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だらだら話 24

  呼吸法の続きとヨガの基礎

 又、呼吸に戻ります。
 サハジプラナヤムの続きです。

[No.5]
 逆腹式です。手を使ってやりましょう。お臍よりちょっと下に両手を置いてください。まずいつものようにお腹を押して息を吐きます。次に押したまま吸います。このとき息をお臍めがけて吸ってください。息がお腹の上半分に入ってくると思います。次に緩めて吐きます。すると、吐くときにお腹が軽く膨らむことになります。
 お腹の内側には毛細血管がいっぱいあります。これに与える刺激が大きいので、普通の腹式より血液循環を更によくします。ただし、リラックスには、普通の腹式の方が向いていると思います。
 腹式呼吸がまだ良く出来ない方は、これをやらないでください。どっちつかずになりますから。

  [No.6]
 吸った息をホッホッホッと3回に分けて吐きます。なるべくお腹を動かさないで、喉と胸だけを使って吐いてください。これは難しいですよ。私もまだうまく出来ません。腹式呼吸の出来る方はなお難しいです。これは1分間やります。又は20回〜60回。風邪、咳に最適。空気の悪いところにいたとき、又、気管支の弱い人に向きます。

 注意。次のようなかたがたはやらないでください。代わりに、後でご紹介するカパルバティをやってください。似ていますが、全然違いますから気をつけて。高血圧、気が高ぶりやすい人、便秘の方です。

[No. 7]
 片鼻ずつの交互呼吸です。まず、左の鼻を抑えます。このとき、柔らかい小鼻ではなくて、もっと上の骨のあるところに手を置いてください。軽く指を置くだけで息は止まります。右から吸って、手の位置を変えて左から吐きます。手はそのままで左から吸います。又持ち替えて右から吐きます。5,6分繰り返して、右吐きで終わります。吸う息はやはり3分ぐらい。吐く息は苦しくない程度で、ゆっくり吐いてください。

[No.8]  これも、このグル−プから脱退して、「シトリ」として独立しています。

[No.9]  これでおしまいです。胸さすりの呼吸法で、気管の弱い方、肺、呼吸のトラブルの方に欠かせません。

 1. 中指を鎖骨の端に合わせます。次に3センチくらい下げてください。
 2. そこで手を真横にします。このとき、指をうんと大きく開きます。掌の真中に乳首が来るような感じで。このとき、両手の中指はつき合わさっています。
 3. その手を動かさないで、肘を後ろに引き、肩甲骨をあわせるようにします。左右の中指の間は自然に少し開きます。此処までが前半です。
 4. 後半はもと来た道をたどって戻ります。
 前半で息を吸い、後半で吐きます。
 注意。肘を引いたところで、肩に力が入らないように。肩をストンと落として力を入れないままでやってください。でないと肩が凝ります。腰を曲げないで。

 これで、サハジプラナヤムのご紹介を終わります。
 こんな調子で、他の呼吸法もご紹介しましょうか? まだまだたくさんあります。市販のものもたくさん出ているのじゃないかと思いますが、私は不勉強で解りませんので、要るか要らないか教えて下さい。

 又呼吸から離れます。小、中学生の勉強に基礎が欠かせないとよく言われます。特に国語、英語、数学はそうでしょう。私は最近、ヨガも基本が大事だとつくづく身に沁みるような経験が続いていました。
 そこへ、たまたま、気功の小野先生から、知識と知恵の違いについて聞きました。

 お釈迦さまの言葉によると、人間には四苦があるそうですね。病、老、死と、生と。この生は、生まれてくる苦しみとも取れますが、また、生きていくことの苦しみとも取れますね。

「知識とは、その「生」をなお苦しくする情報であり、知恵とは、「生」を楽にする情報だ」というのが、小野先生の言葉です。これを聞いたとき、なんだかよーくわかったような気がしました。うまく説明できないでしょうが、やってみます。
 身近な例で食べ物のこと。今は食生活についての情報が氾濫しています。こういう情報から得られるものは「知識」でしょう。あれはいけないとか、あれは食べないと何とかが不足するとか、知識が増えていけば行くほど大変になります。必要といわれるものを全部とろうと思って、食べ過ぎになったり。
 ところが、今何が必要かを自分のからだに聴くという「知恵」があれば、これがスパッと解決します。

 そんなこと、からだは教えてくれない、といわれるかも知れません。確かにこういう知恵は一朝一夕につくものではありません。でもついてしまえばほんとに役に立つ知恵ですし、また、これがなければ、食生活に関して、永久に情報に振り回され続けることでしょう。
 では、その知恵はどうやってつけられるのもなのか。これは自分の体の内部をよーく観てあげることから始まると思います。とりとめのないようなことですが、これは私自身の経験から言えるので、是非耳を貸してください。
 別にヨガはなさらなくていいのです。ボヤッと坐りながら、あるいは、寝っ転がっていてもいいのです。上記の腹式呼吸をしながら、目を閉じて、お臍の下の丹田に視線を集めておくようにします。
 ここでいう丹田とは、下丹田と呼ばれるもので、お臍の3,4センチ下にあります。下腹部の中心です。
 これをする時間が長ければ長いほど、自分とからだとの距離が縮まります。 貴方の質問にからだが答えてくれるようになります。
 ヨガでは、肉食はご法度で、菜食ということになっています。
 私もヨガを始めた時に菜食に切り替えましたが、今から思うと、それは自分のからだの声にしたがったのではなくて、そう教わったからそうしたに過ぎなかったのだと思います。でも、もう56歳でしたし、それ以前がものすごい肉食だったので、結果的にはこれは良かったとおもいますが。 まだその頃は、からだの声を聴くなんてことは、さらさら知らないで、 ただ、知識だけで行動していたにちがいありません。

 ナンディ先生は、ヨ−グルトをよく薦められます。私も菜食にしたばかりのときは、蛋白質を取らなくちゃとかいう知識に振り回されて、ヨ−グルトをせっせと食べたものです。それが私の体にはあわなかったらしく、お腹がポンポンに張るという事態になりました。どうもヨ−グルトのせいのように思われるので、それをすっぱり止めてみたら、さっと良くなりました。ヨ−グルトは大好きなのですが、お腹が張るのはどうにも苦しいので、それからずっと控えています。

 自分のからだの声を聴くようになったのは、 ぼちぼちこの辺りからだったでしょうか? そしてこれは、知識オンリ−の段階からひとつ這い上がって、知恵の段階に進んだことになると思います。 このように、知恵を得るには体験で知るということが欠かせないのでしょう。ちなみに、小野先生も「智恵は体得からしかうまれません」とおっしゃっています。

 ここで、さっきの基礎が大事ということに戻るのですが、私にとってのヨガの基礎というのは、この「自分の体の声を聴く」ということなのです。このためには、自分のからだの内部を観る時間が必要です。するとゆっくりとアサナをする時間が必要になってきます。

 御存知のように、ヨガは8段階に分かれていて、アサナは下から3番目、呼吸法(プラナヤム)は4番目です。

 私はこの22年間、この下の方の4段階だけに励んできて、 ヨガに関しての知識は殆ど得なかったように思います。知っていることは、ナンディ先生から教わったことだけといってもいいくらいです。ヨガを教えさせていただいている者としては、怠慢を責められても仕方がないかも知れませんが、最近では、これでよかったのだと思うようになりました。
 世の中には、ヨガに関して一杯知識を持っているのに、基礎がない、実行が伴わない方がたくさんいらっしゃいます。ヨガの最高峰はサマリという段階ですが、これに達するにはどうしたらいいかと研究したりする一方、食生活の節制ができてなくて成人病をもっていたり、体がまだカチカチで、瞑想で長く座れないとか。
 サマリに近い段階に達するには、並大抵のことではないでしょう。ヨガを日本に導入してくださった、中村天風先生がこの境地を味わわれたのは、インドのヒマラヤで滝に打たれる荒修行をしている最中だったそうですから、 そんじょそこらのことではダメでしょう。
 それに近いところまで行くにも、滝修行に耐えられるくらいの体が出来ていなければ駄目ですよね。そしてそういう体は、基礎の基礎から積み上げていくっきゃないのです。

 脚をヨガ風に組んで坐るのを、パドマアサナといいますが、これがアサナのキングといわれています。数限りなくあるアサナもすべてその目的は、パドマアサナで何時間も平気で坐っていられるからだを作ることにあるそうです。30分も坐ったら腰がだるくなるようでは、 高い方の段階はのぞめません。

 私は何でも高望みはしない方ですので、ヨガをしていても第4段階の呼吸法までのことしか考えません。其処までは何とか私にもコツコツやれるものなのですが、その上からはぐっと難しくなって、 精神的な面が求められるようになってくるのです。
 そんな難しいものは、私はごめんなのです。
 ただ面白いことがあります。第5段階はプラティヤハラといって、執着を捨てるということです。執着を捨てて初めて集中が出来るというのです。そりゃ当たり前ですよね。
 私はプラティヤハラなんて高尚なものを狙って修行したことなんか一度もないのですが、振り返ってみると22年前にくらべて、ずっと執着の少ない人間になっているのに気がつきます。これは偉そうなようですが本当です。執着が減れば、人生、その分だけ楽になります。おかげで今ではかなりラクチンに生きさせていただいております。

 この私の心境はまさに知恵のもたらしたもので、知識ではありません。長年の間、ただひたすらにアサナと呼吸法をやり続けてきた結果、身についたものです。小野先生のいわゆる「知恵は生きるのを楽にする情報」また「知恵は体得からしか生まれません」というのがよーく頷けます。

 ヨガも基礎が大切と書きながら、ヨガの基礎とは何かを、全く知らないのに、自分で呆れました。そこで早速友人に頼んで、アイアンガー師のハタヨガ真髄という本の一部をコピ−して貰いました。

 読み始めての感想は、「これを20年くらい前に読まなくて良かったなあ」ということです。難しくて、目が痛くなるほど漢字がびっしり詰まっています。もっと以前にこれを読んでいたら、もうメゲちゃって、ヨガを止めていたにちがいありません。
 今はさすがに、フンフンとある程度理解しながら読めます。こういうものが読める自分になったということが嬉しいです。

 以前にもご紹介したことですが、ヨガの第1段階のヤマについては、「あらゆるものを超えて存在する心理的戒律」と書かれています。要するに、「これはしちゃいかんよ」ということ集なのでしょう。
 第2段階はニヤマです。「個人の規律として守るべき行動の掟」とあります。この方がわかりやすいですよね。要するに、「こうしろよ」集なんでしょう。
 今から、老眼鏡の曇りを拭いてぼちぼち読んでみます。いいことが書いてあったら、おすそ分けしますね。
 それと同時に、私がナンディ先生から教わってきた生活上のきまりもご紹介していきたいと思います。私が守っているものばかりとは限りませんが。 
 なぜかというと、今78歳なのですが、同年の人々のなかでは、元気なほうだと思います。「何でそんなに元気なんですか?」と訊かれたりもします。だから私がヨガの基礎だと思ってやってきたことも、まんざらではなくて、ご参考になるかなあと思うからです。

 そのおすそ分けは次号にすることにして、今日はこれで止めます。

   お読みになった方から、時折、感想がいただけます。どんなに簡単なものでも、とても嬉しいです。お暇がありましたら、お便りをください。

2007年6月 

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 http://www.mayq.net/kimura/daradara0.html
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〈筆〉waikari bahchan=木村詩世