模倣されることは欠陥の証明であると述べた 高橋源一郎氏に 誇り高くも模倣された掲示板の立場として |
個体発生は系統発生を繰り返す、などと申しまして。つまり、ヒトの胎児は受精卵から成長していく過程で、魚みたいな段階や鳥みたいな段階や猿みたいな段階をいちいち経て、ようやく赤ん坊の形になるとかいう話。 これが文学にも当てはまるとしたら、系統図では最新に位置するらしい小説という形式は、いにしえの歌も詩も物語も内包した形で生まれた。だったら、インターネットの突然変異によって誕生した、この掲示板という形式は、いっそう新しい種なのではないか。それが文学として見た場合に、進化であるのか退化であるのかは別として。 本屋で買って家に帰って読む文芸誌や単行本の確固とした言葉よりも、ポンと立ち上げたデスクトップ上で、すっと流れたりさっと流したり日々更新されている言葉の方が、近ごろの言語空間にあっては、むしろ生き抜く力に長けているのではなかろうか。荒らし、荒らし、荒らし、荒らし、荒らし、荒らし。これもほんとに凄いね。 ところで、源一郎氏は「私の小説が簡単に模倣されているのを知ると愕然とする。なぜなら、模倣されるということは、自らの文章の欠陥が見抜かれたということであるから」とかいうこと(記憶不鮮明につき注意)をどこかに書いていた。その源一郎氏が「日本文学盛衰史」(群像連載中)では、インターネットの掲示板というこの新しい表現形式を、いわば模倣した。てことは、ここの掲示板に欠陥があるとしたら、それを、源一郎氏は早々と指摘していた、という構造にもなるのかな。 ま、とにかく、この掲示板という新しい種の表現形式・表現媒体の真価や欠陥を、私たちが今ここで問うているとも言えます。興奮しますね。しかも、あなたや私が書き込んでいる行為は、言語表現を問う主体としてだけでなく、同時に言語表現を問われる対象としても生成するのです。まあ実はどんな文章でもそうなんでしょうが、それがタイムラグなし地域格差なし身分差別なしに起こることこそ、この新しい表現形式の本質なんじゃないですか。 てなことを、今回のもろもろ*で感じてます。 頑張ろう!頑張ろう!頑張ろう! * 今回のもろもろとは、「高橋源一郎なページ」という、私もしばしば読み書きするHPおよび掲示板が、このところ、ややぎくしゃくしたこと。詳しくは完全再開を待て。なお「日本文学盛衰史」の、件の回の最後には、このHP管理者への感謝の辞が添えられている。 |
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