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沖縄の知事選。いのち、か、くらし、か。

朝日新聞では、いのちを選んだ人はなぜかもちろん悪く言われず、くらしを選んだ人もなぜかそれほど悪く言われず、いのちとくらしに揺れた太田知事は、なかなか悪く言われていた。

いのち? くらし? それなんの話? という感じの東京です。いのちもくらしも本当はいろいろきっとあやうい状況なのだろうが、改めて沖縄と比べてみたせいで、きょうは「いくらかまし」と信じられる。そんな東京から何を言えばいいのだろう。

私は沖縄県に住んだことがない。しかし福井県には長く住んでいた。福井県には原子力発電所がたくさんある。自動翻訳が容易そうな文章だ。高速増殖炉もまだある。原発が出来て仕事も出来た。道路や橋、公共施設も出来た。そういうことになっている。福井の原発&経済は沖縄の基地&経済ときれいに重なる。

福井にいた時は「いのちもくらしもよこしなさい」とニッポン国政府に言いたかった。いのちとくらし。そのうちの一つを選ばねばならないような現実をどうして田舎にだけ押しつけるのか。原発があろうがなかろうが、基地があろうがなかろうが、仕事も道路も東京や大阪と同レベルにするための政策が講じられこそ平等というものだ。それがないのに税金だけ平等に取るのはおかしい。

---とこういうことを、いのちもくらしも「まあ損はしてない」と内心思っている東京住人が言うと、なんだか白々しい。暮らし向きの大変良さそうなニュースキャスターが「くらしよりいのちだ」と言うとしたらそれはもっと白々しいが、そこまでは言わないだろう。

<私>のいのちとくらしが長続きすることだけが大事だ。沖縄のいのちとくらしについてこういう時だけはいろいろ言うが別段なにもしない。そういう私を冷たく思わないで下さい。東京のいのちとくらしについても時折いろいろ言うが別段なにもしない私なのだから。

---と朝ここまで書いてから家を出て、電車で会社へ向かう途中にまた考えが進んだ。

私が本当に気になるのは、いのちやくらしのあやうさではなく、いのちやくらしがあやういと書くこと自体のあやうさである。つまり、基地が、原発が、会社があやうい、そういうことよりも、基地があやういと書くこと、原発があやういと書くこと、会社があやういと書くこと、それ自体のあやうさである。そして、その種のあやうさを通じてならば、東京の私も、沖縄のあなたも福井のあなたも同じ地平に立てる。

--と電車の中でここまで書きたかったが、ウェアラブルのパソコンがないので、家に帰って今書いた。


Junky
1998.11.17

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