From Junky あるいは What's New

これ以後
1999年3月28日
■ホームページなんかを作って自分が動いたり考えたりしたことの多くを何年にもわたって書き残してきてしまうと、「本当の自分や本当の人生というものは、このとりとめない日々とは全然関係なくて、別のところにしっかり存在しているのだ」という調子のよい思い込みが打ち砕かれる。一目瞭然。自分はここ以外のどこにもいないし、これ以外の何もしていない。■まあしかし。桜も咲いて季節は巡る。また良いこともあるだろう。

1999年3月25日
■不審船騒動。こういうことがあると、待ってましたとばかりに演説かまびすしい。防衛不足論、はたまた防衛過剰論。どちらも鬼の首を取ったよう。その盛り上がりは新聞、テレビ、昼飯時を問わない。僕もまた鬼の首を取ったように言う。僕は戦争に行かない。鬼の首を取ったように調子のいいことを述べ立てるのは楽だが、戦争に巻き込まれるのは辛い。■爆弾を落とすこと、あるいは、爆弾を落とされること。主体的に選択または回避するとしたら、どちらが難しいだろう。ユーゴの人はどうか。NATOの人はどうか。不審船と不審政府軍にどうやら絶えず曝されているらしい日本列島の人はどうか。

1999年3月22日
■鱗雲渋谷の動く背景画。■寒さ寒さの3連休でしたね。食べて寝て食べて本を読んで寝て食べて寝て、食べて芝居見て食べてパフォーマンス見て食べて寝て、食べて寝て食べて本とCDを買いに行って食べて寝て本を読んでこれから寝る。休日だと寝るのは一日2〜3回。食べるのは休日でなくとも毎日3回。本やCDももう少し頑張れ。「死と生きる」「退屈な読書」etc。「other music from a northern place」etc。芝居なども月に1回くらいは。「DIG DAG」(electraOVERDRIVE)、「The ARK」(@ICC)。

1999年3月20日
■子供のやることは気にさわることもありますが、
笑って見すごしましょう。特に、赤いベレーの子供のやることは。
1999年3月18日
■「安室奈美恵さんはこの日午後六時半すぎ、日航機で那覇市の那覇空港に着いた。夫のSAM(サム)さんらに付き添われ、サングラスをかけて終始、うつむいていた。=中略=。安室さんらを乗せたワゴン車は午後八時すぎ、恵美子さんの遺体が安置されている名護署に到着。安室さんはSAMさんと一緒に約五分間、霊安室で遺体と対面した。同署によると、二人は遺体に頭を下げて静かに見つめていた。この後、副署長から事件の概要を聞いたという。同署には、安室さんらを取材しようと、テレビのワイドショーのリポーターや週刊誌記者ら約百人が集まった。」(朝日新聞朝刊)。■この記事から、ご苦労なことに、この朝日新聞の記者が何を報道しろと指示されて、どこに何を見にいったのか、どこで誰から話を聞いたのか、推察せよ。テレビのワイドショーのリポーターや週刊誌記者が集まったことをわざわざ読者に知らせることで、テレビのニュースショーのリポーターや新聞紙記者なら警察署内に同署の予算で維持される記者クラブすなわち机も電話もコネもあるであろうこと以外に、何を訴えたいのか、憶測せよ。

1999年3月16日
■終電。席に座り「猫はどこ?」という本で和む。路上観察で知られる林丈二さんの著。家に着き夕刊を開くと「地域猫」にまつわる疑惑。「野良猫はいじめられるより安楽死の方が幸せ」と考える団体があるらしい。

1999年3月14日
煮ても焼いても食えないものは揚げるしかない?仕事中毒。
1999年3月10日
■日の丸君が代法制化が良くないとしたら、それは日の丸君が代が国旗国歌として良くないのか。そもそも国旗国歌が良くないのか。国旗国歌の法制化が良くないのか。国旗国歌としてではなくても日の丸君が代は良くないのか。僕は、「国歌国旗に反対する」ということの意味が実はよく分からないのですが、少なくとも僕はあらゆる国旗国歌を心の半分で徹底的にバカにしています。もちろん東ティモールの国旗国歌もです。ぷぷっ。日の丸君が代特有の問題は大変重要だと思いますが、国旗国歌特有の問題も劣らず重要です。いや遠慮してはいけない、僕の関心の中で国旗国歌の問題は日の丸君が代の問題以上に大きいです。てなことで。

1999年3月6日
■こういう写真が見たかった。大辻清司という作家の回顧展「写真実験室」(東京国立近代美術館フィルムセンター)。どうしてこれを切り取りたかったのかがとてもよく分かるので説明など要らない、というか説明を聞かない方がよく分かるくらいの感じなのだけれど、それでも作家の話をやっぱりたくさん聞いてみたくなるような。良い写真とは、当たりまえの話だが、写し出された物や光景そのものに、言葉を全く抜きにして心を奪われてしまうのと同時に、不思議なことだが、そのたった一枚の世界からなぜか多くの言葉がこれでもかこれでもかと溢れ出てくる。しかも安い入場料=210円。展覧会の冊子が買えるゆとり。しかしこの展覧会、残念ながらきょうでおしまい。でも4月には東京造形大学でこの人中心の展覧会があるようです。■それなら
東京では「政治実験場」
1999年3月4日
■にっちもさっちもよっちもごっちもろくっちもななっちもはちっちもきゅうっちもじゅうっちも・・・■君が代に脳死判定。卒業式がまだ息をして歌声がまだリズムを刻んでいたとしても。

1999年2月28日
つまらないものよりは、くだらないものを。
1999年2月26日
こういう音楽が聴きたかった。
1999年2月21日
コソボ問答
1999年2月20日
■あちこち電話してひたすら頼み事ばかりで一週間が過ぎた。福井県**村役場にも用があり、担当の人が出たら福井弁。ふるさとのなまりなつかし。方言の意味はその方言の使用にあるんやでの。方言辞典なら方言で解説せよ。言葉とは何か。眉間に皺の寄った難しげな思索の脇を、方言というさらに複雑微妙な存在が、するするひょいひょい飛び交う、**村役場。じゃ方言音楽っていったら、やっぱりETHNICな音楽のことか。■
我々はすでに大きく蝕まれているのかもしれない。
1999年2月17日
■ああこれはもういくらなんでもだめだ。そう思ったら、やめればいいじゃないですか。やめようやめよう、今すぐやめよう。・・・会社をですよ、人生をじゃありませんよ。しかし、おまえ会社やめてどうするんだ!と説く人に同意できない僕がいるように、おまえ人生やめてどうするんだ!と説く僕に同意できない人もいるのか。ただ、なんとなく真実だと思うこと。会社やめようと思う理由は、人間はそのうち必ず死ぬからです。■会社をやめたことのある者は、やめることが絵空事ではないから、じっくり構えてやめないでいたり、じっくり構えてやめたりができる。でも人生をやめた経験はふつう誰もない。死ぬことだけは常に絵空事だ。そこがだいぶ違うね。■でもまあ、建設的なことをいえば、人生やめる前に、違う何かをちょっとやめてみるのはどうだ。仕事関係でも。人間関係でも。自分関係でも。

1999年2月15日
■東京都現代美術館の企画展「アクション 行為がアートになるとき1949-1979」で、戦後から70年代末までの現代美術&パフォーマンスの歴史を総覧する。そこに込められた熱さ重さ激しさ。ものすごい。ちょっとハッタリ臭くもあるが。■こういう作品たちが、まさに攻撃の的にしたはずの美術の歴史とか正統な評価といった「額縁」にきっちり納められた感のあるこの展覧会に、やや疲れた後で、今度は、まだ誰もがピンぼけでしか見つめられないような同時代の明滅しつつある作品群に対してどうにかして焦点を見つけようとした、もうひとつの企画展「MOT アニュアル ひそやかなラジカリズム」。あまりにも好対照だ。■ここからは見た人向けの話だが。それにしてもなんかもっと展示してはどうだろう。これだけがらんとした部屋は東京じゃ超贅沢だ。住みたいけど。布団敷いてコタツに入るなら許そう。でもまあ結局全体として、とても良い。ひそやかなラジカリズム・・・いいね。■しかし実は、赤瀬川原平さんなんかは、60年代にいながらにして、この「ひそやかなラジカリズム」みたいなのを内心標榜していたのではないか。60年代の空気に便宜上形式上どっぷり浸かりつつ、実は本当にどっぷり浸かってしまうことには、ある種の恥じらいや、それをも相対化する視点をちゃんと隠し持っていたのではないか。一連の偽千円札作品を見てふと思った。
1999年2月14日続
■東京都現代美術館に出向き、企画展を二つしっかり見てきた。感想後日。■中島義道「哲学の教科書」(95年)を知る。本当に心からありがたく思える本だ。

1999年2月14日
■日が落ちて凍えながら図書館に向かう道すがら、ひときわ明るい星が澄み切った西の空にふたつ。金星もうひとつは火星?木星?...あるいは金箔に包まれた小粒な
チョコレート、革命起こす、宗教・科学。
1999年2月11日続
■この時季、
入試という難問が気にかかる。スペシャルサンクストゥー大瀧詠一アンド松本隆。
1999年2月11日
■昨日、テレビカメラの三脚を肩に担いでひとり地下鉄と東京駅新幹線ホームの間を往復することになる。なんとなく芥川賞本「日蝕」も携え車内で開いたりしつつ。この状態で尻の財布からメトロカードを出して改札を通り、小銭を出して入場券を買うというのは、なかなかのことであった。昼飯時だったので東京駅構内で駅弁を買い、狭い待合いスペースに荷物と腰を降ろしたり。■月並みだが、車椅子で移動する人の苦労が少ししのばれた。足で移動する者と変わらずあちこち行きたいし腹もへるはずなのに、ことごとく面倒だ。「このヤロー」と叫びたくなる。これは本人に責はない。むしろ本人を取り巻く社会やインフラの問題だ。もちろん、遅刻間際の通勤時に目の前を車椅子の人や三脚の人が右往左往していたら、逆に「このヤロー」と叫びたくなるだろう。これもそう叫ぶ僕に責はない。同じく社会やインフラ、会社勤務の構造や価値観の問題だ。障害とはどこにあるのか。身体にあるなどと言ってはいけない。三脚にあるなどと言ってはいけない。短気にあるなどと言ってはいけない。■「五体不満足」という本が売れているそう。「五体満足」なんて言葉が通常使われる時の、陳腐を通り越して認識のあまりの甘さ浅さ差別性。それをスコーンと明るく蹴飛ばすようなこの書名は、本当に胸のすく思いがするね。肩に食い込む三脚の痛みとともに、そんなことを考えた。■きょうは天気が悪い、全国的に。
1999年2月8日
■苦境。果てしなく。抜け出せない。頭が飽和状態で、普通は本など読めないのに、不思議と「日蝕」は、通勤電車でしばし読み耽る。ふと思い浮かぶ、村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」。

1999年2月6日続
■日が落ちてから起き出し、なんでもいいから映画でもと冷え込む渋谷を歩いたところ、ゴダール「男と女のいる舗道」のレイトショーに出くわし、入る。
1999年2月6日
■土日は仕事から解放されてどうにか休息モードには入れるのだが、即座に仕事と別の活動モードに入るのは難しい。本も読みたい、映画も見たいが。■東京の家賃は宮崎(最低)の2.2倍、民間住宅に限れば島根(最低)の4.7倍という。都市生活において土地=場所は最も高価なのであった。布団よりも畳のスペースの方が高くつく。インターネットも、減価償却の終わったパソコンとプロバイダー料にテレホーダイ料だけで維持できると楽観しているが、実はこのパソコンとキイボードそして僕の両腕を置くスペースや尻が乗る椅子のスペースがバカにならないのかもしれない。サーバレンタル料(ホームページのデータを置く場所代)はさほど高くないが、タダではない。だから、こうしてゴミのような文言をどんどん積み上げていつまでも放りっぱなしにしておくと、箪笥の敷物と化した古着や、本棚の隅で忘れ去られた本のように、無駄な場所代を払っていることになりかねない。だから、もっと掃除に整理整頓。たとえば....■土日は寝るだけで何もできない。■東京は家賃がメチャ高だ。Internetのコストとしてprovider料・通話料以外にPCを置く場所の値段も考慮せねば。HPの容量も無限ではない。もっと短く要点だけ書き、箪笥や本棚のような無駄をなくせ。しかし....■無駄こそが本領なるか 箪笥本棚ホウムペエジ されどその無駄加減 人生に如くはなし 箪笥に古着如くはなし ああ休日のキャビアのごとき小粒で高価な無駄時間 

1999年2月4日
■夜中に仕事場のビルを出ると、かすかに雪が舞っているではないか。恍惚。■可能性と限界。下の「素人」を「漫画」に、「都知事」を「文学」に置き換えてみよう。なお、「素人としての限界」と「都知事としての可能性」は旅に出ました。しばらく帰りません。

1999年2月2日
■きのう平野啓一郎(芥川賞作家)がニュース23に出ていた。筑紫哲也が朝日ジャーナル編集長就任号で浅田彰「構造と力」の出現を喜んだのを思い出した。■青島知事「選挙に出ません!」。たとえば、あなたの立場や仕事に可能性と限界があるごとく、こういうホームページでいきり立つ社会批評に可能性と限界があるごとく、素人という立場や仕事にも可能性と限界があり、都知事という立場や仕事にも可能性と限界がある。青島さんの困難は、「素人としての可能性」が「素人としての限界」に負けたのではなく、「素人としての可能性」が「都知事としての限界」に負けたことにあったと思う。では残りの「素人としての限界」と「都知事としての可能性」は、どこへ行ったかというと、それはあしたのお楽しみ。

1999年2月1日
■きのう日曜は渋谷へ出た。TOWER5Fで大推薦だったノイズ基調のあるコンピレーション盤を視聴。...いやはや...。その直後のせいで、ドイツ発「WUNDER」という一枚、これもそうとうあれなのだが、もう十分聴きやすくて買ってしまう。時おり聞こえるビリーホリデイのサンプリングボイスがやけに心地よく。少し前に聴いたヤン富田の4枚組作品もそうだったが、範疇を限りなく拡大したさまざまなの音が砕け散るように連続していく中に、ふいに挿入されるなめらかな歌声は、たとえば「優雅で感傷的な日本野球」を読んでいて、混沌また混沌の展開の果てに突如リリカルな一節が訪れて、なぜだか心がホロリとしてしまうの似て。音楽は、僕が生きてきた間だけでも、いくつのパラダイム変換を遂げたのだろうか。しかして、この日のホコ天では、3人組の響かせているアカペラのコーラスに思わず足を止めてしまう。音楽の呪縛とは。音楽の故郷とは。

1999年1月30日
こういうよくわからないことで夜更かしするからだめなのです。
1999年1月28日
■つまるところ、僕がなにか書くときは、必ずやなにかについて書いているわけだろう。でもその後者のなにかが全くなにもないときは、いったいなにを書けばよいのだろう。ニューロンの内部ショート。言葉のバブル経済。ウイルスの社内循環(?)。でもほら書けたからいいや。

1999年1月27日
■一件寄ってからじゃないとどうしても帰れない人、一杯飲んでからじゃないとどうしても眠れない人がいるように、各ページを一巡りしてからじゃないと、ここに一言書いてからじゃないと、どうしても一日が終わらない心境。忙しいばかりで楽しいことなどなにもなく、疲れたのでもう早く寝ないといけないこんな日に限って。日々是弱気。

1999年1月26日
■ふしぎといつものことなんだけれど、いまやらなくてはいけない仕事の中身が、なんというか、これまでとちがってかなり特殊なことにおもえる。だからなにをどうやったらいいのかわからないことだらけで、こうするんだときめてもなかなかいきおいがでない。まよいながらためらいながらやっとのおもいですすめている。あとからかんがえればなんでもないことだったりするのだが。でも、考えてみれば、どんな仕事も、それぞれに特殊だね。平気な顔でやる人、大騒ぎしながらやる人、そのやり方もまたそれぞれに特殊だ。だからいまのこれも特殊でいいのだ。僕の今の年齢も、あなたの今の年齢も、あなたの両親の今の年齢も、それぞれことし初めて迎えた特殊な境地ではないですか!あす朝の訪問先もまた特殊だ。もう寝よう。

1999年1月25日
■おや急に給料が上がったぞと喜んだ人、年末調整の税金が戻ってきただけです。状況、体調、天気、気分、回復せず。どうしたものか。

1999年1月24日
■なにかと状況がよくない。寝てばかりの土日。雨の音。風邪が名残る。頭が重い。江口寿史を買って読む。

1999年1月16日
■幸福について考えているつもりが、実は幸福の原稿について考えていたのであった。とかなんとか、赤瀬川原平さんは、朝日新聞の年頭からの特集「1999年の幸福論」で、ちょっぴり自戒を込めて書いていた。幸福とは何か。たしかに、頭で考え抜いても、言葉を書き連ねても、幸福がなんであるかを言い当てられはしない。しかしである。なにか考えること自体、なにか書くこと自体が楽しい場合はありえるだろう。私はきょう世田谷のボロ市に出かけました。でも風邪を引いて帰ってきました。その出来事がそれだけではどうにも締まりがなくて収まりもつかない。鼻水のように。けれど、こういう場所があってこう言うことを書けるとなると、それは幸せとまでは言えないにしても、生活していく張り合いにはなっていく。なにか出来事があったからなにか書くのではなく、なにか書くからなにか出来事があった。のではなかろうか。もしかして。

1999年1月15日
■ニュース23、神戸震災から4年の特集。テレビがマクロ情報のみでミクロの情報を伝えにくいこと、また、たとえメディアに対する文句を聞くためであってもメディアはやっぱりその現場にカメラを向けて立ち入らざるを得ないことなど、テレビのいわば構造的宿命に言及した。この日の多事争論でも、神戸の町を歩く筑紫の映像だけでなく、それを撮影するカメラマン・音声・記者、そして聞く人もいないのに懸命に喋る筑紫哲也と、チーム全体をとらえた映像がインサートされた。そういう良心、苦心を尊敬するが、番組の最後にはそれ以上に興味深いことが起こった。筑紫哲也と黒田清が長田の鰹節屋さんから中継していたのだが、鰹節屋の店主との話を遮るように店の奥で電話が鳴る。また鳴る。また鳴る。どうしたのかと思うと、画面の上には鰹節屋の看板があり電話番号がくっきり出ている。「生の全国放送」ということの途轍もない不思議さに私たちはいまだに魅入られてしまうのだ。いまチクシとクロダがナガタにいる、それをニッポン中のみんなが見ている、電話をすれば、その音が今このウチのテレビからも聞こえる。その奇妙さを確かめたくて、私たちはつい電話してしまう。20世紀末。テレビこそ茶の間のニッポン人に対しては最大の権力だ。テレビ番組は数多くあれど、テレビというメディア状況そのものを相対化するようなテレビ番組がほとんど作られないことを残念に思い、そして、仕方なく、ハプニング的に起こる今日のような出来事を面白がるしかない私です。

1999年1月12日
■下の続きですが、彼らの考えているようなことを実は僕も考えようとしているのだ、あるいはもっとすごいことを考えようとしているのだ、と思うことにしたので、よろしくお願いします。まあだいたい同じような時代に同じような頭脳がだいたい同じような寿命の間に考えているのだから。浅田彰はカントやデリダを天才と呼び自らは凡庸なる秀才だと言ったけれど、ダメですよ、そんな心構えでは。しかし、考えるために時間は要る。これから死ぬまでの自分の時間のうち、何割くらいをそういうことに充てられるのか。カラタニダマスの大予言によれば、現在のシステムはすべて行き詰まる、でも大丈夫、そのあと戦後が来ますから、それは2003年か2004年です、ということなので、こうなったら現在の社会制度に合わせた汲々とした狭い選択をばっさりやめて、本ばかり読む生活に入ろうか。でもだめか。いまさら遅いからではなくて、本あまり好きじゃなかったりして。
去年の読書について他の伝言板に。
1999年1月10日
■土曜も日曜も会社へ通い仕事はどうにか峠を越した。よかった、よかった。土曜の夜なんてとても外に出られる状態ではなかったのに、新宿紀伊国屋ホールまで「批評空間」のシンポジウムに行ってしまう。ということは、つまり、出られる状態だったということか。パネラーは浅田彰、柄谷行人、東浩紀、鎌田哲哉、福田和也の五人。みな相当に鋭い観点、鋭い思考の主のようで、可能なら話をしてみたい人ばかりだ。とりわけ柄谷行人が一番いい味出していた。東浩紀にもびっくりだった。ひたすら喋る。彼が浅田彰を超えたのだとしたら、浅田の早口に勝るあの超早口ではなかろうか。招待席と思しき列には坂口安吾がいた。と思ったら、渡辺直巳だった。島田雅彦も来た。彼は最近僕の周辺で話題になること頻繁であり、テレビで見ると人付き合いも良さそうな奴なので、通路で目が合った瞬間「よう島田君!」と右手をあげそうになったが、考えてみれば向こうはこっちを知らないのでやめた。宮台真司はチケットを手に後ろの席にいた。せっかく来たのに柄谷あたりから何度も名指しでケナされ、本当に気の毒だった。と、ここまで書いたが、こうやって宮台氏のいわばプライベートな行動を勝手に公表するのはいいのだろうか、と気になってきた。だから同伴者がいたかどうかについては、書かない。

1999年1月9日
年頭所感、おくればせ。
1999年1月6日
■でもなにも書かないのです。ページを新しくしたらもう疲れて。財布を買ったはいいが、そのせいで入れる金がなくなったみたいなもの。
これ以前
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