この章を、群像の97年10月号で読んだ日、
横瀬夜雨のファンは・・・・いや、
高橋源一郎のファン、とりわけ、
インターネットの掲示板「高橋源一郎なぺえじ」に集う読者はみな、
あっと息をのんだ。
私もその一人で、当の掲示板に、おもわず下のごとく書き込んだ。
日本文学盛衰に驚く。 Junky 9月13日21時22分
みなさん、新潮10月号の「日本文学盛衰史」は読みましたか。今回はどんな仕掛けでくるかと期
待して開いてみたら、びっくり。なんとインターネットの伝言板スタイルで書かれているのです。
だから横書き。しかも、ある作家のファンが書き込んでいるという、まるでここのページのよう
な。おまけにwww.zoo.ne.jpで検索すればそこが見つかるというくだりもあって。しかし最も驚
くべきは、末尾に「Many thanks to Mikas & friends」とか記されていたことです。これって、
やっぱりここのことじゃないですか。誰か真相を知りませんか。
*正しくは、with many thanks to mika & friendsです。
私が書き込んだのは、
併設されていた『ゴーストバスターズ』の感想ページで、
メインの掲示板「ブンガク・競馬など、何でもお話しましょう」では、
すでにこのことが話題になっていた。
しかしそれは後で知ったことで、
私としては、まっさらな状態で、あの群像を読んだわけだ。
なんというか、やっぱり、小説の読者として、
得がたい体験、幸運な体験だったと思っている。
なお、その過去ログは、今も同ページに公開されている。
◆
高橋源一郎は、当時まだインターネットを始めておらず、
ある編集者からこの掲示板の存在を聞き、
そのコピーも入手して、この章に生かしたという話。
源一郎氏自身が連絡をよこしたとか、
この掲示板について公式に言及したとかの事実はないようだ。
(詳しくは知りませんが)
大宰治はファンサービスに熱心だった。
てなことを、坂口安吾が書いていたと思うが、
高橋源一郎は、そのへん、どうなんだろう。
ファンの掲示板に、生身で登場して王様になるのではなく、
渾身(たぶん)の執筆による、しかも進行形の作品の中で、
黙ってその掲示板をまねる。
いかにも内輪だけに通じそうな、
サイン、当てこすりを満載しつつ、
連載一回分を完了させる。
そんな思い付きと思い切りには、
やっぱり拍手かっさいしたくなる。
これは、高橋源一郎流のサービス精神なのだと思う。
◆
しかしながら、
『文学じゃないかもしれない症候群』の最後の方に、
下のような指摘があるのを、私は忘れることができない。
最近、わたしは若い作家、あるいは作家志願者の作品を読む機会があり、そしてそれが、流行の作家の作風に似ているのを発見するたびに、困惑してしまうのです。いや、わたしが不思議に思うのは、模倣する方ではなく模倣される側なのです。かれらはとても誠実そうに見えますし、「わたしはわたしの道をゆく、誰になんといわれても」と厳しそうなことをいうのですが、模倣されるということは、どこかに大きな欠陥があるのです。というのも、模倣する側はいつも欠陥にとびつくにきまっているからです。志願者は「この作家のこういういい方で、ぼくもいってみよう。そうすれば、ぼくにはぼくのことがいえるから」と考えるのですが、志願者にそう錯覚させるのは作家の責任なのです。わたしもまた、時々ですが、わたしが書いたように書かれたものを見ることがあります。そういう時、わたしはほんとうに、絶望してしまいます。そこには、わたしの欠陥がこれ以上ないというほどはっきりと示されているのです。 そして、模倣されたことによってわたしとその作家志願者との間に、どんなコミュニケーションも存在しなかったことがわかってしまうのです。
では、
高橋源一郎は、「高橋源一郎なぺえじ」を、模倣したのか。
いや逆に、
「高橋源一郎なぺえじ」は、そもそも高橋源一郎を、模倣していないと言えるのか。
あるいは、私のこんな問いこそ、
『文学じゃないかもしれない症候群』の模倣なのだろうか。
いろいろ考えた末、こう思う。
掲示板というものに欠陥があるとしたら、
高橋源一郎だけではなく、実は
書き込み者自身も、ある程度それに気づいている。
それに気づきつつも、
むしろ書き込みをいわばどんどん模倣していくことで、
掲示板は成り立っていく。
97年に出現したこの章は、
掲示板の読み書きフォーマットをめぐるなんらかの破壊と改革が、
書き込み者と高橋源一郎との共同で可能になったことの証しなのだ、
とまあそういうふうに都合よく解釈しておこう。
◆
さて。
小説はよく、
形式と内容という視点で分析される。
文学理論とか、そういう界隈の話だ。
いつも気になるが、なかなかすっきり解らない。
そこで、ちょっと自分なりに決めてみよう。
「内容」と「形式」は、ある1本の線で区分されるものとする。
その線によって、あらゆることは、
「形式」か「内容」か、どちらか一方だけに、必ず分類される。
その線は、どこに引いてもよい。
ただし、どこに引いても、線は1本だけで、
その線だけが「形式」と「内容」を区分する。
小説という「形式」で、日本文学の盛衰という「内容」を描いた。
こういう線の引き方がある。
映画という「形式」で、現代の病理という「内容」を描いた。
これも同じ線の引き方だ。
では線を少しシフトする。
『浮雲』は、言文一致の「形式」で書かれている。
「内容」は、 文三の煩悶する日々。
『破戒』は、自然主義文学の「形式」で書かれている。
「内容」は、 丑松の煩悶する日々。
もっとシフトすると。
『三四郎』は、
三四郎の煩悶する日々という「形式」によって、
純真な学生の不安と動揺と孤独・・・・という「内容」を描いている。
線は、逆の方にもシフトできる。
これは、書物という「形式」で、内容は「小説」である。
これは、CD-ROMという「形式」で、内容は「ゲーム」である。
◆
「形式」と「内容」をこのように位置づけたところで、
「若い詩人たちの肖像・続々」に戻ろう。
この章の、どこに線を引くか。
インターネットの掲示板という「形式」
横瀬夜雨にまつわる騒動という「内容」
ということにするか。
すると、
夜雨の動向に関する、ファンやsuimayらの書き込みが、
「内容」(に属する)となる。
一方、
「zoo」ってなんですか、教えて?の書き込みや、
「途中で文章が切れる理由」をめぐって、
「#GET型ではなくPOST型のメソッドをつかえばいいのですが、
そのためにはたぶんCGIプログラムを改造#しなくちゃいけないと思います」
といった掲示板のユーザー同士のやりとりは、
どれも「形式」(を支える)ということになろう。
「新作じゃあ!」トウカイサンシー 6月15日19時01分は、
このタイトル部分は「形式」で、
「七本桜」の紹介は「内容」ということになる。
だからといって、
「形式」が「内容」よりつまらないかといえば、
そうではなく、むしろ逆だったりする。
あの、なんで、「弓町より」さんはあんなに長い文章を送れるのでしょう、
という管理者まきさんのつぶやきなんて、まさに感涙ものではないか。
だいたいあんな旧字体ばかりの漢字も、パソコンではなかなか難しいよ。
もちろん、
横書きの現代小説という「形式」プラス
インターネットおよび村瀬夜雨という「内容」、
という線を引いてもいいし、
掲示板を模倣すること全体が、
作家が意図する「形式」だったのかもしれない。
あるいはまた、
まるで異界から迷い込んできたかのような、
弓町の文学評論的書き込みだけが、
この章における究極の「内容」か。
我々が「淋しい」と感ずる時に、「あゝ淋しい」と感するであらうか、將又「あな淋し」と感ずるであらうか。「あゝ淋しい」と感じた事を「あな淋し」と言わねば満足されぬ心には徹底と統一が缺けてゐる。大きく言えば、判断----實行----責任といふ其責任を回避する心から判断を胡麻化して置く状態である。
(*原文は旧字がもっと多いので注意)
石川啄木(弓町は啄木の住所)のものらしい、この思案は、
言文一致、そして自然主義という、
明治文学史のキイワードと大きく関わり、
あとの章でも、国木田独歩・島崎藤村・田山花袋が登場して、
どこまでも続く。
◆
結論的には、
「形式」と「内容」は、
どちらが大事ということはないし、
それを分かつ線は、どちらにもシフトするのだ。
そして、もうひとつ、
「形式」を感想するのも、
「内容」を感想するのも、十分アリなのである。
形式と内容ということで補足。
たとえば『文学王』(高橋源一郎著)の最初では、
夏目漱石『明暗』を日本文学の最高峰としたうえで、
内容については、
「さて、そろそろ中身の方にも入らねばならない。
小説の場合、中身もかなり重要だからである」
と説明に入っていく。
高橋源一郎には、
どこか内容(中身)をからかい、
形式(器)を積極的に重んじる態度が
とりあえず見受けられる。
このことは、もちろん頭に置いておくべきだ。
◆
この章の感想は、思いがけず長くなったが、もうちょっと。
インターネットの掲示板という形式が、文芸雑誌に横書きで、
涼しい顔をして出現した衝撃。
20世紀末にインターネットにはまっていた者として、
しみったれた図書館の片隅で、
たまには文芸雑誌の一つも手に取った者として、
さらには、当の掲示板に、
いくらか読み書きしつつあった者として、
そのインパクトの大きさを、改めて証言しておく。
で、このインターネットと文学ということになると、
先日読んだばかりの
阿部和重「ニッポニアニッポン」(群像6月号)を、
思い出さないわけにはいかない。
「ニッポニアニッポン」で目を引くのは、
サーチエンジンである。
サーチエンジンで用語検索をすると、
無数のページが出てくる。
そこにある文章をコピー&ペーストして引用する。
私たちが平気な顔をして普段やっているこの作業が、
この小説の中でも、平気な顔をして実現してくる。
このことが私たちにもたらす奇妙な印象は、
何を示唆しているのか。(それはまた別の機会にじっくり考えよう)
なおサーチエンジンは、
村上龍の『共生虫』でも大きく関わっていた。
でも、後で出たにも関わらず、
阿部和重の方が印象がきわめて深かったので、
『共生虫』は無視した。
いずれにせよ、
高橋源一郎が掲示板にいち早く注目した97年では、
それほど一般的でなかったサーチエンジンが、
今はもう当たり前のシステムなのだ。
図らずもここで、インターネットの変遷の急速さを、またも思う。
そして、
明治の文学者にとって、 言文一致が、
新しい読み書きフォーマットを誕生させたごとく、
無教養な一般人にとっては、
明治どころか現代にいたるまで実はまだ確立していなかった、
初めての読み書きフォーマットが、
インターネット(メール・日記・掲示板・そしてサーチエンジン)の普及によって、
あれよあれよという間に出現・確立した。
私は強く強くそのように感じている。
◆
さてさて、
「横瀬夜雨なぺえじ」には、最後に、
大逆事件を報じる書き込みがアップされる。
ふたたび明治に思いを立ち戻らせるための、
これは「形式」なのか、「内容」なのか、
どちらに線引きしてもよいのであろうが、
ともあれ、このドタバタ風だった章を抜けて、
『日本文学盛衰史』は、
形式も内容も深刻な章へと続いていく。