ここでは珍しく作者が肉声で話しかけてくる。
当たり前のようだが、なんかほっと一息つける。
それほどこの小説は、
語り手の位相が多様で不明で、目まぐるしく変移するのだ。
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思えば、高橋源一郎のこの小説を、
(とりとめなくも)連載中からフォローしてきた。
私にすれば、そんなことは初めての経験だ。
その間『ゴーストバスターズ 冒険小説』を3回は読んだし、
『文学なんかこわくない』や 『あ・だ・る・と』も読んだ。
『いざとなりゃ本ぐらい読むわよ』に『退屈な読書』。
以前の小説と評論もかなり読み直した。
「官能小説家」も、なんだかんだいって、全部目を通している。
(朝日を購読せずによくぞここまで・・・・)
そして今また『日本文学盛衰史』の書籍を買い、
もう一ぺん真面目に読んでいる。
まったくもってファンの鑑ではないか!
たとえ理解や感想がデタラメだったとしても、
現在この国で文学に割り当てられる時間や予算の平均値を思えば、
私は健闘している。
作家は凡庸な読者にこれ以上を望んではいけない。
だから、池袋リブロで買わなかったけど、サインください。
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ともあれそんな中、この高橋源一郎は寡作から多作に転じた。
ほかにもなにかと転じに転じた。印象の濃い数年だった。
講演もしばしばあった。
1999年12月4日の日本女子大学においては、
「原宿の大患」の体験談に、二葉亭四迷に傾倒する心情が語られ、
そして、夏目漱石『こころ』の解読が行われた。
なんでも源一郎氏が最初にこの小説を読んだ「感想」は、
「えーと、後半が長い、かな」だった、という枕で始まって、
この「WHO IS K ?」の謎が、徐々に明かされていったのだ。
今から思えば、あの講演、
この小説と完全にシンクロしていたんだなあ。
漱石や啄木はもう『新修国語総覧』の中にしかいないけれど、
源一郎はまだ生きていて、クイズ番組にも出て、
新しい作品が生成される現場にも、そのつもりになれば、
それなりに近くで立ち会える、ということではなかろうか。