そのころ石川啄木は、
渋谷でブルセラショップの店長をしていたが、
朝日新聞社で二葉亭全集の校正にも携わり、
二葉亭の不思議さに深く魅せられていった。
◆
・・・・近代芸術としての小説や詩は、明治の作家たちには手の届かぬ遠い西洋の文物であった。小説や詩を芸術にできる言葉も観念も社会も存在しなかった。だが、僅か二十余年で、小説は近代芸術として離陸することに成功していた。その最大の武器は逍遥の盟友、二葉亭四迷の作りだした「言文一致」による散文であった。
無数の作家たちが四迷の武器を用いて、芸術としての小説作りに精を出していた。作家たちはそのことを四迷に感謝し、そして忘れた。四迷はすべてをはじめたが、謎めいた理由で、その仕事を途中で放棄したように見えた。作家たちは前に進まねばならなかった。「離陸」した明治文学は自然主義の旗の下、繁栄を謳歌しているように見えた。
長い沈黙の後、復活した四迷は自然主義への嫌悪を表明し、作家たちを戸惑わせた。彼らは四迷の仕事を継承し、それを発展させてきたと自負していたからである。作家たちその戸惑いを呑み込み、己の作品に向かった。彼らの本能は、四迷の嫌悪に深入りすることを避けたのである。
二葉亭は、
自ら編み出した言文一致にも、
言文一致が成し遂げた自然主義文学にも、
なぜか懐疑的であった。
『日本文学盛衰史』が、ここまで引っ張ってきた
この最大の謎は、
この章にきて、やっと詳しい説明がなされる。
啄木が二年の月日をかけて、
二葉亭の「理念」をついに理解したのである。
◆
二葉亭のメッセージを読み取った啄木は、
それまでの詩を容赦なく断罪する。
「詩は所謂詩であつては可けない。人間の感情生活の変化の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ。従つて断片的でなければならぬ。----まとまりがあつてはならぬ。詩は芸術であつてはならないのだ。・・・」
啄木は新体詩以来三十年の歴史を顧みつつ、
目の前にある詩のすべてを否定したのである。
・・・・いや、こう書いたのは、私ではない、高橋源一郎だった。
啄木は新体詩以来三十年の歴史を顧みつつ、目の前にある詩のすべてを否定したのである。
日々産みだされる詩のどれにも啄木は満足することがなかった。そして、自らが作り出す作品にも満足できなかった。それは長い間啄木を悩ましていた問題であった。
啄木が望んだのは、詩によって全世界を獲得することであった。それが抽象的な言い方に過ぎるなら、詩はこの世界に生きることの苦しみや喜びを正確に書き写すものでなければならなかった。明治の第一世代の詩人たちがまず直面したのは言葉のない世界の苦しみであった。彼らには苦しみや喜びはあったが、それを表現すべき言葉がなかった。彼らは詩を作る前にその素となる言葉を作らねばならなかった。いや、詩を作るとは言葉を作りだすことであった。やがて、詩人たちの周りに言葉が生まれた。四迷を筆頭とする革新的な詩人や作家が新しい言語を発見したのである。詩人たちはそのことに感謝し、豊かな詩語の世界を切り開いていった。だが、やがて詩人たちは原初の苦痛の記憶をなくした。言葉はふんだんにあった、それをどうやって洗練させていくのかが詩人たちの仕事となった時、詩は最初の動機を失ったのである。そして、それは小説も同じであった。
「離陸」した文学に同乗した作家たちは、それ以前のことを、貧しい言葉の持ちあわせしかなかった頃のことを思い出そうとはしなかった。それは切り捨てられるべき、未熟な時代であった。
啄木はこれが仕事であることを忘れて、校正ゲラを読んでいった。二葉亭四迷長谷川辰之助とはなんという人であろう。驚愕はいつの間にか戦慄に変わった。
二葉亭は、日本文学の誕生に力を貸し、その誕生に必要なあらゆる武器を単独で作りあげながら、同時に、彼が用意した武器によって文学が「離陸」した後、それが変質するであろうことを予期していた。
二葉亭の放置された作品の数々は、彼の絶望の深さを表していた。二葉亭は逍遥との徹底した論争とロシア文学との出会いを経て、「勧善懲悪」や「功利主義」が一つのイデオロギーであること、世界を正確には表現していないこと、世界を正確に表現するためには自由な散文が絶対に必要であることを理解するに至った。二葉亭は誰も試みたことのない自由な散文を案出しながら、同時にその遥かな未来をかいま見たのである。
二葉亭にとって「自由な散文」とは、目に見える世界との決別、それを否定するための武器でなければならなかった。なぜなら、文学は、目に見える世界を否定するために存在しているからであった。だが、一度生まれた文学は、そして「自由な散文」は、やがて目に見える世界の側に行こうしていくのではないか。もし文学が絶えざる否定であるなら、そんな困難な立場に作家は耐えることができるであろうか。二葉亭が吐き捨てるようにいった如く「文学者といふものは文学の最大の敵」なのではないか。そのことに気づいた時、二葉亭は文学を捨てねばならなかった。いや、彼は「文学者」であることから「下り」ねばならなかった。
「自由な散文」は言語による革命であった。すべての革命がそうであるように、「自由な散文」による革命もまた一つの権力となるのであろうか。それは不可避の運命なのであろうか。二葉亭は激しい自問自答を続けながら、ついにその筆を折らねばならなかったのである。
私はこれが感想であることを忘れて、この章を書き写していった。二葉亭四迷高橋源一郎とはなんという人であろう。
◆
ふたたびブルセラショップにいる啄木。
訪ねてきた金田一と、
AV監督になった田山花袋が話題になる。
啄木が今いちばん敬意を払っている作家こそ
花袋なのだった。
◆
追加
しかし、花袋と同じく、啄木もまた、
表現したいことの実在、
喜び、悲しみの実在、
内面の実在、世界の実在を、
素朴に信じすぎているように思うのは、
私だけだろうか。
たとえば空間とか時間、
あるいは光や電子といった物自体は、
本当に実在しているのかというと、
それは怪しい。
数学の方程式や物理の法則は、
とてもよくできたルールにしたがって書かれ、
とてもよくできたモデルをこしらえる。
それはたしかに表現ではある。
しかし、だからといって、その表現が
その表現どおりのなんらかの実在に結びついているのかというと、
そうではない。
言語表現というものだって、
それによって表現される何かが、
私たちの中に、世界の中に、
必ずしも実在しているとはかぎらない。
二葉亭四迷の懐疑は、
デカルトっぽい懐疑ではなく、
現代物理っぽい懐疑として読んだ方が、
言語や文学の「実相」に近いのではないか。
私は、そんなふうに思っている。
このことは、またいずれ。