うぃとげん、じゃなく、たかげん

戻るの意味はこれです。

「まだ言葉にならない漠然とした考え」というようなものが仮に存在するとして、なおかつ、それをアナログな状態とでも呼べるとしたならば、書き連ねられた言葉とはすべてデジタルな状態なのである。

てなことをウィトゲン3に書いたが、最近読んだ「トリッパー」冬季号に高橋源一郎が下のようなことを書いていたので引用します。僕の文脈にむりやり当てはめれば「アナログなんて実はなくてデジタルしかないんだ」ということになりそうです。

(ここから引用)
「考える」ということをどこまで遡っていっても、そこには言葉がある。
「考える」ということの実際の内容は、言葉を組み合わせるということである。その言葉の組み合わせをチェックしながら、「そのまま、そのまま」とうなずいたり「ちょっと待て、これ、チェンジ」と変えていくことである。
ということは、わたしたちはその言葉の機能の範囲内でしか「考え」られないのだ。

(少し略して)
「考える」ことが言葉の機能の範囲内の出来事なら、それ以上に考えることはできないのか。
ミラン・クンデラという人ははっきりと「そうだ」と答えている。
「人間の限界とは言葉の限界であり、それは文学の限界そのものなのだ」と。

(引用終わり)

引用ばかり長いな、しかし。「お前の文章がないぞ!」とご立腹の方、しかたない例の高橋源一郎関係の伝言板にきょうもまた少し書いたから、代わりにどうぞ。

進むの意味はこれです。


Junky
1997.12.20

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