高橋源一郎『日本文学盛衰史』 読書しつつ感想しつつ(41) -----ネタバレあり。注意。 きみが向こうから・・・ 『日本文学盛衰史』の各章を彩った登場人物たちの 死亡記事が、年代とともに連なる。 カーテンコールのようでもあるが、 死者はもう新しい言葉を返してこない。 古井由吉以外は。
どの章も、文学者が次から次へと死ぬばかりで、 ◆
「されどわれれが日々2」を読んでいて私は、 ◆
いや、まだおしまいではなかった。
もちろん中上健次も知らないおじさんではない。 ◆
人類が誕生してからいままでにいったい何人の人間が死んだのか。問題は、誰も帰って来なかったことなのだが。残されるのは言葉ばかりで、だから、ぼくたちはおおいに死者を誤解する。だが、やがてぼくもまた誤解される側にまわるだろう。しばしば「よくわからない」と感想してきたこの小説の、 いちばんの底に流れていたものがまた、 「誤解」という諦観であり受容だったのかもしれないと、気づく。 ◆ そして、この小説、最後の言葉は「悲鳴」だ。
ぼくは瞑目する。1 人間はみな死ぬ 2 言葉はみな誤る 3 この諦めを諦めきれない悲鳴こそが文学だ。
『日本文学盛衰史』の言葉を追いつつ、
2001.6.21 |