天動説としての「在日・帰化」論?=その4=





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はてなダイアリーのキーワード「日本人」のページに、私は以下のようにコメントした。

『在日コリアンや、「アイヌ」のアイデンティティ保持者のなかで、「日本人」を自認または自称する人がごく少数でも存在した場合、彼らを含めた定義「日本列島の住人」を新たに加える必要があると思います。それともそのような人はゼロなのでしょうか。』

このコメントは、この際マイノリティー側の正統的と思える見解との差について話すほうが興味深いと思ったことによる。しかし、これだけでは誤解も与えそうなので、自分なりにコメントの背景を整理してみた。それが以下の文章。ややこしく、間違いや矛盾もありそうだ。我慢して読んでください。(話は在日コリアンだけに限定しました)

●ナショナリティー意識(民族意識や国民意識など)の同質性からみて日本列島の多数派と思われる住民(いわば日本系)が、マイノリティーである朝鮮系韓国系の住民を「日本人」と呼ぶかどうか。 (A)

●朝鮮系韓国系の住民が、自らを「日本人」と呼ぶかどうか。 (B)

(A)と(B)は、別々に検討する必要があると思う。

(A)
●朝鮮系韓国系を排除する目的で、朝鮮系韓国系を「日本人」と呼ばない。 Aー1
●朝鮮系韓国系を無視した結果として、朝鮮系韓国系を「日本人」と呼ぶ。 Aー2
しかし同時に、次のようなこともありうると思う。
●朝鮮系韓国系との共存を目的に、朝鮮系韓国系を「日本人」と呼ぶ。 Aー3
●朝鮮系韓国系を重視した結果として、朝鮮系韓国系を「日本人」と呼ばない。 Aー4
Aー1やAー2が本音であるにも関らず、Aー4やAー3の建前を述べたときに、その違いが表面上は区別できない。逆にAー3やAー4が本心であっても、Aー2やAー1であると誤解される恐れがある。

(B)
朝鮮系韓国系の住民には、法的地位として次の二つが考えられる。(×2)
●在日朝鮮人・在日韓国人(在日コリアン)。 
●朝鮮系および韓国系の日本国民(在日コリアンが国籍を日本に変えた場合)。
この両者それぞれに、次の両方が想定できると思う。
●自らを「日本人」と呼ぶ。
●自らを「日本人」と呼ばない。
さらに、自らを「日本人」と呼ぶというときに、次の二つが想定でき、微妙に違うと思う。
●「日本人」を自称する、しない。 (×2)
●「日本人」と自認する、しない。 (×2)
極端なことをいえば、2×2×2=8通りの場合を想定する必要があるのではなかろうか。(*ちょっと訂正しました 6.9)

私の立場――

*私は、自分が「日本人でない」と思ったことはない。「日本人でない」と思われてもいない。「日本映画」や「サッカー日本代表」は内であり、「韓国映画」「サッカー韓国代表」は外であると感じる。これが普遍のことだとは思わないが、にわかに変わるとも思わない。とはいえ、「私は日本人だ」ということをいくらか相対化したいとは思う。たとえば、私は「ニッポン列島住人だ」「ニッポン語話者だ」「東京人だ」。私は「サッカー選手だ」「映画俳優だ」(違うけど)。

*同じ現代に同じ列島に住んでいる、日本系も朝鮮系韓国系もふくめた全体の、(文化的習俗的な違い以上に)文明的社会的な共通部分を、もっと意識して見定めたい気持ちが、少しある。そのとき、この同じ領域に属するメンバーをまとめて示す適当な単語はないのだろうか。まとめて「日本人」と呼ぶことには慎重にならざるをえないけれど、だからといって朝鮮系韓国系をことさら分離して「朝鮮人」「韓国人」と呼ぶことにも違和感がある。実際にも、たとえば海外の外国人に日本について説明する場合などに、「日本社会の成員」という意味で朝鮮系韓国系も含めて「Japanese」と言うことが私はある。

*朝鮮系韓国系の住民が「日本人」を自称・自認する場合のすべてを否定的に捉えなければならない、とは思わない。

 ◆

  以下は、ここまでと大きく関連するが、厳密にはやや違う問題。在日コリアンの日本国籍回復について。

*二つのことを前提にする。
(1)国家は自明の存在ではないが、国籍という制度はとりあえず受け入れている。
(2)日本系と朝鮮系韓国系は、同一の列島に居住し、同一政府の支配を受け、だいたい同一社会の成員である。
――この前提でいけば、日本系と朝鮮系韓国系とが、同じ国籍でないよりも、同じ国籍であるほうが、事実の反映としては正当だろう。

*国籍と、ルーツやアイデンティティは別だというのは、一般的な共通認識だと思う。といっても、両者がだいたい一致する私が、あまり一致しない人のことを、あれこれ言うのはナンセンスかもしれない。それを踏まえたうえで述べる。国籍が「日本」であることが、ルーツやアイデンティティが「日本」であることを意味しないのであれば、住民票と同じように日本国籍を取得するという選択がありうるのではないか。もちろん、日本系の共同体や文化への同化を強いる制度も、それが自然だとする思い込みも、完全に改めることが条件だ。(というか、現在の在日朝鮮人・在日韓国人の日本国籍は無条件で回復される方向が、ひとつの筋というものなのだ。)

*国名が「日本」からたとえば「山田」になったら、在日コリアンは「山田」国の国籍を取得することにそれほど抵抗がなくなるのではないか、などと思ったりもする。ただそれでも、国旗や国歌、天皇制などの問題が残るように思うが。

*「在日に国籍ではなく参政権の回復を」とする主張と、「それは絶対認めない」とする主張が、ともに主流としてあるとしたら、私の思いはどちらからも少しずれており、どちらからも批判される可能性も自覚している。でもそれには、どちらにもない観点がちょっとだけ含まれているとも思っている。そして、そのちょっとだけ含まれている観点を抜きにしては、この問題を議論するのが、私としてはもう消耗するばかりのように思えるのだ。

(さらに続く)

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Junky
2003.5.12

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