迷宮旅行社www.MayQ.net

高橋源一郎『日本文学盛衰史』
読書しつつ感想しつつ(38)
 普請中
-----ネタバレあり。注意。

(37) (39)    インデックス



そして、いつの日にか

尾崎紅葉は、門下には外国文学の研究を禁じたものの、
自らは外国の小説を誰よりも読んでいた。
そのころ『罪と罰』が紹介されて衝撃を与えているが、
その訳をした内田魯庵に、ドストエフスキーの名を教えたのも、
ほかでもない紅葉だった。

読んだことも、およそ読むつもりもなかった明治の作家について、
こうした知識ばかりが、また増える。

その二人の会話。
最近外国ではどんな作家がいいのか、と紅葉がたずねる。
リチャード・パワーズというのがいる、と魯庵が答える。
パワーズといえば『舞踏会へ向かう三人の農夫』に
かねてより高源の推薦印が付いており、
私も今年初めに頑張って読んでいたので、
こういう展開は、なんとなくうれしい。

パワーズを貸そうかと言われて、
「紅葉は残念そうに、止めておこう、
 読んでいる途中で死んだら、悔やんでも悔やみきれないといった。」
ここまで小説を読むことに入れこめる人間は、
幸運であり幸福だと思う。

この章では、紅葉の死がまず綴られる。
続いて、紅葉の「硯友社」と関わりがあった
3人の作家の死が綴られる。
山田美妙、川上眉山、北村三唖。
彼らの文学は一時素晴らしい輝きを見せたが、
晩年は不遇だった。
それぞれに悲惨であり、陳腐ですらある。

 

眉山はいつも、薄く、温く、浅かった。ほんとうのところ、眉山は作家ではなく、作家の如きものであったのかもしれない。紅葉や藤村や一葉や透谷や鏡花といった作家達と立ち交わるうちに、自分もまたそのような作家の一人であると思い込むに至っただけなのかもしれない。だが、そのことで眉山を責めることはできない。どの時代にも、数えきれぬほどの眉山が存在するのである。

ところで、尾崎紅葉の『金色夜叉』については、
高橋源一郎は、別の著書『文学王』でこう書いている。

『金色夜叉』を読んで驚いた。面白いのである。ほんと。読んだことがないけど名前はだれでも知っている日本文学を探ってきたわたしであるが、やはりその王者は『金色夜叉』ではないか。そう思って読みはじめたのだが、正直いってぜんぜん期待していなかったのだ。それがまあ、なんと、紅葉! 最高! っていうぐらい面白いのよ。やっぱり食わず嫌いはいけません。
(略)
つい最近、フジテレビかどこかで『新金色夜叉』というのをやり、わたしもそいつは時々見ていたのだが、まあこれはテレビの連続ドラマだし、いい加減にテレビ風に脚色しているんだろうと思っていたら、そうではなかった。明治三十年の作品であるこの『金色夜叉』は原作がそのまんまテレビの連ドラだったのである。

「当代風俗小説で明治中期の最有力作家」という条件付きながら、
高橋源一郎にここまで(パワーズ並みに)誉められると、
いっかい読んでみるか、と思わせる。

しかし、それよりも、
高橋源一郎もこの時までは『金色夜叉』を読んでいなかったのだ
という事実が、また重たい。

そして、いつの日にか
私は尾崎紅葉くらいは読むだろうか。
川上眉山までも読むだろうか。
結局読まずに忘れ去るだろうか。

『日本文学盛衰史』は、
1997年から2000年まで、3年半かけて群像に連載された。
その間に、作家はそれだけ歳をとった。
私たちも同じだけ歳を取った。

そして、いつの日にか
高橋源一郎も忘れ去られるのだろうか。
『日本文学盛衰史』も忘れ去られるのだろうか。


Junky
2001.6.20


From Junky
迷宮旅行社・目次
all about my 高橋源一郎