思考のアトムとは?

思考原子の構造モデル

Shockwave見えなくても
どうってことないので
文章だけどうぞ。

思想とか観念とか哲学とかさらには感情だの情念だの、とにかくそういう類のものをどんどん切り刻んでいくと、ついにはこれ以上分割できない思考原子にまで達する。僕たちが言葉とか呼んでいるものがこれかもしれない。あらゆるワレオモウことの最小単位は思考原子にある。
思考原子はごぞんじの通り何種類もあるわけだが、中をのぞくと意外ににどれも同じ考える素粒子で構成されていることがわかる。(上のモデル参照)
考える素粒子は3種類で、それぞれプラス、中性、マイナスの性質がある(そういえばあるね!)。プラスおよび中性考える素粒子が同じ数だけ結合しその周囲をマイナス考える素粒子がこれも同じ数だけ回っている。プラスの考えと中性の考えが強く結びつくのと同時にマイナスの考えがそばをつきまとうのである。
■この考える素粒子の結合している数が変わることで、あらゆる種類の思考原子が生まれるのだ。
いずれにせよ、思考原子はこういった考える素粒子の単純な構造物だ。ということは考える素粒子こそ思考の究極、思考のアトムなのか?

考える素粒子の内部
■しかし驚くべきことが最近の研究で分かってきた。これ以上分割できない究極状態とみなされてきた考える素粒子にも、さらに内部があったのだ。考える素粒子のうち、マイナスの考えはごく小さい単体なのだが、プラス中性の考えはクオークと呼ばれる彩りというか匂いというか、とにかく考えるということとは在り方のちょっと違う不思議なモノが組み合わさって出来ているらしい。こう想定すると考える素粒子のプラス指向だのマイナス指向だのというふるまいをうまく説明できるのだという。(そんなもの想定しない方が説明しやすいので?と思うのは素人のあさはかさ。そこはその、現代物理...じゃなくて現代哲学最大の難所なので常人の理解を超えていてもいたしかたなかろう。) ■さてそこで。考える素粒子はプラス、マイナスの力以外に3方向の不変的な力を持っていて、その力を3種類のクオークが担っているとされているのだ。仮にそれを内容クオーク、形式クオーク、論理クオークとでも呼んでおこう。面白いのは、クオーク内容、形式、論理のどれも分離して観察することができないということだ。内容があるところ必ずや形式論理がくっつき、3つそろって考える素粒子となってしか考える世界に出現しない。というのも、考える素粒子がプラスとマイナスが引き寄せあって安定していたのと逆に、クオークはたとえば形式クオークだけを単体として取り出した場合、同じ形式クオークを雪だるまのごとくどんどん吸い寄せてしまうらしいのだ。そうならないよう内容クオーク、論理クオークと一緒に考える素粒子の内部に閉じこめたともいえる。誰がかは知らない。


■ところで宇宙はあまりに広く、そこにはごくごくわずかの思考物質がまばらに散らばっているだけのように見える。また目を極小の世界に転じて思考原子を眺めても、これまた内部はほとんど空洞で、考える素粒子はまるで球場に置かれた野球ボールの大きさでしかない。
■とすると考える世界とは意外に中身が空っぽの世界なのか。ところが、やはりそうではないというのが現代科学の見解らしい。困ったもんだ。がらんどうのようでいて実はなんだか分からないものがなんだか分からない状態でぎっしり埋まっているという。考えが存在しているようなしていないようなというか。いったいなんなのだろうね。その辺についてはまたいずれ。

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junky
1997.6.9

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