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だらだら話 2

  アシュラム
だらだら話しをお送りしたら、早速お返事をくださったかたもあって、有り難うございました。アシュラムの事について、知りたいというご希望がありましたので、そのことを、ちょっと喋ってみましょう。こういう風に、私のすることは、何か人に言われると、すぐずれて行きます。見事な、主体性の無さです。大体、私の人生はずっと、その連続だったようにおもいます。ヨガを始めたのも成り行き、塾を始めたのも成り行きまかせでした。きっとこの調子で、死ぬまで行くとおもいます。あの世で、神様かなにかにお目にかかったとしましょう。「自然にまかせて、適当にやっていたら、あんなもんでございました。へい。」「おおそうか、まあいいだろう。そんなところだろうから。」というようなことになるような気がします。

ところで、アシュラムのことですが、インドには、いたるところに、アシュラムがあるのです。英語に、似たようなことばで、アサイラムという語があります。このふたつは、同じ語源からきていると、私は勝手に思っています。アサイラムを辞書でひくと、「避難所」とかが出ています。インドのアシュラムは、ヨガの道場だと思ってください。一般の人でも入れるのです。

インドは、貧富の差が激しいところですから、ものすごい金持ちもいるらしく、そういう金持ちの寄付で成り立っているのです。私などがいって、滞在していても費用を請求されることはありません。帰るときに、思し召しを置いてくればいいのです。食事は勿論質素で、菜食です。お金持ちが来たときには、お菓子がでるので、ああ「ご来訪」があったんだなあ、とわかります。私は日本人ですから、まわりの人に聞きまわって、適当な額をちゃんと置いて来ましたが、いい加減な人もいるようです。それでも、あちらさんは鷹揚なものですよ。

そんなわけで、アシュラムルンペンのようなひとも中にはいます。二人で一室でしたが、最初の一週間のルームメイトは、素敵なイタリヤ人でした。その後に入ってきたのは、ひどい人でした。明らかなアシュラム-ルンペンでした。もう何年も家に(イギリスに)帰ったことはなくて、ずっとアシュラム暮らしをしているのだそうです。アサナなんかはうまくて、大変難しいアサナをこなしますが、夜になると、睡眠薬をガバガバのみ始めるのです。ものすごい神経質で、ちょっとの音も気になるとか。同じようにヨガをやっていても、こういう道に入り込んではいけないなあと痛感しました。この人は、あちこちのアシュラムをめぐって、暮らしているのです。なにしろ、ただでいてもいいわけですから。

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アシュラムでは、一日中いろんなプログラムが組まれていて、自分の好きなクラスに出て勉強していいことになっています。その中のひとつが前に書いた瞑想のクラスだったのです。その他に、いろんな講議をきくクラスとか沢山あります。アサナのクラスも、勿論ありますが、あまり重要視されていないような感じでした。この点は日本から行くと意外かもしれません。講義の内容は、結局ヨガの最終段階であるサマリ(三昧)についてで、意識のある無と、意識のない無とか、まだ私には、字面しかわからない話でした。その有名なアシュラムに行って得た事は、私のような人間には、ナンディー先生(私のついている先生)の医療ヨガがあっていると、納得できたことでした。難しいことは、そのうちに、自然に解るかもしれないし、解らなくてもいいしということが、よく解りました。

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〈筆〉waikari bahchan=木村詩世