立花隆「最終講義のようなもの」1

立花隆氏が東京大学で二年間にわたり開いてきたゼミの「最終講義のようなもの」が3月19日にあった。部外者もフリーパスであったし、コネクションのある人と一緒でもあったので僕も潜り込むことができた。パーティーのサンドイッチと唐揚げも食べてきた。2時間半の講義で印象に残った部分と、それについて僕が考えたこと。



神経インターフェース

人間は、たとえば指を使ってパソコンにデータを送ったり、また、眼を使ってモニターの画像を受け取ったりしている。つまり脳とパソコンとは運動器や感覚器を介して情報をやりとりしているわけだ。「神経インターフェース」とは、これを「いっそのこと末梢神経と外部機械を直接つないでしまったらどうだ」という発想である。

これを聞いた僕は、かつてこのページで紹介した「画像転送の革命」(ショックウェーブ)を思い出したので、ちょっと自慢気分で改めて紹介。

同ゼミで「脳について何でもいいから書け」という課題が出たことがあり、その時にユニークと評価されたリポートの一つがこの「神経インターフェース」。その学生(といっても大学院)が出てきて説明した。今実際にこの研究に取り組んでいて、「課題はデバイスの開発とコーディング・デコーディング規則の解明です」とまで述べる。絵空事ではないのだ。

さらに、この人は「神経再生型電極」というものも製作している。神経は切断されてもニューロンを伸ばしてまたつながる性質があるという。これを利用して、切断した神経の間に人工の電極をはさんだうえで再びつなぐ。電極というのは、示された図によれば、小さな穴がいくつも空いた薄い膜のようなものだ。つまり穴で指定した通りにニューロンをつなげるというようなことだろうか。ともかく、そうすると、その電極を操作することで神経の働きを自由に制御できるというのだ。ラットの座骨神経でやってみたらしい。神経と脳が伝達しあう刺激を、外から好き勝手に加工できるということのだとすれば、なんというか、面白い。その関連で、ビデオカメラのCCDを応用した人工網膜で視力回復を図る、なんていう研究も別の所で行われているとのことだった。



人造人間ホーキング

かのホーキング博士が最近「遺伝子工学によって人間の変身が急速に進むだろう」というようなことをコメントしたという。この話、コンピュータを使った人工音声で話されたものであるというのがすごい。これを聞いてふと僕が思ったのは「ホーキング氏こそ脳からインターネットへ直接その考えを送り出したらどうか」ということ。使いものにならない体は捨ててしまって、脳だけで生きる道を選んだ方がいいのである。というか、ホーキングの場合、もうほとんどそういう状態かもしれないが。



遺伝子治療

上の話題を含めて遺伝子操作の話があった。現在の遺伝子研究は、病気を治すなど「マイナスをノーマルに」という方向から、「ノーマルからプラスへ」つまり生物を今以上に進化させる方向へとシフトしているという。「動物なら許される遺伝子いじりが人では許されるか」と立花氏。「許されるか」は「いや許されない」という反語ではなく、中立的な問いのように聞こえた。



言語中枢と概念中枢

人間の高次な知的能力というのは、すべて言語能力であるのか、あるいは言葉抜きの知的能力というものが存在するのか。これに関していくつかの説や実験が紹介された。

人の脳で言語中枢と呼ばれるのは二つあり、ブローカ野とウェルニッケ野である。ブローカ野は、株取引で値をつり上げたりしているのではなく、言葉を発する能力に、ウェルニッケ野は言葉を聞き取る能力に、それぞれ関連している。だから、ブローカ野が壊れた失語症の人は、言葉を聞いて理解はできるが、言葉を口に出して喋ることができない。ウェルニッケ失語症はその逆だ。ただし、人が言葉を操るときは、口で喋る中枢(ブローカ野)と、耳で聞く中枢(ウェルニッケ野)だけではなく、その二つを結んでいる概念中枢という存在があるに違いないとされている。しかしこの概念中枢は仮想の存在であって、どこにあるのかは全く分からないし、分散して存在するのか局所に存在するのかもわからない。脳の高次機能について最大の謎がこれだという。



この話は講義の中心テーマであったし、核心はまだこれからなのですが、ちょっと疲れたので今日はこれでおしまい。申し訳ない。次回をお楽しみに。



ところで、「立花隆は知的アクセサリじゃない!」という文章を見つけた。自戒を込めてリンク。 まったくその通りであります。立花隆について分かったようなことを書くことで高い教養を身にまとっている振りをしたいという僕の魂胆はよくないね。ま、イヤリングをアクセサリーにする自由もあれば、イカリングをアクセサリーにする自由もあるのだから、それと同様に立花隆をアクセサリー扱いする自由も認めるのが公平というものだとは思うが、立花隆は神様ではなくて、いわば同じ時代に同じ謎を私と同じようにああでもないこうでもないと考えている人の一人であるという見方をしたほうが、おこがましくも楽しいですからね。


Junky
1998.3.29

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