From Junky あるいは What's New

これ以後
1998年12月27日

■きのうは、みうらじゅん・泉麻人・安斎肇(ソラミミの人)・山田五郎のトークを聞きに行った。「緩い」が彼らのキイワードらしいが、まったくその通りの会話が2時間以上に渡って続いた。みうらじゅん、山田五郎は僕と同い年。懐かしのアイテムが一緒である。■ことし最後のアエラ、特集は、まず「21世紀をになう30代50人全調査」、続いて「団塊世代 老後の闘い」。そのはざまで常に注目されずにきた我らが世代。こうなったらこれからもずっと「緩い」会話でいきましょう。■アエラも買うくらいだから基本的に支持しているのだけれど、取っているのが朝日新聞だけなので、いちゃもんを付ける時の例もまたいつも朝日です、あしからず。■以下同文。
1998年12月26日

■伝言板「東京永久観光」に書いたことですが、繰り返します。■僕は、一般論としては、個人が自由に死ぬ行為を他人が完全に妨げることは実際にできないし、よりよく生きるための選択支として自由に死ぬ権利を認めたい、と思っています。しかし一般論から離れて身近な「あなた」の話をするなら、僕が生きていたい時は、「あなた」も生きていてほしいです。■大海にたとえられるインターネットですが、なにかあるたびに感じることがあります。それは、世界は意外に狭いのではないか、ということです。世界はどこかよそに漠として広がっているのではなく、たとえば今ここの書き込みの中に、そしてこのつながりにこそあるのではないかということです。僕たちは案外いつも近くにいるのではないでしょうか。■以下同文。
1998年12月24日

■メリークリスマス、メリークリスマス、メリークリスマス、メリークリスマス、メリークリスマス、メリークリスマス、メリークリスマス、メリークリスマス。同じ文句が何度も繰り返される時、魔法が起きる?あるいは呪縛が解ける? 政治的、政治的、政治的、政治的、政治的、政治的、政治的、政治的。■以下同文、以下同文、以下同文、以下同文、以下同文、以下同文、以下同文、以下同文。
1998年12月23日

歌わなければ調子が狂うこともない。以下同文。
1998年12月20日

■年末年始の本を借りてすませるべく渋谷区立中央図書館(原宿)へ向かう。なんと10冊まで貸し出し可で背中のバッグ重し。迷い込んだ路地にベトナム料理店の集まる一角を見つけた。懐かしのベトナム風コーヒーフィルターあり。話題のイルミネーション界隈は途方もない混雑ぶりで、JR原宿駅で新宿方面の客は正月でもないのに明治神宮側の改札口を通らねばならなかった。■高橋源一郎の「文学なんかこわくない」が長く気にかかっていたが、とりあえずなにか書いてみることが考えることになる。こちらへ出張書き。■以下同文。
1998年12月19日

■ああいう人物がああいう格好でああいう風に唱えば普通なら思いきりの爆笑シーンなのに、涙が出てしかたない。そういう魔法のクライマックスを見たかったら、ユーロスペースの「ラブゴーゴー(愛情来了)」へGOGO。「熱帯魚」の陳玉勲(チェン・ユーシュン)監督の第2作。同時代アジアの都市生活者あるいは都市観察者として頗る共感できるポップな映画であった。たとえばヴェンダースの描くベルリンやアンゲロプロスの描くギリシャにあこがれてはきたけれど、それは遥か遠くの風景であった。たとえばホウ・シャオシェンの描く台湾にうっとりはしてきたけれど、それはかなり昔の風景であった。しかし陳玉勲の描く台北には「これは私の映画だ」とまで言いたくさせるものがある。ベルリンやギリシャには出かけてみたいが、台北には行かなくてかまわない。あの風景あの出来事はここ東京でもいたる所で見つけられそうだから。■以下同文。
1998年12月13日

■仕事で訪れたある夫婦の住まいは幕張にあった。白いマンションの10階。緑いっぱいのベランダ。羨ましい眺望。前方斜め左やや下に、最近出来たというイトーヨーカ堂のでかい看板がある。「あれさえなければ。爆破してやろうかなんて話したりするんです」とその夫婦。藤原新也なら夫婦に同意しただろうか。■ホンマタカシの写真展「東京郊外」に行くと、多摩ニュータウン、港北ニュータウン、お台場、新浦安、幕張、etcと首都圏に出現した巨大住宅団地を総覧できる。都心からの位置関係図と、新しく誕生したそれぞれの街の明るく希望に満ちたプロフィールが論評なしに掲示されている。さて、ホンマタカシならイトーヨーカ堂看板を美しく撮るか、醜く撮るか。■アルチュセールのアクチュアリティー?■シ タ テ ナ オ シ タ ウ ワ ギ ノ ハ ナ シ。以下同文。
1998年12月11日

■キ レ ル カ モ シ レ ナ イ シ キ レ ナ イ カ モ シ レ ナ イ シ 。以下同文。
1998年12月10日

■ホンマタカシ。東京郊外。渋谷パルコ。以下同文。
1998年12月9日

■きょう食べたもの。アジの開き、湯豆腐、ご飯、カレーライス、やきそば。きょう出したもの。便と尿。きょう読んだもの。仕事で必要ないろいろの資料や本。きょう出したもの。ブツブツぐたぐた。以下同文。
1998年12月8日

■逮捕された安田好弘弁護士といえば死刑廃止運動の牽引者にしてオウム松本被告の主任弁護人であるが、僕は安田氏の勝手弁護人を務めさせていただこう。というのは、こんな情報あり。以下同文。
1998年12月7日

■きのうは夜から運動不足の解消も兼ねて下北沢まで歩いたが、ビレッジバンガード(雑貨屋)を覗いたあと台湾屋台料理「新台北」で食べ過ぎた。■「タイタニック」のビデオを借りた。史上最大のヒット作。連日の行列と涙涙の観客席。映画館に行く機会を逸したため、そういった「こと」としての「タイタニック」体験はできず、結果的に「もの」としての「タイタニック」鑑賞になった。日本国民の米国文化産業への巻き込まれ方としてはどちらが幸せであるのか、それはわからないけれど。■ところで定員不足のボートで救われた人の中には船主だけでなく映画では船に残ったように見えたスミス船長もいたとある本に書いてあったが、事実だろうか。もしそういうことまで作り話にするのなら、たとえばデカプリオの手錠を斧でぶち切る場面でデカプリオの頭を割ってしまうとかそういう作り話もありえた?■以下同文。
1998年12月5日

■雨降りの寒い土曜日。ほとんど家にいたので、噂のアニメ「コジコジ」(TBS夕方5時半)を初めて見ることができた。さくらももこのシュールさ全開でのけぞる。以下同文。
1998年12月4日

■企画を立てるとは、多種多様の情報と発想を複雑に組み合わせることを意味するようですが、その姿を自分で確認し他人にも伝えるためには、普通それを文章化します。文章とは言葉が一列に一方向に並んだ単純なフォーマットです。しかしそれらはどれも僕の脳味噌に最初から存在していたハズはないので、全部が全部どこからかコピーされてやってきたということになります。昔どこかに並んでいたいろいろ言葉。今ここに並んでいるいろいろの言葉。企画書とは、既製の言葉もっといえば既製の字をひたすらカット&ペーストして出来上がるものなのであります。パソコン作業だとそのことが実によくわかり、空し...楽しいですね。■企画書だけでなく、自由気ままにぺらぺらしゃべるというのも、実はすべてどこかに転がっている言葉を拾って一語ずつ整列させて口から放出することです。僕らはどこまでいっても言葉しか書けないし、読めないし、言葉しか話せないし、聞けないのだから、それは仕方ないことです。この文章だってそうです。シメて1273バイト。以下同文。
1998年12月1日

■ジョギング程度で走るか。以下同文。
1998年11月30日

■TRIPPER冬季号。900円。高橋源一郎の連載あり。仕方ない。買わざるをえない。ふと脇に目をやると現代思想。特集はニーチェ。まずい。もしや永井均も執筆では。見なければ良かった。また出費か。諦めかけたが、大丈夫だった。■以下同文。
1998年11月28日

■多摩地区に開通したモノレールに乗るべく立川を訪れる。見上げれば灰色よりも銀色に見えるレールが真っ青な空を横切って伸びている。車輌は混雑。13分ほどの移動。住宅団地や物流ターミナルの造成が大規模に進んでいると思しき土地に、きょうは折しも砂嵐が舞う。ホンマタカシの短編映像で見たような空虚に抜けきった首都郊外大俯瞰。富士はかすみがちであった。ヴェンダース「都会のアリス」で見たドイツ、ヴッペルタールのモノレールの重苦しさとは違うけれど、こっちは僕の時代、僕の場所の風景なのです。(以前「都会のアリス」のモノレールを「アムステルダム」と思い違いしていた。訂正お詫び)■以下同文。
1998年11月27日

■仕事が煮詰まりぎみで週末。筑紫哲也はノータイの金曜。きょうはキャスター席で鍋まで食べた。最近ちょっと老人力が入ってるね。しかしまあクリントンを登場させナニワのおばさんも有名にしたし、「なぜ人を殺してはいけないのか」論議の元もニュース23だ。思えば1984年の朝日ジャーナル以来僕はこの人に長く耳を傾けてきた。■以下同文。981123
1998年11月25日

■ベネトンの雑誌「COLORS」日本版、vol.00に続くvol.01、テーマは「Home-家-」。これまた!。老人ホーム、孤児院に加えて自宅軟禁が「スイートホーム」で括られるあたりが真骨頂と感心するもつかの間、テレビドラマのセット特集が「理想の家庭」と来てあっと驚き、続いて集合した不敵なキャラクターたちは世界の石鹸、洗剤のパッケージの顔であったことを知って!。ビジュアルの速攻破壊力とは裏腹に、淡々丁寧に事実だけを並べるので、なんだか迂回すらしているのではと油断させつつ、気が付くと最短距離で対象に迫っていたボディーブロー、そういう叙述スタイル。■以下同文。
1998年11月23日(閏)

■新宿南口新装のタワーレコードへ。「Avant Garde」と分類された視聴コーナーで吉松隆の新作に強く惹かれ「よし買おう」と手に取ったが、聴いていたのは実はその隣の一枚であることが寸前に発覚した。それが近藤譲作品集「梔子(くちなし)」。今無事、家で聴いている。危ないところだった。ほか、「ジムノペディ」をアンビエント風テクノ風に味付けした「エレクトリック・サティ」というタイトル通りの一枚も良かった。ところで、クラシックの視聴コーナーにだけ立派な椅子があるのは、年寄りファンが多いせいか、聴くのに時間がかかるということか。■以下同文。
1998年11月23日

こんな日も会社へ行かねばならぬ人、あるいは、うっかり会社へ行ってしまった人に捧ぐ。■以下同文。
1998年11月17日

■ホームページにこう書きたいと朝のうちに思い立っても、仕上げるのは結局寝る前の時間になる。なるべくその日のうちに載せたいので、とりあえず結論をでっちあげ、本当はイメージで語りたいのに大抵そこまで手が回らず、意味なし画像をアイコン代わりにくっつけるくらいにして、ネットサーファーがさすがに寝静まる時間(今日は流星群があるからその限りではないが)までにはFTPする。日付は意地でも今日だ。明日ではない。ここまでやり遂げたら、もうすっかり疲れて眠りたい。しかし、明日になると、一度吐き出してしまった考えを再び巡らせるというのも気乗りがしないもので、その結果わがホームページにはせいぜいこのくらいの長さの文章が尻切れトンボで次々に放置される事態となる。■以下同文。
1998年11月16日

■きのう渋谷ホコ天で「三角堂」という男女二人のバンドが良い歌声とサウンドを響かせていたので、足をとめた。インディーを含めて店舗や雑誌にプレゼンされる大多数の音楽が、商品の流通という構造的な支配から逃れられない時代に、芸人が本来のパワーを甦らせる手段は河原乞食に戻ることなのではないか、などと思いつつ。500円玉と交換にカセットテープをもらう。■以下同文。
1998年11月14日

■テレビではノルウエーの凍える夜にパンヤオがやっと泊めてくれた家でお誂え向きのトナカイのスープそして暖かい民族衣装をゲットし生放送のテレビカメラが待つ最終目的地へと急いでいるところだったが、僕は渋谷アップリンクファクトリーへ「流れ者図鑑」および監督の平野勝之を見に急いだ。監督と女優が二人きりで北海道をAV撮影しながら自転車旅行するドキュメント。しかし。「演出する」ことと「現実する」ことが半ば作為的に交錯していくだけなら、もはや電波少年で立派に商品化されている。そこを終点ではなく始点として、相手への思い、ものを作ることの奇妙さをとことん見つめていってくれるかと思ったのに。大きすぎる期待からは外れた。女優との間に生じた本質的と思える衝突を、監督はまるで気取りのような怒りと昔の女(林由美香)への求愛にすり替えることで回避してしまう。上映後のトークによれば、今も女優とは仲違い状態らしい。ほんとにそれでいいのだろうか。■以下同文。
1998年11月12日

■埼玉県飯能市という所へ行った。首都圏のベッドタウン。西武池袋線の急行で約1時間。450円。朝晩はそりゃもう猛烈なラッシュらしく、確実に座って帰宅したいサラリーマンには指定席の特急(+400円)が人気という。それにしても、久しぶりに郊外に出ると電車からの風景は都心より見晴らしが良く開放感がある。整然密集の住宅群はどれも立派だった。これくらいの働きと、これくらいの住まいと、400円をケチらない疲労と豊かさと。2万円もらえば50回特急に座れる。■帰りに池袋のリブロへ寄る。読みたい本がいくつもいくつも見つかる。働きがなければこれも買えない。■以下同文。
1998年11月11日

■言葉は、どれほど豊饒に彩られようと、どれほど明瞭に澄みきろうと、ついに沈黙にはかなわない、と思うことがある。虚勢未練自虐弁明...そういった見苦しさをいかに少なく出すことができたか、それを競うことはできても、言葉を出さないことの潔さには初めから敗北している。■なんだか深刻なことを書いた。実は昨日もそうだったが、猫語のためいまひとつ効果が薄かったニャ。■以下同文。 
1998年11月10日

■今わたしが懸命にニャって生産しているソレは本当に今どうしても生産しニャくてはいけニャいものニャのか。 どうでもよいクズばかりがうまれ、またうまれ、またうまれ。世界にはたくさんのものが常に垂れ流されているので、わたしがニャにかもうひとつ垂れ流したからといって、そう引け目を感じることもニャいのだけれど。でもそういうことが言いたいのではもちろんニャい。 Words are flowing out like endless rain into a paper cup....この歌詞とも全く関係がニャい。ニュートリノのことも本当は全然知らニャい。視力が最近また落ちた。■以下同文。 
1998年11月8日

■網野なんとかという歴史研究者(網野善彦だった)が、江戸時代の百姓はすべて農民ではなく他の様々な仕事をする百姓がいた、など、史料を丹念に当たっていくと思いがけない事実が見えてくる、ということを新聞に書いていた。たとえばあなたの十代とか二十代とか人によっては三十代とか四十代とか。日記、記録物、写真等を改めてひもとき、昔の友人にも「やあ元気、久しぶり、ところであの時のあれだけど」とか聞いて回ったりすると、かつての未熟さと独断と偏見さらには思い出の浄化作用で埋もれていた全く新しい事実や評価が発見できたりはしないか。それはたいへんわくわくしないか。不況期。あなたがもし不本意な気持ちで会社など辞めることになるなら、職安へ通いつつ、そういうことをやってみるのはどうだろう。その歴史だけは、あなたしか正す人はいない。あなたが生きている間しかない。ほんの少しだけ自分に。■以下同文。
1998年11月7日

■朝、起きて、僕には言うことが何もないなら、時候のあいさつ「寒くなったね」。でもバンコクやシンガポールあたりでは、ほんとに何を言えばいいのだろう。■これを言ってうなずかない人がいるとは思ってもみない仲間内の言葉。■以下同文。
1998年11月4日

■日経トレンディーとアエラを買い、日経トレンディーをアエラで隠すように丸くくるんで持ち歩く。98年ヒット商品ランキング。第1位は「不景気」。違った。これはピチカートファイブ新作の1曲目か。「ほんとにちかごろ不景気*ほんとに世界は不景気」■以下同文。
1998年11月3日

■久しぶりに下北沢を歩いた。迷路の街。フィクショネスという風変わりな書店に出会う。店主一人。7月に開店したらしい。狭い店内がやけにすっきりしているのは、少ない客と蔵書のせいか。絵本が半分。残りは個人の良き趣味からはあまり外れることなく集めたと思われる文学系の文庫本。知り合いの本棚を眺めている気分になる。かなりインディーな漫画とミニコミも少し。おや、間もなく巷で噂になるに違いない「まわし蹴り新聞」()ではないか。ナイスな選択。折からの出版不況もなんのその。「もうかる本屋、もうからない本屋」などという本や発想は置いてないのである。たぶん。経営が行き詰まったら読売新聞の、下北沢販売店ができるスペースだ。■以下同文。
1998年11月1日

■昨晩の渋谷は、東京国際映画祭ではなくて、ビクトル・エリセの「エル・スール」(1983)を見に行ったのである。劇場での初鑑賞だった、のに、ちょっと小さすぎないか、ユーロスペースのスクリーン。もう新しい映画なんかひとつも見ないで、これまで好きになった映画だけを繰り返し繰り返し見て、繰り返し繰り返し語って、それで死んでいくのもいいと思う時がある。耽溺死。■吉祥寺で入った中国料理店「琥珀亭」は気取らない店構えなのにスコブル美味だった。胃の検診あすに控えてくいやまず。■腰花鶏丁。以下同文。
1998年10月31日

■きょう夜の渋谷は東京国際映画祭の賑わいとハロウィン姿の人々。ふと向井万起男さんが思い浮かんだりする。きょうなどはまた特別なルックスなのだろうか。などと失礼なことを想像してしまうが、僕はこの向井夫婦にとても好感が持てる。ライトスタッフの英雄グレンなんて全然親しみがわかないけれど。■以下同文。
1998年10月28日

■先日ある落ちついた居酒屋で。壁に貼られた品書きに「又旅」とある。つまり「マタタビ」だ。ところがなぜか僕は「ムササビ」だと思いこんで「これはまた変わったものを」と感心したりしていた。マタタビだって十分珍しいのだが。ハッカに似た刺激と苦い香り。猫の気持ちはわからない。■さらに先日、上野公園ではカラスを一匹そばにハベらせているおじさんがいた。箸で餌をやっていたからおじさんがハベっていたのかもしれないが。■以下同文。
1998年10月27日

■ベネトン社の雑誌「COLORS」。その日本語版vol.00というのを買った。このところ脚光を浴びているオリヴィエーロ・トスカーニ氏(同社の広告アートディレクター)が編集主幹らしい。この面白さ、ちょっと比類なし。渋谷ブックファーストのマガジンコーナーあたりへ行くと、非メジャー系文化ビジュアル雑誌が勢ぞろいしているので、つい手にとって時間をつぶすが、結局元へ戻すことが多い。「COLORS」はどこか違った。たぶん情報の非商品性、それと哲学性。今回は「時!」をテーマに「人生の1年間は待って過ごす」「春を売る人の時給」「思うように時間が進まない場所としてのカジノ、ディスコ、刑務所」といった切り口で、まるで世界像が独自に編み上げられていく。冒険的で洗練されたビジュアル性が目を奪う点は他の雑誌にも共通だが、「COLORS」の場合、それがオシャレなのではなくジャーナリスティックなのである。といってもわかりにくいから、それは見てのお楽しみ。■「COLORS」のそばにあった「A」という雑誌も同じくひと味違うと感じて一緒に買った。発行はどちらも光琳社という京都の出版社。ここはこの手の雑誌を次から次へと出している。■以下同文。
1998年10月23日

■1996年に北京とウランバートルで会ったO君が、8カ月に及ぶ旅の記録をまとめて本にした。分厚い。早速読み始めた。元気と感動の固まり。■どこか既視感のある押しつけに、どこか既視感のある反応をしてみる。■以下同文。
1998年10月21日

■夜帰宅の電車で本に没頭していたら降りる駅を一つ乗り越した。読んでいたのは「猫とロボットとモーツァルト」(土屋賢二)。季節柄か、このところ読書がすいすい進む。「戦後の思想空間」(大澤真幸)と「文学なんかこわくない」(高橋源一郎)も読み終えている。■以下同文。
1998年10月18日

■きょうは大森まで行ってパトリス・ルコント特集。劇場で公開時に見た「髪結いの亭主」「仕立て屋の恋」よりも、ビデオで見たもっと古い作品「タンデム」がそれ以上に忘れられず、スクリーンで再会しようと思ったわけです。こういうことをこういうところへわざわざ書き留めるのはいったい何のためだ。などということが気になるのは、少し考えるとその答がわかりそうだからだ。しかし、こういう音をこういうところでわざわざ聞かせるのはいったい何のためだ。などということがさほど気にならないのは、むしろその答が到底わかりそうにないからだ。■以下同文。
1998年10月16日

■高橋源一郎さんがふらっとやって来て、新しく出た本を持ってきてくれたりはしないので、「文学なんかこわくない」を買わざるをえなかった。文壇というか分断というか文化壇というものがこの都市にはあるね。壇はしかし教壇の壇、仏壇の壇だ。■以下同文。
1998年10月15日

■先日読んだ変な小説、後藤明生の「挟み撃ち」の感想。後藤明生を今さらながら読んでみたいと1年、2年。図書館で探すと全然ない。赤川次郎と西村京太郎はいくらでもある。そのうち「挟み撃ち」が文庫になったと聞き、これはラッキーと本屋へ。講談社文庫かと思いきや講談社文芸文庫の間違いであり値段は980円プラス消費税。よくわかる解説と年譜が付いていたので良しとしよう。■以下同文。
1998年10月12日

■不規則生活の極みに超早寝早起き。ひんやりした明け方、芝居の感想を書く。■以下同文。
1998年10月9日

■親戚の葬式があり大阪まで駆け足往復した。非日常的な移動と弔いの儀式によってもたらされた内省と遡行。新幹線による東海道小旅行でもあり弁当とお茶、内田百ケンの「特別阿呆列車」を開いた。■現れたのは親子の僧だった。僕の前に横向きに並んで座り読経する形。立派な袈裟にくるまれて横顔が二つ重なる。その輪郭。動きやまない口元。ほぼ閉じられた目元。さらには肌の荒れぐあいから髪の流れぐあいまで、とても似ていた。■以下同文。
1998年10月8日

ときどき話題にしてきた福井の劇団が東京で公演するのでお知らせします。■以下同文。
1998年10月7日

■仕事一段落できょうは休み。なのに不思議に早起きをしたので、近所の喫茶店に行き外のテーブルに付いてみる。堅い服装で忙しく行き交う人々を目の前にしながら、こっちは一人だけのんきに椅子にもたれ、前々から読みたかった文庫本を好きなように読み進めていると、旅行の日々を思い出した。あのころ遠かったのは日本からの距離だけでなく、正調会社生活からも離れていた。ところでその文庫本はうわさに違わぬ変な小説だ。感想後日。■以下同文。
1998年10月6日

■時差ボケ〜徹夜仕事のせいか眠る時間の定まらない日が続き、きのうは午前4時ごろ散歩をしたら、人影のない場所で3度猫に出会った。甲州街道にかかる歩道橋を夜明け前に渡る猫。■以下同文。
1998年10月4日

■ちょっと前の話。台風の大雨のせいで遡上するサケやマスが畑に迷い込んで息絶えたという。「珍事」と朝日新聞(9月27日)。もしこれが増水した川に犬や猫が孤立していたのなら、救助に向かい「よかったね」だろう。家畜の牛や豚なら、流されるままに「あわれ。損害**万円」くらいか。ヒト・イヌネコ・サケマス。動物界は不平等だ。情と待遇にどこかで線を引かざるをえないなら、どこで引くか。ヒト>イヌネコ=サケマスか。ヒト=イヌネコ>サケマスか。あるいはペットの石が溺れそうになったら。・・・こういう理屈より、「猫は人の言葉がわかるに違いない」と信じた人の本でも読もう。■僕は戦争に行きません。
これ以前
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