幸徳秋水は、
仲間から天皇暗殺計画を聞かされながらも、
実際に参加することはなかった。
秋水の手紙としてこの章に載せられた文章は
以下のごとくだ。
わたしは長い間、「革命」について書き、語ってきました。兆民先生に憧れ民権を目指して以来、社会主義を通り、無政府共産主義までわたしは一本の線の上をずっと走ってきたような気がします。わたしは数百万の言葉を書き連ね、また数えきれぬほどの若者たちに話しかけました。マルクスもクロパトキンもみんなわたしが訳し紹介したのです。
けれども、いつもわたしはとりとめのない不安を感じていました。「革命」について書けば書くほど、語れば語るほど、錆のようなものが口の中に残るようになったのです。
(略)
わたしは正しさの幻に怯えていたのです。
わたしは農夫や職工のようによく物を生産しません。わたしは口舌の徒であり、紙の上に言葉を書き連ねる者です。だが、わたしが話すのは人を楽しませる余興ではなく、わたしが書くのは、言葉の枠を尽くした詩歌でもありません。わたしは、この世界を変革する理論を、実際に世界を動かすことのできるロジックを求めてきました。どのように美しい理論も、劫火に満ちた世界を変える力を持たなければ虚しいのです。わたしは、無産者が完全に解放される世界を希求します。無産者が解放されなければ人類全体が解放されないことも確信しています。そのために無政府共産の方策がもっとも有効でありうるはずだと信じています。けれども、一つだけどうしても確信しえないことがあったのです。
宮下太吉がわたしの前に現れ、爆裂弾による天皇暗殺計画を洩らした時、わたしは黙りました。わたしは臆したのでしょうか。いや、確かに宮下の計画はわたしを怯えさせました。わたしはそこで決断を下さねばならなかったからです。
宮下の計画が正しいと思えたなら、わたしはためらいつつも、結局は参加したはずです。また、宮下の計画が間違っていると思えたなら、わたしはそれを取り止めるよう進言したはずです。だが、わたしにはどちらもできなかった。どちらが正しいのかどうにしてもわたしにはわからなかったのです。
では、わたしは宮下に、爆裂弾による天皇暗殺以外の計画を示すことができただろうか。
それもわたしには不可能でした。わたしは長い間、紙の上で後退戦を戦ってきたような気がします。実際のところ、現実の世界でわたしたちにできることは、理論と信仰告白を掲載した雑誌を作り即日没収されることぐらいでした。宮下や管野はそれに我慢できなかったのです。
宮下たちの計画が、どう考えても、現実には無意味な死者しか生まぬ以上、わたしはそれを中止するよう命じるべきだったのでしょうか。そして、この暗い時代にあっては、暴風を避け、内側に逼塞してじっと時を待てというべきだったでしょうか。いや、あるいは、そんな時こそ紙の上に書くように、現実の世界に図柄を書きこむべきだと信じるべきだったのでしょうか。
わたしにはわからなかった。だから、わたしはあんなにも長い間判断を放棄し、彼らをなすがままにさせてきたのです。
検事は「宮下や管野は、お前の書いたものの十分の一も読んではいないようだ。なにもわからずあて推量で行動していたのではないか」と嘲るようにいいました。
だからなんだというのだ。行動とはそういうものです。それ以外にはないのです。革命という言葉と僅かな知識、それにつきまとう鮮明なイメエジが彼らを駆り立て、あの計画へ追いやっていった。どうして、それを笑うことができよう。
わたしはずっと正しさという幻に囚われていたと書きました。行動において、また理論において、なにが正しいのか、それを正確に判断できるのは一世紀も後の歴史家だけなのに、人々はいつも正しくありたいと思い、また正しいと信じようとするのです。
彼らはわたしの言葉と共に在り、そしてわたしの言葉を行動の灼熱の坩堝に投げこみました。理論を書く者として、それ以上の光栄はありません。彼らは誤りを犯すことをためらいませんでした。そして、誤りを犯すことを恐れぬ者だけが彼らを批判できるのです。
◆
この手紙を、多くの読者は、
1960年代末から70年代にかけての
大学闘争や左翼闘争に重ねて読むだろう。
その渦中で拘置所に送られ「失語症」に陥った高橋源一郎が、
リハビリの結果として作家デビューを果たすという、
ひとつの伝説に、どうしても重ねて読むだろう。
私もそういう読者だ。
そうすると、どうしても
『文学じゃないかもしれない症候群』の最終章「正義について」や、
『文学なんかこわくない』の最終章「文学の向こう側2」を、
また引っ張り出すことになる。
それらの中で高橋源一郎は
政治について文学について、
問い詰めつつ、
整合性のある決定的な答は先送りにしたように感じたことを
また思い出すことになる。
「正しさ」に囚われないためには、
「誤ること」を恐れないためには、
「政治的」な政治に陥らないためには、
「政治的」な文学に陥らないためには、
答を明瞭に記述するという方法は
成立不可能ということなのか、
いや必ずしもそうとは言い切れないだろう、
などなど、この章でまた私は思案する。
幸徳秋水の言葉と、高橋源一郎の言葉と、
私自身の思いを重ねながら。
そうして今回もまた、
なんだか優雅で感傷的な気分だけが残る。
◆
こうした政治がらみの文章で、高橋源一郎は、
いつもどうも、かなり慎重で、かなり堅苦しい。
そして最終的には、ひどくセンチメンタルに感想させる。
それは、高橋源一郎が、
誤りうる政治ではなく、
誤りうる文学だけをひたすら実践していることに、
羞恥心があるせいだろうか。
いや、
当の文学についても、高橋源一郎は、
実のところ、ひどくまじめで、
いつもセンチメンタルかもしれないぞ、
ということに、思いいたる。
そういう高橋源一郎の文章の、
可能性だけではなく、
限界も、同時に考える必要があるのだろうか。
◆
章の後半。
石川啄木が青年の熱情をもって感じ入った、
この暴力革命とその弾圧という出来事に対し、
森鴎外は、寂しげながらも、冷静な分析を与えるだけだ。
そうですか、わかりました、もう何もお聞きしません。
とでも言いたげに、去っていく啄木。
幸徳秋水、石川啄木、森鴎外。
作家の思いは、いったい、誰にどう重なるのだろう。
いや、わかりました、そんなこと、もう問いません。
そして私は本を閉じ、ただ感傷的にたたずむ。