感情が起こったり思考を進めたりするときには必ず言葉が介在し、あるいはその働きすべてが言葉なのかもしれないという前提でこのルートを歩いてきました。これがメインストリートだとの確信は今もかわりません。しかし実感としては、言葉とは違う成り立ちをしている世界が全くないとも言い切れません。そこへも足を踏み入れたいと思います。ただし言葉の呪縛がないはずのその道もやはり言葉で歩くしかないことが皮肉です。あるいは僕の力不足でしょうか。