柄谷行人 トランスクリティーク
『無産大衆神髄』
    矢部史郎・山の手緑 著(河出書房新社)

    書影


(1)壊れた自転車では思考できない

路地に迷う自転車のごとく思考せよ---とかなんとか、以前そんなふうに思いいたって気を良くしたものだ。しかし、そもそもその自転車がガタピシのオンボロだったらどうすればいい?。タイヤの空気は抜けてしまい、ペダルもキーキーキーキー。

そういう場合、ハンドルも車輪も素材部品の調達から設計デザイン組み立て塗装に至るまで徹底して高品質にこだわった極上自転車を新たに手に入れるのが一番だ。あるいはこの際セグウェイ(ジンジャー)に乗り換えてしまうのもいい。そういうものとして柄谷行人は『トランスクリティーク』を提供したのだとしよう。

その一方で、どれどれと自転車を点検しチューブを引き出してパンクを直してくれたり、あるいは空気入れを手渡して自分で入れるよう促してくれたりする、そんな近所の自転車修理おじさん(というかお兄さんお姉さん)みたいな存在が、矢部史郎と山の手緑だ。



(2)思想のコストパフォーマンス

そんなわけで、『無産大衆神髄』は、トラクリと同じく、大文字・大マジの左翼運動の実践へと人々を導く。

しかも対費用効果を考えると、『無産大衆神髄』は1600円である(トラクリは3200円)。それはいいとしても、解読していく対疲労効果というのが、『無産大衆神髄』の方がはるかに上なのだ。トラクリは、自宅の書庫にみすずとか岩波とかのぶ厚いやつも含めてざっと1000冊くらいの本が並んでいる身分でないと、懸命に燃やした以上の知恵エネルギーを得られるかどうかは、疑わしい。しかし『無産大衆神髄』なら、「本?え〜今年ちゃんと読んだのは5冊くらいかな」でも、きっと発火する。

そして、革命は発火しなければ意味がない。「んじゃあ今日から、いや今日はこのまま寝るとして、明日の昼過ぎくらいから、ちょっと俺も運動でもしてみるか。その根拠はこんなに明白なんだから」と読者を調子づかせるパワーに、『無産大衆神髄』は満ちている。

それと、矢部と山の手の掛け合いが、ときとして爆笑問題を思わせるほど軽妙なところも美質だ。トラクリも、柄谷の脇から浅田すかさず突っ込むの形式で書かれていれば、もうちょい楽しい読書になるかもしれないのに。

しかし、矢部や山の手にとっては、思想を総動員して対処すべき具体的課題が、たとえば銭湯の値上げであったりするのだろうが、柄谷や浅田が日々直面している現実問題というのは、考えてみれば、少なくとも銭湯の値上げ等であるはずはなく、じゃあなにかといえば、世界や日本の言論界・思想界の動向とか、言説や書物そのものだったりするのかもしれない。だったら、まあトラクリがああであっても仕方ないなと、いくぶん同情的に納得。



(3)傾いて転んでどこへ行けばいいのか

ともあれ、『無産大衆神髄』は、一行単位で新しい地平が切り開かれていく。

われわれが本当に直面している問題は何なのか。もっもらしく叫ばれる何ではないのか。それに対処するための本当の着眼点はどこにあるのか。もっもらしく叫ばれるどこではないのか。そういった、絶対大事なのにも関わらず世間は常に無視するからいちいち反論してもしょうがないやと諦め、ついつい忘れさえもしたかもしれない、微妙でベーシックな批判が、ページを追うごとに、いや行を追うごとに、次々とクリアな形で示される。その題材を取り上げ検討する根拠、比較に持ち出される事象、それになにより論の躍動的な運び方と細やかな言葉遣い、どれも妥協や混乱がない。うすぼんやりしていた疑念が一挙に照らし出されていく快感がある。たとえば「なぜ人を殺してはいけないのか」の回答にしたって、ほかの凡百の意見がまったくかすんでしまうようだ。

私たちにはこのような思想が不可欠だったのだ。それなのにこのような思想がまったく欠けていたのだ。そのことが、こういう思想に出会うことで、やっとはっきりする。

たとえば新しい歴史教科書やゴーマニズム宣言といった方向にいささか傾いてしまう人のなかには、実をいうと、いわゆるサヨクの浅薄さ頑迷さにいいかげん呆れ失望したためだという人もいるのではないか。私はそう睨んでいる。かといってなにもそっちに傾かなくてもと眉をひそめられそうだが、それは傾くべき「正真正銘の左翼」がどこにも見つからなかった現状のせいだとも言えるのだ。そして、そういう人に、この『無産大衆神髄』(『トランスクリティーク』も)はいかがだろうか。



(4)

『無産大衆神髄』にある文章の多くは「現代思想」に掲載されてきたようだ。さすがだね。いや、さすがというのは、ああ「現代思想」に載るんだからやっぱり立派な文章だったんだという感慨ではない。このような立派な文章をちゃんと取り上げる「現代思想」を見直したという意味である。おなじく「文藝」もそうだ。「文藝」の路線はひたすらこき下ろされてきたが、こんな刺激的な論者、ほかの文芸誌では見たためしがない(そもそも読み通したためしがないとも言えるが)。

きょうはここまで(続く)


Junky
2001.12.28

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