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高橋源一郎『日本文学盛衰史』
読書しつつ感想しつつ(10)
 普請中
-----ネタバレあり。注意。

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平凡


19世紀末、読み書きに革命が起こった。
二葉亭四迷らによる言文一致体の発明である。
これでとうとう、
私の「内面」が「表現」できる!
明治の有数の作家たちは沸き立った。
国木田独歩は『武蔵野』を著した。
島崎藤村は『破戒』を。
田山花袋は『蒲団』を。
言文一致という「武器」によって、
まずは、自然主義と呼ばれる小説が勃興した。

20世紀末、またもや読み書きに革命が起こった。
インターネットの普及である。
これでとうとう、
私の「言いたいこと」が「発信」できる!
平成の無数の凡人たちは沸き立った。
ある者はホームページを作った。
ある者は日記を。ある者は掲示板を。
ある者はメール小説を。
インターネットという「武器」によって、
まずは、膨大な量の文章が、氾濫した。

読み書き史上の大変転に遭遇できたのは、
昔の作家だけではない。

それはそれとして。

独歩は無数のロマンチックな文学青年のひとりであった。ウォーズウォース風の自然を称賛し、キリスト教の愛の概念を理想とする、明治中期の知識人の若者の典型であった。北村透谷がそうであったように、彼らは、自分たちには「内面」があると信じていた。それが彼らの生の根拠であった。だが、その内面をどうやって表現すればいいのか。彼らは「内面」の実在を疑ったことはなかった。ただ、それを証明する術を知らなかった。

その国木田独歩は、
二葉亭四迷の訳した『あひゞき』を読んで、開眼する。
「言文一致」という爆弾を手に入れ、
初めて自らの手でそれを炸裂させるのだ。
その時の感動と発見を、この章は追体験する。

 今なら、ぼくはこの世界を抱きしめることができる。
 独歩はそう思った。
 ぼくはようやくこの世界を抱きしめる術を知ったのだ。どうして、そんな簡単なことがいままでわからなかったのだろう。

 二葉亭はもっとも簡明な言葉を使った。他にはどんな知識も必要ではなかった。彼はそこに留まり、目の前の風景についてだけ書いた。では、そこにあるのは、そこに書かれていたのは風景だけであったろうか。
『あひゞき』の冒頭二十一行には人間の影は存在しない。その風景を「見た」証人として「わたし」が微かに現れるだけである。「わたし」は揺らめくように一瞬、その姿を見せ、たちまち消えうせる。そこにはぎりぎり琢磨された風景だけが存在している。そこにあるのは自然であろうか。違う。それは「見られた」自然なのである。

独歩は何がわかったのか。
「内面」の正体だ。
そして独歩は「今の武蔵野」を書く。

独歩の先達たちが手に入れようともがき続けたもの、それは透明な散文であった。まるで映画のカメラのように、その陰に作者が隠れることのできる散文。「内面」を探して地上をはい回っていた作者たちは、その重力なき言葉によって、世界を蒼空の高みから俯瞰することができるようになった。「内面」は世界を写すカメラの視線のこちら側にあったのである。明治三十一年一月のことであった。

以降、独歩は文壇の主流となりつつあった自然主義派の代表と目されるようになった。

しかし単純に感動していてはいけない。
この章は「武蔵野」ではなく、「平凡」なのだ。

『平凡』(明治39年連載開始)

それはきわめて奇妙な小説であった。そこでは恋愛や芸術が徹底して嘲笑されていた。それは当時の作家たちがなお至上の価値を見い出していたものであった。だから『平凡』を読んだ作家の多くは不快感を隠さなかった。『平凡』が彼らを傷つけたのはその点だけではなかった。二葉亭は、二葉亭自身の方法の上に若い作家たちが作り上げた「自然主義」の方法をもって、嘲笑したからであった。若い作家たちは裏切られたような気がした。

この奇妙な問題は、
最初の章「死んだ男」で、二葉亭が「違和」を標榜して以来、
『日本文学盛衰史』の底をずっと流れている。

言文一致という「武器」の使用に対して、
二葉亭が懐疑を捨てないのはなぜか。

苦悩して作り出されたとたん、
言文一致そして自然主義がつい忘却してしまう、
落とし穴とは何か。

この章で、
その問題の詳しい説明はなされるのか。

 いったいなぜ、二葉亭の「わたし」は、林の中に留まろうとしたのか。二葉亭はなぜ、その透明な散文をさらに推し進め、そのカメラを持って溢れ人波の中に入り込もうとはしなかったのか。独歩にもその理由まではわからなかったのである。

私も、まだ、ちゃんと説明されたとは思えず、
したがって、
ちゃんと感想することもできないのであった。

はっきりした感想のチャンスを、
私はまだ待たねばならない。
おそらくそれは16章あたり?

言文一致体について、もうひとつ。

だが、我々もまた忘れてはならない。この強力な武器、完成された言文一致体は、それを作り出そうとした二葉亭にとって結局のところ「武器」にほかならなかったということを。二葉亭にとって最も重要なのは、「革命」の「理念」であった。

ここでは、
前章に読んだ幸徳秋水の手紙を、
ふたたび思い起こすべきだという意見がある。

ところで。

『日本文学盛衰史』を読む=感想するということは、
『日本文学盛衰史』という
装置を作動させることでなければならない。
うちのけっこう近所に住んでるはずの
今はもう宮仕えを退いた一人の気難しい老人が、
そんなことを教えてくれた。

しかし、この章では、むしろ、
『日本文学盛衰史』の作動マニュアルを読んでいる気もする。
私は、装置を作動させるのと同様に、
マニュアルを読むのも好きなのかと思う。

かつて連載中にこの章を読んだとき、
国木田独歩に負けない、
小躍りするほどの高揚感を味わったのも、
むしろ、そういうマニュアルの側面だったのかもしれない。
その感想結果は、私のホームページに残っている。
性急で頓珍漢な展開だろうし、
今回感想したこととの整合性も怪しいのだが、
参考までにリンクしておく。→こちらへ

さてさて、

二葉亭の真意が結局わからなかった独歩。
湘南海岸の病床で、死は目前。
しかし迷いはふっきれない。
そこにひょいと訪ねてくるのは、
誰あろう、二葉亭四迷だった。
独歩を最後の散歩に誘いだす。

ここから次章に続く劇的な展開は、
どういうのか、匂い立つようなとでもいうのか、
そういう味わいがある。
マニュアルの理解でガチガチになりそうだった私に、
この『日本文学盛衰史』という小説が
理屈を離れていっそう鮮やかに作動し始めるのは、こういう時だ。


Junky
2001.6.11


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