今回の
インターネットにかかわる自由死
にかかわる自由報道について

1998年12月27日の朝日新聞は、社説でこう書いていた。

<それは、社会の中の様々な情報網のひとつに過ぎない。そう考えれば、おのずと距離を置く姿勢も生まれよう。大切なのは情報の中身の吟味である。>

僕はてっきり新聞やテレビの情報について自己批判しているのかと思った。しかし違った。社説のタイトルは「毒物ネット 道具に埋没した悲しさ」。要は、「新聞やテレビは自己規制には限界がある」ではなく、「インターネットは自主規制には限界がある」と言うのである。

これを読んでふと思い浮かんだ。加藤典洋である。今年はなにかとよく思い浮かんだ人だ。「戦後後論」でこう書いている。

<「政治と文学」論争のこの流れを追った際、一九二〇年代、四〇年代、六〇年代、八〇年代と、都合四回を数える半世紀以上にわたる「政治と文学」論争が、同心円的な構造をもっていることを、面白く思った。ここには四回の論争があるが、見ると、先の会の「文学」を代表した者が、必ず次の会には「政治」代表に立場を変えているのである。>

これまでメディアを代表して権力に対抗してきた朝日新聞が、上の社説に関する限り、インターネットというメディアに対しては、完全に権力を代表しているように見える。

それはそれとして、この社説は、次のようにも述べている。ここからが本題である。

<目に見えたり手で触れたりできる身近な社会の存在が、あらためて重みを増す。そこで生きた情報のやりとりをし、人間同士のつながりを再構築する必要がある。>(これまた自らの事件報道に自ら文句をつけているのかと思えるのはさておいて)

これと合わせて同日の朝日新聞社会面の解説記事「ネットをめぐる徹底議論必要」を読んでみる。

<この男性は、相談相手と直接会い、その目を見ながら話しても、「○○グラムなら死ねる」と教えて青酸カリのカプセルを渡すことができただろうか。>

社説と解説記事の両方に共通しているのは、インターネットを通じた言葉のやりとり、たとえば東京永久観光における情報や感情のやりとりなど、生きたものではなく、人間同士のつながりとはいえず、目を見ながら話すことに劣る、という認識である。

では、この解説記事を書いた記者は、読者である僕と直接会い目を見ながら話しても、「ネットをめぐる徹底論議必要」「インターネット教思想というべきものが、冷静な議論を阻み、かえって性急で安易な規制強化を招くのではないかとおそれる。」などといった口調で話すのだろうか。

お前の意識やお前のホームページやそこに書き散らされた言葉などなんの実体もない。そういうものとは別個に堅牢な現実というものが存在しているのだ。お前など、本当はその現実世界のちっぽけな一部にすぎないし、そこから世界を臆病そうに眺めているだけにすぎない。???

本当にそうだろうか。

最近すすめられて読み始めた大森荘蔵の本「流れとよどみ」の前書きにある文章を、最後にあげておく。(そういえばこれは朝日ジャーナルの連載をまとめた本だった!)

 私の目指したのは、世界と意識、世界と私、という基本的構図をとりこわすことである。その構図は古くから哲学を呪縛してきただけではなく、われわれの日常生活の隅々にまで浸透している。そしてその日常の知識を発祥の地とする科学もまたその構図の中で成長してきたものであり、したがって現代の科学者はそれを殆ど自明のこととしてこの構図の中で思考し、実験し、生きているのである。
 それにもかかわらず、この構図、世界と意識とをまず剥がしそしてダブらせるというこの構図は、錯覚であり誤解であると私には思われる。それはかつての天動説に似て、長年の風説をこえて生活の地になった由緒あるものであるが、しかしやはり一種の眩惑であったと思うのである。人々は自分の思いこみとは違って、実はこの構図の中で暮らしてはいないのである。意識のスクリーン越しに世界を眺めているように思いこむが実は世界の中にじかに生きているのである。世界のエアポケットのような「心の中」で喜んだり悩んだりしているのだと思いこんでいるが、そのとき世界そのものが喜ばしくあるいは悩ましいのである。世界には喜びや悩みの種だけがあるのではなく、喜ばしさ悩ましさそのものが世界なのである。それなのに人は別様に思いこんできたのである。

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Junky
1998.12.27

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