From Junky あるいは What's New
これ以後
1997年12月27日
■パソコン時代の反映か「コート紙の年賀ハガキ」なんてのが登場した。プリンタの印刷がきれい。では僕もそれを使って。■以下同文。
1997年12月23日
■僕がクリスマスになるべく巻き込まれたくないのは、天皇制になるべく巻き込まれたくないのと、けっこう似たような理由だと思います。それでもクリスマスという巨大なフィクションをかりそめにでも信じ楽しもう、という誘惑を捨てきれないのが生身の人間生活というものかもしれません。だったら、クリスマスより天皇誕生日でも祝ってみるのがいまどき面白い。のでは?■以下同文。
1997年12月20日
■八重洲ブックセンターなんかに入ったりすると、「ありうる、あらゆる、もの」は、すでに書かれてしまっているのではないか、と思ったりするが、そこで買った「トリッパー」で高橋源一郎の文章を読んだりすると、いやいやまだまだこれからだ、と少し落ちつく。そんなことから。■「オルタ・カルチャー・ジャパン」(メディアワークス)という本を知ってますか。買おうかどうか迷っていたら、なんと全文がネット上にありました。企画も方針も文章も納得。WEBでの公開を躊躇しないところがまた慧眼だと思いました。■以下同文。
1997年12月17日
■1997年の重大ニューストップはやはりこれ。しかしなぜだ?■以下同文。
1997年12月14日
■トマス・ピンチョンというアメリカ作家の短編集「スロー・ラーナー」というのを読んでいる。長編「重力の虹」を読む前の準備運動のつもり。しかしこれがなかなかとっつきにくい。風呂につかりながら読んでみたが、効果はない。ただ、エントロピーとか不確定性原理といった科学理論が喚起するイメージがけっこう話のポイントになっていることだけはわかってきて、これはちょっと捨て置けないぞと思っている。それと妙な偶然があった。図書館でこの本を借りた日のこと。「新潮」の立花隆の連載を、毎回目を通しているしとりあえず、と開いてみたら前号からの「文系知識人に理系の知識がなさ過ぎる」との嘆きがまだ続いていて、今回は「それを言い始めたのはC・P・スノウという人だ」と書いていた。で、帰って「スロー・ラーナー」の解説を読んでみたら、ピンチョン小説の特徴に関連して、なんとこのスノウ氏に触れているではないか。しかも立花隆が引いたのと同じ発言を載せていたりするのだった。この偶然は、なんというか、少なくともピンチョンを読む励ましにはなっている。■自分以外にはなかなかつまらない話でした。以下同文。
1997年12月13日
■モンゴルの空は抜けるように青かった!かどうか実はよく覚えていないのだが、このところの東京もなかなかどうしてクリアな空だ。とにかくじめじめしてないのがいい。ちなみにリスボンの空も青かった。ヴェンダース「リスボン物語」の話。その帰り寒いのになぜかビールを飲んだら、ふと思ついたことがあったので、よその伝言板に書きました。以下同文。
1997年12月12日
■たまには自己紹介でもするか。以下同文。
1997年12月2日
■新宿謎の会合については僕もいつか触れたい。ちぐはぐでへんてこなやりとりだけがちっとはましななにかを運ぶ。かも。■土井さんはそんなこと言わなかったのでは?との指摘あり。いやその通り。実は土井さんは「まず受験に勝って宇宙をめざせ」と言ったのです。■以下同文。
1997年11月30日
■土井さん、お元気ですか?■以下同文。
1997年11月29日
■ヴェンダース、おとといは「都会のアリス」。20年以上前に作られたこの映画を、僕は10年ほど前に半分眠りながら見た。だから話の展開が漠然としている中でモノレールが動くシーンとかスクリーンを覆う陰鬱なトーンだけが長く記憶に残っていた。それが今回すべてクリアになった。まるで、夢の出来事あるいは帰らぬ昔の出来事を思いがけず現実にリプレーできた感覚。それは、アリスの持っていた写真を手がかりに彼女の祖母の家を探し当てた時のような?■ウィトゲンシュタインの「哲学的探求」はついにほとんど読み進めることができないまま一月が経ち、図書館の返却期限がくる。この読書もいわば夢の中の漠然とした思考に似ていた。では、たとえばこれから10年くらいの時が過ぎたころ、再びヴィトゲンシュタイと今度こそクリアに出会える日がくるのだろうか。しかしそもそも漠然としたままの言葉、記憶とは。■以下同文。
1997年11月22日
■ヴィム・ヴェンダース特集、きょうは「アメリカの友人」「パリ、テキサス」の二本立て。こんな幸せの日に鼻と喉が風邪でグスグス。鑑賞中、ティッシュを出すタイミングが難しかった。特に「パリ、テキサス」の冒頭など。■「パリ、テキサス」、実はビデオしか知らず劇場で見ることが10年余りも持ち越した宿題だった。それがやっと果たせた。感無量。■しかし、なぜだかそれ以上に身にしみてしまったのは、「アメリカの友人」でデニス・ホッパーがブルーノ・ガンツを助けにぬっと現れる列車のシーンだったりするのだった。■ところで、僕がもしこの二つの映画に出会わなかったら、「パリ、テキサス」見ましたか?「アメリカの友人」もいいですよねえ、という会話が存在しないのであるが、それは今とどれほど大きく違う人生であることか。以下同文。
1997年11月18日
■下高井戸シネマはヴィム・ヴェンダース特集。まずは見たことなかった「まわり道」。最後の言葉「新しく動くたびに、なにかをしそこなう」。わかる。物憂い気持ちがそのままずっと持続する世界。それは辛いかもしれないが、どんなに物憂い気持ちも適当にごまかさずにはいられない、たとえば会社みたいな世界と比べたらむしろ恵まれているのかも。よし、それならばここは心機一転、あしたから心を入れ替えて、物憂い気分でやり抜こう!■高橋源一郎「いざとなりゃ本ぐらい読むわよ」は、いざとならなくても楽しく読める。ムードは確かに物憂さの対極。■以下同文。
1997年11月15日
■先日、スペイン映画「みつばちのささやき」(ビクトル・エリセ監督)をようやく映画館で見ることができた。フィルムに焼き付けられた2時間ほどの世界体験は、いくら時間がたっても、どこにいるだれにとっても全く同一であるということが、なんだかとてもすごいことのように思うのでした。■以下同文。
1997年11月13日
■久しぶりに更新したと思ったら、またこれだ。■というわけで、ウィトゲンシュタインの「哲学的探求」が手元にある。黒崎宏という人が翻訳しわずかに解説を加えた本だ。しかし、ある程度暇と根気がないと一行も進まない。たとえば最近の若者がためらいなく地べたに座りこむことに、きょうあるニュース番組が興味を示し批評をしていた。ずいぶん前にも別のニュース番組が同様の特集をしていた。座り込む若者について考えてみるのはたしかに面白いが、この現象はよく理解できる気がするし、それ以上踏みこんでわけを知りたいとは思わない。そんなことより、このウィトゲンシュタインという人がまあ相当ヘンなことを書いているみたいであって、いったいぜんたいどういうことなのかどうしても知りたいし、その手がかりだけでもほしくてほしくてウズウズするのである。とはいえ読書「哲学的探求」はいっこうに進まない。ただ妙なところで影響を受けるのが読書の習いであるようで、このところ僕の書く文章はいたずらにわかりにくい傾向にある。■以下同文。
1997年11月5日
■食った、食った、食ったくったくったく屈託屈託屈託....ヤケ食いの日もあるさ。屈託。わかるものか、屈託のない君に。屈託。勝手にしやがれ、これは今日見た映画。屈託。最近更新少ないねとご指摘いただいた私のページ。屈託。以下同文。
1997年11月3日
■代官山へ。目を引く建物。気を引く店。緑にとけこんだ、さほどわざとらしくもない街だ。きのうは、のんき電車・世田谷線の界隈をぶらぶら。「東京日和」に出てきた駅や路地の面影を追って。全然違う風景だけど、どちらも東京。そういえばおとといは横浜駅前。喫茶店に居座っていたら、にぎわう通りにすっかり日が傾いた。旅のようでもあるが、必要な買い物もするので、生活のようでもある。■「ごっつええ感じ」が最終回だった。とかげのおっさんが出た最後の長いコント(昔のものかもしれないが僕は初めて見た)が飛び抜けておもしろかった。「言葉というのは、実際にとにかくしゃべってみて、それで周りが変な顔しなかったら、それがつまり言葉を理解していることなのであり、言葉の意味というのも早い話がそういう使い方全体を含めた話なのだ」とかなんとかウィトゲンシュタインは考えていたようだが、そうすると、変な顔をされるような言葉の使い方をわざわざしてみて、さらにその変な使い方を受け入れる態勢が聞く側にできている時には、言葉が全く新しい意味を獲得していく瞬間をきわめて人工的に作り出せる、ということになると思う。それをこのコントは匂わせる。が、うまく言えない。■以下同文。
1997年10月27日
■私がウィトゲンシュタインに魅せられたのは"ことばの問題"であった。清水書院「ウィトゲンシュタイン」(岡田雅勝著)の表紙に書いてあるこの文章の意味とは、この文章をこのように現実に使ってみることなのだ。ということにしておく、きょうのところは。ウィトゲンシュタインの意味もまたウィトゲンシュタインの使用である、ということで。■竹中直人監督の映画「東京日和」、土日は立ち見のおそれあり。きのう僕は一時間前に着いたので大丈夫だった。そもそも映画とは「もの」であると同時に「こと」であったことを知る。一方ある映画評論家が「フジ月9ドラマはいわばイベントなのだ」とか朝日新聞に書いていたが、どっちの「こと」つまり「イベント」が楽しいかは人それぞれ。■さて、以下同文の意味もまた以下同文の現実におけるたとえばこのような使用である。
1997年10月25日
■たとえばエレファントカシマシの歌詞に生きていく振りを学ぶ青年がいるように、いい大人になってしまったのにまだどうもよくわからないという私は、アキ・カウリスマキの「いとしのタチアナ」に出てきたおじさんたちの振りでいけばいいのだ。ただし来月になればトラヴィスの振りでやるしかないのかと言うだろうが。■休日にひとつ隣の駅でも歩いてみれば気分はもう旅人。湾岸道路を車で走ってもまったく別の東京が見える。迷宮とは海外よりも東京にあったのか。ところで旅人というのもまた誰かが発明し数多くの人に真似られた「生きていく振り」のひとつです。...となんだか「コラムニスト?
振りが染み着き 自己嫌悪」これは俳人の振り。■これもまた生きていく振りのひとつか...以下同文。
1997年10月19日
■またまた「新しい日本の歴史が始まる」問題について。従軍慰安婦の強制連行が「あったと書くべき」か「なかったと書くべき」かという点に絞れば、14日付けで紹介したページに明解な説明がありました。一読を進めます。じゃあ僕は強制連行「アリ派」か「ナシ派」かというと、なんとも言えません。それよりいみじくも気がついたのは、僕の気持ちの中に「強制連行アリがうれしい」と「強制連行ナシがうれしい」の両方が同居していることです。そして、その「うれしい」はどこから来ているのか、また、それは正当なものなのか、こういうことが疑問の焦点です。ちゃんとした意見をなかなか出さずグズグズしていますが、考えてはいます。考えてばかりいます。■以下同文。
1997年10月16日
■下高井戸シネマのアキ・カウリスマキ監督特集、第三週は「ラヴィドボエーム」。さえないけれどたのしい人々。次はなんとヴィム・ヴェンダーズ特集が待っている。この健気な映画館がマンションの二階にあることはこの前書いたが、なぜそんなところにあるのか、考えてみれば不思議だ。答を知っている人がいたら、教えてくれないでください。その謎が少しづつ深まったり解けていったりするのを楽しみたいから。まるで、初めて出会った映画監督の作品を一本づつ丁寧に見て、じわじわとその魅力を知っていくかのように。■以下同文。
1997年10月14日
■「新しい日本の歴史が始まる」(新しい歴史教科書をつくる会編)を読んで自分の中に巻き起こった疑問に、まだクリアな解答を出せないでいる。参考にインターネットを覗くと論争の跡があちこちに残っている。そのうち相互にリンクしているこのページおよびこのページを紹介する。これまでこの種の論争を読んだり聞いたり時にはしたりした記憶がいくらかあるが、常になにかやりきれないムードを伴っていた。しかしこれらのページは、なんというか議論のムードが気持ち良い。そして、従軍慰安婦強制連行の証拠が「あると書くべき」か「ないと書くべき」かの分かれ目よりも、このムードの分かれ目の方がとても大切であるように僕は感じた。「ほう、それはなぜ?」と問われても、これまた今の時点ではクリアに言えないので、またいずれ。■しかしこちらはクリアです。以下同文。
1997年10月13日
■古い話かもしれませんが、神戸の殺人事件について納得の論をまた見つけたので、リンクして紹介します。「InternetWatch」というページの編集者が書いたコラムです。この人は、インターネットのメディアとしての実質を正確にとらえ、しかも高い視点で編集方針を打ち出しているようです。ふと、既存のニュース番組や新聞(これも信頼できるか信頼できないかといったら、基本的に僕は十分信頼しますが)以上の信頼を感じてしまいました。WEB上の情報提供ページの類は山ほどあって、なんというかたいてい一見して疲れてしまうのが普通でしたが、こういうページならぜひまた読みたい。■以下同文。
1997年10月11日
■映画「バベットの晩餐会」を見たので、それに関するいろいろ。以下同文。
1997年10月8日
■ついこのページばかり更新してしまいます....とこういうことをついだれもが書く。....とこういうことを僕はつい書く....とこういうことをつい...ついついついついつい....。ついってなんだ?■アキ・カウリスマキ監督特集2週目の下高井戸シネマへまた行った。「マッチ工場の少女」。この映画館はマンションのワンフロアにある。上に住めたら楽しい。ところで昨日ホールに入ると座席のいくつかに青いシートが被せてある。なんでも上の部屋から水漏れがあったとか。住まいといえば「高橋源一郎の家」が設計されるようだ。高橋源一郎といえば、群像11月号の「日本文学盛衰記」を読んだ。きょうあなたの会社で夕刻「ちょっと図書館へ行ってきます」と言って1時間ほど帰ってこなかった社員がいたら、それが僕だ。わはははは。都市の匿名性。遊戯。そうして夜が来て、ニュースステーションとニュース23とで初めて世界を感じる僕とはいったい何だ。■以下同文。
1997年10月6日
■件の「敗戦後論」をやっと手に入れ読んでいる。ついでに「クォークとジャガー」という話題の科学理論本も読んでいる。どちらもかなり背伸びをして読んでいるせいで、ちょっと集中力を欠くとすぐに理解から遠ざかる。全然知らない国で迷子になって、いたずらに歩き続けているような感じになる。本も休み休み読め。ここも休み休み書け。会社も休み休み行け、たら。■以下同文。
1997年10月5日
■日曜日は映画に行く習慣。きょうは渋谷東映で中原俊監督の「Lie
lie Lie」。客は「がら がら がら」。でも映画は「ベリナイス ベリナイス
ベリナイス」。■以下同文。
1997年10月3日
■「新しい歴史教育をつくる会」の本について9月23日に書いた。反対の立場である吉見義明氏の講演記録があったので紹介。■以下同文。
1997年10月1日
■アキ・カウリスマキ監督の特集が下高井戸シネマで始まっている。さっそく「コントラクト・キラー」を見た。この前の「浮き雲」と同じテイストで、たいへん1感動した。2身にしみた。3楽しめた。4面白かった。この中から選んでください。それにつけても語彙の少なさよ。僕は戦争に行きません。
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