高橋源一郎『日本文学盛衰史』 読書しつつ感想しつつ(23) -----ネタバレあり。注意。 されどわれらが日々1 ふたたび島崎藤村だ。 やっぱり藤村は 日本近代文学のキイパーソン。 でも、読んだことあります? ◆
私は、自分が、
『「いちご白書」をもう一度』という感傷には浸れなくても、
「されどわれらが日々」
しかし、この章から始まるのは、
日本近代全部にまたがるような ま、ともかく読もう。 ◆
『新体詩抄』なんぞじゃ満足できない
う〜む、こんな詩の感想を求められたら、
人 (__) \(__)/ ウンコー! ( ・∀・ )  ̄ ̄ ̄ 無断借用、著作はこちら ◆
「あの人」と
しかし、 ◆
『楚囚之詩』の序文で 「あの人」は、
わたしたちは借物の言葉で、借物の思想を語った。なぜなら、ほんとうのところわたしたちには語るべき言葉も、語るべき思想もなかったのだ。これを読んで藤村は思う。
「あの人」と長谷川さんとは、まったく違う道をたどり、そしてほとんど同じ時期に同じ結論に達していたのです。しかし藤村は、 「詩」を 「あの人」のように書くことが、 なぜかためらわれる。
代りにこんなのを書いた?という
さきほどの「母語に飽きて」と同じく、
2001.6.14 |