島崎藤村の自伝的小説とされる『春』には、
「あの人」すなわち北村透谷の下に集った
藤村ら若い詩人たちの群像が描かれているという。
(私は恥ずかしながら読んだことがない・・・・)
それを下敷きにして、これらの章は成り立っているようだ。
あまりに自明のことだが、『日本文学盛衰史』は、
近代文学の教養と大きく関わっている。
二葉亭四迷、石川啄木、国木田独歩、田山花袋、
そして北村透谷、島崎藤村。
なんとなく知ってるつもりでここまできて、
それなりに感じ入ったり楽しんだりしてきたわけだが、
もちろんほんとうは、
これらの作品を一度じっくり味わい尽くした読者こそが、
ここでは別格の歓待を受け、
その味わいを何度も反芻できるのだろう。
いつか私も、文学全集を読破し、
それからもう一度『日本文学盛衰史』をひもとこう。
今はまあ想像で補って読むしかない。
◆
ということで、
わたし(藤村)は、ふたたび教会に戻り、
50年前に自死した「あの人」(透谷)の
夢のような思い出を、青年に語っている。
「『あの人』は遺書を残していた」
わたしは呟くようにそういいました。
「野辺送りがすんで、五日目のことだった。未亡人が『あの人』の机を整理していて、反古の中から見つけたのだ」
「それは初めて聞きました。遺書などないと思っていたのに」
「そうだ。未亡人はわたしを呼び、その遺書を渡してくれた。封は切られていなかった。わたしに宛てられたものだった」
透谷が藤村に宛てた遺書。
そういうものが事実あったのだろうか。
また、『春』にはどう書かれているのだろう。
それはいずれ調べてみるしかないわけだが、
ともあれ、『日本文学盛衰史』においては、
あの人はなぜ死んだのか。
遺書には、どんな言葉が残されていたのか。