現代美術展 折元立身 小沢剛 ヲダマサノリ
横浜トリエンナーレ2001
それは、いつ、どこで、起こるか

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横浜トリエンナーレ2001

やっと横浜トリエンナーレ2001を見てきた(11月1日)。本格的な美術展に足を運んだのは久しぶり。思えば(なんど思えばいいんだ)近ごろインターネットばかりで、出歩くことがめっきり減ったせいもあるが、実に面白く新鮮な一日となった。さまざまな思いや感じがこれでもかこれでもかと呼び覚まされる。世界と人間が、そして社会とか文化とかを結びつける無数の回路が一気に通電した、とオーバーな言い方をしてもいい。いやはや、テロや戦争ばかりじゃない、とんでもない出来事はこの世にまだいっぱいあるのだ!

メイン会場の横浜パシフィコ展示ホールと、赤レンガ1号倉庫と合わせて100にもおよぶ作品を当てもなく眺めていきながら、しだいに気になってきたのは、「それは、いつどこで、起こるのか」という思いだった。「それ」とは、つまり美術のことだろう。アートと言ってもいい。ともかく、「それ」を「それ」たらしめているいちばんのエッセンスのことだ。いくつか作品をあげながら、それぞれに応じてどんなふうに感じたかを通して、あまり一貫性はないけれど、具体的に振り返っておこう。



折元立身(オリモト・タツミ)

横浜パシフィコ会場を入ってすぐ、両脇の壁を埋めていたのが、折元立身のシリーズ。新人ではないようだが、初めて知った作家(私の場合、大抵の人がそうなのだが)であり、いきなり目に入ったことも作用してか、今回最もエキサイティングな出会いとなった。

何が展示されているかというと。ある英単語を印した小さなプレートが耳飾りになっていて、それを誰かの耳に付けてもらい、耳飾りを糸でわざわざ横に引っ張って単語がよく読めるようにしたうえで、その人のカラー写真を正面から撮影する。これを大勢の人にやってもらう。そうやって撮影し続けたらしい無数の市井の人たちの写真が、ずらずらずらと並んでいるのだ。撮影場所はインドやスリランカ。おそらく作家が旅先で会って頼み込んで写真を撮ったのだろう。同じ試みを腕輪を使って行ったシリーズが、隣にある。同じく単語の記された、こんどは腕輪というわけだ。それを実際に腕に付けたり手に持ったりして前を向いている人、人、人。こちらは、タイ北部の少数民族や中国に住む人たちが対象。いずれのシリーズも、雑多な暮らしや町中の光景、それに周囲の知りあいも一緒に写りこんでいる。みんな曖昧なカメラ目線で笑いつつ、内心「こいつどういうつもりなんだ?」と訝っているにちがいない。なお、その耳飾りと腕輪は、現物がいくつか展示されている。また、写真のモデルとなった人たち全員のプロフィールを、「name」とか「occupation」など(はっきり憶えていないがそんな入国審査にあるような)いくつかの項目で記した用紙が、一緒に貼りだしてある。で、おもしろいのが、その項目のうちの「language」の欄。記入されているのが、なぜか「WATER」「PAPER」というマテリアルの名称だったり、「SKY BLUE」とかなんかそういう色の名称だったり、あるいは「ONE DOLLER」「ONE RUPEE」とか通貨の名称だったりする。撮影の国ごとにカテゴリーは一貫しているのだが、なにをかくそう、これ、耳飾りと腕輪に印してあった単語が、そのままその欄を埋める単語になっているのだった。タイトルは「コミュニケーション アート、耳を引く、うで輪をはめる(アジア)」というらしい。

折元立身は、他にもヘンなことをやっている。自分の頭部に大きなフランスパンをいくつもくくりつけ、その格好で、これまた世界各国の都市に出没しているのだ。それらの写真群が「コミュニケーション アート、パン人間」。さらには、お母さんをアートの対象にしてしまい、部屋(自宅?)の中で、自動車のタイヤチューブを首に掛けさせたり、あるいは例のフランスパン姿でお母さんに迫ったりする。そうして撮ったたくさんの写真が「アート・ママ」という作品だ。アルツハイマー病だとかいうお母さんの、漠然と嫌がっているような味のある表情は、なんともいえない。「アート・ママ」の別バージョンとして、安アパートに並んだ郵便受けボックス内に、お母さんの小さな写真と糸などの小物をごちゃごちゃと放り込んだ作品もある。お母さんは写真だけでなく、動画も、ボックス内に置いた小さなモニターから映し出されて見える。

折元立身、おもしろすぎ。その勢いがまだ衰えず、長々と説明してしまった。

ところで、ともかく同じものを必ずフレームに入れて各地で写真を撮るという行為は、小沢剛の「ジゾーイング」を連想させる。また、郵便受けという小さな箱をつかった作品は、やはり小沢剛の「なすび画廊」を思わせた。

さて、この折元立身の作品において、「それ」は、いったい、いつどこで起こったことになるのだろう。ごく素朴な話としては、フランスパンのかぶりものをした折元立身を目の前で見たかったものだ。トリエンナーレ会期中の横浜でも行われたらしい。まあその時にはまちがいなく「それ」が起こっていたんだろう。ただ、そのとき使われたフランスパンが会場に律義に展示してあって、すっかり堅くなったりちょっと齧られたりしたパンには、やや変質した「それ」がしぶとく漂い続けている気もする。元々の「それ」が抜け出た跡か、あるいは憑依した跡か、そのへんはわからないにしても、その場に置かれた物質のまさに物質性というものには、やはり人の心をかき立ててしまう「それ」がある。「耳を引く、うで輪をはめる」においても、作家がその土地その土地で誰かに話しかけ、話しかけられた人々がわけもわからず耳飾りを付けて写真に撮られる場面においてこそ、大事な「それ」が起こったのは当然だろうが、その事実性をそのまま帯びて帰還したともいうべき耳飾りや腕輪の現物にも、やっぱり「それ」の不思議な力があると感じさせる。いやそれとも、角度を変えてみれば、各写真を撮影した時点においては、それぞれの写真一枚分しか「それ」が起こっていないとも言えるわけで、そうすると、全部の写真を現像しプリントしこの会場にこうしてずらりと並べてこそ、初めて「それ」が起こせるのだろうか。あるいはまったく逆に、「パン人間」や「耳を引く、うで輪をはめる」の企てが作家の心に浮かんだ瞬間や、その企てを温めつつカメラを準備して海外に向かっていた時点で、「それ」は起こってしまっていたのだろうか。



ヲダ・マサノリ

ヲダ・マサノリは、ほかの作家が作品をつくる過程で出したゴミなどを拾い集め、それをまとめて自分の作品にしてしまう人らしい。今回の「ギブピースアチャンス」も同じだ。これは手法が命だとすれば、「それ」は純粋なコンセプトとしてあるということになりそうだが、実際は作品を見てみた方が、「それ」はやっぱり楽しい。「それ」は、遍在ではなく、偏在するのだ。なお、タイトルは当初「give piece a chance」だったらしいが、トリエンナーレが開会して間もない9月11日、アメリカの旅客機自爆テロがあったことから、急きょ「give peace a chance」に変わった。これなどは、「それ」が大きく動いたということでもあろう。かつ、テロや戦争という最悪のゴミを作品に含ませてしまったということでもあろう。油断ならない作家だ。



●ビデオ作品が多い

横浜トリエンナーレには4人のアーティスティック・ディレクターと呼ばれる人がいる。彼らの誰かが示しているところによれば、美術展にビデオ作品がごくノーマルに参入してくる最近の傾向は、このトリエンナーレにも如実に現われ、それと対象的に、フタを開けてみたところ平面作品が実に少なかったという。たしかに会場を歩いていると、ビデオ・インスタレーションと呼べるものがヤケに目につく。ちょっと飽きてもくる。そういえば、ビデオとは起こったなにかの記録と再生そのものなんじゃないかと思ったり。



ジュン・グエン・ハツシバ

青っぽい海の底を、なぜかベトナムの人力車が息を切らして、ではなく息を止めてひたすら走っていくという、ジュン・グエン・ハツシバのビデオ作品なんかだと、幻想的で、見ていて退屈しないけれど、やっぱり「それ」は、私の手の届かないこの海の底でその時に起こっていたのだという、やや寂しい思いが拭えない。



●インスタレーションと絵画

もちろんインスタレーションは、まさにその場かぎりその時かぎりにおいて「それ」をもたらす仕掛けであるはずだ。したがって観客は、映像や作り物や場所に現れる、異化作用というのか、烏賊作用というのか、まあともかくそういう「それ」を、そこに期待したい。ところが実際は「それ」が起こるのをつい待ちきれず、もういいやと外に出てしまうことが、ままある。ビデオ映像などを取り入れた、移り変わり系インスタレーションにおいて、「それ」はどんなふうに起こっているのだろう。思うに、ビデオ・インスタレーションとは、まるで波のように、高低の変化だけが無限に繰り返されつつただ進行していくだけであり、「それ」は、いつとは断定しにくい形でずっと起こっているのではあるまいか。そういうことにしておこう。y=sinxなのだ(なにが?)。

一方で絶滅の危機に瀕しているのかもしれない絵画はどうなのか。こちらは静止(スティル)と形容されるように、たぶん「起こる」ものではなく「ある」ものなのであって、すると、昔も今も「それ」は固まった状態のままということになるのか。さっきの比喩でいけば、y=a(定数)であり、微分するとゼロになってしまう、とか。烏賊様。



マリーナ・アブラモヴィッチ
ヨーン・ボック

そうした事情から、インスタレーション系、テクノロジー系の作品は、一般になじみにくい。だから、作品の側から、これを操作しなさい、ここに触りなさいと言ってくれると、我々としては、とにかく腑に落ちる「それ」に近づければと、わけがわからずも一応やってみないと気が済まない。で、やっぱりわけがわからず帰る。磁石の付いた靴で鉄板の上を歩かせるマリーナ・アブラモヴィッチの「出口」 とか、天井に開いた穴を覗かせるヨーン・ボック 「利息」とか。さてさて、美術館にのこのこ出かけて行ってわざわざ体を張って鑑賞した「それ」の、出口はどこにあるのか。「それ」が生じさせたかもしれない利息とは、いったい何か。



会田誠(アイダ・マコト)

作家がパフォーマンスをしたのですが、昔のことなので、会場ではその記録ビデオを映します、というような場合もある。会田誠の「自殺未遂装置」(?記憶あいまいにつき注意)もそうだ。これは、首を吊るためのロープに煙草とか携帯電話がいろいろくっついていて、作家は首を掛けるのではなく、死ぬ前の一服を吸ってみたり、友人に「今から自殺するんだけど」コールをするという、おかしなパフォーマンスだったらしい。しかし、ブースに流れていたその収録ビデオよりも、会場に展示してある装置そのものの方が、誰もいないし何も起こらないにしても、やはり「それ」を眺めるに値する気がしてしまう。会田誠はほかに、無数の裸の少女が巨大なジューサーで砕かれていく油絵(?)が展示してあり、見ごたえがあった。有名な作品らしい。印刷されたイラストとしてしか見ていなかった会田誠の、絵画性の「それ」に、私はたぶんここで初めて触れた。



秋本きつね(アキモト・キツネ)

そういうしだいで、観客にすれば、「それ」を確実につかみたいという欲求は、作品をいま見たことの証、ここで見たことの証を得たいという気持ちになって現れると言ってもいい。さもないと、せっかく横浜まで来た甲斐がないというか。秋本きつねのデジタル3D動画も当然パソコンで見るのと変わりはないが、それを四畳半の和室に靴を脱いで上がってから見ると、なんだかもう一つの「それ」が起こったようにも思えるのだった。というか、この畳の匂いはここでしか嗅げない。



フェリックス・ゴンザレス=トレス

床に大量のキャンディを敷きつめた「無題(気休めの薬)」(フェリックス・ゴンザレス=トレス)なら、だれもが気軽に「それ」を手に取れそうなのだけれど。

*上に画像としてあしらったのは、その「気休めの薬」の、持ち帰った一錠。別の一錠は、ヲダ・マサノリの作品に加えたりもした。



マリア・アイヒホルン

制作予算を集める目的で、銀行口座への振り込みを呼びかける紙だけを、がらんとしたスペースに置いたのは、マリア・アイヒホルン。ジャンルはというと、「various media」と表示されていた。その説明書きによれば、口座はトリエンアーレが終わる11月11日まで実際に機能している。きっと「それ」は、我々がたとえ1円でもいい本当にお金を振り込んだ時に起こるだろう。そもそも現金ほど現実の力を秘めたものはないが、そういうことではなくて、あなたがこうして浄財を支払えば、額面の価値などはるかに超えた途方もない「それ」が手に入りますよ。なんて、御利益の壺でも売ってるような?



村岡三郎(ムラオカ・サブロウ)

銅で出来た小さな円柱が、ぽつんと横にして設置してある。「作家が体温データをアトリエから毎日送ります」(?記憶不鮮明)とかなんとかメッセージが記されているので、おそるおそる円柱に触ってみると、生暖かい。それが、村岡三郎の「体温」だ。テクノロジーを信じるのでもなく、テレパシーを信じるのでもなく、トんでもない「それ」を信じて、しみじみする。



草間彌生(クサマ・ヤヨイ)&某氏

そうこうしているうちに、思い掛けず「それ」は起こった。私の背後から、ぶつぶつと作品の説明を急いで受けている声が聞こえてくる。そっちを見ると背広男の一団。真ん中にいた「それ」は、なんと石原都知事(イシハラ・トチジ)だった。

そのあと私は、草間彌生の作品空間に入った。中には小振りのミラーボールがたくさん転がっているが、空間全体が微妙な角度の鏡で覆われているため、一歩入るとすぐ、現実の空間と鏡に写った空間との違いがわからなくなり、ミラーボールも鏡像と重なって無限に増殖して見え、おまけに自分の鏡像もなんだか鏡像らしくなくなって慣れてしまうという不思議な場所だ。ところが、その反対側の入り口から入ってきた人が、これまた石原都知事。そのため空間内には、たくさんのミラーボールと、たくさんの私と、おまけにたくさんの石原都知事が満ち満ちるというヘンテコなことになってしまった。いやこれはすごい「それ」を見せられた。そう思って外に出ると、作品タイトルが「エンドレス・ナルシス・ショウ」。う〜む。

横浜パシフィコに石原都知事現るの報は、あちこちに浸透していった。ある人などは、ある作家のブースから出るところで、ちょうどそこに入る石原軍団と鉢合わせになり、そうしたらそのまま回れ右をして石原都知事を追いかけ、その部屋にまた戻ってしまったという。作品と出くわすより、石原都知事と出くわした衝撃のほうが大きかったのだろう。「それ」は、なんというか、イシハラ・インスタレーションだ。



マウリツィオ・カテラン

会場を一歩出た廊下でも「それ」は起こる。そんな所になぜか人だかりがあるので、近づいてみると、壁面のいちばん下の部分に、高さ数十センチのミニエレベーター二台が拵えてあるのだ。おやまあ。これ、マウリツィオ・カテラン の「無題」という作品だ。エレベータの扉は閉まっているが、上部には本物同様、地階から8階くらいまでの電光表示があり、1階に来ると本当に扉が開いて中のリアルな作りも覗けるのだった。「それ」を待たないで行ってしまう人もいた。残念! なおミニエレベーターの真向かいには、ちょうど本物のエレベーターがあったりするのだが、「それ」が開くのを待ちはしなかった。それでよかったのだろうか。



蔡國強(ツァイ・グオチャン)

はっきり、横浜トリエンナーレでは「それ」が起こらなかったと言えるものもある。なによりも、蔡國強が横浜湾で打ち上げようとした花火アートは、危険だとの理由で中止になったそうだから、起こったとは言いがたい。その代わりというわけでもなかろうが、花火を模した電飾の作り物を会場内に据え付け安楽イスでそれを眺めさせるという作品が展示されていた。蔡國強の名は、NHK日曜美術館が正月に現代美術の歴史を振り返るみたいな特番をやった時に、最後の作家として登場しアメリカで花火のアートを生実況で見せていて、知った。横浜でやろうとした作品は「蒙古襲来絵詞」という意表を突くタイトルだったらしいが、神風の「それ」が吹いてしまったか。あるいは未完の計画には、未完の「それ」がある?



ジョセフ・グリグリー

もうひとつ。聴覚に難のあるジョセフ・グリグリーの作品「あなた」は、トリエンナーレ開催に合わせてNHKが何人かの作家を紹介したときに知って印象に残った。記憶のかぎりで言うと、グリグリーに、いろいろな人の名前を、パートナーが筆談と音声で伝える、というもの。会場には、その筆談に使った紙の拡大パネルと、録音された音声の流れる装置が置かれているだけ。説明もない。だから会場では「それ」は起こりようがない。番組を見ている最中に起こったと言うしかない。



塩田千春(シオタ・チハル)

泥水に晒された巨大なドレスが、会場のバカ高い天井から床まで吊り下げられている。塩田千春の「皮膚からの記憶-2001-」だ。ドレスからしたたった泥水は下の水槽に溜まる。水槽の泥水はまた汲み上げられ、改めててっぺんからドレスを伝わって流れ落ちる。それが起こるのは、午後2時から午後4時の間ですと、きっちりアナウンスされている。「それ」にも「それ」なりの事情があって、のべつまくなしというわけにはいかないのだ。しかしそのおかげで我々も、予定を立てたうえで「それ」を目撃できるというわけ。ありがたい。



カール・ドゥネア・アンド・ペーダー・フレイ

それと反対に。カール・ドゥネア・アンド・ペーダー・フレイの「カンパニー」は、壁に設置された数点の箱の中に、灰色に塗られた四角形の板があり、その前に置かれた、人間の形を模したと思える積み木のような灰色の小物体が、人が気づかないほどゆっくりと移動し、あるいはときたま声が発せられる、といった作品だ。動きはすべて、複雑で精巧なプログラムで制御されていて、5年の間は同じ動きを繰り返すことはないという。数十分してもう一度同じ作品を見にいくと、たしかに位置が変わっているようないないような。が、「それ」の瞬間を見たわけではない。また、「それ」に何分待てば必ず出会えるという保証もない。



ジミー・ダーハム

さて今述べた「カンパニー」は、全体のトーンが灰色なので、ああこれって会社というカンパニーの象徴だなあと素人目には思え、そうなると人型の積み木は、まるでセメントで固めた人間あるいは携帯電話のように見えてもくるが、なんと、会社を本当にセメントで塗り固めるという、まるきり分かりやすそうな作品もあった。それが、ジミー・ダーハム「化石の森」だ。実はこれもNHKの番組で、パソコンの乗った机や椅子、キャビネットなどが配置されたオフィス空間を、作家自らがスコップを使ってセメントでどんどん埋めていく様子が、ガサガサいう音とともにすでに放送されていた。そういう点でいくと、会場においては、終わってしまった行為を、セメントで固まってしまった「それ」を見ているだけかもしれない。それでも、会場で改めて見たセメントオフィスの、物質としての「それ」の方が、テレビ番組での行為や、あるいは録音されて会場に流されているガサガサ音より、よほど大きな印象を植え付ける。



オノ・ヨーコ

物質というなら。赤レンガ1号倉庫そばに残る線路上に設置された貨車は、オノ・ヨーコの作品だ。その名も「貨物車」。こういう二十世紀重厚長大産業的な物体は、なじみが深い。冒頭の折立作品で、フランスパンの物質性とか、耳飾りや腕輪の事実性とか述べたが、貨物車の「それ」も、物質性や事実性として確かにそこに実在する。過去の悲惨な歴史を投影しつつ、安全にそれを眺められる。IT産業的なテクノロジー芸術における「それ」が、概して情報とか関係性とか不安定な感触だったりするのと対照的に。



アンドレアス・スロミンスキー

同じくちゃんと製造された物体がで〜んと目の前に据えられているアンドレアス・スロミンスキーの「無題(大量捕獲)」なんかも、まあ落ち着いていられる。そして、これは何かの罠を模していると言うから、わかったそれは「人間」を捕まえる罠だろう、これでこの作品も手中にできた、などと想像もできよう。しかし、その理解はエサにすぎないのかもしれず、本当はもっと面妖で近寄り難い「それ」が、我々を思いもよらぬ罠に陥れている可能性がないとは言えない。



杉本博司(スギモト・ヒロシ)

数少なかったという平面作品の一つ。画廊あるいは写真館のようなそのフロアーには、ダイアナ妃やレーニンの大きな白黒肖像写真が展示されていた。特別リアルで特別きちんと撮影されている。ウ〜ム。しかしだからどうだというのか。すると隣に、同じく特別リアルで特別きちんと撮影されたナポレオンの写真があって、ああそうかじゃあこれ写真のわけがないな、と思う。しかし描いたにしては細密すぎる。ということは、なるほど、そっくりさんを使って写真を撮ったか。それも間違い。答えは、蝋人形を作ってそれを撮影したものだとか。最大の作品はキリストが中心にいる最後の晩餐のシーン。なんとも不思議。かつてシンボル的にあった「それ」が、蝋人形の写真として必要以上に忠実に再現されてしまうとき、もうぞぞっとするような「それ」が新しく起こるとでも言おうか。杉本博司という作家。



小沢剛(オザワ・ツヨシ)

さて問題は小沢剛の「トンチキハウス」だ。

小沢剛にはいちばん興味があった。おとぼけ、あるいは、ほのぼの、といった雰囲気に包まれ、可笑しい親しみやすいイメージの数々を伴ってはいる。しかし、「それ」をほんとうに受け止めるには、たぶん頭と体のスイッチを、これまでの理解するとか鑑賞するとかとは違う独自のモードに入れないとだめだろう。さもないと、「それ」の無限の面白さをとり逃してしまいそうだ。いやまあ、そういう直感は、本当に気に入った美術には必ず当てはまるみたいだから、陳腐な言い方かもしれないが。

さて、では「トンチキハウス」とは何なのか。それはウェブサイトがとても参考になる。作家が質問に回答する形できっちり説明している。トンチキの意味すら書いてある。「トンチキハウス」で行うイベントスケジュールも載っている。グッズもいろいろある。小沢剛のプロフィールと作品もわかる。「それ」は、問えるかぎりは問うことができ、答えられるかぎりは答えられるものなのだろう。そういう意味ではトンチキハウスの「それ」は、FAQ的な輪郭がはっきりしている。が。

私が見に行った日には、もう「トンチキハウス」は終了し、「遺跡」だけが会場に残されていた。それはわかっていたことだ。だったら、イベントに合わせて行くとか、せめて会期中にすればよかったかとも思う。しかしその場合でも、「トンチキハウス」の「それ」は、まるごと捕らえられはしないんじゃないかと、そういう諦めのような直感も働いていた。トンチキハウスは、私がここでずっと保ってきた「それは、いつ、どこで、起こるのか」という問いを、完全に無効にするような場なのだ。「それ」はいつ起こるわけでもない。どこで起こるというわけでもない。いやそれどころか、トンチキハウスにおいては、早い話、「それ」なんて元から存在していない。そんな感じさえする。まあ論理的にも具体的にもならないので、もうやめるけれど。

さてトンチキハウスでは、トンチキ新聞というのを発行してきたようだ。それが会場の壁に張り出されている。新聞というのはつまり、事件が起こった時よりむしろ、印刷され発行され読まれた時に「それ」が起こるのかもしれない。が、それはもうおいておいて。記事としては、他の作家や作品を取材しているのが面白かった。堅苦しく言えば、美術展全体を対象化し批評しているということになるのだろうか。折立の「パン男」パフォーマンスが横浜で行われたのに関して、地元のパン屋からフランスパンを調達した話が紹介され、そこの部長さんが美大出身で芸術に理解があったとか。あるいは、塩田千春の巨大泥まみれドレスに、なんと虫がわいて大変だったとか。あるいは、海外から参加してきたビデオ作家をインタビューに言ったら、逆にその作家の作品として撮影させられてしまった、とかなんとか。トンチキハウスを見に来た人も取材しており、その時は「来トン」という言葉を使ったり。なお「横浜トリエンナーレ」を「横トリ」と略称していることも、要チェック。



椿昇(ツバキ・ノボル)+室井尚(ムロイ・ヒサシ)

巨大なバッタの作り物を、横浜のホテルの壁に設置しようというプロジェクトが、「インセクト・ワールド、飛蝗」。赤レンガ倉庫では、その計画案の構築から始まって資金集めのやりとりなど実現へのプロセスそのものが展示されている。バッタが実際に設置された時よりも、こういう手の内を明かすところに「それ」は起こるのか。これを見て私は、高校2年の昔、文化祭のクラス展示で、一部の者が、クラス展示の企画と実施のプロセスそのものを展示しようという妙な目論みを、クラスの多数の生徒には内緒で進めて実現させたのを思い出した。というか、自己言及的な「それ」とは、どこかいつまでも高校文化祭的なのかもしれないが。それにしても、高校文化祭のクラス展示とは、だいたい四十人もの青臭い若者が仲良くしようなどと、あまりに無理ヤリなコラボレーションだったのだから、いつなんどきどのような「それ」が起こるか、危なっかしい。



赤瀬川原平(アカセガワ・ゲンペイ)

最後に、赤瀬川原平。かなり重たそうな木枠の額縁がいくつか壁に掛かっている。額の中は無地の布が張られているだけで、絵などはまったく描かれていない。ただし、木枠の上辺には電光掲示板が埋め込んであり、文字広告らしきものが流れる。ほかにすることもないので、漫然とそれを読んでいたら、最後になんと「芸術という言葉と同時に芸術は消える」のエピグラム。ああなんだ、これぞ「本日の結論」じゃないかと思う。ふと作品名を見ると「四谷階段」とあって、懐かしく嬉しくなってしまう。一方、反対側の壁にあった額縁もまた同じく無地の布地で、上部に同じように電光掲示板があって今度は当日最新のニュースが電光で流れてきた。ヤンキースがどうしたとか。新幹線に乗って移動していて、景色も見ずに入り口の上に流れる電光ニュースを見ている感じ。そうしたらいきなりその額縁の中で無地の布地がシャッターのように上がり、その奥に隠れていた画像が現れてきたのだ。それは、コンクリートに残る靴跡を撮った路上物件写真だった。



●終わりに

たくさんの作品を見るもの疲れたが、これだけ書くのも疲れた。ほかにもいろいろ面白いのがあったが、もうこのへんで。予習も復習もしていない極めて個人的な感想なので、そこのところはご承知おきください。ともあれ、3年に1回くらいは、こうやってアートを早食いドカ食いするのも、まあ悪くない。



Junky
2001.11.5

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