「官能小説家〜明治文学偽史」(高橋源一郎・朝日新聞夕刊連載)感想まとめ


官能小説家と官能芸能家

下の書き込み(略)をみて、はてどんな展開だろうと興味津々で朝日を開きました。
なるほど。
明治の少女が医者に恋する場面は、常にはりつめた美しさでしたが、
それとは全く逆のふんいきですね。ただれきったドタバタ。でも笑える。
金曜日の回だったか、
新しい小説と新しい結婚が比喩的に重なっていくようなあたりがおもしろかった。
しかし、ポルノっぽい「官能小説家」のすぐ下に、
週刊誌の広告で飯島愛の写真が「レイプ、中絶、自殺未遂」の文字とともに、
大きく出ていて、
露悪的のパワーでは、いい勝負してました。
実話という建前のウソを書いているのがどっちで、
ウソという建前の実話を書いているのがどっちなのか。
あるいはウソという建前のウソなのか。
あるいは、どちらが本当に官能的なのか、ちょっと気になります。

2000.10.29


世紀末のきょうの日本の世間としては

現代の表象と同時進行する新聞連載小説。
なかなか危険で、だからこそ刺激的。
書いてどのくらいの日数で紙面に出るのでしょうか。
「優香」に続いて、今度は、
「ゴア対ブッシュ」や「重信房子」を、
いつか、どんなふうにしてか、登場させてみようか、などと、
デビュー作をギャングのアメリカ大統領テロから書き始めた高橋源一郎は、
きょうは少しは考えているでしょうか。

2000.11.9


同時進行

「官能小説家」の話です。
明治における高橋源一郎的存在のような半井桃水。
彼が小説教室でただ一人注目する夏子。
その夏子の書いた文章のタイトルが「おしっこ」。
室井佑月氏の小説に「Piss」ってありましたね。
そういうこと、今週、日本国民は正しく騒いだのでしょうか。
朝日新聞の部数は数百万部に達するんでしたっけ。(すごい)
じゃ「官能小説家」をちゃんと読んでいる人は、全国で何人くらいでしょう。
で、あのくだりで、夏子と室井氏のイメージをだぶらせたのは、
そのうち何割くらいでしょうか。

昔はもしや、
連載小説って、もっとこう、なにかと同時進行していたんでしょうか。
文芸雑誌がどことなくかび臭くなったと錯覚している現在では、
そんなこと思いもよらない感がありますが。
しかし今、私たちは、「官能小説家」が、書かれること、発表されること、
読むこと、そして、作家の実生活とか実仕事とかに絡んで、
いろいろと複雑に同時進行していることに気がついています。

こんなこと滅多にないチャンスですから、
私たちも、テキトウなことや、テキセイなことを、
たくさん書きましょう。
なるべく「同時進行」で。
ここに。
作家よりたぶんそうとう気楽である読者は、
かりに作家より饒舌であったって
べつに叱られもしないのではないでしょうか。
それと、インタアネットなどなかった時代は、
読者の同時進行ってのは実現しようがなかったでしょうから。

2000.11.18


生きている源一郎

きのうはたいへんなことがありました。
東京駅銀の鈴、午後5時。
友人と待ち合わせしている私の目の前に、
赤い短髪のキュートな女性が、乳飲み子を抱いて座っている。
まさかね。
でも似ている。
答はすぐ出た。
なぜなら、
そこへなんと高橋源一郎氏が赤いズボンでふらりと現れたからだ。
これはもう、森鴎外が現代に出てきたほどの唐突さにたとえるしかないではないか。
<おれはね、この連載終わるまで、生きてられるか、ってぐらいの思いで毎日書いてんの>
という表情だったかどうかは、内緒。

いま連載小説「官能小説家」においては、
死んだ作家が永遠に同じことを書き続けるしかない辛さについて、
森鴎外がタカハシ氏に述懐しています。

明治の文豪が、いかに文学から遠く、かつ、いかに文学に切実だったのか。
20世紀末の文豪だって、いかに文学から遠く、かつ、いかに文学に切実なのか。
「官能小説家」を読みながら、私は初めてこうした問いにぶつかっています。
この問いについて、
鴎外はもう追加も訂正もしません。
源一郎はおそらく締切に間に合う限り、追加や訂正をしつづけることでしょう。
我々はそのことの貴重さを思わないではいられません。

2000年の東京駅で、2000年の朝日新聞で、
私たちは、生きている鴎外には出会えないのですが、
生きている源一郎にはこうして出会えるのです。

2000.12.7


「国民の歴史」は「なぜ悪い」ではなく「どう悪い」のか

(1)もし自分の家族がサカキバラに殺されたら、という意見はよく出るが、
(2)もし自分の家族がサカキバラだったら、という意見があまり出ないのは
どうかと思うんですが。

さまざまな立場の人の身になれるかどうかこそが、
もの(小説?)を書く姿勢として問われる、
というようなことが、今「官能小説家」で語られています。
そういう点からいくと、
理屈の上だけでもいいから、(1)と(2)の両方を踏まえる必要があると思います。

私はふだん、
現実で人を殺すことは罪です、と言うと同時に、
現実で人を殺すことは実感できない幻です、と言います。
その一方で、
小説で人を殺すことや、小説で女を買うことも、
それはそれなりになんらか幻であり、同時に、
それはそれなりになんらか罪であると感じます。
結論としては、
現実も小説もそれぞれ絵空事のようでけっしてそれぞれに絵空事ではない
という立場を知ることが、大事なのではないでしょうか。
そういうことを踏まえたうえで、
高橋源一郎は、今、書いていると思います。 

2000.12.17


ミレニアムの病状

高橋源一郎は 「さようなら、ギャングたち」を書く前の10年間あまり失語症に陥っていた。
と文学史には書かれています。
そのころ、みなさんはものごころついていましたか。
私はその時代をしっかり把握して生きたとは言えないので、
その失語症を引き起こした原因というのは想像するしかないのですが、
仮に「正義の言葉の陳腐さ横暴さ過剰さ」というようなことだったとしましょう。

では、2000年の現在はどうでしょう。
「正義の言葉の陳腐さ横暴さ過剰さ」から
「正義」というメッキはすっかり剥がれ落ちました。
しかし、それだけにかえって、
限定なき「言葉の陳腐さ横暴さ過剰さ」が蔓延しているということになりましょうか。

現在の高橋源一郎は「官能小説家」の中で、
凡百の小説と小説家を徹底してクサしています。
それは、小説というものが今あまりにたくさん、
そしてあまりに無遠慮に書かれているとしたうえで、
それへの絶望と怒りなのでしょうか。
同じ小説と呼ばれるものを書き発表し読まれる者としての。
そしてもちろん同じ小説と呼ばれるものを読む者としての。

これはもう再び失語症に陥りそうな事態だ。
しかし近ごろは、失語症とは逆で「頻語症」ですよね。
つまり、その事態を凌ぐために、
たくさん黙ることよりたくさん喋ることを選んでいる。
もしそうであるならば、それは、
実はいっそう深い病であるかもしれないにしても、
なんとなく肯ける気がしませんか、みなさん。

週刊朝日「退屈な読書」の前々回では、
インターネットをめぐり書くことと読むことの垣根がついに取り払われた、
というようなことが述べられていました (引用不正確につき注意) 。
さらに前回は、
遊郭や銀座や風俗における男女の生態を伝えてきた今昔の書にふれながら、
今は書く人と書かれる人が同一なのだ、というような指摘もありました(同注意)。
そうした現代の言葉にまつわる奇妙な事態ならば、
たとえばこのサイトで読み書きしている私たちも
共有しているような気がしませんか。
(1960年代終わりからの失語症の時代を共有することはなかったとしても)

じゃ、今回の週間朝日はどうかというと、
カルヴィーノが文学講義で示した「軽さ・速さ・正確さ・視覚性・多様さ」をとりあげ、
今量産されている小説は、
「軽い」のではなく「薄い」のではないか、
ある意味「速さ」を求めて疲れてはいまいか、
その「正確さ」「視覚性」は文学のそれではないのではないか、
「多様さ」というより「混乱」と呼ぶべきではないか、と、
ここでもまた小説の現状について厳しい診断を下しています。
そうして最後に、
カルヴィーノが項目だけをあげて中身を語らなかった
「一貫性」というキイワードを心に留めるのでした(同注意)。
え〜、だからどうなんですかというと、それは新千年紀のお楽しみということでしょう。

余計な言葉を、またこうして撒き散らしてしまいました。

しかしまあそんなわけで、「官能小説家」は世紀を超えて、
この掲示板もまた世紀を超えて書き継がれるわけです。

2000.12.26


今度はオーガイに出くわした話

きのう所用で千駄木(東京都文京区)の路地を歩いていたら、なんとオーガイの住居跡に出くわしました。人生後半を過ごした「観潮楼」という屋敷があったそうです。玄関の敷石のほか、銀杏の樹と庭石が一個そのまま残っています。説明によれば、森鴎外と幸田露伴、斎藤緑雨の三人が石の前で写真を撮ったらしい。当時この面々は「三人冗語」という新作合評を雑誌で行っていたといい、その三人がそろった貴重な図というわけです。樋口一葉の「たけくらべ」を鴎外が絶賛したのは、何をかくそう、この「三人冗語」なのでした。三人の写真はそばに掲げてありました。鴎外や露伴の顔はなんとなく思い当たりましたが、斎藤緑雨(ワープロ変換もしてくれない)の顔は初めて見ました。眼がぎょろりとして町田康みたいな風貌でした。屋敷の跡地には区の図書館が建っていて、中には「鴎外記念室」があります。普通なら通り過ぎるところですが、こんな折り、鴎外に夏子、緑雨と、つい親しみをおぼえて、中を覗いてみました。ついでに、しばらく読み損なっていた「官能小説家」もまとめて目を通してから帰りました。なかなか明治文学偽史、じゃなくて正史なひとときでした。

谷中、根津、千駄木の界隈(谷根千--やねせん--などと言います)は、古い街並みの情緒がどことなく残り、歴史にゆかりの場所も集まっています。鴎外が観潮楼に来る前に住んでいた家は、そのあと漱石が住んで「猫の家」と呼ばれたそうですが、その跡地もすぐ近くです。ただし、残念ながらそこは工事中でした。 この界隈、もちろんTG(高橋源一郎のことを2chでは最近こう呼びます)も足を運んだことがあるでしょうね。

実は先月「それから」を読んで、明治時代の東京と人々の暮らしにほのかな興味を感じました。中で出てくる「好くってよ」という口調が当時の女学生言葉だったと知って「へえ」と思ったりしたのは、ちょうどTGがそのことを書いたのと同じころでした。そうした明治世界の連鎖反応が私の中でまだ続いているといったところです。

2001.2.14


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Junky
2001.3.4

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