっと読んでそれきりだった、たとえば「サラサーテの盤」や「東京日記」をひもとくというのは、しばらく訪ねることがなかった馴染みの駅に降り立ち、通りを半ば懐かしく半ば新鮮な気分で歩くのに似ていた。●とはいえ、断っておくが、大久保は「東京日記」の風情とは似ても似つかぬ町である。昼飯をどこで食べようか、またもずいぶん迷ってうろうろした。メインの通りにマレーシア料理店があり、これまただいぶ前に一度だけ来たことがあるのだが、この日は「ランチ680円食べ放題」の表示があるのを見つけたので、よしこれだ!とようやく確信して中に入った。●1時を過ぎて客はもう多くない。山盛りのおかずとごはんを箸で豪快に食べる中国系らしき二人組がいる。別の二人組は顔つきや話し声から東南アジアの人だと思われ、予想通りスプーンとフォークを使って食べ始めた。とにかく種類が多くどれもうまくて、腹がはち切れんばかりになった。その日は夜になってもほとんど腹が空かなかった。なおこのマレーシア料理店の名前は「マハティール」という。外国にある日本料理の店が「吉田茂」とか「小泉」だったりしたらどうしようか。●用もなく乗り物で何処かへ行ってみようなどという、モダンなのかもっとずっとポストモダンなのかわからない行為が、内田百間の「阿房列車」シリーズと関係が深いことは、その筋には有名だろう。グレゴリ青山の漫画『旅で会いましょう』(メディアファクトリー)は、百間にあやかって「特別阿房列車」の一節《用事がなければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪に行つて来やうと思ふ。》を掲げたあと、百間に扮したらしき作者の絵と「なんにも用事がないけれど、船に乗ってウラジオストックに行って来やうと思ふ」で始まる旅行記だ。グレゴリ青山は、バックパッカー向けの雑誌「旅行人」に連載している作家。「特別阿房列車」か『旅で会いましょう』か、どちらかを気に入った人なら、もう一方も超が付くほどお勧めだと思う。●ちなみに、『新潮日本文学アルバム・内田百間』には、「阿房列車」シリーズの先駆けとおぼしき「列車食堂」(昭和25年)という文章の生原稿写真が載っていた。その原稿、まるで壮年期の百間のヘの字口と立ち姿を偲ばせるようなひょろひょろ文字で、こう始まっている。《ついこなひだ、所用があつて、と云ひたい所だが、用事はなかつかけれど、大阪へ行つて来た。用事のない者は汽車に乗せないとは云はない様だから、忙しい人にまぎれて、澄まして乗つて行つた。》●まあこのへんで。


2001.11.18 -- カフカ、解読、可不可? --

●『カフカ短篇集』(岩波文庫・池内紀編訳)から、「掟の門」「判決」「田舎医者」「流刑地にて」「父の気がかり」などを読む。カフカの作品は草稿などを死後に公開したものが多いというから、なあんだ展開の説明不足と結末の消化不良はそのせいか、そうかそうか、と安心してはいけない。今あげた短編はどれも生前、雑誌などに掲載されている。「流刑地にて」は単行本とか。それを聞くと、カフカの短編がいっそうへんなものに思えてくる。まるでオドラデクだ。オドラデクとは「父の気がかり」で出てくる不思議な生き物。

●「安部公房はカフカに似ている」とよく指摘される。では、カフカより先に安部公房を読んでいた私は、「カフカは安部公房に似ている」と言うべきなのか。そもそも、なにかの印象を「○○に似ている」と形容できるのは、まったく形容できないよりマシなのだろうか。しかし、「小説aは小説bに似ているみたいだ」は「だったら小説aはもう読まなくていいや」ともなりがち・・・。●ともあれ、私が安部公房を読んだ時は、少なくとも「カフカに似ている」という形容は抜きにして、どんどんのめり込んでいたはずだ。逆にカフカを先に読んでいたなら、いったいどんな印象だったろう。あるいはもし、生まれて初めて読んだ小説がカフカでしたなんていう人がいたら、小説というもの自体の位置づけが、ずいぶんおかしなことになっているのではないか。

●『小説修業』(小島信夫・保坂和志、朝日新聞社)の中で、保坂和志は以下のように書いている。●《「フィクションと現実を並べたとき、ふつうフィクションが現実の模倣になっているから「リアリティがある」と感じる(現実>フィクション)のですが、カフカの場合は、現実を前にして「カフカみたいだ」と感じるようになっているのです(カフカ>現実)。リアリティというのは、度合いの弱いものから強いものを思い起こすようになっていて、その逆ということはありません。カフカは通常の、現実>フィクションというリアリティの軽重から逸脱して、現実よりもリアリティの度合いが強いのだと思うのです(カフカ>現実>フィクション)。つまり、「カフカの書いていることが何を意味しているのか」と考えることがそもそも無駄なわけです。》●カフカのリアリティは何より強いので、「カフカは○○に似ている」という形容はできないという理屈か。なるほど!と納得したくなる一方、保坂和志のこの文章は、カフカの説明として印象深いということ以上に、カフカのリアリティとは別個にこの文章自体が持つ強いリアリティのせいで印象深いのではないか、という気もしている。だいいち『小説修業』全体がそういう感じだ。そんなことを言い出すと、印象深い小説はどれもそうだから、ちょっと困ってしまうけれど。


2001.11.15 -- うわこれまた長いな --

宮本常一という人物を知りあいから教えてもらった。かつて民俗調査に日本中を行脚したという。漫然と『忘れられた日本人』(岩波文庫)という著書を手にしてみた。すると、収録されている文章に「土佐源氏」というのがある。おやこれは。いつだったか、この題名の独り芝居を見た憶えがあるのだ。うっすら親しみがわいたところで、その「土佐源氏」を読んでみる。四国の山奥で牛の斡旋業というやくざな商売をしてきた流れ者のなれの果てである乞食盲目老人が、男盛りだった時分の忘れえぬ純愛不倫秘話を大真面目に語っていく。それを宮本常一が聞き書きしたものが「土佐源氏」というわけだ。間違いない、あの芝居と同じだ。あの時は役者がこの爺さんの生き写しのようになって延々エロ話を繰り広げたのだった。改めて知った「土佐源氏」は、極めて隠微でしみじみした話だ。おまけに、あれから思い出すことなど一度もなかったあの爺さんに思いがけず再会した形かと思うと、よけいしみじみしてしまうのだった。●それにしても、あの語りはフィクションじゃなかったわけだ。もっともあまりによく出来た筋書きなので、宮本常一自身も創作なのではと疑われたらしい。それに対しては聞き取りのノートを掲げて憤慨したらしいが。 ともあれ、「土佐源氏」は宮本常一としてはいくらか異色の著作ではあるのかもしれない。

●そんなこんなで、今度は冒頭の「対馬にて」を読んでみる。そしたらこれがすごく面白い。昭和25年の話らしい。対馬の北西部に点々と連なる村々を訪ねて古老の話を聞き歩いていた宮本常一は、ある集落で大勢の人々が朝から村の社に集まっているのを見かけた。そこから話が始まる。それは各家の代表が集まる寄り合いだった。ところがその寄り合いは、その夜もさらには次の日になっても終わらない。板の間や樹の下に別れて座った出席者たちによって、様々な議題が、同時並行および集散離合しつつとことん話し合われるらしい。最初宮本常一はその寄り合いに特に興味を示していなかった。ところが、村に保管されている文書を見せてもらいたいと願い出たところ、その文書を提供してよいものかどうかが、それならばと寄り合いの議題に取り上げられることになる。●この、図らずも遭遇したなにかに自ずと巻き込まれていくという展開、私はどうしても後藤明生の小説を思い出さずにはいられなかった。『吉野太夫』や『首塚の上のアドバルーン』のように、埋もれた歴史を気の赴くまま掘り起こしていくモチーフで語られる点も共通するし、身辺で起こる瑣末な出来事をそのまま描写していったかような形式も似ている。しかし、それ以上に唖然としてしまったのは、やはりこの寄り合いの様相だ。●どうも秩序だった進行計画はないようで、空腹になったり眠くなったりした者はそれぞれ勝手に家に帰り、また戻ってきて話に加わるのだという。集落には区長や総代と呼ばれる人がいて、寄り合いでも調整の役は果たすが、とくに強権を発動するわけではない。かといって多数決などの合理的で明快な手順で決議がなされる風もない。それでハタと気が付いた。「君主制とも共和制ともつかない」というこの奇妙な性格は、なんだか後藤明生の小説制度をうまく形容してはいないか、と。さらに圧巻。寄り合いで交わされる議論というのが、なんと「話といっても理屈をいうのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。話に花が咲くとはこういう事なのであろう」というくだり。これぞまさしく後藤明生なんじゃないか!

●『忘れられた日本人』の解説は網野善彦が書いている。その中で、「無字社会」という言葉が、伝承による民俗、口述による民俗学のキイワードみたいにして出てくる。「無字」とはしかし、ただちに文盲とかいうことを意味するのではない。この世界の文字化されない部分(それは文字化された部分より膨大なんだろう)だと思ったほうがいい。●さてさて、ウェブは当然ながら有字社会だ。しかし何度か述べてきた自説をまたここで繰り返すと、作家や学者でない一般人にとって、明治の言文一致や国語教育は、「読み書き」のうちの「読み」の平準化にすぎず、「内面」を「書く」という行為が一般人においてようやく夜明けを迎えるのは、実に199×年、ネット上に日記・掲示板・メールの三種の神器が普及するのに伴ってのことである。つまりそこでは、ITとか情報化とかe-なんとかといったものの趨勢にまみれながら、これまで日の目を見ることがなかった凡々たる日常の民俗っぽい部分が、一気に文字化されてネット上に散らかっていったと考えてもよいのだ。●では、そうした今どきの「民俗」が記述されたサイトとは、具体的にどんなものなんだろう。もちろんそれは、宮本常一のごとく日本中あるいは世界中のウェブを渡り歩いて収集していくべきものだろう。あるいはまた「あらゆるサイトは民俗誌である」という学説もあろう。それはそれとして、私的に気になるものを思いつく範囲で挙げるなら、たとえばこんなサイトとか? あるいは大塚日記がだいぶ前にリンクしていたこのサイトとか?  あるいは、民俗などということから一見ほど遠いと思われる「ほぼ日刊イトイ新聞」から、この企画とか? いやまあどれも普通のサイトなんですけどね。 


2001.11.13 -- ニューヨークは12日午前 --

●アメリカ旅客機墜落ニュース目撃中。

●今さらながら、中原昌也の覚え書き。


2001.11.9 -- あ!ダ・カーポで南伸坊に顔真似されてる人だ --

●どういうつもりか知らないが、いろいろ考えさせるサイトなので、リンク。●つまり私は、ニューヨークの旅客機テロも、カブールの空爆も、(1)よそごとですか?(2)あなたのことですか?と、世論調査でどっちか選べと言われたら、(1)を選びそうなのだ。●では、自衛隊がインド洋に向けて佐世保から出て行くことはどうか。同じく「そんなの知るか、勝手にやってくれ、オレには何の関係もない」だろうか。心のどこかで、こればっかりはちょっとだけ他人事じゃないと感じていたりはしないか。だとしたら、それは何故か。他人事じゃないと思いたい?他人事じゃないと思うべき?---だとしてもそれは何故なのか。ニュースでがんがんやってるからか。日本国の行為に責任を感じるからか。将来の徴兵という不自由を憂えてか。それらもあろう。しかし、自衛隊派遣が、他人事と思えるにせよ、自分事と思えるにせよ、その思いはなによりも、私が列島社会に生まれて暮らしているという事実あるいは観念と切り離せないだろう。●ここから話は飛ぶのだが。私が「日本人」と呼ばれている場合と、「在日」と呼ばれている場合とで、この自衛隊派遣のような出来事の、他人事さかげんや、自分事さかげんに、差は出るだろうか。差が出てほしい?。差が出るべき?。●私にはこう見える。日本人であれ、在日であれ、福井県民であれ、東京都民であれ、そのありようや度合いに、実は大した差はない。そして、そういう差のなさにこそ、日本人と在日が共通に立っている実際的な土台を見つめるべきだと思う。自衛隊派遣を他人事と思えというのでも、自分事と思えというのでもない。そんなのはどっちでもいい。個人の勝手だ。ただ、どっちに思ってるにしても、それは、ことさら日本人としてでもなければ、在日としてでもない。あえていうなら、それの大半の部分は、同じ列島社会に同じ戦後を生きて暮らしてきた者としてであるのだ。それは国家とか民族ということとイコールのようでイコールではない。だから、感じ方に差が出なくなってきていたって当たり前だ。そういうことに気付くことがとても大事なのではないか。●それとつながる話にしたい。天動説としての「在日・帰化」論?=その2=


2001.11.5 -- 横トリと略してよし --

●芸術の秋。見たかったいくつもの美術展が全部終わってしまう前に、一つくらいはと重い腰をあげた。横浜トリエンナーレ2001。そういう適当な気持ちで出かけたのに、インパクトは実に大きかった。感想がこうも長くなるとも、予想しなかった。


2001.10.31 -- 批評空間というアメリカ --

●イチローを新庄と一緒にするな!と柄谷行人が怒っている。批評空間のウェブサイト(リンク)。理由は簡単で、アメリカが認めたイチローは、日本の話題にすぎない新庄とは別格なのだ、と。「かくも歴然とレベルの異なるものを一緒にしてしまう。それどころか、下らないもののほうを面白がることがまるで価値転倒であるかのように思い込む。それが日本の言説空間だ」と手厳しい。「長嶋(天皇制)」と書いてみたり。●テレビでイチローが称賛されても他人事のようで、でも新庄の振り逃げにはくだらない親しみを覚えた私など、まさにことしこの日本的大リーグ劇空間にいたのか・・・・。要反省?●なんでもかんでもアメリカ、アメリカ。口を開けばグロスタ(グローバル・スタンダード)。飲みに行くなら六本木。そういう人っている。柄谷行人はそういう能天気ではないということに、私のなかではなっているので、それはそれとして。●問題は、論理ではなく感情だ。柄谷行人さんは、イチローさんがおとしめられると、どうも嬉しくないらしい。私はやっぱり逆で、まるごと日本社会っぽい新庄さんや長嶋さんが、たとえば今回の批判のようにおとしめられると、なんとなく嬉しくなかったりする。こういうのはどうしてなのか?。それはナショナリズムとは違うんだと最近は思い直すようにしているが。論理の溝より感情の溝は、実はもっとやっかいなんじゃないか。などなどいろいろ考える。●それにしてもウェブにおいて今、柄谷行人という人が、いささか軽いこんなネタでも、感情も論理も全開でがんがん書いてくれるというのは、嬉しい。NAMのサイトでもエッセイを書いているし。その例(リンク)。

●と思ったら、なんと偽日記の古谷利裕さんが、大リーグ、じゃなくて批評空間のWeb CRITIQUEに進出しているではないか


2001.10.28 -- それでも参政権は回っている? --

●在日に欠けているのは参政権ではなく国籍である。こう主張する『在日韓国人の終焉』(鄭大均・文春新書)という本を以前に読んだ。それをめぐって内田樹氏がいろいろ書いていて、とても刺激的だった。私の思いを、天動説としての「在日・帰化」論?としてまとめてみました。逆説です。


2001.10.27 -- 散歩日和 --

●よく利用する下北沢のコーヒー豆店。これまでは月替わりで安く提供してくれるストレートコーヒーをもっぱら買っていた。エメラルドマウンテンとかクリスタルマウンテンと呼ばれる豆がうまかった。ブルーマウンテンと同じ種同じ質の豆だが、ジャマイカ以外の中南米の産地では別の名で呼ばれ、まるきり安く取引される。けっこう知られた話かな。●ともあれ、かなりの種類のストレートをすでに試してきたので、先日から方向を変えてブレンド豆を買うことにしている。で、おとといそのブレンド(甘め)を頼んだら、ちょうど切れていたらしく、コロンビア4・グアテマラ3・ブラジル3の割合で混ぜるところを見ることができた。ブレンド(甘め)うまい。ブレンド(苦め)もうまい。区別はちゃんと付く。袋に書いてある。●4・3・3と混ぜるのを見ていたら、ホントにどうでもいいことだが、むかし仕事がらみで知った「三五八漬け」とかいうのをふと思い出してしまった。そう漬物だ。たしかえ〜と、塩が3、麹が5で、あと肉骨紛を8の割合で入れるのだったか・・・。蘊蓄3・冗談5・顰蹙8。


2001.10.26 -- では、もらったメールとおくったメール、かけがえのなさは、どちらが大きいだろう? --

マックが突然おかしくなった。23日夜のこと。起動しようすると、画面に「?」マークのアイコン。おかしい。外部から立ち上げたが、ハードディスクはやはり認識されない。まさかクラッシュか。おそろしい。未曾有の、という言い方は今はやっぱりしないでおくが、それでも6年余に及ぶわがパソコン生活でこのような目にあったのは初めてなのだ。マック付属の修復ソフトでもだめ。おなじみノートンユティリティでもだめ。翌朝アップルに電話したところ「そういう場合は初期化をお勧めします」との返答。初期化って、あなた・・・・・。万事休すか。●私の場合、バックアップをとるのは、気が向いた時だけだった。そのMOを必死になって読み出してみる。最最更新は、12日か・・・・。まだラッキーかもしれない。しかし、実はこの10日間ほどは、珍しくもパソコンで仕事に頑張った時期だったのだ。とりわけ23日には文書をひとつ一日がかりでまとめたばかり。これは痛い。いや仕事ばかりではない。だいたい、日々いろいろなことをああでもないこうでもないと頭に浮かべながら暮らしているわけだが、パソコンがあまりに身近になった昨今では、その泡のような思いの大半はハードディスクにしまいこんであると言って過言ではない。ああそのハードディスクが・・・。泡のようだったものが、むなしくも再び泡と消え・・・・。バックアップMOで、ファイルたちの日付に12日より先がないのを目にした時は、まるで記憶を無くしたかのような奇妙さを味わった。いや私の人生そのものが11日分だけチャラになったのと同じだ。その間にたとえばメールで飲み会の連絡などもしたのだが、それも残っていないわけで、もうこれは飲み会を待っていた日へのタイムスリップである。ひょっとしてまた飲み会の日がきたりして・・・・。●そのうちに、ノートンのツールとしては縁がなかったディスクエディターというやつを使うと、認識できないハードディスクも、中の生データだけは覗けることがわかった。その生データから類推するに、ファイル自体はどうやら壊れていないらしい。ほっと胸をなでおろす。しかし、だからといってアクセスはやっぱりできないのである。頑丈な倉庫に大事な本を全部まとめて入れておいたところが、扉の鍵が壊れてしまい、本があるのはわかっているのに中にどうしても入れないといった感じか。もどかしい。●最終的にどうなったかというと。UltraFindという検索ソフトが役立つのでは?と思いついた(シャーロックなどよりずっと使えると山根一眞氏も推奨していたシェアウェア)。これを使って12日以降に作成・修正したファイルを検索すると、その一覧が現れ、しかもありがたいことに、このソフトの機能によってそれぞれのファイルを無理やり開くことができ、そのまま一個ずつ保存することもできたのだった。絶対失いたくないファイルは、どれもテキストデータだったので、この要領ですべて回収できた。そうしてハードディスクは初期化へ。さようなら。

●私の体がこうあって、私の心がこうあって、世界がこのように見え、世界をこのように思い、そのようにして日々と歴史が積み重なっていく。我々はまあだいたいそのような認知形式で現実を把握している。しかしこれは猫やコウモリとはたぶん違うし、アイボや炭疽菌ともかなり違うだろうから、この認知形式はけっして普遍ではなく、進化とともに一時的に出現した特殊なカンカクにすぎないと言われる。つまり、我々の現実感なんて、いかようにも変転できるはずというわけだ。一方まったく逆に、人間は大昔から本性はちっとも変わってないじゃないか、どこへ行っても皆おなじことしか考えないし、やらないよ、色恋ざたも戦争も耐えたことがないとも言う。人間のカンカクというものは、にわかに変転などしないというわけだ。●パソコンのファイルとともに私の記憶と私の11日間が失われれ、パソコンのファイルとともに私の記憶と11日間も回復されたかのように感じた今回は、その変転してしまうことの恐怖や、やっぱり変転できやしないことの諦観や、あれやこれやを模擬体験したかもしれないですね。

●ともあれ(危機管理もちゃんとしていないのに)、また生き延びたな。って「七人の侍」のセリフみたいだ。「しちさむ」と略すらしいけど(リンク)


2001.10.25 -- きみは映画と自分の人生ならどっちをよりシニカルに眺めるほうかね? --

●このところ映画といえばテレビだ。NHKのBS。それも名作ばかり。一昨夜は「男と女」。クロード・ルルーシュ。フランシス・レイ。フランスにはまりぬく。少し前には「街の灯」をやっていた。チャップリン、おもしろいとわかっているのに、おもしろい。最後は泣くとわかっていて泣いてしまうし。「アパートの鍵貸します」もだいぶ前に見た。ジャック・レモンと若かりしシャーリー・マクレーン。これも泣く。あの役をもし西田敏行がやったらなどとは考えないほうがいいのはなぜだろう。同じころ「ショーシャンクの空に」をついまた見てしまった。刑務所のグラウンドに鳴り響いたモーツァルトのオペラがあまりに美しい。選曲のわけをネットで調べてなるほどとうなずく。それから黒沢明。何回やれば気がすむんだというほど、よく特集してくれる。「用心棒」。どんどん人が死んでいく。「七人の侍」に「天国と地獄」。妙に虚無的。もっと日をさかのぼると「存在の耐えられない軽さ」があった。チェコの田舎でジュリエット・ビノシュがなぜか英語を喋る(アメリカ映画だから)。でもそれがかえって謎と未知の中欧を観光しているようなたどたどしい気分にさせるようで。あと「浮雲」。アキ・カウリスマキのこれはわりと近作。あの夫婦そろってのとぼけぶり。なんともいえない。あれがいいという人は、きっと、たとえば短歌を読み上げて鑑賞したり添削したりする教育テレビの風情もいいというだろうか。ヘルシンキの民間(?)職業安定所のヘボさかげんは、新宿職安の高層ビルの大にぎわいとは対照的。●題名を書いただけで、中身や感想を言わずとも、人に感動を与えてしまう日記。


2001.10.22 -- 疑惑も3年周期でやってくる --

免許更新お知らせハガキ届く。おやもうそんな時期か。免許証を取りだしてみると、たしかに「平成13年の誕生日まで有効」とある。傍らには3つ若い私の神妙な顔。平成10年の私には、平成13年の私など想像するよしもない。だいいち何歳になるか知ってるのか!という感じだったはずだが、年月とはこうもあっさり巡るのである。青年老いやすく中年さらに老いやすし。ところでついに私も優良ドライバーとかで、今度は5年間更新しなくていいという。しかし待て。そうなるとその次の更新は、ああ平成18年!・・・・まあ干支が巡ってくるよりマシか。●さていつも思うのは、毎度毎度ぞろぞろと料金を徴収されパシャパシャと写真を撮られ、うとうととビデオの時間をやりすごすしていると、新品免許が流れ作業で出来上がりというこの仕組み、あまりに無意味かつ無駄なんではないかということ。窓口のおばさんの人件費とか、窓口以外でお茶を飲んでる(推測)上司のおじさんの人件費とか。全員に配られてそのまま会場のゴミ箱行きとなる膨大な数のあのテキスト代とか。●おまけに、かの交通安全協会費というぼったくりがある。巧妙な流れ作業に隠蔽されて、あの支払いは任意なのだと気付かない小羊が、まだまだ多いに違いない。こちらの掲示板(リンク)でそのような話が盛り上がっていた。まあ、私もその昔は「なんだか知らないけど払わなきゃいけない金だろう」と思っていて、今は逆に「なんだか知らないけど払わなくてもいい金だろう」と思ってるだけのことだが。●今回は、もう少し敵を知ってから更新に望むとしよう。それには、「運転免許証の更新制度は憲法違反だ!」(リンク)という直球勝負のサイトでも熟読含味してみるのが一番だ。これの続きはこちら(リンク)にある。あるいは、警視庁役人の天下りリスト(リンク)などをしっかり眺め、さらに暇ならそこに「交通安全協会」がいくつ出てくるかなど数えてみるのも一興(ページめくりがうまくいかない場合は、リストは"Amakudari12.htm"まであるのでURLに直接打ち込むべし)。●なお東京都の場合は交通安全協会費の徴収が行われていないという説もあるのだが、はてどうだったろうか。事実は今度わかる。●このほか自動車安全運転センターってな組織もあるようで、きょうのアサヒ・コムに出ていた。


2001.10.18 -- 「テロは我々が教えたんだ」とアルトマン監督は言うが --

●雨降り、底冷え、二度寝。腹が重いのは昨晩のドカ食いのせいか。久しぶりの人たちと居酒屋で会い、長話をしたのだ。そういえば、相変わらず妙なことに詳しい人がいて、面白い話を聞かされた。●その人によれば、イスラムには本来「自爆」という発想はないというのだ。近年中東で繰り返されてきた聖戦でもそういう手段は一度も取られていない。となると、自爆テロの本家本元はやはり特攻隊ということになるが、では日本の神風精神が一体どうやってイスラムの戦士に伝わったのか。●わりと思いつくのは、テルアビブ空港乱射をはじめとする日本赤軍の闘争から学んだのではないかということ。でもあれはテロではあるが、はっきり自爆とも言えないか。●そこでもうひとつの接触が浮上する。昭和40年代、中東で石油が出るらしいぞと聞きつけて、日本から真っ先に乗り込んでいったのは、実は、右翼の人々だったというのだ。つまり彼らこそは特攻精神を正しく受け継いでおり、アラブ世界にもまたそれを伝えたという構図だ。●その時代、その人は東京にいたが、日雇いの手配師から「どうだ中東に行ってタンクローリー車で石油を運ばないか」という誘いが頻繁だったともいう。月給は当時の金でなんと50万円。アラブまでの飛行機代も向こう持ちというおいしい話。ただ、帰りの飛行機代は無いというのがなんか恐ろしいが。ちなみに、そうやって右翼が開拓したアラブの石油事業はやがては出光という資本に吸収されていったらしい。ともあれ中東には、そんな石油掘りにかかわる右翼系の日本コネクションが先に根を張っていた。日本赤軍はそうしたネットワークの上に浸透していった可能性もある。もちろん左右が逆だが、そういうことはよくある話で。●アルトマン監督の話はこちら(リンク)●<追記>立花隆が文芸春秋11月号で「自爆テロの研究」とかいうのを書いていたようで、そこでは、イスラム原理主義の自爆テロの源流は、やはりテルアビブの事件であると指摘している。あのとき銃を乱射した日本赤軍メンバー3人のうち、岡本公三をのぞく2人はすぐ自爆したのである。このほか特攻隊のことにも触れている。


2001.10.14 -- 変梃 --

●イチローきょうは2安打だったらしいが、炭疽菌の感染は5。あと空模様が気になる。週明けの東京に旅客機の降る確率は?平井さん。アフガニスタンは爆弾ときどき支援物資だが、米英軍機が西に大きく張り出したため、こんどはイラクに空爆注意報とか。まったくいつからこんなヘンテコな日常になったのだ。防毒マスクの売れゆきが好調というし。あ!筑紫キャスターの頭に白いものが・・・。●しかしまあヘンテコというならば、たとえば戦争前の日常にしたって、満員電車で真面目に通勤したり真面目に痴漢したりナイフで刺されたり、会社に行けばお辞儀したり訓示したりあっさり首切られたり。どれもあんまり普通の風景でもなかった気がする。チーズの本読んでみたり、尻出してみたり。アメリカ人だけ両替も通訳もいらないのはなぜだ。あいかわらず江畑謙介さんの髪形。sinθを微分するとcosθだとか、そのくせcosθを微分すると-sinθになるってのもどこかヘンじゃないか。いまさら2千円札とか。そもそも日銀とはすなわち印刷工場なのかとか。だいたいちょっと成長率とか業績とか収益とかが下がったりしたぐらいで、どうしてつられて株価が下がったり給料が下がったり課長の値打ちが下がったりするのだ。考えてみればおかしい。謀略だ。吉野家の牛丼が下がったのにつられて中卯の牛丼が下がったのは良しとしても。●ということで世界なんて常にドサクサなのだ。ジャララバードの鈴木宗男さん!とか。


2001.10.12 -- 総理!オスロ合意、知らへんの? --

●小泉さん。国会に続いて今日はニュース23にも登場だ。この人には心の底からムカつくことがどうしてもできないのは何故なんだろう。わからん。もしも今私に緊迫の国際政治を論じろというのなら、それはもう単純明快戦争反対で凌ぐしかないそれでいいや楽でいいやと内心決めていたところだから、この立場は政府の思惑とは完全に対立するみたいなのに・・・・・・。●小泉さんというのは、いわばミスターのようで、馬鹿であることは重々わかっているさと皆が自覚しているのに、それでも誰かがあからさまに「馬鹿」となじったりすると、なんだか逆にそう言った人の品性の方がふとさもしく見えてしまう、今やそんな途方もない位置にいるのではないだろうか。恐るべしニッポンのソーリ。●え?そんなことないですか。そうですか。いやいや、私にはもう何もかもよくわからないことばかりなのですよ。きっと頭がおかしいのですよ。私は。●テロ対策特別措置法案。国会の論戦やニュース23なんて学級会みたいなもので、そのあとの与党と民主党の交渉こそが職員会議なのだろうか。それにしてはテレビでの小泉さんの答弁はなんだか真面目にも見えた。どうですか、辻元清美議員を有事対策担当大臣として入閣させるなんていう離れ技は、小泉さん。


2001.10.9 -- 帰省映画 --

●たとえば広々とした田んぼとか大きな河を目にすることなど、ほっておけば何年もないままになってしまう、そんな環境に普段はいるのだと、郷里に戻るたびに気付かされる。二度の衝突事故を起こした京福という過疎私鉄電は、ニュースのとおり今も運行を停止したまま。したがって、福井駅から芦原という温泉地に向かうには、代替えのバスを使うことになる。かつて通学や通勤でなじんだルートだ。人口せいぜい20万人あまりの福井市はすぐに市街地が消え、田園が見渡すかぎり広がる。バスはそのオブジェと化した単線の線路を脇に眺めたり、誰もいない駅のいくつかをめぐりながら進む。踏み切りもなんどか渡るが、電車は来ないとわかっているのに停止して左右確認する。不思議な移動シーンだった。べつにそんな作品があったわけではないけれど、ふとヴェンダースの映画を見ている気分になる。あるいはウズベキスタンの地方都市ウルゲンチから観光地ヒバにタクシーで向かった時のような。ウルゲンチ?ヒバ?どこだそれ?と思うだろうが、東京の日常からはそれくらい隔絶された風景だったということだ。●温泉旅館のカラオケルームで親戚一同が歌い、これはこれでまたなんかそんな場面がなにかの映画になかったろうかとの思いに襲われる。翌日は、故郷を離れている叔父たちが生まれ育った集落を二十年ぶりくらいで訪ねる。これはもしや『リトアニアへの旅の追憶』ではないか。いくらか正装した初老の一団が車から降り立ち、壊れ残った建物の周りに実家の面影を探しながら静かに歩く。そうなるとどこかアンゲロプロス風か。そんなことを、同行しなかった私が勝手に空想している。●ほかにも種々のシーンが交錯する。田舎の屋敷の広い間取りとか、おまけに僧の控えの間なんていう部屋の存在を実地に知ったりとか。あるいは秋のイベントとして、鉛で出来た茶室空間が寺院の境内に美術作品として出現していたり。その寺院の本堂ではウクレレとバンドネオンの生演奏が始まったり。古い思い出と秘密を誰かがいつのまにか語り出していたり。●エスニックな、いやそれも通り越して極めて個別的で特殊な風景や心情のうちに、映画を見るという行為そしておそらく映画を作るという行為の、起源を探してみることは、それほど見当外れではないだろう。●そうこうしているうちに、戦争が始まってしまった。今は空き家になった住宅に一人泊まり、一台だけ残されていたテレビを未明に付けてみたところ、いきなり木村太郎と安藤優子がそのニュースを伝えてきた。翌朝、普通列車しか止まらない田舎のJR駅にバッグを持ってたどりつくと、辺りに食堂のひとつも存在しない代わりに、空爆を報じた号外新聞ががらんとした駅舎に置かれていた。さてこうしたシチュエーション、戦争の報が映画に挿入される方法としては、どのくらい効果的であろうか。あるいは旅客機の高層ビル激突というハリウッド風幕開けに比べてどうか。


2001.10.4 -- 鳥獣戯画 --

●やれ正義だそれ報復だの言葉にむしろ批判者自身が躍らされ米軍を西部劇野郎とばかりみなしてしまうキライは私にもあったかもしれなくて、アメリカ政府がそう単純であるはずはなかろうというある指摘を読んで、たしかにそうだなと思い直していたところに、けどやっぱ少なくとも日本の官邸はそうとう単純一郎さんなのかなと思わざるをえない「やれやれメール」が飛び込んできた。●メルマガ登録していない非国民の皆さまのために少し紹介すれば、まずこちらのページ(リンク)を見るべし。先の日米首脳会談で小泉氏がブッシュ氏よりプレゼント賜るの図。映画「真昼の決闘」のポスターだという。「コーゾーカイカク、グレイト!、ユーはゲーリー・クーパーね」と言われ、「オー、ノーノー、ユーこそテロに立ち上がるゲーリー・クーパーよ、あ、あげんすと」という会話だったらしい。●「真昼の決闘」のストーリーは当のメルマガが要約するところによれば・・・主人公は、保安官役のゲーリー・クーパーと相手役のグレース・ケリー。二人の結婚式の当日、自分が捕まえた悪漢たちが町に戻ってくる。クーパーは、保安官を辞めていたが、戦うことを決意する。町の人々は、尻込みして誰も手をかそうとしない。ケリーまで町をでていく。クーパーはひとりで悪漢に立ち向かう。「Do not forsake me, Oh my darling」で始まる主題歌。「いとしい人よ私を見捨てないでほしい」。銃声を聞いたグレース・ケリーは、列車を飛び降り、クーパーとともに難局に立ち向かう。悪漢を倒し二人で町を去っていくラストシーン。●保安官。悪漢。難局。銃声。オーマイダーリン! 主題歌はXジャパンか。ここに単純一郎氏は「テロリズムに対する毅然とした態度」と「自由と平和と民主主義を守ろうとする米国の精神」を見る。とか真顔で言うので「やれやれ度」また上昇。それでも「映画と違うのは、」と続き、ああよかったと思いきや、「映画と違うのは、孤独な戦いではないこと」なんだそうであります。そうして「テロリズムに対しては、各国が協力して、それぞれ主体的に立ち向かっていかなければならない。今週、テロ対策の新法をまとめて国会に提出する」と、ドキュン系というかバキュン系「らんおんは〜と」は結んでいる。●いやまあそんな御伽草子でもないだろう我が祖国。

●そういえばこのあいだコメント手書きの必要があって、「報復」と書くべきところなんか変だなと思いつつ「報服」と記していた。余の辞書に「報復」の文字なし。というか、ペンは鍵よりも馬鹿。


2001.10.2 -- あれよあれよ --

●リンク。吉野家ゴルゴ インターネット 大作戦の順で、両方みるべし。

●日本国憲法の「戦争しない義務」に、米国正義基本法の「戦争する権利」が激突炎上し、堅牢にそびえていた何かがもろくも崩れ落ちる様を、2001年の軍人と変人が目の当たりにしている。●いま「戦争しない義務」そして「戦争する権利」と書いた。国家や社会はそうした意識にいくぶん束縛されているという前提だ。しかしここで義務と権利を入れ替えて、「戦争しない権利」と「戦争する義務」が綱引きしていると見たほうが、凡人の私の心情は微妙に反映できる。憲法第9条も義務ではなく日本国のある権利を示しているのだ。●でもちょっと待て、じゃあ「戦争する義務」って何だよ、お前はそんなものを認めるのか、と自問。これはなかなか不可解な部分であって、どうもうまく考えられない。かといって小林よしのりに任せるのも心もとない。●そこでちょっと話を横にずらし、個人において「闘う義務」といった意識で現れてくるものについて考える。たとえばにわかに広がりを見せている反戦反米の闘争や、にわかではないインティファーダは、つまるところ「闘う義務」に基づいているのではないか、と。「いや俺にとって、この闘いは義務ではない、権利だ」という人ももちろんいるだろう。そうしてこんな言い換えばかりしているうちに、反戦反米という闘いを「闘う権利」もあれば「闘わない権利」も言葉の上では存在するんじゃないか、いや私の気持ちの上でも存在するかもしれないぞ、と思いはじめる。それどころか、「闘う義務」に抵抗する「闘わない義務」というヘンな奴が黙ってビラを巻き石を投げたりはしていないだろうか。いやそんな奴は「ズボラ」の言い換えか。だったらズボラであることの権利と義務?●もうこの辺でメシにする権利と義務。


これ以前

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