天動説としての「在日・帰化」論?=その3=
話はちょっと横にそれる。イスラム過激派テロの実行部隊を形成しているのは、ヨーロッパにある二つの系譜である。 一つは、中東から反体制活動家として追われ、欧州諸国に亡命してきた人々。もう一つは、ヨーロッパで生まれ育ったイスラム教徒。祖国を知らない彼らは移民社会のなかで疎外感を抱き、アイデンティティをイスラムに求めるようになる。そのなかで、ザワヒリらの思想に共鳴し、西欧社会に対する憎悪をジハードへと昇華させるかたちで、過激な同時多発テロへと突き進んでいったのである。
これは、NHKのETV「アルカイダ・ネットワークを追う」2月7日放送の紹介文だ。
祖国を知らない彼らは移民社会のなかで疎外感を抱き、アイデンティティをイスラムに求めるようになる。
わりと納得しやすい認識だろうと思う。
ところで、テロはさておき、在日と呼ばれる人が日本社会のなかで疎外感を抱いたとき、アイデンティティをコリアに求めるようになるという構図は、これと似ていないだろうか。
しかし。
映画「GO」(行定勲監督)の印象的なシーン。朝鮮学校の教室で、ある生徒が、日本語を禁じ朝鮮語を押し付ける教師に反発し、「僕らは祖国なんて持ったことありません」(記憶による引用)と呟く。アイデンティティの根幹であるべき祖国・朝鮮民主主義人民共和国も、 日本列島に生まれ日本社会に育った彼らにとっては、なんの現実味もないことを明白に指摘するのだ。知らない祖国。幻の祖国。
ただし、これは在日だけの話ではない。日本人と呼ばれる人も、ときとして日本社会で疎外感を抱く。ではそのとき、アイデンティティはどこに求めればいいのか。現実の日本でなく、幻のごとき「日の丸」や「君が代」だろうか。あるいは「無産革命」かもしれないし、はたまた「平成維新」かもしれない。それは幻であればあるほど、拭いがたきアイデンティティとなりそうだ。
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