追想 '99夏

旅先でことさら
思い当たらなく
てもいいことに
思い当たる旅先

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10.3第53日ブハラ
未完の終わり近づく

*このところ旅日記がまたもや進まなかった。仕事が忙しかったせいもある。ちょっと遠くへ出張もあり、新幹線に二度乗った。ありふれた移動だが、それでも、窓から風景を眺めたり、遠くの知らない町に降り立ったりするのは、いいものだ。それにしても新幹線のあの快適さには、激マズ紙コップコーヒー300円と同様、いつも驚く。ウズベキスタンのバスの苦しみが懐かしい。---ということで、私が1999年に旅した記録、続けます。もう終盤のウズベキスタン、ブハラという観光地に滞在しています。

きょうも快晴。新市街を歩き、××ホテルとマーケットに寄る。××モスクと××のマドラサとその向かいの ××マドラサを見物。昼は毎日行っている××のレストラン。きょうは靴を脱いで座る席に上がって、種のスナックを食べながら、木陰でゆっくり時間を過ごした。そばの××マドラサも見にいったら、英語堪能な若者がいて、夜同じ××のレストランで食事していたら、彼がやってきて同席した。同じ宿の旅行者も一緒になって遅くまで話し込んだ。

*モスクやマドラサの名は誰も知らないだろうから、書かないでおいた。

夏目漱石の「明暗」、終わりが近づいている。といっても未完(漱石の絶筆である)の中途半端さを味わうことになるだろう。それは、この旅の中途半端さ、それに、あらゆることの中途半端さに通じると考えればよいのか。

夕刻は××のマドラサからまた××ミナレットの方面に向かった。ミナレットをまた飽きずに眺める。昨日と同じ子供たちが双眼鏡など目当てに寄ってきて、なかなか立ち去れなかった。

10.4第54日ブハラ
旅の写真は送られてこない、こともない法則

きょうもブハラは雲ひとつない晴天。旧ブハラホテルでインターネット。「明暗」は朝のうちに読み終えた。

イスマイール・サマーニー廟までもう一度歩く。帰りにミナレットの近くで、またもや子供たちに話しかけられる。小学生の女の子二人が、どうしても家に来いという。前にここで会った時もそう言われ「わかった今度行くから」とか適当に答えていて、だからというわけでもないが、民家を見るチャンスはなかなかないし、興味もあっておじゃました。家はほんとにすぐそばだった。突然の訪問であろうに、おばあさんとお母さんが歓迎してくれた。広い居間でお茶やお菓子をごちそうになり、子供たちの教科書を見せてもらったりした。家族の写真を撮った。送ると約束したのに、まだ送っていない。送らなきゃ。一般にウズベクの人はわれわれより気が長いとは思うが、いくらなんでもという時間がたってしまったなあ。

ラビハウズの広場で日本からの旅行者2人に会い、言葉を交わした。2人とも会社勤めとあって、かなり忙しいスケジュールで動いている。同じ宿のK君とも一緒になって夜遅くまで話した。みなさん社会人でそれぞれ外国旅行の経験が豊富だった。このうちの一人Sくんの誘いで、あすはタクシーでヒバまで向かうことになった。

なお記念写真を撮ろうということになり、全員がそろって並び律儀に全員のカメラにおさまった。帰国後、ありがたくも珍しいことにその写真が届いたりして、ウズベクの広場で皆が同じように笑っている同じ構図の写真が増えていく。

10.5第55日ブハラ→ヒバ
イスラム映画村

午前中、きのう招かれた子供たちの家に、お土産を持っていった。こんなこともあろうかと日本から持参したものだ。

最後にもう一度ミナレットの前の広場へ。ブハラの初日に、ここで楽器の店を広げているおじさんがいて、バイオリン風の小さな弦楽器を楽しそうに弾いて聴かせてくれ、けっこう気にいったから、きょうは買おうと決心して立ち寄ったのだ。ところが「もう売れてしまった、新しいのは来週でないと入らない」と言う。うーん、残念。しかし、実はこのおじさん、ガイドブック「旅行人6シルクロード」の口絵写真で楽器を弾いているおじさんその人であることが判明しており、立ち去る前に「旅行人」を見せてあげたので、なんとなく和んで、まあよかった。

さて思い出のブハラもこれでさようならだ。民宿を出てSくんがチャーターしたタクシーに乗り込んだ。炎天の中どこまでもまっすぐ続く道路を100〜120キロのスピードでひた走る。右も左も砂地とわずかな草以外は何も見えない。行き先はヒバ。サマルカンド、ブハラと並ぶ観光地だが、ブハラから500キロも離れている。気候区分を見てもブハラあたりまではステップだが、ヒバはほとんど砂漠だ。タクシーは外国製でエアコン付き。バスを追い越したり、すれ違ったりするたびに、タクシーでよかったと胸をなで下ろす。もうバスの長距離移動はイヤになっている。Sくんといろいろ話した。企業の研究職で、休暇があるとたいてい旅行に出るらしい。今回の資金はなんと株で儲けたともいう。羨ましい話。

ブハラを出たのは12時半。ヒバ到着は18時半ごろだった。(Sくんはヒバの手前のウルゲンチに宿を手配してあったので先に降りている)。宿はヒバの城壁内にあるアルカンチという所に決めた。満室だったので、宿の主人の部屋を明けてもらって滞在することになった。ここは3食付き。向こうの言い値は一人一泊25ドル。ブハラに続いて、値段が下調べした情報よりだいぶ高いので、がんばって値切った。食事はきれいな大広間でとる。夕食のスープがうまかった。

夜、外に出てみると、この町はまるでイスラム映画撮影用のセットというか、映画村みたいなところだ。

さて問題は、出国の航空券がまだ取れていないことである。手配を頼んでいるサイラムツールズムは、何度電話しても「努力している、まだとれていない、少し待て」というばかり。向こうの英語が流暢すぎるのに押されて、どうつっこめばいいのかわからない。猜疑心もあって直接アシアナ航空に電話し、15日のソウル便のキャンセル待ちリストに独自に加えてもらった。アシアナのオフィスは素早く親切な対応だった。しかしキャンセル待ちが50人くらいいるので、ちょっと無理だろう。アシアナがだめなら、11日のウズベキスタン航空便ということになるが、最悪なのはどちらもダメで、ビザ切れ(その15日)を迎えてしまうこと。心配だ。

10.6第56日ヒバ
フランス語会話

午前中は隣町ウルゲンチまで出かけた。 ヒバに着いたばかりなのだが、首都タシュケントへ戻るための飛行機チケットを手にいれておかなければならない。さもないと安心して観光できない。仕事と同じで段取り八分というやつだ。運賃は一人10605ソム。正規レートだと75ドルだが、闇両替で1ドル=550スムにしてきてから、そのスムで払うわけで、結局19ドルほどになった。飛行機としては破格の安さだから、バスはもっともっと安いといってももう乗る気が失せる。窓口で、同じくチケットを買おうとしていたフランス人カップルに助けてもらいつつ、8日夜の便を無事購入。

アルカンチに戻ってランチを食べ、ヒバの城壁内を少し歩いてホテルに戻ったら、Sくんがいたので、そのまま夕食までホテルの中庭に座って話をした。彼と私は同じ大学の出身であるとわかった。遠い旅先で妙な縁がめぐる--そういうものだ。Sくんはきょうはヒバの別のホテルに泊まるのだが、夕食はここで食べていくことになった。そこに同席したのは、飛行機チケットを買う時に会ったフランス人カップル。Sくんは第二外国語にフランス語をとったということで(私もそういえばそうだったが)、果敢に会話を試みた。

10時過ぎになって、Sくんを見送って城壁の北門あたりまで歩く。星空に浮かび上がるイスラムの建物と、人気のない暗い路地が、神秘的に映った。

しかし、出国の飛行機チケットのことが気になる・・・。

*きょうはこれくらいで。

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Junky
2000.3.25

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