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高橋源一郎『日本文学盛衰史』
読書しつつ感想しつつ(23)
 普請中
-----ネタバレあり。注意。

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されどわれらが日々1

ふたたび島崎藤村だ。
やっぱり藤村は
日本近代文学のキイパーソン。
でも、読んだことあります?

私は、自分が、
「戦争を知らない子供たち」というより、
『「戦争を知らない子供たち」すら知らない子供たち』
の世代だと思っている。

『「いちご白書」をもう一度』という感傷には浸れなくても、
「『「いちご白書」をもう一度」』をもう一度」
という感傷になら浸れる世代だと思っている。

「されどわれらが日々」
これも柴田翔の、たしか左翼青春小説のタイトルだ。
昔なにかの授業で読まされたのを思い出す。
政治の季節なんて
すっかり終わってしまっていたキャンパスで。

しかし、この章から始まるのは、
維新後の「明治民主主義」にまつわる物語らしい。
藤村少年が「鉄腕アトム」に心ときめかせ、
大学に行けば「ジユウ・ミンケン」のヘルメットが目に入り、
レアでカルトなラップの直輸入CDも存在する、
そんな時代。

日本近代全部にまたがるような
長い長い青春の悩み・過ちを、感想するのなら、
世代分けには拘らないほうがいいだろう。

ま、ともかく読もう。

『新体詩抄』なんぞじゃ満足できない
十八歳の藤村が書いていた?詩、
「母語に飽きて」。

う〜む、こんな詩の感想を求められたら、
・・・・こうしかあるまい。







      人 
          (__) 
        \(__)/ ウンコー! 
         ( ・∀・ ) 
           ̄ ̄ ̄ 

無断借用、著作はこちら

「あの人」と
高橋源一郎が書くと、
「文学の向う側2」を思い出す。
政治と言葉について議論し、
日本の「戦争」を続け、ついには
東京拘置所で首をくくったという
「あの人」を思い出す。

しかし、
藤村の「あの人」は、
『楚囚之詩』を著した人物だ。
(ただし、その名は一度も語られない)

『楚囚之詩』の序文で 「あの人」は、
この小説において何度も繰り返されてきた主題を、
改めて主張する。

わたしたちは借物の言葉で、借物の思想を語った。なぜなら、ほんとうのところわたしたちには語るべき言葉も、語るべき思想もなかったのだ。

これを読んで藤村は思う。

「あの人」と長谷川さんとは、まったく違う道をたどり、そしてほとんど同じ時期に同じ結論に達していたのです。

しかし藤村は、
「詩」を 「あの人」のように書くことが、
なぜかためらわれる。

代りにこんなのを書いた?という
詩 「思い出ではなく」が掲げられて、
この章は終わる。

さきほどの「母語に飽きて」と同じく、
谷川俊太郎または穂村弘の作とのこと。


Junky
2001.6.14


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