晒してあるから、覗いてしまう?

---ヤフー不正アクセス事件と2ちゃんねる---


ヤフー・ジャパンにログインする他人のIDとパスワードを何者かが盗み取り、インターネットにおける「公衆の面前」ともいうべき2ちゃんねるの掲示板に書き込んだ。掲示板を眺めていたユーザーにしてみれば、こりゃ愉快な拾いものとばかり、パスワードの持ち主になりすまし、ヤフーのオークションに入ってでたらめの取引で遊んでしまった。そんなニュースが九月に報じられた

晒されたパスワードを試しに使ったユーザーは五十人を越えたらしい。そのうち六人が逮捕された。去年施行された不正アクセス禁止法というやつだ。おまけに捕まった一人のIDとパスワード、ではなく住所と名前がそのニュースで晒されたものだから、この身近な「タイーホ」を談ずる2ちゃんねるでは、その名前をまた玩びつつ大いに盛り上がっていた。立場がいつ逆転しないともわからぬ不穏さをうち隠しつつ。

こういうのは他人事として見物するにかぎる。テロや空爆も同様。などと不謹慎な感慨を覚えていた矢先、なんと私にも火の粉が降ってきた。契約しているS社というプロバイダが「すいません、うちの会社あと三日で潰れますので」というメールをいきなり寄こし、こちらは大迷惑を被りつつも稀にみるお笑いネタが体得できたと思っていたところ、話はそれだけで済まなかったのだ。

いったん「現行のサービスはZ社に引き継がれます」との連絡があったが、その直後「あのやっぱり、B社の傘下で再出発します」との連絡。どうやらS社はB社に未払い金がかなりあったようで、B社としては、S社がZ社に渡りそうになったため、あわててS社の財産を差し押さえに入ったという次第だ。この場合、財産とは何か。そう私たちS社会員の個人情報である。具体的にはサーバというブツである。実際、B社の社員らがZ社に乗り込み、すでにZ社に移っていたメールサーバを持ち出すという一幕もあったと伝えられる。騒動は鎮まったものの、私の住所氏名が抵当物件の如きであった事実、および私のIDとパスワードが誰に覗かれるかわからない危機に瀕していた事実をつくづく思い知った。

インターネットをめぐる警察沙汰は数も種類も多い。中にはノーマルな犯罪が単にネットを利用して行われた例もある。一方で、上に挙げたパスワードの流出と不正使用は、やっぱりインターネットっぽい。もちろんそれはネットのシステムが密接に絡むという面もあるが、それより私は、ネットサーフの日常がいつの間にか醸し出してきた奇妙なムードが、この事件と切っても切れないところに注目したい。すなわち「晒してあるから、つい覗いてしまう」というムードである。

晒されるのはパスワードだけではない。インターネットによって晒される機会の増えた代表格は、なにより裸であろう。ことしはポルノサイトの違法性について初の最高裁判決も出た。しかしここで見逃せないのは、当人が鑑賞されるのを前提にしていない裸の存在だ。自分の恥ずかしい写真が勝手に晒されて万人に覗かれる、そんなまさかの流出もあり得る。

今年四月、ある進学塾講師のプライベートな性交画像が、当の進学塾のウェブサイトにアップされるという事件が起こった。七月になって講師の同僚が犯人として逮捕され、講師の自宅に忍び込んでビデオテープから画像をキャプチャーしたことなどが分かった。さて事件当夜、このウェブサイトの異変をスクープしたのは2ちゃんねるだった。画像がアップされて間もなく、その情報が掲示板に書き込まれたのだ。サイト自体は発覚してすぐ消滅したようだが、画像の方はユーザーがコピーして再三再四ネット上にアップした。そのため無数のユーザーが、すこぶる過激なその画像を延々ブラウズするに到った。

この事件の本質はサイトの改ざんや画像の猥褻性にあるのではない。まさに「晒すこと」「覗くこと」そのものに深刻さが潜んでいる。しかも、晒してはいけないとの自制が強いほど、覗いてみたいとの誘惑も強くなるから、いっそう厄介だ。かつて、神戸で小学生を殺して逮捕された少年の顔写真が雑誌フォーカスに掲載され、そのコピー画像があっという間にインターネットに広がるという出来事があった。それと同質の現象だろう。この私的性交画像は、法に触れるといった生っちょろい刺激をはるかに超えていた。絶対に晒されてはいけないものが、いとも簡単に晒されてしまっている。絶対に覗いてはいけないものを、さしたる危険も苦労もなく覗いてしまっている。

私もまたその画像を覗いた。言い訳するなら「晒されていたから」だろう。ただし、その画像をアップしたりはしなかった。リンクもしなかったし掲示板やメールで在りかを知らせもしなかった。つまり、私はこの画像を晒さなかった。それはできなかったのだ。でもその根拠は何だろう。

たぶん私は、晒さないことが覗いたことの贖罪になると都合よく錯覚したのだろう。「ひどい話だ、まったく」そう呟いてさっと現場を立ち去った。しかし。法律はさておき、この一件に「罪」があるとしたら、それは晒した瞬間というより、むしろ覗いた瞬間に生じていたのではないか。誰かが覗かないことには、晒した目的も達成されないはずなのだし。いやこんなナイーブな思案を経なくとも、とっくに「晒すも覗くも同じ罪」と見抜かれていたからこそ、迷わず晒してしまう人がいたのかもしれない。ネットには「覗くけど晒さない」偽善者ばかりではないのだ。かような事情によって、この手の画像はネット上を無限に永遠に晒され続ける。我々はただただ恥じ入るしかないのか。こんな画像を晒すような無法を徹底して取り締まり、こんな画像を覗かないような心を健全育成するしかないのか。わからない。

気を取り直し、話題のフラッシュ作品「インターネット大作戦」でも見てみるか。ゴルゴだって2ちゃんねるに相対すりゃこうして人格変わるんだよな。書き手が透明人間になれる掲示板は、我々の極悪でも正義でもないリアリストの顔を写し出す。あの画像の蔓延も、当然この匿名性と切り離せない場で起こった。

ところで、この2ちゃんねるの管理人西村ひろゆき氏は、自ら住所氏名携帯番号を公表していることで有名だ。そうすれば晒されたり覗かれたりの心配が初めから要らないと言うのだ。この逆転的な処方は、興味深いことに、ふつう悪の温床とみなされる匿名掲示板にあえて拘ってきた発想にもあった。そのことが、メルマガとのメディアミックスとして十月に創刊したタブロイド紙「ライティングスペース」VOL.1で明かされていた。(同紙はのち「ゴザンスマガジン」と名称変更)

西村氏は、匿名で書き込める2ちゃんねるなら冒頭に挙げたパスワード流出のような事件は起こらないとして、次のように述べる。「ネット上で情報発信をする際に、不用意に自分の情報を出すべきではないと思うんですよ。ネットのなんたるかをわかってる人であればいいんですが、わかってない人だと、住所とか勤め先とか書いちゃったりして、めんどくさいことになるわけです」「Yahoo!のように登録する仕組みだと誰かが情報を流したり、サーバがクラックされたりする危険があるわけで・・・。そうすると、書き手にとって、情報発信したいという本来の目的を遂行するためには、ある程度のプライバシーが流出するリスクも鑑みなきゃいけなくなるというのは面倒なんでないかと・・・・」

繰り返すが、この方針は、パスワードや私的画像が晒されるような局面では確実にアダとなる。しかしながら、西村氏の姿勢には、インターネットの実状を正当とも不当とも決めかねつつナイーブに思案し続けるなかでようやく生まれた仁義みたいなものがあるのではないか。

インターネットでは、さまざまな法律や道義があっけなく侵されていく。同時にそれを取り締まる仕組みもあっけなく出来上がっていく。プロバイダーを文字通り縛る法律もいつのまにか成立した。卑近な話なら、ネチケットという小うるさい決まり事も鬼の首を取ったようにまかり通る。最たるものはリンクの規則で「無断で貼るな」「貼るのは自由だ」「許可を求めること自体おかしい」と辛気臭い。ではそれぞれに問う。そこには、インターネットの渦にはまりこんでどうしてもぐずぐず悩んでしまうナイーブさが、生きているかと。法を作るにせよ、守るにせよ、破るにせよ、そうしたナイーブさを裏切らない仁義であるかぎり、私はそれを尊重したい。


Junky
2001.11

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