From Junky あるいは What's New4

これ以後
1997年9月29日
■きのう、ウォン・カーウァイ監督「ブエノスアイレス」を見終わって渋谷シネマライズの階段を登ると、出口で切り取られたフレームの中にJ-PHONEの広告板がパルコの壁を覆っていた。J-PHONEのCMが起こす不思議な感情にはこれまでのウォン・カーウァイ経験の影響があるのかもと思う。夜テレビで「天国の日々」(テレンス・マリック監督)をやっていた。よかった。「ブエノスアイレス」の感想については、またいずれ。■以下同文
1997年9月26日
■基本的にいちばん面白い「筑紫哲也NEWS23」だからこそ。きょうの井上陽水もよかった。■以下同文。
1997年9月25日
■そんなこと(下)を書いているさなか、歴史は日本がアメリカの戦争に巻き込まれるような時代に急展開していたのでした。「新しい歴史教科書をつくる会」の人たちの気持ちを僕はけっこうわかると思うのだけれど、「新しい歴史教科書をつくる会」の人たちは、この気持ちをわかってくれるだろうか、以下同文。
1997年9月23日
■下に書いた「敗戦後論」を渋谷で探したが、やはり売り切れ。朝日新聞(21日)の書評欄で筆頭に取り上げられていたのが影響したのか。ならば、その予習というわけではないが、いわゆる「自虐史観」をめぐる論争を知ろうと思い、で、まずは「新しい歴史教科書をつくる会」の本にしようか、それへの反論の本にしようか迷ったが、けっきょく前者の「新しい日本の歴史が始まる」(幻冬舎)を買った。まだ読了しない「三四郎」をしばし脇において、少し目を通す。大月隆寛氏の文章が説得の力こぶ丸々巨大(本人のことではない)という感じ。言いづらいが確固としてある疑問を考え抜こうとする姿勢に真摯さを感じる。なお大月氏もまたネットサーファーらしい。■さて新しい歴史観によれば、これも変わりうるのか。以下同文。
1997年9月21日
■市川準監督の映画「東京夜曲」を新宿で見た。引き込まれないシーン、カットはひとつとしてなかったと言っていいくらい心にしみた。もともと風景を眺める習慣があり、後に映画が生まれたのではなく、映画が先で、映画が「風景」という認識を発明したのではないか、と最近考えていたが、改めてそう思った。■そのあと「敗戦後論」(加藤典洋著)という本を探しに紀ノ国屋へ行ったら売り切れ。そしたらどうしても欲しくなった。■以下同文。
1997年9月20日
きょうびの芝居。■「群像」10月号の「日本文学盛衰史」(高橋源一郎)は、なんとあの文芸誌に横書きで、しかもあるインターネットの伝言板と連動した小説だった。文学史的な事件だと思う。その伝言板はここです。僕も書き込みました。■ところで「マザー・サン」(という映画)、実は「浮き雲」の前日に見ているのだけれど、僕には退屈でした。■以下同文。
1997年9月18日
■夏目漱石の「三四郎」なんてのを読んでいる。青雲の志を抱いて上京した三四郎の、新しい人や出来事に出会って心を動かしていく様子ひとつひとつが、鮮やかな印象と好感を与えてくれる。ただし幾日にもわたってちびちびと読みすすめているため、話の流れはところどころ途切れている。伏線らしい箇所もいちいちページをめくり返さなくてはいけなかったりする。それでも各々のシーンがそれぞれ独立して面白く、満員電車で苦しい体勢をしてまで数ページずつ読みふけっている。■本を読むと、読んだあかしが欲しいと思う。だから、こういうところに「読んだ」と記したり、誰かに「読んだ」と告げたり、ときには感想文を書いたりする。そうして初めて読書は読書として認知できる。これまで僕はだいたいそういう態度だった。しかし、そういう認知のない読書、読んでぐいぐい引き込まれたにもかかわらず、その記憶がはなっから消えていってしまうような無償の(?)読書体験もまたいいのではないか。■実は、「三四郎」を僕は青年期に一度読んでいる。が、ストーリーのほとんどを忘れていた。かつての僕の「三四郎」体験は、もはやどこかへ失せてしまったのである。青年期の僕も同様に消えた。■夏目漱石が書き残したからこそ存在が認知される「三四郎」の陰で、無数の青年の無数の夢と絶望が認知されないまま消えた。だからこそ、とにかく言葉しか残せない、そして言葉でしか残せないのなら、意地でもその言葉を残しておきたいと僕は思う。同時に、そう思えば思うほど、言葉や記憶にならなかったものの計り知れない重さもまた思い知らされる。■これはどちらでしょうか。以下同文。
1997年9月17日
■ここの文章はいったい誰にあてているのでしょう。その迷いは常に存在するのである。だからこうして文体がころころ変わっちゃったりするんだよね〜。格好だけは世界に開かれているのだが、実際は特定の人を意識しないわけにはいかないし、それでいて自分のための記録でもあるような、不思議な場。電話とも手紙とも違う、インターネット特有の文体を手探りしているのか。あるいは、こういうもろもろ入り交じった気持ちに入り交じった文体が対応する状態こそ、インターネット的言文一致ということなのだろうか。■さてしかし、言文一致の「言」とは、この場合なにを指すのだろう。もともとしゃべっていたものをネットに移し変えたというよりは、ホームページとやらが出来たのでとりあえず綴ってしまったという文章なのかもしれないのに。■まあしかし、「言」であるしゃべり言葉そのものが、僕が普段使っている感想からいえば、「なんかどうもぴったりこない」。言葉として生まれた最初の形であるにもかかわらず、どこか「不一致」感があるのである。(しかし何に?)■近代文学における言文一致とは、とにかくこれまでと同じ文体では言いたいことが伝わらないという気持ちに本質があり、その解決法としてたまたま当時のしゃべり文体に一致させることを思いついた、というのが真相だとしたら。だとしたら、インターネットでむずむずしながら新しい文体を探しているような今の気持ちとちょっと似ている。■言葉は常に、なにか本当のものとはどこか一致しないように感じられるものであるらしい。それでも、僕は言葉を発してしまうし、発する手段も発する内容も言葉以外にはどうやら存在しない。それでも、言葉は常に、なにか本当のものとはどこか一致しないように感じられるものであるらしい。それでも、僕は言葉を発してしまうし、発する手段も発する内容も言葉以外にはどうやら存在しない。それでも、以下同文。
1997年9月13日
■前述の「浮き雲」を見るために渋谷へ行った日のこと。さあこの歩道橋を降りればユーロスペースだという時、そうだ眼鏡でも拭いておこうと手に取ったところ、フレームが真ん中からぽっきり。そのまま映画館でなく眼鏡屋さんにかけ込んだ。眼鏡のレンタルもしてくれるのだった。■そしてきょうは新調した眼鏡で「アントニア」という映画を見た。岩波ホール。眼鏡がないのは、この間パソコンが壊れたのと同様、生きていけないくらいの障害になる。■以下同文。
1997年9月8日
■「浮き雲」という映画を見ました。渋谷のユーロスペースで。秋・飼うりす巻き、というか、フィンランドの監督アキ・カウリスマキの新作。この類の映画が好きな類の人は既に見ているか、そうでなくとも存在は知っていることでしょう。だから細かいことは書きませんが、よい映画でした。■「平気で嘘をつく人たち」という本を、偶然二人のひとから推薦されて今読んでいます。■きのう無印良品で定番の腕時計を買いました。文字盤は黒。ベルトはグレー。9900円でした。■こういう話がなにかを伝える力は大きいだろうか、小さいだろうか。いずれにせよ、ぜひ伝えたい真意があるというよりも、なんでもいいからどうでもいいから伝わるという事象が起こればそれでけっこうという感じ。これがインターネット日記の特徴ではなかろうか。いや、そもそもコミュニケーションの原点ってそこらへんにあるのかも?■じゃあ、これはどういうコミュニケーションだろう、以下同文。■新しい表現の発見であるが違法でもあるか?
1997年9月7日
■人生とはなんぞや。わからなければすがりなさい。■以下同文。
1997年8月31日
人生とはなんぞや。■以下同文。
1997年8月28日
■もろい岩盤がいつか崩落することは自然の現象でありなかなか避けにくいことだとして、一方で、核廃棄物のずさんな管理はなるほど筑紫哲也さんの言うように人為的問題かもしれないし科技庁との癒着のせいかもしれないが、そういうこともひっくるめて「動燃という組織が崩落していくメカニズムもまた自然現象だ」といったあきらめを感じる、のはよくないのかもしれない。■たとえば、とあるパソコン通信で、ある発言にあまりの憤りを感じながら、いろいろなシチュエーションのせいでそれを指摘することに大きなためらいや無力感をいだいて口出ししなかった僕のわきで、同じように無力感は感じつつも、とりあえずあきらめずに書き込んだ人もいたのだから。■だから、あきらめず、以下同文。
1997年8月23日午前5時
■朝まで生テレビを朝まで見てしまう。実に久しぶり。岡田斗司夫、宮崎哲弥、藤井良樹という若手(30代、20代)3人の話が圧倒的に面白かったせいだ。彼らを初めて見た僕は目が醒めるようだった。というか目は覚めていたのだが。逆に右側に並んだ人たちの多くは、ものを考えることをやっぱりどこかで大いにさぼってきたのではないかという印象を強烈に与えた。たとえば10年後「ところで現在にいたる自分の時代認識や思想のパラダイム変換は、ええといつ起こったんだっけ」と振り返った時に、実はこの夜だったということになるのではないか。■で、いろいろ複雑な心境だが、以下同文。
1997年8月19日
■きょうはニューなファイルがふたつ。まずは尊厳貧乏物語完結。もうひとつは哲学大陸発展解消準備号。■以下同文。
1997年8月15日
■この一年の旅行の話、帰ってすぐまとめるつもりがのびのびになっている。ひとつだけ追加した。もう、こうやって小出しにする方針に変更だ。長い旅ではあったが、振り返る時間のほうが長くなるとは。■以下同文。永久終戦の日にしなさい。
1997年8月14日
■迷宮旅行社のアドレスが変わりました。これまで利用させてもらったサーバGANSEKIは日本におけるプロバイダーの草分けであり、豊富な知識と温かい支援そしてなにより高い志がありました。東京移住に伴って0776へのダイヤルアップが難しくなったため、やむをえず9月いっぱいで抜けます。長い間どうもありがとう。■以下同文。
1997年8月9日
■インターネットで出会った似た者紹介です。■総入れ歯、今日はナガサキの日だっけ。以下同文。
1997年8月6日
■そういえば、今日はヒロシマの日だった。以下同文。
1997年7月22日
脳味噌に汗をだらだら流して考えよう。僕は戦争に行きません。Junky。
1997年7月19日
■あれっきょうだけ表紙が違う。僕は戦争に行きません。Junky。
1997年7月18日
■たまにディレクターのマニュアル本を開くとついなにか作りたくなってしまう。その結果スキルは上がらずチープなファイルだけがまた増える。本日の成果はこれ。Shockwaveプラグインをどっかから取ってきてください。Junkyでした。僕は戦争に行きません。
1997年7月15日
小説の感想文です。てことはその小説を読んでない人には意味なさそうですが、なんと読んでいる人にも意味なさそうなのでまあいいや、というのがそれこそこの小説のすごさというものでしょうか。■僕ハ戦争ニ行キマセン。正義の味方、Junky。
1997年7月13日
神戸殺人容疑者の件で追加あり。■僕は戦争に行きません。Junky。
1997年7月11日
立花隆に貧乏性の噂!■なんと、朝日新聞疑惑に関連して9日に紹介したページが消えてしまったではないか!ここでリンクした最初のページ。それはそうと、偶然ながら容疑者少年の名と顔写真をインターネット上で見つけた。いくつかそういうページはあるのだろうが、今でも案外簡単なのだろうか。感想はまたいずれ。それはそうと、週刊新潮に「圧殺されたこれだけの言論」とかなんとかの特集に載っていた意見は、なんというか、嫌悪感、と書いてなんとなくバランスを取っておく。■僕は戦争に行きません。Junky。
1997年7月9日
少年容疑者のプライバシー問題が飛び火して今インターネットを巻き込んでいるこの事件。■僕は戦争に行きません。Junky。
1997年7月7日
■昨日の「ダウンタウンごっつええ感じ」のエンディングで「香港in香港」とかいうのがあった。見てない人には説明が難しいが、荒唐無稽のネタが深い考察を掘り起こしそうな気にさせられながら結局はそれで面白いのでなく単に理屈を超えたところで不可解ながらもカラッと大笑いしてしまうのであった。たまに見るとたいていいつもわざわざ書き留めるほどのすごいギャグがあって敬服してしまう。■内戦がまた始まるかというムードのカンボジア。この冬旅行した場所です。僕は戦争に行きません、が、プノンペンへは今こそもう一度行ってみたい気持ちです。Junky。
1997年7月6日
ぜひ見てみたい例の写真だが、しかし待てよ本当に見たい理由はどこにあるのか、そんなことを考えながら。僕は戦争に行きません--Junky。
1997年7月4日
■訪問して名前とコメントを送ってくれた人をここに載せています。本日また追加。僕は戦争には行きません--Junky。
1997年7月2日
■雑誌フォーカスが神戸の小学生殺害の容疑者である少年の名前と顔写真を載せたところ、それをとがめる声が高くなり、今号のフォーカスは事実上発禁状態になっているようだ。しかし、容疑者がもし少年でなかったなら全マスコミは顔と名前をためらいなく報道しただろう。フォーカスをとがめる人はそのことをどう思うのだろうか。少年は大人以上に保護を受けるのだという原則は意味があると思う。しかし「少年の容疑者をさらしものにするな」という気持ちは「すべての容疑者をさらしものにするな」という気持ちとそんなに遠いのだろうか。大人の容疑者には何も感じない人が、今回のフォーカスに限ってまるで焚書扱いしているのは、どこか発想に誤りがあると僕は思う。■問題の写真はインターネットにも載ったというので、そのページへアクセスしたが何もなかった。消されたか、あるいは世間の風当たりを感じて自ら消したのだろうか。インターネットでは最近、猥褻を理由にホームページのデータを他人が消したり消させたりする事態が増えてきた。僕はそれに全面的に反対したい。僕がゴミと感じ世間がゴミと感じるデータであっても、表現する自由は絶対に守るべきだと思う。しかし今回の容疑者の写真データはどう考えたらいいのだろう。差別をあきらかに助長する表現と似ていて、そのままにしておくほうがもっと悪いのだと考えるのが正論だろうか。なんか腑に落ちない気もするが。とにかくもう少しじっくり考えたい。■ところで僕は少年容疑者の顔写真が見たくないとは思わない。フォーカスが今ここにあれば開くだろう。ホームページにもアクセスしてみた。これは興味本位で他人のプライバシーを覗こうとする行為であることは間違いない。醜いとも思う。ただし、他人のプライバシーを暴いてばらまく行為と、それをひとりでそっと覗く行為とは、関係は大ありだが、同じことでもないと思うので、このことは別問題として考えようと思っている。■僕は戦争に行きません。Junkyでした。
1997年7月1日
■人民解放軍(といえば聞こえはいいが、天安門ではその人民に鉄砲を撃った中国政府の軍隊)が香港入りしたね。返還とは第一に戦争を主導する権利の返還であるのか。そんな、もともとあったのかどうかもわからない権利を返還しなくてもよかったのに。■中学生が殺人容疑で捕まって、橋本首相は「わたしたちはどこで間違ったのだろう」とかキザな台詞をはいたそうですが、あなたたち役人やあるいは大銀行の最近の過ちのほうが、よっぽど大きな間違いだと思いますよ。中学生である酒鬼薔薇聖斗の気持ちが「とうてい理解できない」と語ることで正常な感覚を装うとするキャスターもいるけれど、彼は僕からそう遠くにはいないと感じます。たとえば大銀行の役員があまりに僕から遠くにいることに比べたら、ね。■僕は戦争に行きません。Junkyでした。
1997年6月29日
(元)原発ジプシーからの手紙が復活。面白いよ!■僕は戦争に行きません。Junkyでした。
1997年6月23日
この話は少し嘘です。■僕は戦争に行きません。面接はときどき行きます。Junky。
1997年6月16日
■久しぶりにショックウェーブを作った。遺伝子問題に鋭く迫った先端的ファイルである。クオークに続きバイテクとくれば、これは迷宮科学社もそのうち理系ページに分類されるかもしれない。...あ、迷宮旅行社。途中クリックは不要。■僕は戦争に行きません。Junky。
1997年6月9日
■素粒子とかクオークとかの本を読むと、あまりのわけのわからなさに、生きていることがわけがわからなかったり柄谷行人の文章がわけがわからなかったりしても、なんだどうせなにもわからないのだから大丈夫なのだ!という気がしてほっとするのは僕だけでしょうか。■だからもちろん行くとか行かないとかは言えないような状態で存在しているのですが、物質としての現れはとりあえず僕は戦争に行きません。Junky でした。
1997年6月7日
家事の楽しみというものに思い当たる日。■僕は戦争に行きません。Junkyでした。
1997年6月6日
ワープロだから心配なのか、ワープロだから大丈夫なのか......■これまでのファイルを整理したのでディレクトリが変わっています。どうか目次から探してください。日付順またはカテゴリー別のファイル一覧もあります。■Junkyでした。僕は戦争に行きません。これは変わりありません。
これ以前
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