From Junky あるいは What's New

これ以後
1998年3月31日
■渋谷TOWERが世界一巨大なレコード店であるということを今さらながら初めて知ったので、それはそれはと日曜に出かけて行ってCDを買う。パシフィック231「ミヤシロ」という珍奇な一枚と、これも今さらながら初めてちゃんと聴くMIKADO「FOR EVER」。この日の視聴と宣伝だけで選んだのに、どちらも細野晴臣と深いつながりのあることが判明。好みとは、ゆるやかに回帰していく宿命か。「御社(みやしろ)」に「帝(みかど)」というのも妙なつながりだ。またパシフィック231のメンバー蓮實重臣と東大学長蓮實重彦とは親子つながり、細野晴臣とは臣つながりだ。このCDと以前書いた上野耕路のCDは同じ発売元つながり。あなたも「ミヤシロ」につながれ。■以下同文。
1998年3月30日
■映画「台北ソリチュード」(林正盛監督)。期待を込めて昨日、渋谷ユーロスペースへ。相当良い。台湾映画、ますますのめり込む。「風櫃の少年」(侯孝賢監督)もこの間ビデオで見たし。僕はかつて、たとえばフランスに住む人がデンマークの映画を見て「いいね、この場所、そして、この映画」とか微妙な遠近感で感激したりするのがヨーロッパなら普通のことなんだろうなと想像し、うらやましかったものだが、同じ構造を、当たり前のことながら、僕の住むここアジアでも成り立つことを実感して、とてもうれしい。■それはそうと「台北ソリチュード」にも「風櫃の少年」にも「恋恋風塵」にも、兵役という存在が大きな影を落としている。以下同文。
1998年3月29日
このあいだの立花隆氏の講義について。うまく伝えるのは難しく、かつ、まだ途中ですが、脳とかに興味ある人はどうぞ。■以下同文。
1998年3月28日
■てっきり。起きがけに開いた新聞の広告欄に、森田健作のさわやかな笑顔が出ていたので、胃腸薬かなにかの宣伝かと思ったら、あしたは衆議院補欠選挙の投票日なのであった。隣の映画情報欄にあった大きな囲みも、タイタニック関連ではなく、小沢一郎がJAPAN丸の舵取りをする自由党のPR広告だった。■3.6失業率の報おぼろ宵に咲き初む東京週末(平成新古今集より)■以下同文。
1998年3月25日
■給料日が少し早く巡ってくるのはいいことだが、実は家賃を払う期日も早かったのだ。しかし定期券が早く切れるのは詐欺じゃないか。■島田雅彦「内乱の予感」を読み終えた。千年王国に実はなにか途方もない構造や仕掛けがあって、それが解き明かされるのかと期待したが・・・。■以下同文。
1998年3月23日
■日曜の新聞求人に「御蔵島村職員」というのがあった。年齢は40歳未満。御蔵島、知ってますか。僕は知らなかったので、街歩き用に買ってあるアルプス社の地図「アトラスRD首都圏」を見たら、さすが東京都、載っていた。人工物の表記は役場しかない丸い島。東京から三宅島経由の船が出ている。映画館や美術館はないだろう。インターネットは大丈夫か。給料はいくらか。そもそも仕事はなんなのだ。採用されて赴任する気分になってしまった。■以下同文。
1998年3月19日
■18日に東京大学先端研で行われた立花隆客員教授の「最終講義のようなもの」に潜り込んだ。「立花さんはどんな先生でしたか」という学生へのインタビュー項目などを書いた取材のレジュメを握りしめていた草野満代アナウンサー、および、パーティーだけちゃっかり出席の筑紫哲也キャスターも目撃した。同じニュース23の記者が小型のメモ帳にちょこっとだけ記入している隣の席で、僕は一言も聞き漏らすまいとノートをしっかり取った。だから、この日のニュース23より詳しい講義内容をいずれ報告しましょう。■以下同文。
1998年3月17日
■「柄谷行人が選んだ50冊」とかいう文庫本シリーズが本屋に並んでいた。ざっと見たところ、「さようならギャングたち」(高橋源一郎)と「絶望の精神史」(金子光晴)は読んだ覚えがある。が、あとは???。表紙は統一されたデザインだが文字のみ。そういえば、柄谷行人の本自体も表紙に絵が描いてあるなんてことは全くないのではないか。中身と同様、味もそっけもないというわけ。純粋な論理は具象によって表わせたりはしない、という断定を示しているのだろうか。文字のみのホームページならすいすいブラウズできて良い。■「イスラムの美術展」とかいうのを旅先のクアラルンプールで見た時、偶像崇拝を禁じているため抽象画ばっかりで、とても不思議だったのを思い出す。ある朝家を出た。周囲を眺めた。建物も人も電車もすべて抽象の世界に変わっていた。なんてことになったらさぞ奇妙。そうだ、モンドリアン展が来月から始まる。■金正日政権は、ニッポン列島に核配備などせずに「アルミ残灰作戦」へ切り替えてはどうだろう。以下同文。
1998年3月14日
■都築響一が、SPAの連載「珍日本紀行」をまとめた写真集で、写真界の芥川賞といわれる木村伊左兵衛賞を受賞したという。前作「TOKYO STYLE」のことを、ここで触れたので、なんとなくひとごとではない。ひとごとだけど。それとは別に、きょうは写真展をひとつ見てきたので、それについて。■以下同文。
1998年3月10日
■なにか新鮮な音楽が聴きたくなってCD店へ。耳に珍しく、しかし耳に馴じみ、さらには多種多様の音がパックされているような、そんな、まるで「エスニック幕の内弁当」のような一枚が欲しい。そううまく見つかりはしないが、久しぶりの音楽探しは楽しかった。買ったのは、オノセイゲン(小野誠彦)の「La Movida」、上野耕路の「Okinawan Childai」、マドレデウスの「風薫る彼方へ」。どれもメディアを経由せず(流行に疎いということ)偶然知って感銘も深かったアーティストばかり。あまりに多すぎるディスクと情報の中から一枚を選んで慈しむ理由は、そこらあたりにしか見いだせないような気がしている。■音楽話もう一つ。ブルースにロック、ジャズにラテンと、とにかく音楽に造詣が深い一人の成人男性にある所で会った。バンド活動に夢を託しつつ、仕事でしかたなく高校生相手にギターを教えているらしい。「今はグレイですね。グレイが弾ければ食えるんですよ」と自嘲気味に言っていた。■以下同文。
1998年3月6日
■近所のうどん屋へ行ったら、室井滋にそっくりの人がいた。あまりに似ているのでしげしげと眺めたら、イヤな顔をされた。きっと「似てる、似てる」とみんなに言われてうっとうしいんだろう。しかし、そのちょっと不機嫌そうな独特の口元がまた、まるっきり室井滋だ。向こうの席からもヒソヒソ声が聞こえたが、たぶん「あれは室井滋じゃないか」って噂してるんだろう。うどんはコシがありダシは薄めだがうまかった。ごちそうさま。店を出てから気がついた。「そうかあれはそっくりさんじゃなくて本物の室井滋だ」。その方がツジツマが合う。東京に来て9カ月あまり。これまでに偶然見かけた有名人は、大地康雄、坂本龍一に続いて3人目。ついでにこういうページを紹介。■以下同うどん。
1998年3月5日
■逮捕された大蔵キャリア二人組(訂正=キャリアは一人だけでした)。うつむき口を結び眼鏡の奥から恨めしげな上目使い。ヤケに似ていた。■国の根幹が「壊れる壊れる」と言うが、カルト宗教の終末予言みたいなもので、当たるまい。だいたい国が壊れようがどうしようが、自分が必ず死ぬということの深刻さに比べたら、別にいいじゃないか。むしろ、予言が当たって「この国」の本当に死ぬ姿が、自分が死ぬまでの間に見られたら超ラッキー。--と、こんな風に書いてみて、オオクラカンリョウ、コウテキシキン、キンユウカイカクというものの私的実感を探るのだけれど、結局ウソっぽい。それより明日の雪が心配だ。■以下同文。
1998年3月4日
■スガ秀実といえば渡部直己と並ぶ「日本文学の鋭きケナしまくり屋」として前々から気になっていた人だが、この人のトークを直接聞いたのは先月の初め。スガという字(糸へんに圭)がワープロで出にくいから書かなかったのではないと言えばウソになるほど、今時の人名はワープロとの相性が大事であるが、それはともかく、そのことをふと思い出したので書いておく。小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」で滅茶苦茶な態度と風貌に描かれていたため、さてどんな人物かと期待して眺めてみれば、とにかく司会なのにがんがん人の話を遮ってペラペラペラペラ喋りまくり会場から大顰蹙を買っていたが、僕にはかえって面白かった。ゲストの元赤軍派議長を過去の遺物・剥製の見せ物扱いする魂胆はちょっといやだったが、それを除けば、楽しいおしゃべりおじさんだった。文学の見方に最も新しいパラダイム転換を示したと言ってよさそうなスガ秀実の言説であるが、実物のしゃべりを聞けば、どこか等身大の、たとえば「妙に軽〜い批判性・批判症」とでもいった性格に由来しているのではないかという気がしたりして、なんかほっとするものがあった。このスガさん、実はなぎら健壱にちょっと似ている。そのことをきょうTV「ネタでフィーバー」を見て思い出し、書き留めたワケ。■つまらない話でしたか。最近カウンターをこっそり付けてみたら、ちゃんと数字が増えるので、なるべくなんか書こうと心を改めた次第。しかし、ちょっと長くなった。ま、もっともっと長い文章を突然一気に書いてしまう人もいるから、このくらいかわいいものかな。■以下同文。
1998年3月1日
■河原温の作品、実は先週見に行った。で、このあいだの続き。■僕の脳(魂)をコピーしたら、どちらが本物の僕か、というを以前ここに書いたが、同じ議論をある伝言板で見つけた。興味の向き方のあまりの類似に興奮。思わず書き込んだ。■以下同文。
1998年2月25日
■このところ心の慰めは「ミスター・ビーン」のビデオ。いつも全巻レンタル中なのに、なぜかきょうはたくさん残っていてラッキー。帰ってすぐに上映。途中ちょっとビデオを止めたら、それでもビーンが映っていてびっくり。トンネルズの番組に出演していたのだった。ビーンの流行には、なにか戦略的なものがあるのだろうか。などということは知らずに楽しんでいるので、気分が良い。■以下同文。
1998年2月21日
■「東京夜曲」で気になった風景を実際に発見したので、それについて極めて私的に。■以下同文。
1998年2月19日
■新井将敬自殺。伊丹十三は黄色いマスコミが追い込んだという。では新井将敬を追い込んだのは検察と白く正しいマスコミか。伊丹十三が援助交際をしていたとしても僕には関係ない。同様に、新井将敬が援助投資されていたとしても僕には関係ない、か。いや、新井将敬への援助投資は政治という公の機構に関わるがゆえに僕にも関係せねばならない。というのは本当だろうか。新井将敬への援助投資がマスコミという公っぽい機構を通して僕に関係していたことは確かだが。ただ、新井将敬の自殺ばっかりは、公であろうがなかろうが、公っぽかろうがぽくなかろうが、伊丹十三の自殺同様、僕には衝撃であった。■以下同文。
1998年2月18日
■昔からの疑問。河原温は見に行くべきか。■以下同文。
1998年2月17日
■「日の丸飛行隊」を疑うように、「本当に うれしい時は 泣く原田」などと甘美に酔う僕も自らを疑うべきか。だからかわりにこういうページ。(とはいえ、原田、よかったね!!)■以下同文。
1998年2月15日
■「フセインくんは持ち物検査が嫌い」とかなんとか以前アエラの吊り広告にあったが、たしかに問題は似ている。ナイフや兵器を隠し持って好き勝手に相手を傷つけるおそれがある奴は、ケイサツやガッコウやアメリカがイヤと言うほど懲らしめてやる以外に解決の道はない、と話が進んでしまう点が似ている。ナイフという暴力、フセインという暴力を非難するのが容易であるのと同様に、ガッコウという暴力、アメリカという暴力を非難することもまた極めて容易であることを自戒しつつも、暴力そのものも困ったことだが、暴力への暴力も同じく困ったことなので、いまから堂々と振るおうとするクリントンの暴力には、待ってくれといわざるを得ない。フセインのことはオレにまかせてくれ。■以下同文。
1998年2月12日
■先日あてなく高円寺をぶらついた。どこまで続くのだという長い商店街に奇妙な古着屋などが軒を連ねている。住人の傾向を反映してかバンドや劇団のチラシがいくつか置いてあった。その中に「そうじ新聞」(岡画廊)という手書きのペーパー。何かと思えば、決意を固めて部屋を掃除した際に整理した本のリストがずらずらと綴ってある。捨てるもの、売るもの、保存するもの。ただそれだけなのが面白かった。売る本にトマス・ピンチョンの「スロー・ラーナー」があり「この文章は読めない」と評していたので好感が持てた。ついでに「スロー・ランナー」と書いてあったのでこりゃホントに読んでないなと思い、ますます好感が持てた。岡画廊は、たしか、絵を窓に並べて街路から見てもらうとかいうコンセプトのスペースじゃなかったかと記憶する。近所らしいが、行ってみることはしなかった。あまりの寒さに早く帰りたくて。■以下同文。
1998年2月7日
■年賀状の返事を書こう書こうと一ヶ月余り。どうしてもうまくいかなかったが、写真がきれいに出るプリンターを買ったら「これだ。これで出せる」と思った。明治期に言文一致体が発明された時の感動に似ていないこともない。でも、まだ出していない。■以下同文。
1998年1月31日
■これまでに最も印象に残った本を3つ上げてください。「東京漂流」「TOKYO STYLE」そして「東京装置」。そういうことにします。■以下同文。
1998年1月29日
■きょうの朝刊を見てウィトゲンシュタインならこんなふうに言っただろう。あるいは「ウィトゲンシュタイン入門」を書いた永井均なら。この本を読んだせいか、事件とそれをめぐる言葉との位置関係が、通常とは違って見える。そしてそのことは、この種の事件を眺める場合にとても重要な示唆を与えているように感じている。■実はかつて所得税を払わなかったごく短い一時期がある。大いに反省している。といっても「あのときどうしてもっともっと儲けておかなかったのか」という反省である。今や差し引きで大損だ!でしょ、大蔵賊の方々。革命は小さな一歩から。みなさん節税などとケチなことを言わず、どんどん脱税を。いいですよもう、全部壊れても。ほんとに、いいですよ、僕は。■以下同文。
1998年1月27日
■キネマ旬報の北野武監督特集はなんと売り切れ!2月10日ころじゃないと入らないと言われた。がくっ。金曜に本屋で手にしたとき「映画を見てからにしよう」と思ったのが敗因だった。本人編集の新潮「コマネチ」は山積みだったが。しょうがないから我がページで北野武特集。■25日は台湾映画祭へ再び。ツァイ・ミンリョン監督「青春神話」。映画鑑賞は簡単だ。椅子に座って前を向いてさえいればそれでいい。努力の少なさの割には得るものが途方もなく大きい。だから上映時間を調べて館まで足を運ぶくらいの面倒は厭わないように。自分に言い聞かせる。■以下同文。
1998年1月24日
■北野武監督「HANA-BI」の公開初日。新宿はすべて満席のため銀座へ。それも4時半にいったん整理券を手に入れて、7時からの上映をようやく見ることができた。徹底して寡黙で抑制のきいた映像が、一瞬のすきをついて殴りかかる。息を詰めて息を詰めて切り取られそして切り裂かれていくシーンの変転。至福と甘美に染められてゆっくり眼を閉じても大丈夫なのは、人生なら死、映画ならエンドマークにしかありえないのか。■ところできのうは成りゆきで「M.I.B」を見た。もちろん面白かった。ハリウッドが形作る世界観の巨大さ綿密さ執拗さよ。僕はホウ・シャオシエンや北野武とともに世界を眺めていたい。■以下同文。
1998年1月19日
■侯孝賢(ホウ・シャオシエン)監督の「戀戀風塵」(1987)をきのう見に行った。場所は巣鴨駅に近い三百人劇場。「台湾映画祭」が開かれているのだ。ロビーに政府発行らしい中華民国ハンドブックが置いてあった。「中華民国の首都はホントは南京だが、共産党に占領されているので、ここでは実質的に統治する台湾のことだけを説明します」という断り書き。東アジアの地図も付いていて、当然ながら中華人民共和国の名はなく「中国大陸」と書かれていたのに加え、 朝鮮半島まで全部が「韓国」になっている。政府の苦しい心中を察し、しみじみした。売店を覗くとカウンターの中で女性が食器を持って立ち、なにか食べている最中だ。おやこれはどこかでみた風景。ああ中国だ。どこの店でもみんな「モノを売るよりメシを食う」。つまり、きょうは売り子さんもチャイニーズなのだ。並んでいる売りものも全部台湾の物産品。なぜかお湯を入れた鍋で暖めている缶入りウーロン茶を買い、席に戻ってからふとその缶に目をやると「現代風にアレンゾした風味」と書かれている。アレンゾ。しみじみ眺めた。 予想通りの生温さを味わううちに、ベルが鳴る。「戀戀風塵」の始まりだ。------■いい映画だった。ほんとにいい映画だった。これだけが言いたくて、僕は映画を見に行くのだと思う。それ以外に言葉を出さなくても全然平気なのである。そういう映画は滅多にないが、たまにはあるから、捨てたものではないと思う。■「戀戀風塵」はもうだいぶ前に少し眠りながら見た。それでも感動限りなく深く、どこかでもう一度出会おうと長く思っていた。去年のヴェンダース特集もビクトル・エリセ「みつばちのささやき」もそうだ。昔の素晴らしい体験をもう一度。 つまり、考えてみれば過去を振り返ってばかりの人生なのだ。あれもあった。これはよかった。そんなことばかり。未来はないのか。■以下同文。
1998年1月15日
前から考えていたことをちょっと。気のきいたことがなにもないので、なにも書けない。以下同文。
1998年1月10日
■雪かきを チリ取りでする 東京人。多数目撃。■以下同文。
1998年1月8日
■大雪=大げさな雪の意。これで騒いだら裏ニッポンの皆様が怒る。しかし、実は僕もあした履いてく長靴がない。縁を切ったつもりだった。東京人の証拠? ■以下同文。
1998年1月4日
■正月といえば恒例になりましたねえ「年賀状出してないのに来ないと面白くない」■僕は戦争に行きません。
これ以前
ファイル一覧
迷宮旅行社・目次