追想 '99夏
旅先でことさら
思い当たらなく
てもいいことに
思い当たる旅先
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10.13 第63日 ソウル 街よく歩く
仁寺洞界隈を歩く。伝統とモダン両方のセンスと落ち着きの街。布製の鞄など買う。*仁寺洞とは、ごぞんじの人も多いのでしょうが、古い街並みにアート系工芸品系の店が建ち並ぶ一角です。
この日の夕食は待ちに待った焼き肉。炭火で焼いた骨付きのカルビをみそなどつけてレタスに巻いて食べる方式。うまい。みそ汁がついていたのが不思議。
食後さらに歩く。ソウルの繁華街ははてしなく続く。大都市。しかし路上にはバザールや屋台も出現する。これぞアジアの風景というべきものがソウルにもあるわけだ。ないのはやっぱり東京だけ?
東大門市場(トンデモンシジュンとか発音する)のそばにやけに賑やかな一角があった。衣料品だけを売る巨大ビルがなんと3つもそびえ、オールナイトで営業しているのだ。イベントや音楽も交え、人がごったがえしている。中に入ると、数えられないほどの店が各フロアーにぎっしり。こんな売り方は東京にもない。びっくりした。
パキスタンでクーデター。NHKのBSを見ると、各国のテレビがトップニュースで伝えていることがわかる。
世界を知るとは、世界の多様性、複雑性にのみこまれ、途方にくれることだと思う。たとえばウズベキスタンで昔ながらの暮らしをする人々は、毎日が同じようにゆるやかに流れ、アラーを中心にしたごくシンプルな世界像が崩れることはないのだろう。しかしそれは我々からすれば、亀の背にのった地球の姿ほどに単純である。ウズベクの人々は、たぶん、自分たちの世界を覆っている情報の少なさに退屈しつつも、安定した、ストレスのあまりない暮らしを、たんたんと続けているのだろう。文明国の人々とは、気にせずにはいられない情報が多すぎる人々だと言っていいだろう。
10.14 第64日 ソウル テレビよく見る
この日はチゲ鍋の定食を食べた。安かった。夜イテウォンの中華料理店で五目ラーメン。うまかった。終わり。*この旅記録は食べ物の話がやたら多かったと思いますが、特にソウルはなんだか食べ歩きという感じになっています。中華料理店で五目ラーメン食べたからといってどうしたということもないのですが、中央アジアからやってくると、素性の知れたシステムで平常の食にありつけることが相当の感動なのです。その点、ご了承ください。
韓国のテレビ番組は、作りが日本の番組とあまりに似ている。コマーシャルもそうだ。
10.15 第65日 ソウル 冷え込む
ソウル最終日。海外で過ごす最終日。急に冷え込んだ。そのせいか後頭部が痛み、夕方まで部屋にいた。ドナルドバーセルミ「雪白姫」をちょっと読んだり。仁寺洞にまた出向き、土産物いくつか買う。値段は高いがデザインの良いものがたくさんある。夜イテウォンで革ジャンを買ったり。
きょうは巻きずし、アサリ入りのラーメン。
10.16 第66日 ソウル→大阪 縫いぐるみたち
アシアナ便ボーイング767がソウルを離陸。風が少し強かったがおおむね快適。大阪近くの日本列島は美しかった。関西空港では荷物検査もなくすぐ入国。ハイテクの関空を見て、また大阪に行く途中の電車から田畑や屋根の形を見て、日本を懐かしんだ。
新大阪駅近くの東横イン(ビジネスホテル)に入る。予想を越えてきれいで使い勝手がよい。フロントの人も親切だった。これまで泊まってきた場所とはあまりに違うわけだが、そういう意識は、こういうホテルの当たり前さの前に、どこかへ消し飛んでしまう。我々にとって快適という点では日本に勝るところはない。
日本に戻って最初に口にしたのは、念願だったカレーライス。
シベリア寒気団の芝居「イラチカ」は、心斎橋にあるウイングフィールドという場所にて。なんと死に方をめぐる話であった。開演前からステージに出てくる縫いぐるみたちの不思議な魅力がそのままテーマであった。実はこの劇団に私の身内がいるのだが、この日久しぶりの再会は舞台の上ということになった。公演のあと団員の人たちと飲みに行く。
10.17 第67日 大阪→東京 ああ、やっぱりうちがいちばんだ
昼にもう一度公演を見てから、東京に向かった。驚いたのは新幹線の乗り心地の良さだ。乗る前に買ったコンビニ弁当もうまかった。ソフトバンクが創刊したネットランナーという雑誌を買い車内で読む。夜、東京に帰ってきた。ソウルですでに現代文明圏入りし、大阪ですでに日本入りしていたものの、やはり東京のネオンを新幹線の車窓から見て、初めて故郷(というか本来私のあるべき場所)に戻った気がして、ほっとした。
家。ほんとうに懐かしい。中国→カザフスタン、ウズベキスタン→ソウル、ソウル→大阪など、旅は環境を変えることの清々しさを味わうことであったのだが、最後の最後は、東京へ自宅へと環境を変えることであり、しかもその最後の環境は、最もなじんで便利な環境でもあるわけで、そこへの回帰というのはこういう時にしか感じられないとても素晴らしい経験なのであった。マックを立ち上げインターネット。こうしている自分がやはりいちばん自分らしいのだと思った。
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