長かったこの小説も、とうとう残るは2章だけ。
セミ・ファイナルのここは、
藤井貞和の詩「ものの声」で始まり、終わる。
◆
応援の声は、
しいんとして、
野にこときれているんだ、
われら。
すすりなくものの声だってもう遠すぎる。
天上の野っていったんだ。
昔・・・・・・
昔・・・・・・
信号機が降りてきた。
天からね。
その指示に従って四つ角を折れた。
知らない野の方へ。
そのとき、
きらりひらり
金魚のように身をかわしたあいつを、
見かけたのだけれど。
きのう滅ぶすべてのあした。
生まれたまま死んでゆく虫のあえかなむくろ。
草いきれのかげに落ちて。
いつになったら会える。
神話のかげに、
われら。
◆
天から降りてきた信号機に、
『2001年宇宙の旅』のモノリスを重ねてイメージする高橋源一郎。
西洋文明の輸入や言文一致の発明によって、
何もない野原にいきなり降ってきたものは、
近代文学という道路だ、近代文学という交通ルールだ。
しかし、その信号に従って進んで行った先もまた、
知らない野だった。
まあそんな解釈が妥当だろうか。
思い起こしてみようではないか。ずっと、昔。まだ、はじまったばかりのころを。なにもかもが新鮮だったころのことを。なにをしていいのかまるでわからなかったころのことを。
しかし、それは遥か昔の話。
文学への「応援の声」は、やがて、すすり泣きにかわり、
ついには、こときれてしまった。
今がそういう時代だと解釈していいだろう。
そして、
応援の声が沸き起こったのも、
応援の声がこときれたのも、
どちらも、天から降ってきた信号機と無関係ではない。
ということになるだろう。
◆
ところで、この
今はこときれてしまった応援の声が実際はどんな風だったのか、
その一例が『座談会 明治・大正文学史』という書物から引用される。
1957年から64年にかけて、
雑誌 『文学』の編者が数多くの文学者を招いて行った座談会の記録だという。
こうやって頁をめくり続け、ぼくは不意に顔をあげる。その熱気がつらくなって、いや懐かしくなって。激烈な批判。そして反批判。その応酬。それらはすべて「文学」への「応援の声」ではなかったか。数十年前、野原にはまだ「応援の声」が満ち満ちていたのである。
(略)
だが、それは、ずっと昔、何億光年もの彼方のことだ。
本の中で、「応援の声」をあげていた人々もその大半が遠くへ行ってしまった。もちろん、隊伍を組み、四つ角を折れて。
遥か、知らない野の方へ。
いまはただ寂寥が野原を支配している。
「いまわれわれにいちばん身近な文学」
ぼくはこの個所に傍線を施す。「いちばん身近」? そもそも、身近なところに文学なんかあったっけ?
すると「応援の声」でなく「すすりなくものの声」だけが微かに聞こえてくる。「血だらけの自我像」を抱えて、あの人たちが渡っていった四つ角に、信号機はまだあるのか?
わからない。
◆
この章を読んだ感想を、
そう、たとえば中原昌也あたりに一度聞きてみたい。
しかしまあ、今はともかく、、
さあ、行こう。われら『日本文学盛衰史』の読者よ。
四つ角を折れて。ずっと、向こうまで。
ともかく、最後の章まで。
かりに、応援の声は、しいんとして、野に、こときれていても。