闖入者、夏子。
幻の女ばかりに恋い焦がれる「ぼく」たちの前に、
現実の女が立ちふさがった。
夏子は、「ぼく」たち明治の青春を、
あるいはもしや60〜70年代の青春をも、
コケにするつもりでやってきたのか。
前章があまりに気恥ずかしかったので、
ここでバランスを取っておきたい気持ちもあろう。
赤いショートヘアに大きな瞳。
「源一郎にとって夏子とは何か」
青春の甘さ幻の甘さの対極にある存在か。
では、文学と呼ばれるものは、
幻と現実のどちらの味方なのか。
どちらに近づくべきなのか。
「違うわ。あたしは金儲けのために書いてるだけだもの」
この清々しい身もふたもなさを超えるだけの文学は、実在するか。
(そもそも樋口一葉はどんな小説を書いたんだろう)
◆
それにしても、北村青年の主張を改めて聞くと、
ぎこちなさというより、
むしろアニメっぽいゲームっぽいほどの
虫の好い世界観に、飽きれてしまうではないか。
むろん夏子は全く容赦しない。
しかし、ふいに、一同は、
再び文学青年の典型像に還っていく。
ある人に言わせれば、
海に向かって青春ドラマしてしまう。
今どき、誰がどんな目的であれば、
このような青春描写をするのだろう。
でも、私たちはこのような描写が
本当に嫌いなのだろうか。
ぼくは泳いだ。ぼくは二十歳だった。この時、ぼくはまだ知らなかった。北村さんと彼女の間にこれからなにが起こるのか。どうして北村さんが死ななければならなかったのか。ぼくはなにも知らず、奥から突き上げてくる衝動に身をまかせ、塩からい水を飲みながら、ただ闇雲に前に向かって進んでいたのだ。